表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/48

八、

 力が、使えた。風の力を、呼び起こすことができた。

 どうやって呼び起こしたのか、ほとんど無意識だった。

 ただ、鹿島を守らなければと強く思ったとき、ふっと風と心が通じたのだ。

 

 彼を守る力を、今だけ、貸してほしいと。

 その時の衝動が、今でも焼き付いている。


(あの時と同じように願えば、風は力を貸してくれる? 今まで、そういう思いを抱いてたたかっていたんだろうか)


 古びた道場の天井をぼんやりながめながら、そんなことを思った。

「おはよう、諏訪」

 上から、愛らしい声が降ってきた。

 ふと気づいてそちらを注意して見ると、自分の妻だという八坂が、こちらを優しげに見下ろしていた。

「……おはよう、ございます?」

「夫婦の間に、敬語はいらないわ」

「お、おはよう?」

「うん。そうそう」

 八坂は満足して微笑んだ。

「今日からわたし、ここで御厄介になるわ。といっても戦えないから後方支援になるけれど。天照殿の弟君である月読殿のもとで、あなたの力になるね」

「ありがとう。でも、無理はしないで」

「もちろんよ。無理をしないでほしいのはお互い様でしょう」

「そういうものかな」

「そうよ。……それじゃ、わたしは戻るね。社務所にいるから、何かあったら来て」

 じゃあね、と八坂は道場を去った。

 八坂と入れ違いに、鳥舟が入ってきた。

「よ、諏訪殿、ひさしぶり……つってもわかんないか」

 諏訪よりも小さな神――鳥舟は苦笑する。法被は丈が合っていなくてぶかぶかしている。自身の身長よりも大きな櫂を片手に持っている。前髪は髪留めで掻き上げて、額の露出が多い。

「えっと、経津主殿と、鹿島の、兄上と」

「そ。今日は、俺と一緒に来てもらうからな」

「鹿島と、経津殿は」

「あいつらはもうちょっと穢れの強いとこに行く。俺と諏訪殿は、比較的安全なとこで異形を倒す。……力を出せるようになったから、今日から本格的に戦わせるって」

「そうですか」

「大丈夫だよ。もしまだ戦いの勘が戻ってないなら、俺が守ってやるからさ」

「……はい」

 快活に笑って、鳥舟は言う。

 見た目は諏訪よりも幼く見えて、鹿島や経津主よりもずっと古参の天つ神なのだ。

 諏訪には、彼が頼もしく感じられた。

「ま、鹿島じゃなくて申し訳ねえけど、辛抱してくれな」

「いえ、大丈夫です。足手まといにならないようがんばります」

「あはは、真面目だな。じゃ、メシ食ったらさっそく行くからな!」

「はい」


 諏訪はひとまず、鳥舟に任せるとのことだった。その指示は、天照が出した。

 諏訪のお守りを任された自分が、その任を一時的に外されると言うことは、何かしらの重要な任務に就くということだ。

 天照の控える一室に、鹿島と経津主は通された。天照の傍に、手力と、天照の弟である月読が立っていた。手力が天照のそばで彼女を守っているというのは分かるとしても、青白い顔色の月読が、天照と共にいるところなんて、あっただろうか。

「で、お嬢。俺と経津にはどんな厄介ごとが舞いこんできたんですかね」

「おい」

 どすの利いた低い声で、手力が鹿島を威嚇する。

「いいのよ。建御雷なりの冗談なんだから。もっとも、厄介なのに変わりはないんだけれどね」

「お嬢……」

 手力は抗議の目でにらむ。

「さて、建御雷と経津主には、月読の護衛として、ある場所に行ってもらうわ」

「月読が? 場所ってどこです」


「信濃の地」


 鹿島は、目を見張った。


 信濃。諏訪の住む地。鹿島が、記憶を失った諏訪を拾い上げた場所。

 月読が、そこへ行く理由も、うすうす勘付いていた。


 信濃に、穢れの根本があるのだ。

 月読を、そこに派遣するということ。それは、穢れの原因をはっきりさせて、炙り出すということだ。


「穢れが一番強い信濃に、月読を派遣します。月読には、その地の調査を頼んだの。実行は、夜が更けてから。夜が深ければ深いほど、月読は強くなるから」

「いや、そりゃいいんですが」

「強くなる、とはいっても、月読は戦闘向きじゃないからね。もしものことがないように、あなたたちをつけたいの」

「お嬢、別に俺はいいんだけどさ、別に俺らじゃなくてもいいだろ? 手力とか鳥舟とか」

「信濃は、思った以上に侵食がひどい。だから、一番戦闘慣れしているあなたと経津主に、同行してもらいたいの」

「信濃の地は、手力でさえ自我を保てないほどに穢れているということですか」

 経津主が、静かに聞いた。その問いに、天照は静かにうなずく。

「だから、身体的にも精神的にも強いあなた方が適任だと言うことよ。諏訪殿は、鳥舟に任せてあるから、行ってきて」

 鹿島は、苦笑して聞いてみた。

「ちなみに辞退は?」

「なるべく避けてちょうだい。あなたが行かなければ、諏訪殿を連れて行く」


 鹿島は、一瞬だけ頭に血が上った気がした。

 何も考えられず、無謀な代案を答えたこの華奢な少女に、一発ぶちかましてやりたいという衝動に駆られた。だがそれも一瞬だけだ。すぐに正気に戻る。

 

 気が付くと自分は、一歩大きく踏み出して、天照の胸倉を無造作に掴んでいた。

 険しい表情をした手力が鹿島の手首をつかみ、今にもひねりつぶさん勢いでにらんでいる。……手力が、本気で怒っている証拠だ。

 首筋には、経津主のナイフがひたりと突き付けられている。

 目の前の少女は、表情ひとつ動かさず、微動だにしない。

 大したものだ、と鹿島は苦笑する。激怒した自分に迫られても動じなかった。それとも、驚愕はしてもそれが顔に現れていないだけなのか。


「……失礼」

 戦意をなくした鹿島を、手力が離す。経津主もそっとナイフをしまった。

「いいえ、わたしこそ、彼を餌にしてしまって悪かったわ。でも、今のは冗談ではないの」

「俺が断ったら、あいつを信濃へ放り出すつもりだったってことですか」

「そうよ。無謀……というでしょうけれど、信濃の穢れを浄化できるのは彼しかいない。だから、あなたが拒んだら彼に白羽の矢を立てる」

「お嬢、賢くなりましたねえ。今の俺があいつの名前を出したら、必ず従うことがわかってた」

「ええ。頂点に立つ者は、仲間の心情を掴むことも必要なの」

 小さな女神は、鹿島の皮肉にも動じなかった。


「それで、鹿島。行ってくれる? 諏訪殿には、鳥舟と須左之男についててもらうから、問題ないわ」

「……了解」

 ふうっ、と鹿島は息を吐く。

「じゃ、行ってきますよ。出発の時間までは、せめて自由にさせてもらいますよー」

 ひらひらと手を振って、おどけたようにそこを出た。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