四四、
飛竜の形をした異形が、諏訪の方へ突っ込んでくる。がぱっと大口を開けて、頭から丸のみするつもりだろう。
飛竜型の異形は鹿島よりも大きな体躯の持ち主だった。核は左の翼の先端。それを素早く見抜いたのは、経津主だった。
経津主はトトを鹿島に丸投げし、瞬時にナイフを数本指に挟む。そして寸分の狂いなく、核へとナイフを吸い込ませた。
ナイフは飛竜に深々突き刺さり、核を破壊した。形を保てなくなった異形は、そのまま霧散の運命をたどる。
「さすが! さすがフツミタマの剣だけあるわ!!」
やや興奮げに、ゲネが声を張り上げる。その目は血走り、神々が異形に立ち向かう姿を楽しんでいるようにも思えた。
「ちっ」
鹿島は舌打ちし、状況をさっと確認する。
せめてトトを社へ逃がしたかった。社へ行き、この状況をある程度伝えてもらうという思惑もご破算だ。
これでは援軍は望めない。無数の異形は、核を破壊すれば減らすことができる。
だが、ゲネがいる限り、無限に異形は湧くだろう。蛇型の異形が地を這い、諏訪の足を狙っていた。諏訪はさっと蛇の牙をすり抜け、ブーツで蛇を踏み潰す。核は糸のように細い舌。風の力を借りて、舌を切り裂く。
「おい、経津! この鎌女どうしろってんだよ」
「簡単だ。守ればいい」
「ああ簡単だな! 俺には難易度高いけどさ」
「ご、ごめん」
トトは気まずそうに鹿島に抱き寄せられていた。慌てて鹿島は、「いや、いい!」とぶっきらぼうに返した。
「あ、あたしも戦う……。こうなったのもあたしたちがばかだったから……」
「それはありがたいが、あんたにゃ一つ頼まれてほしいことがある」
「なに?」
「俺らの社へ行け。そこで信濃の状態をお嬢に話してほしい。んで支援をお嬢に頼んでくれ。できるな? 道は風が教えてくれるから!」
「でも」
「でもでも言う暇があったら飛べ。逃げ道は俺らが守ってやる。急げ!!」
鹿島は乱暴に、トトを風の示す道へとおしやった。異形達の襲撃の輪から逃れたトトは、少しよろめく。鹿島の方を振り向き、彼らがこちらを見ないことを知ったトトは、決意して道を駆けた。
「あら、逃げちゃった」
「余裕だな。さきほどは逃がさないと言っていたのに」
経津主がナイフをゲネに向ける。
「あんな小娘、あとでいくらでも殺せるもの。今の脅威はあなたたちだわ」
「つまり、われわれの実力を認めているということか。これは光栄だ」
「そうね。八百万の神々だけじゃない。この日本を形作る要素はすべて私にとって脅威よ。ここは穢れを浄化する――世界じゅうを見てもとても特殊な力が働いているの。だから私も全力で穢すわ」
「そんな脅威的な地に、どうしてわざわざ乗り込んだ?」
諏訪が問う。
「光が強い程影も濃くなるわ。穢れも同じよ。浄化の力が強ければ強い程、穢れもその力に対抗しようと強くなる。浄化の力を乗り越えてこそ、さらに強い穢れを作り出すことができるのよ」
「……そうか」
「それにね、こういう綺麗なところって、存分に穢したくなるじゃなぁい」
「それはお前だけだ」
経津主が、ナイフを一本、ゲネに投げる。ゲネはそれを叩き落とし、穢れに食わせた。経津主の舌打ちが、諏訪に聞こえる。
「何にせよ、あんたを倒せば溢れかえった穢れは断てるわけだ」
鹿島は容赦なく、雷の力を借りて異形共を狩っていく。ぱちんと指を鳴らすと、それに応えるように、雷が落ちた。
真っ直ぐに地面へと突き刺さった稲妻は、的確に異形の核を破壊する。
「できるのかしら。姿かたちは八坂のままであるこの私を? 殺せるかしら?」
「……く」
鹿島は返答に詰まった。鹿島にとって、八坂は仲間という認識に過ぎない。八坂の末路がどうなろうと正直知ったことではないのだ。
