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(刹那が消えたのは、三年前。因幡エリスがこの島の町長に就任したのとほぼ同時だった……)
刹那は非常に優秀なロボット工学の技術者で、設計・開発から試作・実証実験、さらには量産化計画やそのためのシステム構築、ライン設備の施工まで、なんでもこなすマイスターだった。ロボットの技術を応用した義肢製作は得意中の得意で、医師である正宗の依頼により、鼻唄交じりに様々な義肢をあっという間に製作してくれたものだ。
また、刹那は驚くほどの美男子で、すれ違う女性が陶然と見惚れる光景はいつもの事。だが、切れるほど冷たい美貌を持ちながらも、その雰囲気は穏やかな春の陽気のようで気取ったところは無く、当然の如くモテまくっていた。
しかし当の刹那はどんな美女から求愛されてもどこ吹く風で、
「ごめん、僕はロボット造ってる時が一番楽しいから」
とけんもほろろに断ってしまう。だが、その後本当に彼女やステディな関係の女が現れないので、フラれた女性も諦めるしかなく、ストーカー的な目に遭った事はほとんどない。
正宗自身もかなりの美男子でモテる方だったが、刹那と一緒にいると完全に引き立て役にしかならず、むしろ気楽で良いと思っていたほどだ。
三年前のあの日、西新宿にある刹那の工房を正宗が訪ねた時。
「来月から、しばらく出張してくる」
刹那はそう言って笑った。
「今度はどこだ? NASAか、それともJAXAか?」
ここ十年近くの間に、急速に活発化してきた宇宙への移住計画に伴う仕事かと当たりをつけた正宗が訪ねる。
「いや、太平洋の上に浮かぶ小島さ。緑ヶ島、って言ったかな? 四方八方を断崖絶壁に囲まれてて、島の中央に向かって凹んでるファンタジーにでも出てきそうな島だよ」
だが、予想を大きく外れた回答を返され、正宗は首を傾げた。
「なんで、そんな島がお前を呼ぶんだ?」
「今度、緑ヶ島町の町長に就任したヤツから呼ばれたんだ。なんか、町の新しい名物を構築するにあたって、俺にアドバイスをしてほしいんだって」
「はぁ? 猶更解らんな。確かにお前の仕事は多岐に渡るが、基本的にはロボット職人であって、過疎の村起こしなんて仕事頼む奴なんて居ないだろうが。その島がどんなロボット技術を必要とするんだ? 秘境の島だけに、巨大ロボットを開発してその拠点……秘密基地にでもしようってのか?」
「さて、ね。君が言った事が当たらずとも遠からず、かもしれないな。一応、ロボット関連の仕事とは聞いてるけど。ただ、そう滅多に行けるトコじゃないし、一度くらい行っておいても良いかなって思ってさ」
「そう言えば、お前の仕事以外の唯一の趣味は秘境巡りだったな」
正宗はそう言って、苦笑しながら土産に持ってきた刹那お気に入りのドライ・ジン、タンカレーをグラスに注いで渡す。
「サンキュ」
刹那はグラスを一気に煽り、正宗ですら見惚れそうな笑顔で礼を言った。
「まあ、お前の事だから心配ないとは思うが……女には気をつけろよ? そんな島じゃ、女に追いかけられても逃げ場が無いだろ」
刹那の笑顔に瞳を奪われた事を照れ隠すように、わざとぶっきらぼうに言う正宗。
「はは、その心配はないさ。その島には、もう女性は居ないらしいから」
「はぁ?」
刹那の言葉に、呆けたような声で正宗が返す。
「ま、そんなワケで、ちょっと行って来るよ」
そう言って、刹那は正宗の前から姿を消した。
記録によれば、刹那は一応仕事を終えて緑ヶ島を出た事になっており、そのまま日本本土に帰らず直接台湾へ向かい、そのまま行方不明になった、とされている。
だが、どこで行方不明になったのかさっぱり解らない。
島所有の軽ジェット機で台北の桃園空港まで送ってもらい、そこから先の足取りが掴めなくなっている、のだ。
正宗は金に糸目を付けず、手を尽くして刹那を探し、また自ら台湾を訪れて情報を探った。
その結果、どう考えても刹那は台湾に足を踏み入れていない、と確信したのだ。
では、どこにいるのか。どこで足取りが途絶えているか。
