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「これからが本当の地獄だ……」


 診療開始初日。

 榊 正宗は、診察室の窓から外の光景を見て、冷汗交じりで呟いた。

 そこには、ずらりと並ぶ患者の列。その全員が、開院を今か今かと待ち侘びているのだ。

「どうしてこうなった……」

運命(ディスティニー)です♪」

 くらくらする頭を押さえつつ、ギシッと音を立てて椅子に座った正宗に向かい、エリスがにっこりと微笑んで答える。

「ちがう! あんたが意味不明な事を島中に言い触らしたからだろーが!!」

 その無責任極まる発現に逆上し、正宗は椅子から勢いよく立ち上がってエリスに詰め寄った。

 ちなみに正宗は医者らしい白衣姿であるが、私何かしたかしら? といった風情で可愛く首を傾げるエリスの恰好はと言うと……

 髪型は、ブロンドに染めた長い髪をサイドポニーにまとめている。ポニーの根元を縛るリボンは鮮やかなシャインレッドだ。

 身に着けているものは、辛うじて女性看護師のスタイルを保ってはいる。いるのだが、目に優しい白やライトブルー、ライトピンクなどの一般的な色づかいではなかった。

 患者に安心感よりも不安感を与えそうなショッキング・ピンクを基調とした色遣いに、所々にサイケデリックなメタリックレッドのアクセントを飾った看護師服。しかも、スカートは少し屈めば下着が丸出しになりそうなほどの超ミニである。その下はと言えば、真っ白なフトモモがスカートから十センチほど伸びた後、黒いストッキングへと吸い込まれ、おまけにガーターベルトまで着けている。

 しかし、東京などのディスカウントショップで売っているネタ系コスプレ衣装や、それに近いがより実用的なエロ系コスチュームはおろか、本家のプロ看護師用の制服と比べても一線を画する高級な仕立てなのは、そんなものには一切の興味を持たない正宗が見ても一目で解るほどのクオリティだ。

 着用しているエリス本人の容姿が超高レベルなのも相まって、

「いったい何が起こってるんです?」

 と言いたくなるほどの淫猥さと妖艶さ、そしてそれらと相反する可憐さまでを併せ持つ清純エロティック看護師の出来あがりとなっていた。



 エリスが朝イチで診療所にこの格好で現れた時、淹れたばかりのモーニングコーヒーを噴き出した正宗は

「何て恰好してんですか!?」

 と問い詰めた。

 エリスは、澄ました顔で今日は看護師さんが間に合わなかったから、と言い訳したが、恐らくただこの格好をしたかっただけだと思われた。

 深いため息をついてコーヒーをカップに足した正宗は、それ以上追及することは無く仕事の準備を始める。

 島を訪れてから三日間ほどの間の経験により、エリス相手に何を言っても無駄だ、とある意味達観した正宗はそれ以上言い募ることはせず、気が済むようにさせるしかない、と結論付けて無視することにしたのだが……

 いよいよ間近に迫った開院準備をテキパキと、非常に手際良くサポートしてくれるので、少し見直していた正宗に向かって、エリスは無邪気にこう言った。

「あ、先生。今日は開院記念なのでスペシャルサービスとして、十名様限定の抽選で患者さんの服を脱がせる時、野球拳で先生も脱いでいくシステムにしましたから♪」

「はあ、そうです……か……?」

 一瞬、何を言われたのかを理解出来なかった正宗は、呆け面を晒して動きを止めた。

「先生の服が全部脱がされたら、次は私が脱がなきゃならないんですから頑張って下さいね!」

 だが、エリスは正宗の様子など全く意に介さず、楽しそうにコロコロと笑い転げる。

 パクパクと金魚のように口を開け閉めするが、何から突っ込めばいいのか判断つかずに言葉が出ない正宗を尻目に

「見て見て! コレ、凄いでしょ! 自信作なの!」

 エリスは楽しそうにそう言うと、どこから出したものか、大判のポスターをバサっと広げてえへん! などと偉そうに咳払いをしつつ見せつける。

 そこには、パンツ姿に白衣上着を羽織り、薔薇を咥えた正宗の写真がドーンと真ん中に据えられ、


『榊 正宗先生着任記念! 大サービス野球拳大会!』


 と、正気を疑うようなコピーが赤と緑の大文字で印刷されていた。

「な、なにやってんだアンタはぁ!? っつーかその写真なんだよ! いつそんなもん撮った!?」

「えへへ、合成しちゃった☆」

「『合成しちゃった☆』じゃないっ! 全て回収しなさい! 今スグ!」

 余りの事に思考停止しかかった正宗が、それでもなんとか抗議の怒声を上げる。

「んー、昨日までに島中の掲示板にポスター張り出しちゃったし、町のホームページにも原版をダウロード可能でアップしたし。ってゆーかぁ、先生もダメですよぉ、ちゃんとホムペチェックしてくれないとぉ」

