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四七、

 体力を思った以上に消費していた諏訪は、八坂を背負って社へ戻ることもままならなかった。

 念のためと体力を常に温存していた鹿島がそれを見ていられず、八坂を肩代わりした。足取りがおぼつかない諏訪は、シェンと経津主が肩を貸してくれた。情けない、と唇をかみながら、諏訪は彼らの助力に頼った。

 強がる気力もない。経津主から分けてもらった力と、自分の最大限の神力をギリギリまで消費したのだ。本来であれば、いつ力尽きてもいいくらいなのだ。


 社へたどり着いた時、鳥居の下で天照がうろうろと歩き回っているのが分かった。それを落ち着かすように、手力があれやこれやと何かを言い聞かせている。


「あっ、お嬢。帰ってきましたよ」

「ほんと!?」

 手力の視線をなぞるように、天照がこちらを見つめる。淑女らしくもなく、ばたばたと駆けよって、鹿島と経津主、諏訪とシェン、そして眠る八坂みんなを、その華奢な両腕で抱きしめた。小さな細腕はかすかにふるえている。

「お嬢……」

「お帰りなさい、みんな。よく、帰ってきてくれたわ」

「……ただいま戻りました、お嬢様」

 位置的に、天照は鹿島の胸に飛び込んでいる形になっている。鹿島も天照も、意図してそうなったわけではない。手力はその状態を半眼で睨んで、やんわりと鹿島を天照から引きはがした。


「これからのことは、休んでからにしましょう。諏訪殿、貴方のおかげで、わたしたちは救われた。まず貴方は休まなくてはね」

 鹿島から引き離された天照はすでに落ち着きを取り戻していた。さっきまで震えていた声はいつもと同じく抑揚がない。表情も平坦だ。しかし、目のまわりが若干腫れている。


「もちろん、あなた方もよ、鹿島と経津主……それから、極西のおちびさん」

「ちびじゃないよう、シェンだってば」

「そう、ではシェン。こちらへ」

 天照はさあ、と手招きする。


 半ば背負われるようにして、諏訪は社の中へ連れて行ってもらった。もう呼吸するので精いっぱいだ。言葉を発する元気もない。

「諏訪殿、あと少しですから」

 経津主の冷たい、しかしどこか優しい声が、左隣から聞こえた。諏訪はかすかに首肯する。


 八坂が離れの布団に寝かせてもらったのをその目で見届けた諏訪は、安心しきったのか、経津主の肩からずるっと落ちた。すんでのところで経津主が支えた。全身の力が抜けきっている。体が鉛のように重たい。

「あぁ、諏訪殿……」

 心配そうに経津主が諏訪の腕を引く。経津主の腕力では、今の諏訪を支えるのが難しい。

 八坂を寝かせた鹿島が、諏訪をひょいっと抱き上げる。その腕に抱かれると、諏訪はほっとした。


 ゆっくりと、八坂の隣に寝かされる。重い瞼を必死に開きながら、諏訪は安らかに眠る八坂を見守った。その寝顔に安堵して、彼女の手に、自分の手を重ねる。


 やっと、諏訪は眠りについた。



 はっ、と目が覚めた。

 さっきまでの疲労と眠気がなかったかのように、体は軽やかで、頭がすっきりしている。

 諏訪は身を起こす。ふと気づいた。自分は、隣で眠る八坂の手を握りながら寝ていたらしかった。八坂はまだ目を覚まさない。黒幕のゲネに御霊を食われていたのだから、回復も時間がかかるのだろう。


 八坂は安らかに寝息を立てて眠っている。彼女の頬に触れてみると、ほんのり暖気が伝わってきた。

 指先から、彼女の御霊の具合をうかがい知ることができる。ひどく傷ついてはいるが、峠は越えていた。

 

「おや、起きたかね」

 右方から、女の声がした。離れを管理しているミズハノメだ。その表情は穏やかで、諏訪にかける言葉は優しい。

「ミズハノメ殿」

「おはよう。きみが寝ている間、だいたいのことは終わったよ。当事者のきみを抜きにして話をすすめるのは気が引けたがね、悪いようにはなっていないから、それだけは安心するといい」

