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7:

 チッチッチッチ……


 一時間後、午後一時半。目覚まし時計の秒針の音が響く室内で、正宗は全く眠れずに瞼だけを閉じていた。

「それにしても……」

 もう眠るのを諦め、正宗は閉じていた瞼を開けながら呟く。

「まさか、こんなアホな島だとは、な……」

 南おちんちんランド、恐るべし。この奇妙奇天烈なネーミングは、捻りも無い事実の列挙だった事を、まさに読んで字の如く見せつけられてしまったのだ。

「何が、サウス・オーガナイズド・トランスマインド・インターナショナル・ナチュラリスト・×2ランドだ。やっぱり無理矢理後付けしたんじゃないか」

 刹那を探しに来ようとした正宗の上陸を拒んだ『純粋な男だから許可できない』と言う意味不明な理由。あれは、『純粋な女であっても』やはり拒否されるのだ。


「純粋じゃないんなら、不純ってことだろうに……」


 思わず皮肉も言いたくなる。そう、この島には『男性』も『女性』も存在しないのだ。

 存在するのは、『男の娘』――

 形態としては、男性に近い、ともいえる。この島に住む男の娘は、そのほとんどが男性が女性化したもの、もしくは女性的特徴を身に着けたもの、だったからだ。 

「いったい、なんなんだ、ここは……」

 正宗は、午前中の、悪夢のような診察を思い返す。

 最初の患者だった草刈マイをはじめ、とにかくむちゃくちゃな病状を訴える連中が相次いだ。

もちろん、腹痛や風邪っぽいなど、まともな病人も来ることは来た。

 しかしだ、たとえ真面な病人であっても、全ての患者が『男の娘』なのである。

 午前中、診察が一段落ついた時、問い質した正宗に

「あら? 言ってませんでしたっけ?」

 などと、微妙に視線をズラしつつ答えたエリスによれば、この島は日本政府からも認可された、世界初の『男の娘の国』のモデルケースだという。


『男の娘』――


 正宗も、その単語を耳に挟んだことはあるし、特に日本の一部の人種にはメジャーかつ定着した単語、である。

 その意味合いは、一定の枠踏みは有れど個人、団体、企業など、取り扱う者によりかなりの幅が有り、『少年、あるいは男性が少女の恰好をしたもの』つまり女装した男から、『少年、あるいは男性が少女の肉体的特徴を整形で身に着けたもの』――性転換手術を受けたもの、また非常にレアではあるが、『両性具有者の一部』――先天的なものまでも含んでいる、らしい。

 但し、どれに共通する条件として『萌え』を有するかどうかが重要だという。

 もっとも、『男の娘』という単語が人類史上に現れたのはかなり最近で、当初の意味合いとしては最初の『少女の恰好をした少年あるいは男性で、萌えられるもの』と言う定義、それも『二次元に限る』が含まれる事も多く、かなりニッチな趣味の世界・存在であった。

 しかし、いつの間にか意味合いは変化し、幅が広がり。

 現在では、それを見た他人が、もしくはその恰好をした本人が言い張り、そこに『萌え』さえあれば、それらはすべからく『男の娘』である、と言うカオスな状況になっているのだ。


「だからと言って……」

 そのための国を興そう、とまで考え、実行に移したのは考えるまでも無く因幡エリスが最初であり、もしかすると最後になるかもしれない。

 だが、実際に彼……いや、彼女は自分自身を『萌える男の娘』に変え、どんな手を使ったか解らないが、ここ緑が島を日本政府から自治区として取得し、小規模ではあるが実質的な独立国に近い状況で運営している。

 ここに渡る前、正宗とは古くから昵懇な間柄であり、多大な協力をしてくれた内閣調査室長補佐、神崎真織から、地下や水中など、地球上で有ればほぼどんな場所からでもアクセスが可能な腕時計型特殊通信機をもらいつつ聞いた話――


「現在の内閣にも、強烈な『因幡エリス支持者』とでも言うべき者が存在するのよ。それこそ、首相に近い地位の人も含めてね」

 この島の現状を把握出来ていなかった時に訊いたその話が、実感を伴わされるとは。

 その時には、『男の娘』などという存在を脳内に収容していなかった正宗は、因幡エリスと言う人物が野心的かつ魅力的で、能力にも優れているのだろう、くらいにしか考えなかった。

 また、実際にエリスは野心的で高い能力を持つ人間だった。

 そしてなにより、その外見的、内面的な魅力には、男女問わず魅入られてしまう者も多いだろう。正宗とて、彼女に魅力を感じないわけではない。ただ、正宗は己の目的を、女――ましてや男の娘などという意味不明な存在にかまけて忘れる男ではないのだ。


