四、
鹿島の言うとおり、その異形は人間を大きくしたような巨人だが、動きは鈍かった。だからあっさりと回避できたし、核の場所もすぐに把握できた。
問題なのは、自分がどんな戦い方をしていたか、まるで思い出せない点だった。
風神だから風を起こして吹き飛ばす? それとも、経津主のように武器を持って戦う? どっちなのだろう? ぼくは、どんなふうに、こんなばけものを相手に戦っていた?
何も思い出せない。身に危険がせまれば、少しは何かを掴めるか?
足はすくんだまま、袖をぎゅっと掴む手は、武者震いにしては震えすぎている。
「ご安心を」
経津主が、諏訪の手をそっと包んだ。冷徹な表情は不変で、その仕草だけがあたたかい。
「あの程度、建御雷ならば無傷で倒せて当然です」
「……ええ、と」
「貴方のお手を煩わせるほどのものでもありません」
不安になりながらも、諏訪は鹿島を見守っていた。
鹿島は落ち着き払った表情で、敵に攻撃の隙も許さず、あっさりと葬った。
指をぱちん、と鳴らし、異形の頭上に雷を落とす。
ずどん、と腹の底に響くような轟音と共に、異形は霧散した。落雷は、核を的確に破壊したらしい。
「口ほどにもない、っと」
「それくらいはできて当然だ」
「はいはい、っと」
軽口をたたき合う余裕すら、鹿島にはあった。諏訪には、余裕などみじんもなかったのに。
――悔しい、な。
かつては風神、武神として祀られていた自分が、こうも臆病者であることが、諏訪にとっては悔むべきことだった。
「あ」
「? どうかしましたか?」
諏訪は、経津主の言葉も聞かず、ふらふらとどこかへ足を運ぶ。
さきほどの異形から少し離れた場所に、小さな家屋があった。そこから、かすかに物音がしたのを、諏訪は聞き逃さなかった。
「だれか、いるの?」
穢れが充満しているそこに、おそれもなく足を踏み入れることができたのは、何も考えていないからか、それとも誰かがいたら助けたいという精神が奮い立たせたのか。
「だ、れ」
「……あ」
艶やかな黒髪の、セーラー服を着た、少女が、そこにいた。
少女は諏訪を視認するなり、安堵と歓喜の笑みを浮かべた。
「たけ、みなかた」
少女が、諏訪に抱き着いた。
「うわっ?」
「来てくれたのね、嬉しい……」
「あなたは……?」
「え……」
「ごめんなさい。僕は、記憶を失ってる状態なんです。だから、あなたが誰なのかも、思い出せなくて」
せっかくの微笑が、悲しみに変わる。ああ、自分はこの子を悲しませてしまったのだと、罪悪感が強くなった。
「そんな。わたしを忘れてしまったというの? あなたの、妻なのに」
「ごめんなさい」
「いえ、いいの。わたしは、ヤサカトメ。八坂、と呼んでもらっていたわ」
「やさか」
「そう。八坂」
「……ところで、八坂は、どうしてここに?」
「出雲にいる義父様のところに身を寄せていたのだけれど、無数の異形に出雲の地を侵略されて、わたしだけはどうにか抜け出してきたの。義父様のお社があるから、出雲にいる人間や神々は無事だけれど、このままではお社も穢れに覆われてしまうわ。だから、わたしが出雲を出て、このことを天つ神に知らせに来たのよ」
「そう、だったんだ」
「ええ、そうよ」
「諏訪っ!!」
怒号が、背後で、響いた。
振り向くと、血相変えた鹿島が、こちらをにらんでいた。
記憶がないのに、なぜだか、諏訪には、その表情が、らしくもないと思えて仕方がなかった。さっきまで、無駄口を叩く余裕すらあった鹿島が、こんなにも余裕をなくしているなんて。
「勝手にフラフラしたら危ないだろう」
「ごめん、なさい」
「まー無事ならいいんだけどよ。……で、そこのお嬢さんは?」
「八坂。僕の、妻、らしいです」
「やさか、か……」
「ええ。お久しぶりですわね、建御雷殿」
八坂は柔和な笑みで、行儀よく礼をした。
「出雲にいる義父たちの現状をあなた方天つ神に伝えるため、はるばるこの地へと抜け出してきました。天照殿にお目通り願えませんかしら?」
「そうだな。大国がいるなら出雲の地は無事だろうけど、それも長く続くとは限らないしなあ。んじゃ、八坂、お嬢に話してくれ。出雲や、地上の状態を」
「かしこまりましたわ」
「それと、諏訪」
鹿島は諏訪に向き直る。
「は、はい」
「勝手にどっか行かない。行くんだったら一言声かけるくらいはしな。心配するから」
「ご、ごめんなさい……」
「次から気をつけれくれりゃいーよ。じゃ、今日は帰んな。経津、八坂と諏訪を頼むぞ。俺はもう少し浄化してくから」
「ん。せいぜい、穢れに呑まれぬように」
「俺を誰だと思ってる。天下の建御雷様よ」
「知ってる」
さあ、と経津主は八坂と諏訪を促す。
諏訪は、経津主に背中を押されながら、ずかずかと遠くへと歩いていく鹿島の背中を見守っていた。