だが、隣の諏訪は違う。諏訪にとっての八坂は、大切な嫁なのだ。その嫁を手にかけるという手段を選びたくはないはずだ。
だから鹿島は言い返せない。八坂を見捨てたら、諏訪を悲しませることになる。それだけは避けたかった。
ゲネが言うには、八坂の御霊は食ったという。神々の御霊は極上の味がするというが、それをゲネは味わったのだろうか。
すべて食らいつくしたのなら、見捨てるしかない。たとえ、この風神を絶望に落とし込むとしても。
「どうするよ、諏訪?」
「八坂をどうするかってこと?」
「そ」
穢れの猛威を潜り抜けながら、諏訪は鹿島の問いへの返答を考えていた。足元からぼこっと湧き出た異形が、諏訪目掛けて立ちのぼる。とっさに後ろへ避けたが、諏訪の前髪の先を、長く伸びたするどい爪がかすめた。その異形を、経津主が無言で始末する。
「彼奴の言うことが本当なら、八坂は諦めなきゃならない。もう八坂はいないんだから。あれは八坂のカタチした『敵』なのだから」
「そうだけど……だけど、何か、何かある、はず」
「歯切れ悪いな。そういう時は、俺らに言えばいいんだ」
「な、何を?」
鹿島は、いつもの不敵な笑いで答えた。
「解決策を考えるから、時間を稼げ、ってな」
そして、ぽんぽんと諏訪の頭を撫でる。諏訪を守る様に傍に居た経津主も、首肯で答えた。
諏訪は唇を引き結んで、ひとつうなずく。
「ひとつだけ引っかかってることがあるんだ。それが解決の糸口になるかも知れない。それを確かめるまで、少しだけ僕を守ってくれないか」
鹿島は笑って答えた。
「少しなんて謙虚だな。なんなら一日だって構わんぞ」
「私は一日と言わず二日も三日もお供いたしますが」
頼もしい返答に、諏訪は少し笑みがこぼれた。
異形が生まれ続け、こちらに攻撃を仕掛けて来る。根源のゲネを倒さなければ、この異形はいくら破壊したところでまた発生するだろう。
ゲネは諏訪を悠々と見つめている。
まっすぐ見つめ返した諏訪は、ひとつだけたずねた。
「前に、僕に桃をくれたけど、あれは計算?」
ゲネが八坂をはじめから乗っ取っていたという事実を聞いて、諏訪が違和感を覚えたのはそれだった。
以前に、一度だけ八坂が桃をくれたことがある。桃は魔除けだ。穢れの王であるゲネが、天敵である諏訪にわざわざ有利になるようなものを渡すとは思えなかった。
ゲネは首をかしげた。
「あげてないわよ。あなた、少しまだ記憶が混濁してるのではなくて?」
その答えだけで、諏訪には充分だった。
確信が持てたのだ。ゲネは、完全に八坂を殺すことはできなかった。
桃を渡してくれたのは、ゲネではない。あの時は、八坂だった。
まだ八坂は間に合う。
ならば、迷うことなどない。
「経津殿」
「何か」
経津主は淡々と答える。ナイフで異形を蹴散らしながら、諏訪の言葉を聞く余裕がまだあった。
「僕は、前に貴方から力を分けて頂いてましたよね」
「はい。まだお貸ししております。それが如何いたしました」
「経津殿のお力は、あらゆる穢れを断ち切る力でしたよね」
「いかにも。貴方が風を吹かせるだけで、ここいらの穢れは一掃されるでしょう。ただし、神力を多量に消費します。ご使用の際は、タイミングにご注意を」
「はい。……鹿島、聞いてくれるかな」
なにさ、と鹿島が声だけをこちらに投げて来る。彼の見据える先は、常に異形だった。
「僕がゲネを倒す。道をつくってくれないか」
「了解。大将首とってこいよ」
「……何も疑わないのか」
「声が自信に満ちてる。迷いがなくて心地いいんだよ。任せて大丈夫って思わせてくれる」
「私もです。ゲネまでの道ならば、お任せを」
雷神と剣の化身が、構え直した。




