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「あはははは! 顔色が赤くなったり青くなったり先生ってば信号機みたい! おっかしい!! サイコー!」
正宗の葛藤により顔色が変化したのを茶化してパンパンと手を叩き、こちらを指差して笑い転げるエリス。
そのとんでもなく腹立たしい光景に、今すぐ静脈に強硫酸を注射してやりたくなった正宗だが、これ以上まともに付き合っても徒労に終わるだけだと考え無視を決め込み、カルテの整理を始めた。
「はー、はー……あら? 先生?」
たっぷり五分は笑っていたエリスだったが、正宗がもくもくと仕事を始めたのを見て笑うのをやめ、様子を伺うように声を掛ける。
「……」
だが、正宗はエリスを無視してディスプレイ上に表示されたカルテを一覧表に落とし込み、患者のデータを分析し出した。
「先生ってば」
さすがに笑い過ぎたと思ったか、正宗の背中に少しだけ媚びを含んだエリスの声が掛かる。
「なんですか」
このまま完全無視したのでは、いくらなんでも子供じみているので、正宗は感情を込めない声で返事をした。
「何してるんですかぁ?」
「カルテの整理」
「そんなの、明日にすれば良いのに」
「今日できる事は今日やる、ってのが俺のモットーなんでね」
振り返る事もせずに冷たく言い放ち、作業を続ける正宗。
「ふーん」
正宗の背中から発せられる『邪魔するなオーラ』に押されたらしく、さすがのエリスも静かになったようだ。
そのまましばらく、診察室には正宗が叩くキーボードの打鍵音だけが響き、エリスも沈黙を守っている。
どれほどの時間が経っただろうか、カルテの整理を終えてふと気づくと、エリスは患者用の椅子に座り、壁にもたれかかって眠ってしまっていた。
「疲れたんだろうな」
なんだかんだ言いつつも、エリスは診察のサポートをテキパキとこなし、またその手際の良さもかなりのものだった。相当なベテラン看護師でも、エリスレベルの者はそうはいないだろう。
「出来る人では有るんだよな」
正宗はそう呟き、エリスがここの総責任者であることを思い出して苦笑した。
そうだ、出来ないわけはないのだ。この、現人口1000人ほどの小さな島を、まがりなりにも自治区として日本政府に求めさせたその手腕は確かなものだ。
「エリス、起きて下さい。帰りましょう」
正宗はエリスに近づき、驚かせないように気を使いながら声を掛けた。
「ん~……」
エリスはいやいやをするように頭を振りつつ薄らと瞳を開けたが、すぐに再び瞑ってしまう。
「エリス、風邪ひきますよ」
正宗はエリスの細い肩を優しく揺さぶる。すると、エリスがゆるゆると両手を正宗に向かって差し出して言った。
「だっこ」
「は?」
一瞬、エリスの言った言葉の意味が解らず聞き返した正宗に
「だからぁ、だっこして♪」
エリスは細く開いた瞳を悪戯っぽく染めながら、そうおねだりした。
「あのね……」
正宗は、はああ、と本日何度目になるか解らないため息を吐き、何か言ってやろうかと脳みそを回転させ始めたが、無邪気ともいえるキラキラした瞳で見つめて来るエリスを見て、やれやれ、といった風情で苦笑する。
「しょうがないな」
そして、よいしょ、と気合を入れてエリスをお姫様抱っこしてやった。
「きゃ♪」
あっさりと抱き上げてもらい、少し驚いた顔をしたエリスだったが、すぐに嬉しそうな声を上げて正宗の首に両手を廻してぎゅっと体を密着させる。
「で、どこまで送れば良いんですか?」
「えとね、ベッドまで」
「はいはい」
エリスの自宅は、この診療所から数百メートル離れた一軒家であるという。聞きもしないのに既に教わっていた正宗は、エリスを抱いたまま診療所を出て、夜道を歩き出した。
今夜は曇り空で月も無く、視界は暗闇に包まれて数メートルほどだ。
「先生、大丈夫?」
診療所を出て数メートルほど歩くと、エリスが殊勝な事を尋ねて来たので
「ええ、意外と軽いんで大丈夫」
正宗は、正直な感想を返した。
「……意外、は余計なんですけど」
「ははは」
唇を尖らせたエリスに向かい、笑って誤魔化す正宗だったが、実際にエリスの軽さには驚いていた。
エリスの身長は165センチほどで、高くも無いが低くも無い。また、全体的に華奢ではあるが胸、尻、太ももと言った部位は肉感的で、見た目のボリューム感はかなり高い。
正宗は、仕事柄大体一目見れば患者をはじめとする相手の身長、体重などのデータを予測できるが、エリスの体重に関しては五キロ以上見誤っていたようだった。
(予想では55キロ程度だと思ったが……この感じだと50キロってとこか)
正宗がそう、予測データを修正していると
「ちなみに私の体重は47キロですからね?」
まるで正宗の思考を読んだかのようにエリスがにっこりとした、だがどこか空恐ろしさを感じさせる笑顔で言って来た。
「はあそうですか」
