1:
空港から車で五分ほど。正宗は、島の中央、活火山を背にした平地に建てられた総合庁舎の『元首室』で、上等なソファーに座らされていた。
「お飲物は何がよろしいでしょうか?」
空港からずっとアテンドしてくれている青ビキニの美少女にそう言われ、正宗は
「あ、コーヒーが有れば……」
と、頼む。
「はい、お待ち下さいね」
にっこりと、可憐に微笑んだ少女は、トタトタと軽やかな音を立て、室内に備え付けのミニキッチン……というより、ミニバーに近い設備へ駆けて行き、ゴリゴリと音を立ててコーヒー豆を挽き出す。
五分ほど経つと、コポコポという音と共にコーヒーの良い香りが室内に漂い出し。
「お待たせしました」
再び正宗の元に戻って来た少女が、上品なカップに程よく入ったコーヒーを差し出した。
「ありがとうございます」
正宗はお礼を言ってカップを受け取り、熱い琥珀色の液体を一口、含む。
「うまい」
思わず口をついて出た感想を聞き、嬉しそうに笑った少女は自分のカップを持って正宗の左隣にとす、と座り静かにコーヒーカップに口をつけた。
ふわ、と鼻をくすぐる甘い香りに誘われるように隣の少女を見る。と、青ビキニからのぞく少女の豊かな胸の谷間に目が吸い付けられた。
(で、でかい……)
正宗の喉がゴクリ、と鳴る。
近くで見る少女の胸は圧倒的なボリュームを誇り、サイズはGカップどころか、胸の下の細い腰や腹からすれば、その落差的にH、Iカップクラスだろう。
「どうかなさいました?」
「ッ!?」
と、いつの間にかこちらを見ていた少女にいきなり聞かれ、正宗は少々慌てふためいてしまった。
「な、なんでもありません」
少女の豊かな谷間をガン見していた事実を誤魔化す為、残ったコーヒーを一気に口に含んだ正宗を見てクスクスと笑った少女だったが、唐突にまじめな顔をしてこう言った。
「実はですねぇ、前任のお医者様は患者の子に手を……いえ、おちんちんを出してしまいまして」
「ファブッ!?」
いかにも憮然、と言った少女の口から愛らしい声で紡がれたとんでもない情報に、正宗は口いっぱいに含んだコーヒーを見事に吹き出し、小さな虹を造り出した。
「ゲーホゴホガハゴホゲヘッ!!」
「きゃ!? 先生、大丈夫?」
思うさま咽かえる正宗の背を優しく撫で、可愛らしいウサギアップリケのハンカチを貸してくれる青ビキニの少女。
「ゴホガハゴヘッ!! ぜー……はー……」
「ごめんなさい、そんなに驚くなんて思わなくて……そうですよね、医師として最低の事ですものね。先生がお怒りになるのみ無理はないわ。ちょっと待っててくださいね」
いや、驚いたのそこじゃねーがら。
おめーが突然前触れもなく卑猥な単語吐いたからだがら。
そう喚きたくなるのをぐっと堪え、貸してもらったハンカチで口の廻りを拭っていると、少女が水を入れたグラスを持って来てくれた。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
グラスを受け取り、正宗がゴッゴッと喉を鳴らして水を飲み始めた時。
「あっ。手なら出したって表現で良いけど、おちんちんは出したんじゃなくて入れたって言うのかな? でも、最終的には結局中に出したんですけどね! やだもー!」
「ゴブファッ!?」
小さな唇に手を当て、コロコロと笑いながら少女の放ったセクハラオヤヂも真っ青なセリフに、正宗は先ほどのコーヒーよりも凄まじい勢いで水を吹き出し、再び美しい虹を宙に描いた。
「改めて、ようこそ、サウス・オーガナイズド・トランスマインド・インターナショナル・ナチュラリスト(かける2)・ランドへ! 私が本島の総指揮責任者にして元首、または町長の因幡エリスです! 気軽にエリス、って呼んで下さいね!」
もう一度水をもらって飲み干し、なんとか落ち着いた正宗に向かって