「いえ、僕こそ大事な時に眠ってしまってごめんなさい。……それで、この事態、どう収束をつけると決まったんですか?」

「聞けばわかるさ。もうすぐ誰かが迎えに来るから、その者についていきたまえ。八坂はわたしが看ているから」

「はい」


 ほどなくして、ずっと世話になりっぱなしだった雷神が、離れを訪れた。

 いつもの飄々とした笑顔で、「よう」と諏訪に声をかける。鹿島は諏訪の隣に腰を下ろす。

「具合はどうよ」

「すっかり、よくなった。体が軽い」

「そっか」

 そりゃ何より、と鹿島は諏訪の頭をわしわしと撫でる。諏訪は黙ってされるがままだ。ミズハノメの言っていた迎えの者とは、鹿島だったのだろう。

「で、目覚めたばっかのとこで悪いんだけど」

「うん、後始末のこと、教えてくれるんだろう?」

「そ。鎌女たちの始末とか、地上の処理とか、いろいろな」

 ほら、と鹿島は立ち上がって手を差し伸べる。諏訪は素直に手を伸ばした。

 鹿島に引っ張られ立ち上がる。名残惜しそうに、ちらっと眠る八坂をうかがう。まだ目は覚めそうになかった。

 諏訪は、離れを後にした。



 鹿島に連れられ、諏訪は舞殿へ足を踏み入れた。そこには主要の神々と、今回の騒動を巻き起こした極西の神三兄妹が控えていた。

 騒動、とはいっても、その種をまいたのはゲネという穢れの王である。三兄妹は騙されていたに過ぎない。だが、日本を脅威に陥れた以上、そのけじめはつけなければならない。


 天照が舞殿の奥に座り、それを守る様にして、右隣に手力、左にウズメが控える。それに続くようにして、カグツチや鳥船、思兼、経津主、スサノオ、月読と、並ぶ。


 三兄妹は、天照の向かいに座らされ、今後の自分たちの処分を言い渡されるのを、待っている。長子のラオは落ち着き払っているが、真ん中っこのトトは肩に力が入っているのがよくわかる。末のシェンはというと、視線をあちこち泳がせて、挙句の果てには「足痺れた~、崩していい? いいよね?」と正座を崩す始末である。


「お嬢、連れて来たぞ」

「ありがとう。諏訪殿、そちらに座ってもらえる?」

「は、はい」

 諏訪は鹿島のあとについて、位置的には三兄妹の隣に腰を下ろした。

 ちらっと右隣を伺うと、静かに目を伏せているラオが確認できた。すべてを諦めたのだろうか。すべてを受け入れる覚悟ができたということなのだろうか。


 ん、と天照のかわいらしい咳ばらいがした。

「では、確認の意味も込めて、あなた方極西の神々の今後について、今一度お話したいと思います」

「ああ、頼むよ」

 ラオはまっすぐ天照を見据えた。諏訪は、その状態を少し緊張しながら見守っていた。どうしてなのかはわからない。ただ、彼らも被害者であるという同情から、せめてひどい処罰が下されないようにと祈ってしまうんだろう。

 

 いや、他人事ではない。自分も、彼らの悪事に手を貸してしまった罪がある。もしかしなくても、自分にも相応の罰があるだろう。その時はその時だ、と諏訪は今さら覚悟した。


「では……ラオ、トト、シェンあなた方には、先ほど申し上げた通り、明日から一年の間、日本への入国を禁じます」

「……心得た」

「本来なら賠償金を……と言いたいところだけれど、あなた方からお金を取れるとは思ってないし、もとよりわたしたちはお金をそれほど重要視しないし、それよりも、今は日本の復興が大切だしね」

「かたじけない。俺たちは文無しでね」

「うん、知ってる。……だから、この会議が終わったら、あなた方には即刻ここから出て行ってもらいます。一年の期限が過ぎたら、今回のことは終わったということでいいでしょう」


