船の話 -Magistri story- 転
「だめ~、ちびっこは家帰んなさい」
ロッゾはそう言うと、レノの横を通り過ぎ、去っていく。
その足取りは空き地に訪れた時と同じく飄々としたもので、疲れなど感じさせない。
「おねがいします!ボクにかたなの使い方を教えてください!」
レノはその後ろをトコトコとついて行く。
「おねがいします!おねがいします!!」
いつしか二人は出会った酒場の前まで戻ってきていた。
ロッゾはレノの方を振り返り、あからさまにめんどくさそうな目を向ける。
「なんだ嬢ちゃん!しつこいな!おうちに帰んなさいって言ってるでしょ!?お母さんが……」
「お母さんなんていない!」
「ん……じゃあお父さんとか、お世話になってる人とか……」
「そんな人いないもん!」
ロッゾは頭を掻き、下から自分を見つめる少女を見る。
「嘘言ったってダメだからな?」
「この子の言ってることはホントだよ~」
レノの後ろから声が響く。
「どうもね~おにいさん」
「刀…が喋ってるのか」
「はいな!ウェズって言います~」
レノが背中から漆黒の太刀を抜く。
今はレノの手の中に収まるよう、小太刀ぐらいのサイズだ。
一見すると、黒い包丁のようにも見える。
「んでね、おにいさん。レノの言ったことは本当だよ。この子はとなり村の奴隷だった」
「………は?」
ロッゾは信じられないといった様子で少女を見つめる。
「でも、神の気まぐれでこの子以外の奴隷は全員死んだ。生き残ったのは一人だけ。レノには家族も友達も、いない」
「………………」
「レノは、一人。まぁオイラがいるけどね~」
ロッゾは数秒間レノを見つめ、その間レノもずっとロッゾを見上げ続けた。
先に目をそらしたロッゾは、後ろを向いて歩き出す。
レノは俯くと、ロッゾに背を向けてトボトボと歩き出す。
「………弟子にはしない。でも、家とメシくらいは出してやるよ」
「………………っ!!!」
背後から聞こえたその声は、ぶっきらぼうながらもどこか温かみを感じさせるようなものだった。
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ロッゾの家は町のはずれにポツン、と建てられていた。
彼曰く、人がいない方が落ち着くというが、その真意はわからない。
洋風の建物が多い中、ロッゾの家は瓦や縁側のある平屋建て、土地を広くつかった昔からの武家作りのような家だった。
ロッゾは玄関の引き戸をガラガラと開けると、中へと入っていく。
レノも、その後ろに続いて中へと上がり込んだ。
通された居間には、机と座布団。
その上にちょこんと座ったレノ。
台所へと消えたロッゾがしばらくして持ってきたのは、湯気を立てたほかほかの白米と胡瓜と大根の漬け物。
二人分持ってきたそれを、レノと自分の前に置く。
「わぁっ!!!」
レノは自分の前にお皿が置かれた途端、もぐもぐと食べだした。
いただきますもせず、手で。
「なっ!?おい!」
箸と湯のみを持ってきたロッゾは驚愕する。
「んふぁ…?」
レノは米粒だらけの顔と手でロッゾのほうを振り向いた。
手には胡瓜が握られている。
「ふぉふぁんまんむ!!」
「おいしいってさ~」
口いっぱいにご飯をほうばったレノの代わりにウェズが言った。
「いや、そうじゃなくて……」
ロッゾは米粒が散乱した机を見ると、呆れたような顔でレノの向かい側へ座る。
「お嬢ちゃん。もう少しきれいに食べられないか……?」
「ふぃれい……?」
首をかしげるレノ。
「あぁごめんおにいさん。レノに作法なんてないよ。だって奴隷だったんだもの。言葉はオイラが少しづつ教えてるけど、箸なんて存在すら知らないよ」
「……………まじかよ」
食べ終わったレノは、その場に寝転ぶとやがてすやすやと寝息を立て始める。
「こいつ…本能の赴くままかよ……」
ロッゾはレノに薄手の布団をかけると、自身の食事を済ませ、二人分の片づけをする。
やっとの思いで床に散らばった米粒を掃除すると、廊下にある壁掛け電話の受話器をとった。
