欲望の神 -Deus avaritia-
城壁が近くに見える草原、そこには木の柵が設けられ、中では白く綿のような毛皮をまとった獣が、大人しそうに草を食んでいた。
草原の短く揃った草の上を冷たい風が夏の終わりを告げるかのようにゆっくりと流れていく。
柵の近くには木製の小屋が建てられ、数匹の犬が繋がれていた。
縄で繋がれた数匹の黒い犬とちいさな黒いコートの旅人が犬とじゃれている。
その顔には珍しく笑顔が浮かんでいた。
「れーのー、はーやーくー」
「もうちょっと……あははっ……ウェズも来るかい?」
ウェズとよばれた黒い長刀は小屋の壁に立てかけられている。
「いい、動物は嫌い」立てかけられたまま、興味がない声で返事が返ってくる。
レノは尻尾をふる犬たちに別れを告げると、獣の毛を刈り生計を立てているという男性に声をかけ、城門へと向かう。
「あぁ、楽しかった……」
「意外と動物好きなのね、レノ」
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城門では、審査らしい審査もせずすぐに中に入ることを許された。
審査官はレノのことを久しぶりに来た旅人だと喜んで街の中の様子を話してくれた。
「この国はねぇ……なーんにもないところだよ」
城壁の中には、ただ平坦な大地がどこまでも広がっていた。
ほとんどが城壁の外と同じような牧草地、所々に畑や家屋が見えるような街だった。
なにも変わらない道を、景色を楽しむようにゆっくりと、レノは歩く。
「のどかな国だね、いいところだ……」
レノはやがて、一軒のお茶屋へと入った。
平屋建ての木造家屋、その軒先は大きく開かれ、お茶屋として営業しているようだ。
レノ以外に客の姿はない。お茶とあまり甘くないお菓子を持ってきた老婆はレノの隣に腰掛け温かく微笑む。
「久しぶりのお客さんだよ、ゆっくりしていきなさいね」
「はい、ありがとうございます」
レノも、落ち着いた雰囲気でウェズを傍らに置いていた。
温かいお茶を一口飲むと、ほ、と息を吐く。
「この街にも、神様はいるんですか?」
「いらっしゃるわよ、リーヴェル様」
そう言ったあと、老婆は少しだけ笑う。
「こんな国にいらっしゃってくれるなんて、ありがたいことよぉ……」
レノは、少しだけ老婆と話をすると、神がいると教えられた社へと向かった。
社は先ほど立ち寄ったお茶屋とは比べ物にならないほど豪華な作りになっていた。
黒、赤を基調とした巨大な神社のような場所の周囲には住人がチラホラと見えた。一様に果物や穀物などを持ち、社の中に入っては数分おいて出てくる。
「お供え物かな?すごいね~」
「こら、聞こえるよ」
ウェズが軽口を叩き、レノがそれをたしなめる。
社の中も、外観と同じように豪華絢爛な作りになっていた。
その最奥、天蓋によって区切られた先にリーヴェルは一人静かに座っている。
周囲には先程まで住人たちが抱えていた果物や穀物が置かれていた。
「はじめまして、ボクはレノ、こっちはウェズです」
「おねーさんこんなにいっぱい食べるの?」
天蓋の奥に座る女神は、美しい姿をしていた。
スラリとした体に、長く伸びた金色の髪、大きく澄んだ目とアーチを描いた眉からは優しさがにじみ出ていた。
「はじめまして、旅人さんが来るなんて珍しいわ」
その声は暖かく、口調はすべてを包み込むように優しかった。
リーヴェルは、ため息をつきながら自分の周りに置かれた食べ物に目を向ける。
「こんなに食べきれないの。いつも、もういいっていうのに、みんな持ってきちゃうの。すごく嬉しいんだけどね」
口角が上がり、女神が笑う。
「それにね、旅人さん…お話聞いてくれるかしら」
久しぶりの住人以外の来訪が嬉しそうに見える。
レノは「もちろんです」そう返し、ゆっくりとリーヴェルのそばへ腰を下ろす。
ウェズは握ったままだが、その表情はいつもより心なしか緩んでいるように見える。
「それでね……」「はい」
「そしたらね……」「はい」
「でもね……」「はい」
たわいのない話は日没まで続いた。
内容はこの国がとてつもなく暇な事、気候も安定しているから自分はいらない事など、美しい口調で奏でられる愚痴の数々だった。
レノとリーヴェルは時折果物で喉を潤しながら話を続ける。
どの果物もみずみずしく、頬張れば新鮮で心地いい香りが口いっぱいに広がった。
「それでは、この辺で、失礼します」
レノは立ち上がり、社をあとにしようと振り向いた。
「ちょっとまって!」
その背中に声がかかり、レノはゆっくりと振り返りその顔を見る。
「ここから私を連れ出して欲しいの!」