 トトは少し驚いた表情で天照の方を向いた。あまりの軽さゆえ、逆に申し訳ないとさえ思っていたのだ。

「ちょ、ちょっと待て。ほんとにそれだけなのか? か、簡単すぎないか? てっきり、もっといっぱい罰があるかとばっかり……」

「そう? ちょうどいいと思うんだけれど」

「どこが! 騙されてたとはいえ、あたしたちはあんたらの国をめちゃめちゃにしたんだぞ? それが憎くねーのかよ!」

「憎んでほしいの?」

「そういうことじゃなくて……!」

 トトの声に苛立ちがまじる。今にも立ち上がりそうなトトを、ラオが無理やり座らせた。

「あなた方のしたことは、わたしたちにとっては許しがたいことです。でも、あなた方はゲネに騙されていた。そのゲネは、月読によればもう日本にいないし、これいじょう穢れが侵攻し続けることはない。向こう一年、あなた方の顔を見ずにすんで、こっちは日本の復興に一年集中できるのだから、こちらとしてはありがたいわ」


 天照ほか、八百万の神々にとって、最優先事項は日本をもとに戻すことである。

 黒幕のゲネが消えたため、これ以上日本に穢れが侵食することはない。その間に、彼らは少しでも早く日本を復興させたいのだ。要するに、極西の神々を罰することは、さほど重要ではないということだ。


 天照が、すっと立ち上がり、ゆっくりと、ラオの元へ歩いていく。何が起きてもいいように、手力が片膝を立てる。

 手力だけではない、ほとんどの神々が、天照の行動を、緊張しながら見守っていた。彼女にもしものことがあってはならないのだから。


 天照はラオの正面に座り、懐から何かの紙を取り出した。それをラオに向かってすっと差し出す。

 諏訪がうかがう限りは、それは誓約書のようなものだった。


 そこに書かれているのは、この誓約書に印を押した日から一年、日本への入国禁止を約束する、というものだった。

 ひらひらの紙切れに過ぎないそれには天照と月読の加護が施されている。この紙面上の約束を破るようなことがあれば、極西の神々はたちまち消滅するだろう。


「この誓約書に署名を。そして、出国してちょうだい。そして一年、ここに来ないこと。それでわたしたちは終わりにする」

「俺と、妹と弟全員の署名が必要かな」

「代表一名だけで大丈夫よ」

「出国の期限はいつまで?」

「特にないわ。そうね……今日から八日間ということでいいかしら。それまでに貴方たちの準備も整うと思うけれど、もう少し延ばす?」

「いや、充分だ。ありがたい」

 言って、ラオは右手袋を外す、人差し指をきりっと噛んで皮を食い破る。ぷっくりと鮮やかな血が流れ出た。

 その血を墨代わりに、ラオは書面に自分の名前を記す。諏訪には、読めない字だった。極西の文字なのだろう。


 白い誓約書に、鮮やかな赤色は目立つ。ラオの署名が少しだけ滲み、墨に交じって黒く濁る。


 それを見届けた天照は、折りたたんで大切そうに懐へしまった。

 

 そして立ち上がり、神々の中心へ進んで、告げた。



「今度の穢れ異変、これにて解決とします」



 神々は舞殿を後にする。極西の神々は、思兼とカグツチの監視の下、舞殿を去っていく。

 

 其れを見守っていた諏訪は納得がいかない。となりにいてくれた鹿島のことも忘れ、駆け足で天照を追う。


「天照殿!」

 手力を従えて廊下を静かに歩く天照は、ふと足を止める。くるっと後ろを振り向いて諏訪に視線を移す。鮮やかな黒髪が、少しだけふわっと揺れた。

「あら、どうしたの、諏訪殿。お加減は大丈夫?」

「はい、もうすっかり……」

「あ、それからね。国つ神々はみな出雲に避難していたわ。守矢殿もご無事よ。体調に問題がないのなら、誰かを同行させて会いに行ってあげて」

「守矢が……? 穢れに喰われたはずでは……?」

「そう、そのはずだったのよね。でもわたしは彼と会えたわ。あなたをとても心配していたようだったから、顔を見せに行って、安心させてあげるといいわ。こちらのことは、わたしが片づけるから」

「そうします……ってそうじゃなく!」

 諏訪はぶんぶんと首を横に振る。

 

 守矢が生きていたという事実は、諏訪にとってはどうしようもないほどの救いだった。自分のせいで穢れに喰われてしまった彼のことを、ずっと引きずっていた。取り返しのつかないことをしてしまったと、天照に守矢の生存を聞かされるまでずっと心にのしかかっていたことだった。