「もしもし、俺だ。すまないが、頼みたいことがある」
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翌日、レノは再びあの酒場へと来ていた。
ロッゾが案内したのは、店の奥。階段を上がった先にある小さな部屋。
部屋の中には四角いテーブルと椅子が2脚、まるで子供の学習部屋のようだった。
「ここで待ってろ」
ロッゾはレノを椅子に座らせると、階下へ降りていった。
やがて部屋に入ってきたのはロッゾではなく、妙齢の女性。
長く艶やかな黒髪は背中ほどまで伸び、落ち着いた所作は女性の聡明さを伺わせた。
「あなたがレノちゃんとウェズくん?」
黒いパンツと白いブラウスをきっちりと着こなした女性はレノの横へと座る。
「はい!」「どうもね~」
「私はルーラー、まぁ、私の名前なんてどうでもいいわね」
そう前置いた女性は、鞄の中から紙とペンを取り出し、レノの前へと置く。
「今日からあなたに礼儀作法、常識、言葉、その他いろいろを教えるわ。……ロッゾには借りもあるしね」
「わーい!」
レノは喜んで両手を上げる。そしてルーラーのほうを向くと
「れいぎさほーって何?」
首をかしげた。
「まずはそこからね………私のことは先生と呼びなさい」
「はーいせんせー!」
そこから毎日、ルーラーによる勉強会が始まった。
レノの知識は生きる上で必要なものしかなかった。例えば、食べられる草と食べられない草の種類。危険な獣。そんな知識ばかりで一般教養はほとんど皆無に近かった。
「ねーせんせー、これはなんてよむのー?」
「これ?これは………」
ルーラーによる教えは完璧だった。
レノが飽きないよう工夫を凝らし、一般教養から叩き込んでいく。
始まってからわずか三日で、レノは挨拶とお箸の持ち方を覚えた。
昼間はルーラーと勉強し、ロッゾの家に帰ってからはウェズを振り回して遊んでいた。
何度もロッゾに剣を教えてくれるよう頼んだが、ロッゾは頑として首を振らなかった
「けちーー!」
そんな風にして、約三ヶ月の日が流れた。
朝、レノは台所へと行くと、ふたり分のご飯をお盆の上へ載せ、机へと運ぶ。
この日のメニューは、白米と焼き魚。
レノは山盛りご飯を自分の所へ、小盛のご飯をロッゾのところへと置くと、席に座って箸を持つ。
「いただきまーす!」
そう言って口に運ぶ様子は、三ヶ月からは考えられないものだった。
ロッゾもその姿を微笑ましく見ている。
「先生のところいってきまーす!」
「おぅ、きをつけてな」
レノが酒場へと行き、一人になったロッゾはひとりごちる。
「そろそろ……なんだろうな」
その目は何処か遠くを見つめ、寂しげな色を写していた。
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「ただいま!」
レノが帰ると、部屋の電気はすでに消えていた。
「あれ?ロッゾぉ~?」
レノが居間へ入ると、ロッゾは縁側へ座って月を見ていた。
「あ!いた!ねぇねぇきいて!今日はね!」
レノはロッゾの横へと腰を下ろす。その時ウェズが床と当たり、小さく声を上げた。
一瞬ウェズの方を見たレノがロッゾへと視線を戻すと、彼もまたレノも見ていた。
「なぁレノ。先生は好きか?」
「うん!」
「そうか、それなら……」
ロッゾはそこで言葉を切ると、レノから視線を外し、少しだけ口角を上げる。
「先生んとこの子供になれ」
「え?」
ロッゾはレノの方は見ず、ただ口を動かす。
「あいつのとこの方がいい生活はできるし、将来も安心だ。もう話は通してある。大丈夫、あいつは俺の元相棒だからな、信頼していい。明日酒場へ行ったら、もうここへは帰ってくるな。そのままあいつがお前を引き取る。わかったな」
ロッゾはそれだけ言うと、立ち上がり、自分の寝室へと入っていってしまった。
「え…?え……?え?」
縁側にはレノが一人。
「ウェズ…つまり、どういうこと?」
