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閑話 湯煙の中から -Ex calidus fons-


潮風の香る小さな街、石灰質の建物が並ぶその中に、ひときわ高い煙突がある建物があった。

中には簡単な受付と青と赤の暖簾のれんが並んでいる。店内は外よりもかなり暖かく、受付の近くに並んでいる椅子にはのんびりと座っている客がチラホラと確認できた。


一番奥の椅子に座っている二人、片方はシャツに短パン姿の男、風呂上りなのか、顔はほんのり赤く、手には店の中に設置された無人販売機で売られている飲み物を持っていた。


「いやぁ、まさか旅人のボウズに奢ってもらえるとはね!俺はこれがないとダメなんだよ」


男はそう言って笑いながら、ビンに入った白い飲み物を一気に飲み干す。

その様子を横で見ていた黒いコートを着た旅人、その顔はまだ若く十代の中頃のようにも見える。旅人は男がビンの中身を飲み干すのを見ると、腰を上げた。


「お風呂まで案内してくださってありがとうございました。ボクはこれで失礼します」

「ちょっと待ちなボウズ!牛乳のお礼にいいこと教えてやるよ。これはこの街の中でもほんの少しの人間しか知らないことだ。旅人なら興味あるだろ?」


「…………」


座り直した旅人を見て、男は満足気な表情を浮かべる。


「実は、この街は俺の故郷じゃないんだ。約三十年前、ここから山を二つ超えたところにはもう一つ街があった。そこが俺の本当の故郷、だがその街は今はもうない。なぜだと思う…?」


男は一度言葉を切り、牛乳の空き瓶を見つめた。

旅人が何も答えないでいると、男が再び話し始める。


「街全体で疫病が流行ってな。住民が次々と死んでいった。そこで政府は近隣の街に助けを求めるべく、兵士達を何チームかに分けて伝令に向かわせた。

結果は散々だったよ、もともと仲がいいわけじゃなかったからな。無視されて追い返されるならまだしも、捕らえられて捕虜にされた兵士たちもいたらしい。

そんな俺たちを唯一、この街だけが受け入れてくれたんだ。疫病の街から人が来たって言うんじゃ大騒ぎになるから、表向きはただの小規模移民だってな。街の中で病気にかかっていなかった人数は、ガキだった俺を入れて、たったの八人。このことを知っているのはこの街のお偉いさんと俺たちだけだ。」


「その街、今はどうなっているんですか?」



「さぁな、なんせガキの頃の話だ、そんなに覚えちゃいない。行きたければ行ってみればいいさ、方向はここから北東へ真っ直ぐ。ただし、そこで何かあっても俺のせいにはしないでくれよ?

俺はこの街に感謝してるんだ。これからもこの街に貢献して生きていく」



男がゆっくりと顔を上げる。


「唯一の心残りは俺の両親も含め、感染者を街においてきちまった事と、兵士が全員帰ってくる前に移住しちまったことかな。俺たちが出て行ったあと帰ってきた兵士たちもいたんだろうな……。

さ、話は終わりだ。長々とすまなかったな。興味が出たら行ってみてくれよ”無くなった街”に」


「ありがとうございました。時間があれば、行ってみたいと思います」



「おう、それじゃゆっくり風呂に入ってきてくれ。露天風呂は気持ちいいぞ!青が男湯、赤が女湯だ」


旅人は軽く会釈すると、赤い暖簾のれんの先に消えていく。


後に残された男は大きく目を見開き、その場に立っていた。


「あの旅人、女の子だったのか……」



 ■ ■ ■ ■ ■



「無くなった街、かぁ……」

「行くの?」

「ウェズは行きたいかい?」


湯気の立ち上る中から、若い男の子のような声が響く。


「別に!しょうがないから、レノが行く場所について行ってあげるよ」


答える声はさらに幼い声

レノと呼ばれた最初の声が「ありがと」と短く返すと、少しの間静寂が訪れた。

湯気の中には、どこからか聞こえる虫の鳴き声と、それに重なるように水の注ぎ込む音だけが流れている。


「ウェズ、知ってるかい?今日は一年で一番月が綺麗な日なんだよ」

「そうなの?」

「うん。今ボクが決めた」


「………」



穏やかな風が吹き込み、湯気を少しだけ晴らしていった。

そこは何十人も入れそうな大きな大きな浴室。屋外に作られたそこに居るのはレノ一人、そして近くに立てかけられたウェズだけだった。

レノは頭上の月を見上げながらウェズへと語りかける。


「ボクはね、昔はこんなふうにお湯にのんびり浸かりながら空を見上げる日が来るなんて想像したこともなかったんだ。ウェズを背負って山の中を歩くとも思わなかったし、こんなにたくさんの人と話すとも思っていなかった。だから、ボクには全てが新しくて、そして綺麗に見えるんだ」


レノの手がゆっくりとお湯を掬い、やがてその雫はレノの腕を伝い、浴槽の中へと溶け込んでいく。


「でもね、だからこそ思ってしまうんだ。ボクはあのおじさんと同じなんじゃないかって、自分では何もできなかった。誰も助けられなかった、おばあちゃんもみんなも……」


「でも今は頑張ってる、それでいいんじゃないの?」


「やっと少しだけ強くなれたからね、まだまだこれからだよ。ボクはもっと強くなる。周りの人を少しでも助けられるように」



雲が流れ、月を覆い隠した。


「さ、そろそろ上がろうか。あのおじさんが飲んでいた牛乳、ってのを飲んでみよう」

「味のリポートよろしく!!」


夜は更け、また朝が来る。

旅人の歩みはまだ止まらない。

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