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六、

 そこに、死体が一体、捨てられていた。

 血だまりに身を鎮めたそれは、赤銅色の髪に色素の薄い肌をした、華奢な男の死体だった。

 虚ろな目が空を映し、切り刻まれた手足はだらりと大の字に放られている。

 

 ぼろぼろの法被と装束は、どす黒く血で染まっている。

 その死体を一通り眺め、拾ったものがいた。


 今日も、諏訪は戦場へとかり出された。鹿島や経津の後ろで戦闘を見ているだけで、実際には戦っているわけではなかった。

 守られているという状態が、諏訪にははがゆくて仕方がない。少しでもはやく、記憶を取り戻して戦力にならなければと少しだけ焦っていた。だが、戦場を歩いても、鹿島や経津の戦闘をじっと見ていても、それが記憶につながることは、なかった。

「こいつも雑魚だな」

 鹿島は、前髪をかき上げ、そうこぼす。

「そりゃ、おまえにしてみればほとんどの異形は雑魚さ。おまえに限ってな」

「ごもっとも」

 戦っている最中の鹿島と経津主は、真剣で殺意を帯びた眼差しをする。戦闘が終わると、たちまちふっといつも通りの、へらへらした笑顔と冷たい無表情に戻る。

 そのへらへらとした笑顔が少しだけ真剣になり、諏訪を心配そうに見つめてきた。

「大丈夫か、諏訪。気分は、悪くないか」

「へいきです。あの、申し訳ありません。全然、戦えなくて」

「いーんだよ。今のところは、俺と経津だけでどうにかなるからな。おまえのやるべきことは、記憶を取り戻すことだよ」

「……はい」

 この鹿島という雷神は、諏訪の頭をいつも撫でる。

(やさしい神、だな)

 この神と自分がどういった関係なのか思い出せないが、諏訪は雷神に頭を撫でられるのが嫌いではなかった。

「この辺一帯の異形は、あらかた片づいたな。……建御雷、そろそろ退くか?」

 ナイフについた血をふきつつ、経津主は鹿島にそう聞く。

「そうだな。もういい時間だし、腹減ったし」

 朝方に外に出たと思ったら、すでに今は日が沈んでいた。

「じゃ、諏訪。帰るぞ」

「はい」

 差し伸べられた手を、取る。

「あの」

「うん?」

「手をつながなければならないほど、僕は頼りないですか」

 少しだけむくれた。

 戦いはまだできないが、それでも子供扱いされるほど何もできないわけではない、と諏訪は自負している。この感情も、記憶をなくす前の自分が抱いていたのだろうか。

「ああ、わり」

 鹿島はぱっと手を離した。

 結局、帰路は手をつながなかった。


 社に戻り、夜も更けたころ。

 諏訪は、道場でごろんと寝ていた。隣には、自分よりも華奢な少年が寝ている。その少年は鳥舟といい、鹿島や経津主の兄貴分であると手力から聞いた。

 月の光が明るいせいなのか、諏訪は寝つけずにいた。広い道場でひとはしら、たびたび寝返りをうっている。目を閉じていれば自然と眠くなるかと思ったが、期待通りの眠気はこなかった。

(……あれ?)

 ふと、諏訪は気づいた。

 上半身を起こして、ざっと道場内を見まわしてみる。

 鹿島が、いないのだ。経津主は、鳥舟の隣で微動だにせず、静かに寝息をたてている。 

 だが、鹿島だけが見つからなかった。おおよそ三十ほどの数の戦闘員が寝泊まりするこの道場では、たったひとはしらがいなくなるのには気づきにくい。

(厠かな。でも、あれ? 道場に入ってから、一度も彼を見ていない……? 社殿? 舞殿?)

 一度気づくと、諏訪は眠る気が毛頭なくなった。鹿島の安否が気になるのだ。

 ただの杞憂ならばいい。厠に行っているだけならそれでいい、社殿で天照と談笑しているならそれもよし、舞殿で手力と酒を飲んでいるのならそれもまた結構。

 だが、と諏訪は不安になる。

 この社の境内から外に、いるとしたならば?