 ほっと胸をなで下ろす諏訪は、その救いの事実を聞きに来たわけではない。ある種の不服を申し出たのだ。

「どうして僕に何の処罰もないのですか! 今度のことは、僕が起こしたようなものなのに!」

「処罰されたいの?」

「それは、そうですが……」

「罰ならもう受けたでしょう? 聞けば、鹿島の雷を真っ向から受けたというじゃない」

 言って、天照は諏訪の後ろに控えている鹿島を一瞥する。鹿島は視線に気づいて、居心地悪そうにうなずいた。


「あなたは自らその痛みを受けた。それにその前に、神風を起こしてわたしたちに時間を与えてくれた。全ての原因であるゲネを追い詰めた。……充分償ったと思うけれど」

「しかし……」

「諏訪殿、わたしはあなたに罪があるとは思ってない。仮にあったとしても、その償いは充分すぎるほどにしてくれた。だから、あなたに対して、わたしが下す罰はもうないわ」

 天照が、諏訪の手をそっと握る。自分の胸に引き寄せて、真剣なまなざしで諏訪を見つめた。

「もうあなたが傷つく必要はない。あなたは充分戦ってくれた。あとは、わたしたち天つ神が日本をもとに戻す盤なの。……あなたは、もう休んでほしい。それではだめ?」

「だめ、ではないです……。ただ、休んではいられないです。脅威は去ったといっても、復興が残っているのだから。自分だけのんきに休んでいるなんてできません」

「だったら、無理にならない程度に、復興を手伝ってくれればいい。それが課された罰だと思ってくれても構わない。これでも気がすまないかしら」

「いえ、充分……です」


 鹿島が、諏訪の頭をぽんぽん撫でる。諏訪はそれを黙って受け入れた。

 自分の行いに後悔と罪悪感を抱いていた。その払拭をしたくて、誰かにさばいてほしかったのだ。

 罪の言い逃れをするつもりは毛頭なかった。自分の罪の重さを知っているから、どんな罰でも受け入れる覚悟はとっくにできていた。


 なのに、天つ神々は皆やさしかった。自分を責めることなどしなかった。むしろ、いたわってくれた。

 そのやさしさが胸に痛かった。自分はやさしくされる資格などないと思っていたから、彼らの慈悲深さが苦しかった。


 それでは、あとでね、と言い残して、天照は去った。手力が、天照のあとを静かについていく。静かな廊下に、諏訪と鹿島だけがぽつんと残った。

 おそらく、天照は諏訪の心情を察したのだろう。だからこれ以上諏訪を言いくるめることはしなかった。自分が百の言葉で言って聞かせるより、鹿島のたった一言、たったひとつの行動の方が諏訪を納得させることができるだろうと判断したのだ。


「諏訪」

 鹿島の声に、諏訪は振り向いた。

 

 ぽすんっ、と鹿島の胸に引き寄せられる。やや強引に、鹿島が抱き寄せたのだ。

「おまえはよくがんばったよ」

 さっきまで、胸につかえていた気持ちが、ぶわっとこぼれた。

 張り詰めた糸がぷっつり切れて、気持ちが緩んだ。


 目からぼろぼろと大粒の涙が意図せず溢れて来る。泣きたいはずないのに、泣きたかったわけではないのに。

 喉が締め付けられるような苦しい感覚。呼吸もままならない。


 諏訪は端整な顔をぐしゃぐしゃにして、鹿島に縋り付いた。

「う、ぅぅ……っく、ぅ」

 大声出して泣かないのは、せめてもの強がりだ。嗚咽を漏らして、鹿島の胸にしがみつく。みっともない泣き顔を見られたくないから、鹿島の胸に顔をうずめる。涙で着物を濡らしてしまっただろう。鹿島はそれを気にせず、それよりも諏訪の背中をさすってやった。


「う、わぁぁ、あ、っ、……」

 肩を小さく震わせて、わけもわからず泣いている。悲しいのではない。苦しいのでもない。悔しくもない。

 ただ、今までの緊張が解けた途端、気が緩んで泣いてしまうのだ。自分がこんなに泣き虫だなんて思わなかった。泣き虫の性格を克服できたと思ったら、全然そうではなかった。


 諏訪は気が済むまでこの際泣いてしまえと開き直った。

 その開き直りを胸にしっかり受け止めてやるあたり、鹿島にもやさしさは残っていた。

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