「ん、つまり、明日からは先生のおうちに住みなさいってこと。このおうちで寝るのも最後だね」
「えっ!?やだ!」
レノが声を上げる。
「そうは言ってもさ、しょうがないんじゃない?郷に入っては郷に従え、さ」
「なんで?ロッゾはボクのこと嫌いになったの?」
「いや、それはわからないけど……」
「じゃぁ聞いてくる!!」
レノは寝室の襖を勢いよく開ける。
「ねぇロっ……!!」
声をあげようとして、止まる。
目の前にはロッゾが立っていた。
「あぁ、嫌いだよ」
先に口を開いたのはロッゾ。
「そもそも俺はガキが嫌いだ、特にお前みたいな常識もないようなガキは特にな!」
「え…?」
「早く寝ろ。そして早く出て行け」
それだけ言って、襖は閉められた。
翌朝、レノは自分の分のご飯を盛ると、食べ始めた。
ロッゾが寝室から出てくる気配はない。
「……ごちそうさま、でした。いってきます」
レノは襖越しにそうつぶやくと、ロッゾの家を出た。
いつもと同じようにルーラーによって授業が行われ、やがてそれも終わる。
レノがいつもと同じように酒場から出ると、そこには一台の車が停まっていた。
後ろから出てきたルーラーがレノの背中をそっと押す。
「あなたは今日から私の子よ。あれで家まで行くわ」
ルーラーに促されるままレノは車の中へと乗り込んだ。
車内は広く、レノの横にルーラーが座った。
彼女がすこし合図をすると、車は動き出した。
方向はロッゾの家とは反対方向。
「少しだけ、昔話をしてあげるわ」
レノは、車に乗ってからずっとうつむいたまま。
「これはまだ、ロッゾも、私も、若かった頃の話。昔ね、私たちは泥棒をしていたの」
そう言ったルーラーの声は、三ヶ月で聞いたどの声よりも悲しく、重たかった。
「相当悪いこともしたわ、人も殺したし、建物を壊した数なんて数え切れない。私たちは、自分のしたいように動いてきた。彼と一緒にいたのも、ただの偶然。やりたいことが同じだったから、って感じかしらね」
すこし自嘲気味に笑った元泥棒は話を続ける。
「でもね、私たちは、あることをきっかけに、泥棒をやめたの。なんだかわかる?」
レノから返事はない。
「子供が、できたの。私と彼の子供。それは可愛かったわ。私たちは泥棒もやめて、真面目に働いた、彼は剣術道場の師範、私は学校の先生。生まれてきた女の子を手探りながら、私たちは一生懸命育てた、いや、育てようとしてた」
あの頃は楽しかったわ……そう言ってルーラーは笑った。
「でも、その幸せは長続きしなかった。ちょうど子供があなたぐらいの歳の時よ。家に、火が付けられたの。放火だったわ、元々泥棒の私たちは誰から恨みを買っていてもおかしくなかった。むしろ、かってない方がおかしいわよね。私たちは逃げ出した。でも、あの子は…………」
ルーラーは目を伏せる。口はきつく結ばれ、奥歯を噛み締めている。
「あの子は、ダメだった。助け出した頃にはもう息をしてなかったわ」
ルーラーは顔を上げた。
「だからきっと、彼はあなたといるのが辛かったのよ。自分の娘と同じだから。だからあなたと会った時もほうっておけなかったのよ。あなたと会った時、彼驚いたでしょうね、そっくりだもの。………ねぇレノちゃん。彼が何を言ったのかはわからないけど、これだけは言えるわ、彼は、あなたのこと大好きよ。」
レノがゆっくりと顔を上げる。
「ほんと?」
「ほんとよ。先生が嘘ついたことある?」
笑顔のルーラーにレノはふるふると首を振る。
「ねぇ先生」
「どうしたの?」
「私、もう一回ロッゾに会いたい。ちゃんとありがとうって言いたい」
「ふふ。じゃあ、戻らないとね」
ルーラーが再び運転席になにか指示をすると、車は向きを変え、道を戻り始めた。
やがて、ロッゾの家が見えてくる。
----はずだった。
ロッゾの家があった場所、その場所は炎に包まれていた。
玄関も、縁側も、屋根の瓦も、すべてがオレンジ色に染まっている。
レノはただその前に立ち尽くしていた
----------to be continue