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「本当にいいんですか?こんなことして」
レノはウェズが変化した真っ黒のキャリーバックを引いていた。
キャリーバックで使われた汾、レノのコートは短くなり、ジャケットほどの大きさになっている。
体の半分ほどもあるキャリーケースを左手で軽々と引きずっていく。
「いいの。もうお飾りの神様はいやなのよ」
昨日の話の内容を思い出す。
”この地域は穀物も、果物ももともと豊かで、神の働く仕事はない”
”ただ神であることを盲信して毎日お供え物を持ってくる”
”国外、果てには社から出ることさえも止められる”
どれも、もううんざりだ、と美しい女神は言った。
「数年前、まだ私が自由だった頃にね、すごく素敵な方に出会ったの」
「ボクはあなたをその方のところまでご案内すればいいんですよね」
ゴロゴロと音を立てながらキャリーケースは引きずられていく。
時折小石などで跳ねるたびに衝撃が伝わるのか「いたいっ!」「きゃっ!」と小さく悲鳴が聞こえてくる。
「あんなに力強くて自分を貫いている方、そうそういません」
「でも、その方をあなたの社に招くことはできなかったんですか?そっちのほうが…」
「それはできないのです」
バックの中から悲しそうな声が響く。
「何度も招こうとしました、でもみんなが反対するんです。挙句、あの方が私をたぶらかしたと言って国外追放にされてしまって」
「いいんですか?あなたが出て行ったらみなさん大騒ぎですよ?」
「いいの、あの方と一緒にいられるのなら、私は神をやめてもいいの」
「すごいですね」
「ごめんなさい、旅人さんを巻き込んでしまって」
「昨日の果物のお礼ですよ」
数人の住民たちと挨拶を交わしながら、のんびりと城門までたどり着く。
審査官は入る時と同じようにレノの姿を流すように見ると「いつでもきてね~」そう言って門を閉じた。
ほどなくして入国前に立ち寄った小屋の前へたどり着く。
「アマ!」
「”アマ”さんか」
ウェズが楽しそうに言う。
その時、小屋からひとりの男性が顔を出す。
「おや?あなたは……」
男はリーヴェルの顔を見ると、驚いたような表情をつくる。
「あなたはたしか……お祭りの日に……お会いした人ですよね…」
「覚えていてくれたんですか、私あの日からアマのことが忘れられなくって……」
リーヴェルは恥ずかしそうにうつむきながらも、告白を続ける。
その様子をレノは少し離れたところで見守っていた。
「アマを思うと胸がいっぱいになるの、どうか私をアマと一緒に居させて。そのためならなんだってするわ」
男は少しの間驚いた表情を浮かべ、やがて口を開く。
「お仕事、手伝っていただけますか?」
「もちろんです」
「本当に、こんな場所でいいんですか?街の外ですし、不便ですよ?」
「アマといっしょなら、どんな場所でも」
頬をかきながら男は照れくさそうに笑った。
「…分かりました。そこまで言うのなら」
「ほんとうっ!」
女神の顔が驚き、そして喜びの表情へと変化する。
ウェズは刀の形へと戻り、レノの後ろで「うんうん」と頷いている。
「本当に嬉しいっ!」
そしてリーヴェルは男のそばにしゃがみこむと、横に伏せていた犬の一匹に抱きついた。
「ウゥウウウーー!ワァン!!」
犬はもがき、逃れようとするが、リーヴェルはしっかりと抱きつき離さない。
「アマ、もう離さないわ…」
リーヴェルは嫌がる犬に頬ずりする。
アマと呼ばれた犬は、その手の中から抜け出すと飼い主の後ろへと隠れ、怯えた目でこちらを見る。
「アマ、ビックリしちゃったみたいですね、もう少し優しくしてやってください」
男がやんわりと注意すると、リーヴェルは優しくアマを撫で、そっとほほええんだ。
「もう、ずっと一緒なのよ。片時も離れないわ、アマ。大好きよ」
レノはその様子を見ていたが、やがて違う方向へと歩き出す。
「ボクらはそろそろ行こうか、ウェズ」
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草原が広がる道を旅人が歩いている。
「ねぇレノ……」
「ん?なんだい?」
「あの女神様、あれでよかったのかなぁ……」
レノは一度牧草地を振り返る。
「いいんじゃないかな、愛は、人それぞれさ、神もまた然り、だね」
「あっらぁぁあ!?」
怪訝そうな顔を浮かべるレノ。
「なにさ」
「まさか、レノが愛を語るなんてね!成長したねぇ……」
「捨てるよ?」
「捨てたらレノが困るくせにっ」
旅人はゆっくりと歩いていく。
草原の先には、まだ何も見えない。