『きゃぴるんっ☆』
という擬音が聞こえて来んばかりの勢いで青ビキニの少女が自己紹介した。
「えっ!? あなたが因幡町長なんですか!?」
正宗は、少女の事を案内役程度にしか考えていなかったので、その衝撃の事実に驚愕してしまう。
「はい♪ そうなんですけど、因幡町長とか止めて下さい。エリス、って呼んで!」
「は、はあ……」
ニッコニコな笑顔でそう言われても、初対面の、それもどう見ても十代後半程度にしか見えないビキニ姿の少女がこの島を統べる総責任者とはとても思えない。
まずはそこの所から確認せねばと考えた正宗は、町長の証たるものを何か見せてもらえるように提案することにした。
「え、と。それでは、大変失礼なのですが、あなたの身分を証明する物を見せて頂けませんか? 因幡町長」
「エリス」
「エ、エリス町長」
「エリス」
「……エリス、さn」
「エリス」
「…………」
「エ・リ・ス」
極上の笑顔で、だが背後からゴゴゴゴゴゴと迫りくる得体のしれない迫力を感じさせながら、エリスがしつこく要求する。
「……身分証明をしてくれませんか、エリス。自分もいきなり『責任者です』と言われて、はいそうですか、と信じるには少々世間ズレしていますので」
エリスの迫力に押されて要求に従いつつも、言うべき事は言わねば、と決死の思いで切り込む正宗に、エリスは満足げににっこりと微笑んだ。
「はい、当然ですね! 私みたいに若くて可愛い子が責任者だなんて、普通信じられませんよね!」
正宗は、自分で言うか、と思ってうんざりしたが、実際に若くて可愛く見えるのは確かである。また、正宗が放った言葉は、身分を疑われたと憤慨してもおかしくない言い方であったし、正宗も意識的に、多少怒らせてみるつもりで言ってみたのだが……
エリスはむしろ嬉しそうに、豊かな胸の谷間から極薄カード型の端末を取り出して正宗に手渡した。
「はい、まむー。これが私のIDカードです。確認して下さいな」
「は、はい。拝見します」
カードに残ったエリスの温もりを感じ、妙な気恥ずかしさを感じつつも正宗は平穏を装ってポケットから自分のIDカードを取り出す。と、さきほどのエリスのセリフに、妙な単語が混じっていたことに気付いた。
「エリス?」
「はい?」
正宗に向かい、可愛らしく小首を傾げるエリス。
「さきほど、『まむー』とか言いましたが、なんですか?」
正宗としては、この奇矯な町長がしゃべる際に発する事を個人的に決めた異音程度、に思いたかったのだが、なんとなく嫌な予感がして尋ねてみたのだ。
「ああ、それは先生の事です♪」
「……は?」
「だからぁ、先生のお名前は『正宗』さんでしょ? だからぁ、『正宗』を略して『まむー』って……」
「却下します」
正宗は真顔のまま、一刀両断に切り捨てた。
「えー!?」
それに対して、エリスがほっぺたを膨らませて抗議の声を上げる。
「どーして!? とっても可愛いのに!」
「可愛くなくて結構。却下します」
「そんなの酷い! 横暴です! 呼び方くらい良いじゃない!」
「では、自分もあなたの事を『因幡町長』と呼ばせてもらいますね」
しれっと答える正宗を「むー」とか「うー」とか唸りながら睨んでいたエリスだったが、
「……仕方ない、じゃあ『正宗ちゃん』で妥協します」
「では、自分も『因幡さん』で妥協します」
打てば響くように返す正宗を、まるで親の仇に向けるかの如き目つきで
「ぐぬぬぬぬ……」
と唸りながら睨むエリス。
そのまま、たっぷり五分は唸っていたエリスだったが、はああ、と深いため息を吐いた後。
「……解りました、では先生と呼ぶので、私の事は『愛しのエリス(はぁと)』って呼んで」
そう、言いかかった所で、
「では、カードを確認させて頂きますね、エリス」
正宗は営業スマイルでエリスのセリフを遮った。
