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二八、

 今、自分は誰を撃った?

 自分の胸に倒れ込んだ、華奢な風神だ。それは分かっている。


 ちがう。と、意識が反論した。

 本当は、狙っていない。射抜きたかったのは、その向こうの八坂だ。

 どうして。それは、諏訪が直前に八坂をかばうようにして、じぶんからその雷にあたりに行ったのだ。


 諏訪は、鹿島の断罪を受け入れることを望んだ。自分の罪を、誰かにさばいてほしかった。

 それが、鹿島の雷だったのだ。


 心臓が、今まで経験したことのないほど、早鐘を打っている。手が震える。足がすくむ。何も考えられない。目の前が、真っ白になる。

 自分を揺さぶる経津主の言葉も聞こえない。


 ただ、自分を嘲笑う八坂の声は、鮮明に響いた。


「あーあ。やっちゃった。貴方のせいで諏訪がしんじゃったぁ。貴方のせいだぁ」


 子供が子供をからかうように、八坂が鹿島にそうののしった。


「うふふふ。貴方のせいで終わりね。貴方がとどめを刺したの。諏訪だけじゃない。日本は、おわりねぇ」


 八坂は下卑た微笑を浮かべて、鹿島をなじる。

 そして、愛おしむように、諏訪に囁いた。


「さようなら、諏訪。貴方のいる暮らしは、とても素敵だったわ」


 八坂は、くるりと踵を返して、マザーと呼ばれる者の御許へと消えた。



 鹿島は、自分が諏訪を傷つけてしまった事実に耐えられなかった。何を言えばいいんだろう。どう行動すればいいんだろう。

 諏訪に呼びかけ、ここから抜け出して天照の社へ戻るのが最善だ。 

 冷静な鹿島ならばその判断も迅速に行えただろう。だが、今の鹿島は心底動揺している。そんな当たり前の処置すら思い浮かべられない。


 つねに冷静だった経津主がいなければ、鹿島は敵地の瘴気に当てられて、無事どころではなかっただろう。


「鹿島、呆けている場合ではない」

「……おれ、が。俺の、せいで」

「懺悔は後でいくらでも聞こう。諏訪殿は死なない。社へ戻って休ませれば治る。はやく! ここから出なければ、私たちも穢れに呑まれてしまう!!」

「な、なんでそんな断言できる、」

「説明できるだけの余裕があると思うのか。さっさと動け」

 経津主は冷静に、鹿島の襟をつかんだ。鹿島を引きずってでも、経津主は脱出を試みる。


 鹿島は大事そうに諏訪を抱え、経津主に引きずられるようにして社から出る。

 

