九、
「あまり、暴走しすぎるな」
天照の控える一室から少し離れた場所で、経津主がそう鹿島に警告した。
鹿島は、経津主の静かな言葉に、ぴたりと歩を止める。ゆっくりと、背後にいる経津主に視線を向けた。
いつもは冷たい表情をした経津主が、珍しく焦りを滲ませている。焦るのは、心配だから。心配なのは、鹿島のことを大切に思っているから。
「暴走、ってのは?」
鹿島はつとめて気楽そうに聞いてみた。いつもの、へらへらとした笑いはできているのだろうか。自信は、ない。
「おまえは、建御名方殿のことになると冷静さを欠く。それがいつか命取りになる」
「感情に『蓋』をしたフツに言われるとはね」
「はぐらかすな。刺身にするぞ」
「俺の肉なんて食ってもうまくはねえぞ」
「……もう一度言う。おまえは、建御名方殿のことになると冷静でいられない。暴走しないように、いつでも心に『蓋』をしておけ」
「……ありがとさん」
経津主は、冷酷で恐ろしいほどに落ち着いている。だがそれは、経津主が望んで『作られた』性格だった。
経津主の本心は、鹿島や諏訪のことを心から心配している。
経津主にとっての鹿島は、経津主の世界のようなものだ。鹿島のために戦い、ナイフをかざし、尽くし、従い、その身すべてを使って敵を斬るだけ。
経津主は本当に冷酷だった。だが、同僚であり兄としても信頼している鳥舟にさとされ、鹿島とともに本気でぶつかることで、自分の心が本当に欲していたものを見出した。
鹿島に、慕情を抱いた。鹿島が大切にしている諏訪を、守りたいと願った。
そのために、経津主はようやく芽生えた自分の感情に、『蓋』をした。
そうして、また冷たい経津主に戻ったのだ。
経津主の警告は、鹿島を心配してのことだった。
鹿島も、それはよく理解している。
だが、落ち着けと言われてその通りにできるほど、鹿島は簡単ではなかった。
今までは、感情の一切を絶ち切ることなどたやすいことだった。
なのに、諏訪という大切なものを見出してから、鹿島はそれがうまくできなくなった。
天照に手を上げるなんて、昔は考えられない愚行だった。
「どうしたもんか」
その呟きに、答えてくれるものはなにひとつとして、いない。