表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/48

三二、

 そこに、死体が一体、捨てられていた。

 血だまりに身を鎮めたそれは、赤銅色の髪に色素の薄い肌をした、華奢な男の死体だった。

 左胸が、ぽっかりと穴を開けている。そこには、あるべきはずの心臓がなかった。

 虚ろな目は半開きになって曇天を見上げている。手足はだらりと力が抜けきって、大の字を描く。


 ぼろぼろの法被が血と泥でどす黒く汚れている。かすかに腐敗臭がしてきた。


 その死体を拾ったのは、赤いどてらを羽織った、小さな少年だった。



「……ん」

 ぱちり、と諏訪は瞼を開いた。

 かすかな眩しさに、思わず再び目を閉じそうになる。だが、こらえて、目をこするだけにした。

 ミズハノメの管理する離れで、どうやら自分は眠っていたらしい。背中に優しく触れる布団が心地いい。

 

 ――そうだ。僕は……

 夢を見ていた。夢というには、あまりに現実味を帯びた空想だった。

 左頬に鈍く光る鱗を張り付かせた白髪の青年が、尻込みしていた自分を押してくれた。

 

 ふと、諏訪は気付いた。

 自分の左手が、誰かに強く握られていることに。


「諏訪……!」


 愛おしそうに、大切そうに諏訪の手を握り締めていたのは、鹿島だった。

 ぼんやりした目でそちらを伺うと、心底安堵した表情をしていた。

 瞳がじんわり潤んでいる。口元が緩んで、眉も下がり気味だ。

「かしま……?」

「諏訪!」


 鹿島が、諏訪を強く抱き寄せた。

 まるで容赦がない。抱き締める力がじょじょに強くなっていく。

 かすかに鹿島が震えている。怯えて母親にすがりつく子供のように、かたかたと震えていた。

 すわ、と諏訪を呼ぶ声が、かすれている。涙声に聞こえたのは、諏訪の空耳ではない。


「諏訪、諏訪、……諏訪」

「鹿島? 泣いている、のか……?」

「よかった。目が覚めて……よかった……」

「な、泣くな……。おまえに泣かれると、その、困る……。それと苦しい」

「ごめん。俺のせいで、こんな目に……」

 どうも話がかみ合わなかった。

 鹿島は泣いてばかりだし、離してくれそうもない。

 諏訪は困り果てながら、なんとか鹿島を落ち着かせようとした。なるべく優しく、泣くなよ、大丈夫だよ、と声をかけたり、背中をさすってやったり、もぞもぞと暴れてみたりした。

 

 そうしているうちに、諏訪は拾い忘れた記憶を、ようやく拾った。

 ――ほかに……もっと重要なことを忘れているという自覚はないのか?


 白髪と鱗が特徴的なあの青年の言葉を、ふいに思い出した。

 青年の言っていたことの意味を、諏訪はようやく理解した。


「……鹿島、僕は、ただ穢れを増やしただけじゃなかったんだね」

「うん……?」

 鹿島がようやく諏訪から離れてくれた。鹿島は情けない顔をしていた。

 安堵の表情がどこへ行ったのか。人目を気にせずぼろぼろと大粒の涙をこぼし、それを隠そうともしない。歯を食いしばっても嗚咽は漏れる。言葉を発そうにも、しゃくりあげてうまく喋れていなかった。


 それを包むように、諏訪はふわりと微笑んだ。


「僕は……守矢と鹿島の好意を突っ返して、結局日本を穢れに染め上げただけだと思ってた。こんな、日本に仇なした愚か者など……鹿島の雷に貫かれてそのまま死ねばいいと思っていた。それが僕にお似合いの罰だと……そう思っていたんだ」

「諏訪……!」

「うん。わかっている。でも、ようやく思い出したんだ。一番、忘れちゃいけなかったこと」

 諏訪は鹿島の頭を撫でてやる。



「僕は、ただ仇なしただけではなかった。……僕は、『神風』を使った」


 

 守矢を異形に食われた後、諏訪は自分の行いをひどく後悔した。

 自分のしたことが、ここまで取り返しのつかないことになってしまったと、ようやく自覚したのだ。


 何とかしなくては。恐怖と焦燥に駆られながらも、諏訪はこの事態を収束させようと必死に考えを巡らせた。

 

 自分は、風の力を借りることができるという事実が、頭をよぎった。

 この力を最大限に引き出せば、この穢れたちを吹き飛ばせるかもしれない。

 その判断は一瞬だった。迷いはなかった。

 刻一刻を争う事態に、躊躇いやもしもの時を考えるという暇はない。


 諏訪は地を蹴り、空高く飛んだ。

 ふわりふわりと空中に浮かんで、一心に祈りを捧げた。

 日本に吹くすべての風に語りかけ、力を貸してほしいと、心から願った。


 自分のやさしさ……ただの自己満足で穢してしまった日本を、もとに戻したい。

 美しき日本に戻したい。

 ただそれだけを祈り、風に願いを捧げた。


 風は、諏訪の一途な祈りを聞き届けた。


 日本すべての風が、諏訪に力を与えた。

 風が諏訪を守るように包んだ。


 ――その願い、共にかなえよう。


 風は諏訪にそう告げ、四方八方へ散った。


 穢れが充満した日本に吹き荒れていった。

 大嵐ともとれるほどの強い風が、駆けていく。


 異形は鋭く切り裂かれて断末魔をあげる。

 腐敗した木々はべきりとなぎ倒された。

 海は波高く、船を飲み込んだ。

 民家はがたがたと揺れたが、不思議と崩れることがなかった。人間や動物は、風の影響を受けなかった。ただ家屋が激しく揺れるだけで、傷一つ負わなかった。


 諏訪の言葉を聞き入れた風は好き放題暴れまわった。好き放題と言っても、風が好き放題したのは穢れに対してだけだった。

 

 暴風が穢れを切り裂き吹き飛ばし、最悪の事態を回避した。


 穢れを全て祓い取ることはできなかった。どうにか、どうしようもない事態を、不利な状況に改善しただけだった。

 だが、それは大きな救いであった。

 諏訪が神風を発動したおかげで、地上の穢れを大幅に減らすことができた。


 ――その代償として、諏訪は力をほとんど使い果たしてしまった。

 穢れを祓うことができた。そのことにほっとした諏訪は、体力と神力を出し切ったために倒れた。

 まっさかさまに、空から地へ落ちて行った。それを支えたのは、風だった。


 風が諏訪を優しく抱き締め、穏やかに地面へおろした。穢れに満ちた、しかしまだ手遅れではない程度には間に合っている地上に。


 その直後、鹿島とウズメが諏訪を救出したのだ。

 神風を発動した代償として、記憶を落とした諏訪を守るために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