 諏訪は音を立てない様細心の注意を払い、道場を後にした。


 道場を出て、社の外へと駆けて行く。深い夜でも、月光が照らしてくれるおかげで、視界は良好だった。

 勝手に出歩くな、ふらふらするな、とは鹿島からの忠告だ。だが、それに従っている余裕が、諏訪にはない。

(彼は、どこに)

 走り回っても、息切れしない。走って、立ち止まって周囲をぐるりと見回してまた走って、の繰り返しだ。


 夜風が、少しだけ冷たい。

 風の音と一緒に、声を聞きとることができた。

 一つは、聞き覚えのある、声。もう一つは、知らない、女の声。


 諏訪は、声のした方を頼りに、走っていく。


 見つけた。鹿島と、知らない誰かが、そこにいた。

 瘴気が立ち込めるその場所で、無駄口を叩きながら戦っている。思わず、近くに立っていた大きな枯れ木に身を潜めた。

 戦っている時点で相手が敵なのは確実だ。だが、諏訪は自分が介入して鹿島が有利になるとは思っていない。むしろ足手まといになる。

 だから、少しだけ状態を見て、急いで社に戻って経津や鳥舟に助けを求めるつもりだった。


「じゃっかしいんだよ、てめえはさぁ。いいから寄こせよてめーらの切り札っつーもんをよぉ」

 乱暴な、女の声だった。

「あ? 切り札? 俺、札遊びはしない主義でね」

「そっちの札じゃねーよアタマいかれてんのかクソ雷神」

「仮にも神をクソとか言うなよ。あと口調どうにかしたらどうだ? かわいい顔が台なしだぞー」

「よけーなお世話じゃアホか!!」

 鹿島と対峙しているその者は、諏訪よりは身長の高い、少女だった。

 ふわふわとした長髪を腰まで伸ばし、前髪を後ろへと流して額をこれでもかと露出させている。

 袖口の狭い装束に、丈の短い袴のようなものを履き、手には巨大な鎌を持っている。

 ぎいっ、と犬歯をむき出しにして、荒れた口調で鹿島と渡り合う。

「っつうか、とりあえず死んどけやぁ!!」

 少女はたんっ、と跳躍し、ふりかぶって鎌を鹿島頭上から振り下ろそうとする。

 

