二十、
鳥舟の状態は、一向に回復しなかった。
ミズハノメに聞いたところ、危険だということだった。
神は通常、死なない。だが、神格を貶められれば、神としての力を失い、人間と同様に死ぬこともある。
鳥舟は、まさしく神格を大いに傷つけられていた。どうにか命をつないでいられるのは、朝に食べた干し桃のおかげらしい。
魔除けの効果がある桃を食べたおかげで、かろうじて穢れに呑まれず生き残っているということだった。
ミズハノメは、鳥舟につきっきりだった。鹿島が鳥舟の状態を聞くことができたのは、ミズハノメの手が空いたほんのわずかな間だけだった。
諏訪は、鹿島を通じて、鳥舟の現状を知った。
心配でならなかった。つい先日まで、一緒に戦ってくれていた仲間が、あっさりと倒れてしまったのだから。
同時に、それが鹿島でなくてよかった、とも思ったのも確かだった。その感情はすぐに振り切った。
(それじゃまるで、鹿島以外の誰かはどうなってもいいと言っているようなものだ)
一瞬芽生えた感情を振り切って、諏訪は戦場へ向かう。
外は、相変わらず穢れに満ちていた。
瘴気に溢れ、木々は枯れ、水は干からび、わずかのきっかけで異形が生まれる。水や木々が茂っているのは、もうあの社を囲む一定の空間くらいだろう。あとは、出雲にあるという父の社か。
日本全土が、穢れに覆われ、食い尽くされる瀬戸際だ。
諏訪は、それを改めて自覚した。
愛した国土が侵されるのはなんとしても避けたい。美しかったころの日本に、戻したい。
戦いはまだ怖いが、その恐怖を断ち切って諏訪を動かしているのは、その意思だ。
「大丈夫か、諏訪」
背中を預けてくれる鹿島が、そう気遣いの言葉をかけてくれた。
「大丈夫です。なんだか、今日は調子がいいんです」
「そっか」
雷鳴が響いた。鹿島が、異形に雷を落としたのだろう。何かが焦げた臭いが、諏訪の鼻を刺激する。
諏訪は、空を気ままに飛ぶ飛行型の異形を、じっと観察していた。最低限の力で、異形を屠るために、異形の行動パターンをじっくり調べ上げる。
「……記憶は? 戻りそうか?」
「いまだに、何も」
「そうか」
本当は、記憶の一部は戻っていた。
鳥舟とスサノオに連れられて異形を退治した時が、一番はじめのきっかけだった。
なぜか自分を狙う異形の液体を顔から浴びたことで、映像がフラッシュバックした。
あれは、確実に自分が経験したことだ。
次は、差し伸べてくれた鹿島の手を取ったときだ。
前にも、鹿島に手を差し伸べてもらったことがあったのだ。その時は、手を振り払った。
この二つの記憶しか、ない。
諏訪は、飛行型の異形に、風の矢を一本放った。うまく核に当てることができた。
空を占領する異形が、こちらを睨んで滑空してくる。
諏訪ははやる気持ちを抑え、集中した。
地に吹く風の声を聞き、彼らの力を借りる。異形の核を撃ち抜けと。
ふうっと息を吐き、諏訪は手のひらに集まる風を解放した。
狙ってきた無数の異形を、一気に葬り去ることができた。
「……諏訪、無事か」
「ご覧のとおりです」
背中合わせのふたりが、異形の討伐を終えた、しるしだ。
新たに異形が生まれるかと、用心深く周囲を見回してみたが、今回も異形は現れなかった。
代わりに、異形を引き連れた、少女が現れた。
「よう、雷神、と風神」
鹿島の前方に、大鎌を持った少女――トトが、険しい表情で仁王立ちしていた。
諏訪は、後方を振り返る。
自分に、呪いを解けと迫った少女が、そこにいる。
鹿島は、諏訪を背後にかばうようにして、構えた。
一方のトトは、大鎌を持ってはいるが、別段構える様子もない。彼女の足元からぼこぼこと異形が生まれてくる。
戦意はむしろ、異形の方にあった。トト自身はこちらに刃を向けない。
何がしたいんだ? 諏訪は怪訝な表情でトトを見据える。トトの強さは知っている。鹿島を助ける際、実際にその戦闘を見ているのだ。彼女自身も強い。鹿島と互角に戦えるくらいには。
そのトトが、理由もなく自ら戦わないで異形に丸投げするとは、諏訪には思えなかった。
「いつぞやの鎌女か」
「あたしの名はトトだ。おかしなあだ名つけんなよ」
鹿島のからかいに、トトは大真面目に返した。
「悪ぃね。名前を知らなかったもんだから、ついつけちまったんだよ」
鹿島は不敵に笑って適当に受け流す。
「相っ変わらずムカつく雷神だな、おい」
まあいいや、とトトは息を整えた。
「あたしの目的は、別にあんたらを倒すことじゃない。ちょっと遊んでもらうだけだ」
「へえ? 敵と戯れるのを、あんたらの"母"はお許しなのかい」
「そうさ。マザー直々のお言葉だよ。あんたらふたりをちょっくらからかってやれってな」
諏訪は気を引き締めた。やはり、戦う意思はあるらしい。ただ、その手段が他人任せになっただけだ。
「諏訪、構えろ」
「撤退はなしですか?」
「数が多すぎる。飛行型の異形もいるから飛んでも追いつかれる」
「では指示を。戦法は貴方に任せます」
諏訪はそれだけ言葉を交わし、右手に風を集める。
「さぁ、食っちまえ」
トトが、異形にそう命じた。