 外は、穢れに満ちていた。さっきよりもずっと、どす黒さは強さを増して、腐臭がやたらとこびりつく。

 異形がぼこぼこ生まれ、生きとし生けるものを見つけたらそれこそ食らいつかんばかりに飢えている。


 おかしい。信濃の地はもともと穢れの濃度が強く、異形も多かった。

 だが、今の信濃はそれ以上にひどい。穢れに呑まれていない部分を探すのは困難だ。

 大型の異形が、瞬く間に生まれていく。瘴気が強く、空気が澱んでいる。

 穢れに耐性を持つ天つ神である経津主や鹿島でさえ、油断すれば呑まれかねない濃度であった。


 経津主は鼻を覆い、鹿島の袖を引っ張る。

「急がなければ。手遅れにはならないけれど、後遺症が残ったら厄介だ」

「なんで、なんで死なないなんて分かるんだよ? 俺の雷だぞ? 威力だけは一丁前にあるんだぞ? それをまともに食らって……」

「鹿島、説明はここから出たらじっくりとする。だから、今は私を信じてほしい。どうか」

 経津主は静かにそう返す。時間がないのだ。今は説明よりも、自分たちが信濃から脱出するのが最優先事項だ。


「……分かった。信用する」

「有難う。貴方が、物わかりのよい神で助かる」


 ここに来て、ようやく鹿島の意識がしっかりしてきた。

 鹿島にとって、諏訪の死は何よりも恐怖だ。避けたい最悪の事態だ。

 それを回避できるのならば、経津主の言葉だって信用する。……今ならば、神としての誇りを失ってでも、諏訪を救おうとさえするだろう。


 鹿島の目に、闘志がよみがえった。それを見出した経津主は、よし、と安堵する。


 だが、その安堵も長くは続かない。


「ひさしぶりだね、おにいさん」


 邪魔者が、心底厄介な邪魔者が、来てしまったのだ。

 経津主は舌打ちした。こんな面倒な敵が現れてしまった以上、無事に社へ戻る可能性が低くなる。

 前回と同じように、経津主は自分が残って鹿島と諏訪を残すことを迅速に決断した。


「先に行って、鹿島」

「お前はどうする。戻って説明してくれるんじゃなかったのか」

「貴方より少し遅れて戻るだけだ。あのこどもを完膚なきまでに叩きのめしたら、私もすぐに行く」

「駄目だ。いくらお前でも、こんなに濃い穢れに長時間居続けたら……」

「鹿島、今は信じてほしいとしか言えない。危なくなったら私も逃げる。今優先すべきは、諏訪殿だ」

「……信用させるからには、それに応えろよ」

「分かっているよ」


 鹿島は悔しそうに顔をゆがめていた。貴方は、私のために、そんな表情をしてくれるのか。

 経津主はそう思いながら、ナイフを構えた。

 目の前にいる童――シェンに、その切っ先を向けた。



「また会えたね、おにいさん」

「前回はやられたが今回は負けない。おまえに仕返しして、そして私も戻る。あの社へ」

「むりだよ。だってここの穢れは、もうおにいさんでも耐えられないくらいになってるんだよ。きっと、穢れに当てられてぐらぐらして、ぼくにとどめをさされちゃうよ」


 シェンは笑う。

 経津主は、ナイフを握る手に、力を込めた。

 この童は侮れない。だが、経津主も負けるわけにはいかなかった。


「試してみようか。おまえが私を倒せるか、それともわたしがおまえを倒すか」

「いいね。論より証拠、っていうしね!」


 シェンは明るく言って、地を蹴った。一瞬にして経津主と間合いを詰める。距離はゼロ。経津主は反射で後ろへ飛びのこうとする。

 シェンの手には、ナイフが握られていたのだ。おそらく、刃には毒が塗られているだろう。同じ手はくわない。経津主は持っているナイフで受け止めようとした。


 だが、その二人の間に、割って入った邪魔者がいた。



「こら、おやめよシェン坊や」



 経津主は、驚愕した。

 赤銅の髪、額と首、体のあちこちにまかれた包帯に、ぼろぼろの装束、透けるような肌のその男は、カグツチだった。


 覚えがあった。鹿島が信頼を寄せる神として、信頼されていた神だ。

 経津主もまた、カグツチを信頼していた。老獪で助平なこの神を、経津主は信じていた。

 なぜ、カグツチがここにいる? その答えは簡単だ。


 カグツチは、あちら側だったのだ。


「カグツチ……貴方は……」

 経津主の声は震えている。信頼を寄せていた神が、あちら側へ寝返った裏切り者だったのだ。

 裏切られた。カグツチは、敵だった。


「ごきげんよう、経津。そんな怖い顔はお勧めしないよ。せっかくの美人が台無しだ」

 あくまでカグツチは冷静で穏やかだ。


「貴方は、あなたは……裏切ったのか……? あなたが、裏切り者だったのか?」

「……だったら、何だというんだい? 私は親父殿に斬られた。それを拾ってくれたのは、ラオだ。捨てられた神を拾ってくれた兄ちゃんに、感謝の気持ちを抱いて寝返っちゃっても、おかしくはないと思わないかね」

「ふざけるな。貴方は、穢れを生み出すような不届き者の側につくのか」

「恩人が、穢れと仲よしこよしだった。それだけさ。……さあ、シェン坊や、一旦戻ろう。マザーがお呼びだよ」

「えー。せっかくいいとこだったのにー」


 親しげに、敵と話している。カグツチにとって、今や経津主は敵にあたるのだ。

 経津主は、心にしていた蓋が、外れるのを感じた。


「カグツチ……。私は、貴方を許さない」

「君に許されないなんて言われても、私には動じるものなど何もないね」

「どうして貴方が……どうして貴方だったんだ! 貴方は、貴方だけは、裏切らないと、信じていたのに……」

「信じる方がばかなのさ」


「ふざける、」


 罵倒を、最後まで言わせてもらえなかった。

 穢れにあたりすぎたのだ。毒を浄化する力を持つ経津主でさえ、この場はすでに分が悪い。

 体がずしんと重くなる。愛用のナイフを片手で持てない。がくりと膝をつく。

 息が苦しい。まともに立てない。逃げられない。鹿島に、信頼に応えろと言われたのに、その信頼を裏切ってしまう。


「はー、はー……っ、ぁ、ぐ」

 喘ぎながら、経津主は立ち上がろうとする。穢れに呑まれると、これほどまでに役立たずになるのかと思った。


「大丈夫かい、経津」

 カグツチが、手を差し伸べる。経津主はその手を振り払った。


「さわる、な。敵のくせに、裏切り者のくせに……」


 経津主は、憎悪と嫌悪と、敵意を隠すことなく、カグツチにぶつけた。

 感情を露わにするなど、冷静な経津主にしては珍しい。

 それほどまでに、経津主の怒りは強かった。

 経津主はカグツチを忌々しそうに睨んだ。


「裏切り者。あんたなんか、大っ嫌いだ」


 そうして、意識を手放してしまった。

 結局、経津主は、鹿島の信頼にこたえることができなかった。

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