「……いけず」
上目使いでいじけるエリスを無視し、正宗がカードとカードを重ね合せると、一瞬メタリックな緑色の輝きが溢れ出し、すぐに収束した。
「カードをお返しします」
「……はい。では、私も念のため確認させて頂きますね」
ようやく諦めたらしいエリスも渋々とカードを受け取り、二人はお互いの手に納まった己のカードに視線を落とす。すると、そこには相手の正式登録データが指向式立体映像で表示されていた。
これは、カードの正式な所有者が特定の角度からしか見えないようにされている高度な暗号化技術の一種で、それなりの身分や役職の人間しか持つことが出来ない。
情報映像を見た正宗が、
「因幡エリス、二十九歳……」
と無意識に声に出して読んだ瞬間。
「やだもー!! 声出さないで下さいっ!!」
ドゴ、という鈍い音と共に正宗の鳩尾にエリスの肘鉄がめり込む。
「……!!?」
その威力と勢いに正宗は声も出せずに悶絶し、前のめりに床に転がった。
「あら? 先生?」
あまりにも見事に決まった打撃に、呼吸も出来ず痙攣する正宗。
「あはは……大丈夫ですか?」
さすがにやり過ぎたと思ったか、エリスは冷汗をかきながらしゃがみ込んで、正宗の脈を取った。
「……榊正宗、死亡確認――」
「生きとるわっ!!」
両手の平を合わせ、南無ーなどと唸りつつ祈る格好を見せたエリスにブチ切れた正宗が立ち上がりながら叫ぶ。
「あはっ! よかった! じゃあ、ID確認を続けましょ♪ ……ただし、静かにね?」
すると、正宗の顔からわずか十センチほどの所に迫ったエリスが、最高の笑顔で、だが全く笑ってない瞳のまま、静かに言った。
(因幡エリス、二十九歳、現職は緑ヶ島町町長……)
エリスの迫力に恐怖し、おとなしくソファに座ってデータを読み始めた正宗だったが、表示された立体写真とそのデータを見比べてみても未だ半信半疑である。
だが、このカードに細工など出来るはずはないし、事前に調べて来たものと完全に一致している。
ただし、エリスの容姿だけはどんなデータを漁っても正確なものを見つけることが出来なかったので、今回直接会うまで解らなかったのだ。
(それにしても……)
二十九歳、と言う事は事前に解っていただけに、ここまで若く見えるのは意外過ぎた。エリスと直接会った人物とコンタクトを取ることは出来たのだが、それはこの島の住人が島外に出た所を狙って接触しただけだし、それも正宗が直接ではなく、人に頼んで会ってもらったのだ。
なぜ自分で直接会わなかったか。それは、今回のミッションに影響を与える事を恐れたためである。
そう、今回榊 正宗がこの島に医師としてやって来たのは二つ、理由がある。
その一つは、現在日本政府の統治を離れて、事実上の自治区……いや、独立国と言った方が良いかもしれない。
そんな状況になっているこの島の情報を調べ、報告する為だった。
ただし、正宗が医師であることに嘘は無い。
正宗の専門は主に外科だが、それは飽くまでも便宜上の事。ほぼすべての医療知識・技術に精通し、要するに何でもできるオールラウンダーだ。一応日本を活動の拠点として入るが、必要が有れば全世界のどこにでも足を運び、医療行為を行う。
それどころか、ドクター榊の名は世界的にも有名で、大金を積んで治療を依頼する者も数知れない程だ。
だが、正宗は決して金では動かない。己の信念と哲学に従い、身分の高低や財算の有無に囚われず必要な患者に必要な加療を行う。脅迫されようと、戦禍に巻き込まれようと、膝を屈することは無い。
その気高い行為により、人々は正宗の事を『闘う医師』『サムライセンセー』などと尊敬と畏怖を込めて呼ぶのである。
そんな正宗がここに来たもう一つの、そして真実の理由――
それは、行方不明の親友、尭刹那を探す為であった。