 正宗の目的は、親友の足取りを捉える事。そのためにはしばらくはこの島で医師として生活せねばならない。だが、午前中の診察を思い返すと、さすがの正宗も暗鬱たる気分になってしまう。常識的な人間、また医師である正宗にとって、この島の住人相手の診察時に吸い取られる精神力はハンパなものではない。

 明日からの診察で一つだけ救いがあるとすれば、今日のみ看護師代理を務めるエリスに代わり、明日からは正式な看護師が三人、やって来てくれるらしいという事か。

 だが、その三人も間違いなく『男の娘』であるだろう。

「参ったな……」

 正宗は布団の中で独りごちた。

 

 正宗は、通常の開業医や勤務医とは一線を画する医療経験を持っている。


 それは、戦場医から、貧困国のスラム街での診療活動など、およそ考え得るほとんどの医療現場を経験して来たのだ。変わり種では、衛星軌道上のステーションで、無重力状態での診療などもこなした。


今まで経験してきた過酷な医療現場も、ここに比べれば大した修羅場ではなかったような気さえ、する。

 もちろん、そんな訳はない。人の、生死の狭間を数限りなく見ることになる戦場やスラムでの診察と、少なくとも日常的な死の隣には居合わせる事はないであろう、こののほほんとした島での診療所勤務では、比べるべくもない。

 だが、しかし。

 死と向き合い、死神を退ける事を仕事として来た『闘う医師』正宗にとっては、この島の方がはるかに精神的にクるものがあるのだった。

「やれやれ……」

 そんなことを考えているうち、すう、と意識が吸い込まれていきそうになって来る。

 正宗はようやく訪れた眠気に身を任せ、しずかな寝息を立て始めた。


 しばらくして、仮眠室のドアがノックされる音で正宗は目を覚ました。

「ノックしてもしもーし」

 ドアの向こうから、エリスの能天気な声が聞こえて来る。時計を見ると、二時三十五分。午後の診察再開の、ちょうど十分前である。

「はい、起きました。支度して行きます」

「はぁい、待ってますね」

 もしかすると、寝ている間にエリスの襲撃が有るのではないかと思っていたが、その心配は杞憂に終わったようだ。

 もっとも、エリスが有能な人物であることは疑いようもないので、現在この島唯一の医師である正宗に、滅多な事をするとは思えないが。

 トタトタと軽い足音を響かせ、エリスが部屋の前から去って行く。

「さて、午後も気合いを入れてかないとな」

 これから再開される倒錯した診察に向けて、正宗は兜の緒を締め直した。


「はい、では薬を出しておきますね」

「ありがとうございました」

 時計の針は午後七時を差し示し、待合室には患者の姿は無い。

 本日最後の患者、美木谷ヤスナの診察――ちなみに、水虫であった――を終え、ドクター・チェアに座ってカルテを打ち込む正宗の前に、湯気を上げるカップが置かれた。

「お疲れ様でした。とりあえず、ハーブティーをどうぞ」

 正宗が声の主を見上げると、そこにはエリスがほほ笑みながら立っている。

(ホント、純粋な女性なら求婚したいくらいだよ……)

 疲れた頭で漠然とそんな事を考えた後、

「ありがとう、エリス」

 苦笑交じりに礼を言い、正宗はハーブティーを一口、含んだ。

「美味い」

 カモミール系にオレンジの香りをミックスしたオリジナルであろうか。

芳醇な香りと、ほのかに付いた甘味が疲れた精神と肉体に染み込むようだ。

 無意識について出た正宗の感嘆の言葉に、エリスは嬉しそうに笑った。

「今日は本当にお疲れ様でした。でも、先生はやっぱり凄いです」

 エリスが、自分用のカップにもハーブティーを淹れてから、患者用の椅子に腰かけつつ言った。

「何がです?」

「正直、今日は私たちの事……『男の娘』の事で動揺して、まともな診察は出来ないんじゃないかな? って思ってたの。でも、最初のマイちゃんの時こそ焦ってたものの、そのあとからは全然動じずに、当たり前みたいに診察進めちゃって」

 じゃんけんも負けなくてつまらなかったけど、などとブツブツ文句も混じったが、それはエリスの心からの賞賛だった。

「ありがとう。まあ、一番動揺したのはあなたが下着を着けていなかったことですけどね」

「あはは、だってまさかめくられると思わなかったし」

「それにしては、あなたにも焦りや動揺は無かったですね」

「えへへ、見られるとカ・イ・カ・ン♪ だったりして」


(ダメだコイツ、早く何とかしないと……)


 正宗は心の底からそう思ったが、下手に反応すると却って調子づかせてしまうと考え、敢えて無視して話を進めることにした。



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