だが、正宗は感情の無い声でそう返して、エリスのサバ読みを見破った。
「……ホントですよ? 正確には47・774キログラムですから」
「俺は否定してませんが」
しつこく食い下がるエリスが細かい数値を出してきたことにより、正宗は自身の予測が正しい事を確信しつつ、営業スマイルをエリスに向ける。
エリスはむぐ、唸った後、正宗に聞こえないように唇を尖らせて何事かをブツブツと呟いていたが、すぐに静かになった。
そんなやり取りをしているうちに、エリスの自宅の門前に辿り着く。外灯の類がほとんど無い為良く見えないが、かなりの大きさであるのが解った。少し開いた門から中に入ると、広い庭とその中央に小さな噴水が有るのが辛うじて確認出来た。
「それじゃ、降りて下さい」
家の扉前で正宗がエリスを下ろそうとするが、
「やーだー! ベッドまで連れてってくれるって言ったでしょ!」
エリスは首に噛り付いたまま離れようとせず、ブーブーと文句を垂れ始めた。
確かに、ベッドまで、と言ったエリスにはいはいと気軽な返事を返してしまった事を思い出した刹那は、
「仕方ない。じゃあ、鍵明けて下さい」
しぶしぶとそう言った。
「もう開いてますよ」
嬉しそうなエリスにそう返され、観音開きのドアを見ると音も立てずに開いていく。
「オーナー感知式自動ドアか」
さすが、金掛かってるな、とまでは言わずに、正宗はエリスを抱いたまま邸内へ入った。
エリス邸はかなり広く豪華なつくりで、ドアを開けたそこは大きなホールになっていて、正面に両側から上るようになった階段がある。階段は絵画が飾られた踊り場で合流し、そのまま百八十度後ろを向いて二階へと続く。その作りは大正ロマンあふれるもので、一人暮らしでは手に余るだろう。
「靴は脱がなくても大丈夫だから」
エリスの言葉に正宗は頷き、少しきが引けたが豪奢な絨毯が敷かれたホールを土足のまま進んだ。左右を見廻すとかなりの奥行きが有り、部屋数も相当多そうだ。
「ここはね、迎賓館も兼ねてるの」
少し驚いた様子の正宗を見て、エリスは悪戯っぽく説明した。
「迎賓館、ね」
言われてみれば、ここは一応日本とは切り離された完全自治区となっているので、海外からの要人訪問などが有ればそれなりに迎えなければならないだろう。
その際に迎えるのは、当然『元首』たるエリスだ。その時、この家が賓客を迎えるための『迎賓館』となるわけだ。
「昼間は三人、メイドを兼ねた職員が居るけど、来客が無い時の夜は私一人だから、いつでも夜這いに来てね♪ あとで先生のパーソナルデータを登録しておくから、次からは先生だけでも扉開くから」
「へーへー」
正宗の耳に唇を寄せ、艶っぽく囁くエリスにうんざりしながら、正宗は気のない返事を返す。
だが、エリスはそれを気にも留めずに
「私の部屋は二階の北端よ」
と、楽しそうに言った。
正宗は、もうここで下してしまおうかとも思ったが、ベッドまで行かなければエリスは承知しないのは目に見えているので、仕方なくそのまま階段を上る。
エリスもそれ以上はしゃべらず、静かな邸内には板張りの廊下を正宗が歩く音だけが小さく響いた。
「ここか」
廊下の北端まで来ると、他の部屋のドアとは明らかに異なるピンク色の扉が異様な存在感を放っていて、一目でエリスの私室と予測出来た。
「ここでぇす♪」
静かにしていたエリスが嬉しそうな声で答えたので、正宗は苦笑しながらドアを開ける。
「うわ……」
と、そこには想像以上のメルヘンチックな光景があふれていた。
部屋の広さは八畳ほどでそれほど大きくはなかったが、窓際に置かれた天蓋付きの巨大なベッドが異様に目立っている。ファンシーな家具がいくつか置かれ、その上には大小さまざまなぬいぐるみが所狭しと並べられ、ベッド意外は女子中学生の部屋と言っても違和感がないほどだ。
「可愛いお部屋でしょ!」
まだ正宗の腕から降りようとしないエリスが言うと、
「……ソウダネ」
正宗が半ば呆れ、半ば感心したように棒読みで応えた。
さっさと診療所へ戻ろう、と思った正宗は足早に部屋に入り、ベッドへと近づく。
「さ、エリス。今度こそ下りて下さい」
だが、エリスはほっぺたを膨らませて
「ベッドに寝かせて!」
と要求した。
「……」
正宗の額にぶっとい青筋が浮かぶ。ベッド目がけて放り投げてやろうかと思ったが、ここまで来てグダグダするのもうんざりだと考えて腕の中のエリスをベッドに寝かせてやる。
「えへへ、お姫様みたい」
キャッキャと喜ぶエリスの体から、正宗が腕を抜こうとした時。
「で、先生。この島に来た本当の目的って、医療行為でも報酬でもないよね?」
大きな黒い瞳を、これまで見せなかった鋭さに変えたエリスが、正宗の耳元で囁いた。
投稿遅れてsyみません……
一昨日からインフられて39度の熱出て寝込んでますた(泣)
というか現在進行形でエンザられてます(TT)
皆さんも気を付けて下さいね~ノシ