その答えは、最後にハッキリと訪れた記録が残っているはずのここ、緑が島――刹那が失踪してから一年後、日本からの独立を宣言し、なんだかんだすったもんだと揉めた後にどんな手を使ったものか日本政府から自治権をもぎ取り、さらには呼び名を『南おちんちんランド』(正確には、おてぃんてぃんランド、と発音するべきなのだが……)に勝手に変更したこの島――に有る筈だと考え、正宗は渡ろうとした。
だが、『純粋な男性である』などと言うワケの解らない事を理由に渡島を拒否されてしまったのだ。
しかし、どうしても諦め切れなかった正宗は、伝手とコネを最大に利用して日本政府の要人に頼み込み、また政府としてもなんとか島に情報を取得・報告するエージェントを送りたいと言う思惑までも利用して――
(そうだ、俺はこの島にやって来たんだ)
親友、尭 刹那を探す為に。
「先生? 先生!?」
「あ……」
カードを握りしめたまま、石像の如く動かなくなっていた正宗にエリスが心配そうに声を掛けて来ていた。
「す、すみません! ちょっと考え事をしちゃっておわあっ!?」
我に返った正宗は慌てて取り繕ろうとして、絶叫した。
なぜなら、自分の腿の上にエリスがまたがり、巨大な胸を押し付けるようにして正面から密着していたからだ。正宗の顔に、エリスの甘い息が吹きかかる。顔と顔の距離は十センチも無いだろう。
「ななな何をしてるんですか町長!?」
思わず後ずさろうとした正宗だったが、後ろはふかふかのソファの背もたれでガードされていて、稼げた距離は数センチ。
「エリス!」
だが、呼び方に憤慨したエリスがぐい、と体ごと更に迫って来たので、稼いだ数センチはあっという間に縮められ、むしろ逃げる前よりも顔の距離は近づいてしまった。
「解った解りましたから! 早く降りて下さい、エリス!」
「よろしい!」
正宗の絶叫の後、なぜかドヤ顔で膝の上でくるり、と器用に向きを変え、今度は自分の背中を正宗の胸に密着してエリスがえへん! と咳払いをする。
「あの、エリス……」
「なんですか、先生?」
首をくい、と逸らして、上目遣いに正宗の顔を見るエリス。
「降りて下さるんじゃあ……」
「えー、だって先生のフトモモ、筋肉質でとっても居心地良いんですもの。隣に座るのと大差ないから、このままで良いでしょ?」
ウインクするように片目を瞑り、桃色の唇を逆への字にして、その端から舌をチョロっと出して自分の頭をこつん、と小突く。
かつて、古い時代に『テヘぺろ』と呼ばれて一部の熱狂的な狂信者を創り出したこの仕草は、刻が流れた現代においても、使い手次第では強力な武器になることを証明していた。
「う……」
その可愛さに思わずドキン、と正宗の鼓動が高まる。
「んふ、先生? もしかしてぇ、キュン☆とかしちゃってますぅ?」
実にあざといセリフと表情で、正宗の心中をエリスが読む。
(いかん、完全にテキのペースに巻き込まれている……)
正宗は意を決してエリスの脇の下に手を入れ、
「きゃん!?」
エッチだなんだと騒ぐヒマも与えず、電光石火の早業でエリスを横に退かした。
「もー、先生のいけず!」
ほほをぷくっと膨らませ、不満を表明するエリスに向かい
「エリス、とにかくまず診療所に案内して下さい。この島でこれから仕事をして行く医者として、早く自分の仕事場を確認したいんです」
正宗は、真剣な顔を向けてそう言った。
「ふー、仕方ないですね。っていうか、さすがバトル・ドクター。私の誘惑に墜ちないなら、安心してお仕事をお任せ出来ますわ」
すると、先ほどまでのぶりっ子ぶりはどこへやら、今までとは違う鋭く精悍な視線を向けてエリスが不敵に笑った。
「誘惑、ね……」
正宗はふう、と息を吐き、
「では、これからよろしくお願いします。因幡町長……いや、因幡元首」
そう、不敵に微笑み返した。
まるで長年の宿敵よろしく鋭い視線をぶつからせ、火花を散らす二人。
睨み合って数秒後、すう、と息を吸い込んでから。
「エリスっ! だってばッ!!」
ほっぺたをパンパンに膨らませ、両手をぶんぶかと振り回し、更に勢いをつけてエリスが叫ぶ。
「あ、そこはこだわるんだ……」
その叫びにがっくりと肩を落とし、正宗は心底疲れた声で呟いた。
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