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三、

 戦闘員として、今日からさびれた社で過ごすことになる。諏訪は、そう再認識した。

 鹿島というあの神や、手力、天照らから聞いた話によると、どうやら自分は軍神や風神として祀られているらしい。ならば、戦いに身を投じていくうちに、いずれは記憶を取り戻すだろう。

 あのおそろしい穢れを、少しでも排除できるならば、諏訪はいくらでも戦うつもりだった。

 正直、諏訪は今までの自分をまったく思い出せていない。かつては、鹿島に逆らって喧嘩をふっかけたとか聞いているが、それすら忘れてしまっている。戦いを知っていたころの自分など、記憶から吹き飛んでいた。

 それでも、鹿島について戦闘員として社に居候しようと決意したのは、ひとえに、穢れに対する嫌悪感や恐怖感が強かったからだ。

 どうしてそこまで穢れをおそれるのか、わからなかった。穢れを本能的に忌み嫌うのは、生物として当然であるが、自分の心はそれを差し引いても度が過ぎている。……なんとなく、そう感じていた。

「よく眠れたか?」

 鹿島が、そう聞いてきた。

 少人数の戦闘員は、道場で寝泊まりする。今にも抜けそうな床をぎしぎしきしませながら、雑魚寝する。諏訪の右隣には、鹿島が少し距離を置いてごろんと寝転がる形になっていた。

 すでに朝。穢れに満ちた中つ国にも、必ず陽はのぼる。諏訪は上半身を起こし、ぐんと伸びをする。

 固い畳の上で、すり切れた毛布をひっかぶっての睡眠は、体の節々に来るものがある。だが、諏訪の体は慣れていたとでも言うかのように、まったく痛みがなかった。

「はい。ふしぎと、深く眠っていた気がします」

「そっか」

 鹿島はよいせ、と立ち上がり、その手を諏訪にさしのべる。

 なんのこっちゃと諏訪は首を傾げたが、その手は自分を立ち上がらせるために差し出されたと理解した。

 遠慮がちに、その手を取ってみる。堅くて細くて、大きな手が、諏訪の手を掴みとった。

 ぐいっ、とひっぱられる。あっさりと、立ち上がることができた。

 鹿島は、割と細身の体格だ。だが力は一人前らしい。貧相で力もない自分が、少しだけ悔しかった。

「今日は、飯食ったらさっそく戦いに行くぞ。準備しとくようにな……っていっても、記憶がないんじゃ準備も何もないか」

「たしかに。ご教授、願います」

「そんなかしこまらんでいい。さ、食事にしようや。宇受女の料理はうまいんだぞー」

「宇受女、って……あの時の方ですか」

「そ。わりーけど、布団を道場の隅っこに片しといてくれないか。俺は飯もらってくるからさ」

「はい」

 諏訪は言われた通り、毛布を丁寧に畳んで道場の端に置いた。すべての毛布が片づけられたころには、鹿島が朝餉の膳を持って来た。

「きっちりしてんねえ」

「そうでしょうか」

「俺にはそう感じるね。だからって悪いわけじゃないけどさ。……ほい、諏訪のぶん。少ないけど辛抱してくれな」

「はい」

 鹿島から受け取ったのは、二つのおにぎりだった。頂きます、と言い、ぱりぱりの海苔が巻かれたそれを、かぷん、と一口かじってみた。

 塩がほどよくきいている。中身は鮭だった。諏訪は夢中になって、それでもよく噛んで食べた。

 行儀よくきちんと背筋を伸ばして正座して、わずかに顔をほころばせて、それを平らげた。

 対して鹿島は、膝を立てて背も曲がりっぱなし、無造作にかぶりついて味わうも何もあったものではなかった。指先についた米粒を、ひとつぶひとつぶ口に入れる行為だけが妙に丁寧だった。

「ほれ、お茶」

「あ、ありがとうございます。いただきます」

 少し覚まさなければ舌を火傷しそうなくらいの煎茶を、鹿島は一気に飲み干してしまった。喉をやけどしなかったのだろうか、と諏訪は首を傾げた。

 僕は猫舌なのだな、と自覚した諏訪は、少し覚ましてちびちびと飲んだ。

「さーて、腹もふくれたことだし、少し休んだら外に出んぞ。異形との戦い方を教えてやる。ま、異形との戦いなんて慣れだ慣れ。相手にしていけばしていくほど、対処の仕方も覚えてくるってもんさ」