 ――たすけなければ。


 理性よりも本能が、はやく働いた。


 経津主を呼びに行こうという作戦も忘れ、社へ戻ろうという計画も忘れ、諏訪は、風を呼び起こして『それ』を阻止した。


 手から風を放ち、少女の持っていた鎌を、少女の手から引き離す。

「あァ!?」

 少女は驚愕し、一旦後方へと飛びのいた。

 助かった鹿島も、状況が呑み込めていない。


 諏訪は、ふたはしらの間に割って入るように、少女と対峙した。

 両腕を大きく広げ、大の字になるようにして、鹿島をかばう。


 ――風、出せた。はじめて、立ち向かえた。


 華奢な体では、鹿島を守りきることなどできない。

 わかっていても、諏訪は、できるかぎり、鹿島を助けたかった。


「ああ、んだてめえ? こいつの従者かなんかですかァ?」

「……ともだちだ」

 諏訪は、はっきりと、そう答えた。


「うそつけよ。そいつにトモダチなんて貴重なモン、いるわけねーだろーが」

「ここにいる。僕は、彼のともだちだ」

「はっ。物好きもいるもんだねえ?」

 少女は呆れ笑いをして、飛ばされた大鎌を持ち直す。


「おい、諏訪っ」

「すみません、鹿島。あなたを放置できませんでした」

「いや、いいんだけどよ……それより、逃げんぞ。アイツは少し厄介だ」

「分かってます。僕がいる状態では、あなたも全力で戦うことはできない」

 諏訪は少女を睨みながら、鹿島と言葉を交わす。

「おぉい、こっちはムシですかァ? べつに、こっちゃァひとはしらふたはしら増えてもぜーんぜん構わないんですけど? いっぺんにカタつけちゃってもいいんですけどぉ?」

「……っ」

 少女のまなざしに、諏訪は一瞬ひるんだ。戦闘における恐怖を、まだ覚えているらしい。

 せめて負けじと、少女を睨み返す。少しでも時間を稼いで、逃げる隙を見つけ出す必要がある。


「……あ?」

 少女は、首をかしげた。そしてじいっと、諏訪の顔を覗き込む。その目に殺意や敵意はなく、何かを探るようでもあった。

「うーん……」

「……?」

「おい、諏訪。逃げんぞ」

「え、は、ぃ」

 鹿島の声は、若干焦っているようでもあった。とにかく、一刻も社へ逃げ込みたいという気持ちでいっぱいだ。

「って、あ――――――――――!!」

 少女が、諏訪を指さし、突然叫んだ。

「おまえかー!! 見つけたー!! こんなとこにいたのか!! 探したんだぞ手間かけさせやがってえええ!」

「……は?」

 諏訪は少女の言葉がよく理解できず混乱する。背後に庇う鹿島が、小さく舌打ちした。

「諏訪、かまうな。逃げるぞ」

「でも」

「くっそ、てめーのせいでこっちゃ大変なんだよ!! てめーが地上にかけた術を解け!」

「な、何の話……をして、いる?」

「すっとぼけんなクソガキが! とにかく、なんだぁ……あれだ! 術をかけたんなら、解き方もわかってんだろぉ? さっさと解け! いますぐ解けカキュウテキスミヤカに解け!!」

 少女が一気にまくしたてる。おそらく、その口ぶりでは諏訪が記憶を失っている状態であると知らない。もし知っていたとしても、構わずにその術とやらを解けと迫るだろう。

 

 記憶を失う前の自分が、地上に何かしらの術をかけたらしい。それすら、思い出せない。


 その術は、どんなものか。今は考える場合ではない。


「諏訪、ちょっとわるい」

「え、なに、がっ?」

 鹿島は諏訪に有無を言わさず、抱きかかえた。

「うぁっ!?」

「しっかりつかまってろよ」

 鹿島はべらべらとまくしたてる少女に向けて雷をひとつ落とした。「んぎゃ!」という間抜けた声がした。

 相手が雷に戸惑っている隙に、鹿島は空へ跳躍する。諏訪を抱えたまま、速度を上げられるだけ上げて、社へと逃げる。

「う、わわ、ひえ、お、おち、おちるっ」

「落ちたくなきゃしっかり捕まってろ! 社まであとすこしだから辛抱!」

「うぅぅ……っ!」

 振り落とされるかもしれないという恐怖を和らげるために、諏訪は全力で鹿島に抱き着いた。いっそ、自分ひとはしらで飛ぶことができれば、こんな恐怖は味わうことなどないのに。


 社に到着し、鳥居をくぐってようやく、諏訪は地面に下ろしてもらった。

 腰が抜けて、ぺたりとその場に座り込む。足に力が入らない。

 宇受女に抱きかかえられて空を駆けたことがあるのに、空を飛ぶという感覚がまだ慣れないようだった。

「すみません。思った以上に僕は足手まといでした」

「いや、いいよ。あんときは助かった。……ありがとな」

「……はい」

 鹿島の手を借りて、諏訪は立ちあがる。まだふらふらしていて足がおぼつかないが、道場までは自分の足で向かうことができた。

 道場の隅っこで、背中合わせで寝転ぶ。まだ、諏訪は眠れない。

「あのさ」

「はい」

「さっきの」

 鹿島が、ふとそう言ってきた。

「さっきの、とは?」

「ん。いや……その、俺のこと、友達がどうのって……」

 鹿島が、歯切れ悪く聞く。ああ、と諏訪は納得した。鹿島が聞きたいのは、敵の少女に従者かと問われた際に諏訪が返した言葉のことだったのだ。

「ええ、友達です。……それがどうかしましたか?」

「いや、なんつか……その、な」

「記憶を失う以前の僕は、もしかしたらあなたとは仲が悪かったのかもしれません。天敵だったのかもしれません。でも、少なくとも、いまのぼくは、あなたのことは友達だと思っているんです。その言葉に、嘘はありません」

「……すわ」

「ご迷惑ですか?」

「まさか。光栄だよ、むしろ。ありがとな、諏訪。こんな俺を、『友達』だって、言ってくれて」

「感謝、されるようなことでしょうか」

「俺にとってはな。じゃ、おやすみ」

 それっきり、鹿島はもう何も話しかけてこなかった。すでに寝たのだろう。

 諏訪も、今度こそは、と思って目を閉じた。すると、自然とうとうとし始めて、ようやく眠りにつくことができた。


 気になることは、ある。『敵』と認識した、あの少女の存在、彼女が言っていた『術』、解けという催促、妙に焦っていた鹿島……。鹿島や天照に聞いたら、教えてくれるのだろうか。話してもらったところで、自分はそれを理解できるのだろうか。

(……考えたところで、何も解決はしない)

 諏訪は一旦考えるのをやめて、寝ることにした。


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