 だが、そんなことは全く意に介さないエリスが『めっ』とするような仕草で人差し指を正宗の鼻先に突き付けた。

「とにかく却下です! なぜそんな馬鹿な事をしなくちゃならないんですか! やってられません!」

「ごめん、それ、無理♪」

 左手を背中に回し、右手を手刀で拝むようにし、上半身を折り曲げて上目使いになったエリスがどこかで聞いたようなセリフを吐く。

「だってぇ……ほら!」

 そして、ひょいとそのポーズを解くと、通常の建物の1・5階程度の高さの診療室の窓のカーテンをシャッと開け、外の光景を指差した。

「なっ……!?」

 エリスに促されるように窓に近寄り外を見た正宗は、診療所の入り口からズラっと並んだ患者の列を見て、息を呑んだのだった。



「どうして、こうなった……」

 正宗は眩暈を感じフラフラとふら付くと、ドサ、と再び椅子に倒れ込み、先ほどと同じセリフを繰り返した。

「先生、そろそろ九時ですよ、開院のお時間でぇす!」

 ドンドンパフパフ~、と口でお囃子をしたエリスはお尻を振り振り診察室を出て、パタパタと玄関に向かう。

「もう、勝手にしてくれ……」

 正宗はエリスのすらっとした背中とムチっとしたお尻を絶望気分で見送って、掠れ声で呟いた。


 そして迎えた午前九時ジャスト。


 診療所のドアを開け、並んでいた患者を中へ導き入れたエリスは受付カウンターに座り、テキパキと処理を始めた。エリスが入力した患者の情報は、すぐに正宗のデスクの端末に転送・表示される。それによれば、最初の患者は十八歳の大学生で、氏名は『草刈マイ』となっていた。

「あれ? 性別欄が無いぞ?」

 なんとか気を取り直した正宗は、表示された受付表を見て呟く。だが、きっと情報のソートでもされているのだろう、と考え、修正は後回しにして診察を始める事にした。

「草刈さん、診察室へお入りください」

正宗は、待合室のスピーカーに繋がったマイクに向かってゆっくり、ハッキリと言う。

「失礼します……」

 すると、間髪入れずにドアが開き、大人しそうな黒髪の少女が入室して来た。

「どうぞ、座って下さい」

「はい」

 その少女――草刈マイが椅子に座るのとほぼ同時に、エリスが受付カウンターから戻って来て、ニコニコしながら正宗の斜め後ろに控える。

 正宗は、どことなくやり難いような気分になったが、意識を患者に集中した。

「今日はどうしました?」

「あ、はい。えーと……」

 黒髪の少女――草刈マイは、大きな黒瞳をキョロキョロとさせながら何かを言い淀んだ。

「大丈夫、体や健康に関する心配事が有ったら何でも言って下さい」

 正宗は、少女が何か言い難い病気にでも罹っているのでは、と予測して優しく声を掛ける。

 女性にとって、自分の体の事や生理現象に関する相談を男性医師にするのは躊躇われたり、時には苦痛や屈辱で有る事も珍しくはない。

 だが、正宗は飽くまでも医者として、どんな病気や悩みにも真摯に、私心なく対応することを旨としている。そんな正宗の誠実な姿勢を感じると、ほとんどの女性患者は安心して病状や不安を打ち明けるのだ。

 マイにとってもそれは同様だったようで、口ごもりながらも訥々と病状を語り出した。

「あの、私の……から変なものが出たんです」

「え?」

 しかし、肝心な部分を口ごもってしまったので、変なものがどこから出て来たのか、正宗は聞きそびれてしまった。

「すみません、変なものがどこから出て来たんですか?」

 正宗は、出来るだけ優しく聞き返す。

 女の子が言うのを恥ずかしがるという事は、出て来た場所は恐らく大切な部分だろう。

「えと……あの……」

 しかし、マイは顔を真っ赤にして俯いてしまい、問診は困難になりそうだ。

「マーイちゃん! ほらほら、リラックスして! とりあえず、抽選しよう!」

 すると、全く空気を読むことをせず、いや、もしかして空気を読んだつもりなのか。エリスがマイの隣にしゃがんで、派手な色紙を全体に張り付けた箱を差し出した。

「……なんですか、これ?」

 俯いていた顔を上げ、マイがエリスに尋ねる。

「これ? 十名様限定で先生と野球拳出来る権利をゲットするための抽選箱だよ!」

 すると、エリスは満面の笑みでマイの質問に答えた。

(頭痛ぇ……)

 正宗はくらくらとした眩暈すら覚えつつ、深いため息をつく。そして、エリスを諌める言葉を口に出そうとした時。

「わあ! 楽しそう!」

 さっきまで、この世の終わりのような表情で俯いていたマイが、物凄く良い笑顔でパン、と手を打ち合わせた。

「でしょ? でしょ! 私プロデュースだよ!」

「すっごーい! さすがエリスちゃん!」

「えっへーん!! もっと褒めて褒めて!」

 マイに褒められたエリスが、デカいバストをぶるんと震わせて超のつくドヤ顔で胸を張る。更に、正宗をチラッチラッと横目で伺っていて、鬱陶しい事この上ない。

(ウゼェ……)

 さすがに声を出すのは控えたが、ここ数年で感じた中では間違いなくワースト1,2を争うウザったさに、正宗は内心で呟いた。



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