「は、い。少しでもはやく、皆さんのお役に立てるようにします」

「そりゃありがたいね」

 諏訪は、また鹿島に頭を撫でられた。

 くしゃくしゃと、無造作に髪を掻き廻すその手が、諏訪は心地よかった。

「あの」

「うん?」

「以前から、あなたは僕にこうして頭を撫でていたんですか」

 鹿島の手が、止まった。

 そっと、手が頭から離れていく。穏やかではなさそうだ。どうやら、自分は聞くべきではないことを聞いてしまったようだ。

「……お気に触ったなら謝ります。申し訳ありません」

「いや、いい。別におまえさんが悪いわけじゃないさ」

「そう、ですか」

 鹿島ははぐらかすように、笑った。



 朝餉の後、諏訪は鹿島に連れられて、社の外へと出た。

 鹿島に同行したのは諏訪の他に、鹿島の監視役である経津主という神である。

 白藤色のさらさらした髪をなびかせ、遠国の従者の装束を着たその青年は、冷淡な目つきで鹿島をにらんでいた。

「諏訪、こっちは経津主。俺の監視役だ」

「お久しぶりです、建御名方殿。……私までお忘れになってしまったとは、すこし寂しいです」

「申し訳ありません。なるべく早く思い出しますので」

「いえ、いいんですよ。あなたの現状を作った原因はほとんどこの男ですからね」

 冷やかな経津主の視線が、鹿島にうつった。

「どういう、ことですか」

「どういうこともなにも、あなたが記憶を失った原因は……」

「経津、おしゃべりはそこまでだ」

「……けっ。イイ子ぶりおって」

 端正な顔を皮肉そうに歪ませてそう言い捨てた。

(この二柱は、仲がよくないのかな……)

 諏訪は、険悪そうに言葉を交わす鹿島と経津主を悲しげに眺めていた。

「……まあ、建御名方殿に免じて深くは追及せんがな。お気になさらず、建御名方殿。私と奴は昔からこんな仲です」

 諏訪に向けられる経津主の表情はにこやかだった。

「でしたら、なおさら悲しいです。今は中つ国の有事なのですから、せめて手を取り合って協力していかなければ」

「それもそうですね。ですがご心配なく。私は、私情を持ち込むことはありませんから」

「は、あ」

 経津主は終始穏やかに微笑んで、建御名方にやさしい言葉をかけていた。

「……さて気を取り直して、っと」

 鹿島が、そう言った。

 改めて、今立っている地を確認した。ところどころから瘴気が吹き上がっており、腐敗臭がたちこめる。諏訪は、袖で鼻を覆う。この臭いに慣れるには、しばらくの時間が必要だ。

「いーか、諏訪。異形ってーのは、一定の濃度や容量を越えた穢れが、形を成してできる……ってのはわかるよな」

「はい」

「よし。んでその異形には『核』がある。どの辺にあるかは異形によってまちまちだけどな。その核を壊せば異形は形を保てなくなって消える。逆に言えば、核を壊さない限り、ずっと生き続けるわけだ。そこが厄介なとこだわな。……ま、核がどこにあるかを素早く見つけりゃ問題ないけどよ」

「核を見つけるためには、どういったコツがありますか?」

「うーん……、異形の体で、一番瘴気や穢れが強い部分が核のあるトコなんだけど……。慣れてくうちに、なんとなく分かってくるようになるだろうよ」

「そういうものですか」

「そ。……おーおー来やがりましたよ、敵さんが」

 鹿島が不敵に笑って、前方を見すえる。諏訪は、その視線を追った。となりの経津主が、腿に装備していた短刀を、すっと抜いた。

 前方に立ち込めていた瘴気が、むくむくと形を成していく。人間のような形をつくっていった。

 ただし、その大きさは、鹿島の倍はある。巨体の腹部あたりに、瘴気と穢れが強くたまっている。おそらく、そこに核があるのだろう。

 諏訪は、少し震えた。だが、それは武者震いだと自分に言い聞かせた。穢れに対する嫌悪感や恐怖感は、生きている限りは当たり前のように覚えるものなのだ。

(……こわい。だけれど、それで当たり前なんだ)

 諏訪は、袖をぎゅっと握る。戦い方なんで思い出せない。だから、必死で戦いを覚えていくしかない。

「心配しなさんな。俺と経津で守ってやんよ。こいつぁ図体がでかいだけで動きはノロい。動き方をきちんと見てれば、すぐに終わんよ」

 鹿島は、余裕の表情だった。経津主も、冷たい無表情だったが焦るでもなく恐れるでもなく。

(この二柱にしてみれば、戦うのはあたりまえで、こわくもなんともないんだ)

 諏訪は、静かにそう思った。

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