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十一、

 社のすぐ近くの川で、諏訪は身を清めていた。穢れの噴き出した液体を水で洗い流していく。

 どす黒く輝くその液は、諏訪が川の水で体を洗うたびに水へ溶けて行く。

「諏訪!」

 川へと走って来たのは、諏訪の着替えを抱えた八坂だった。

「あ、八坂」

「異形に襲われたと聞いたわ。大丈夫?」

「うん。びっくりした。スサノオ殿と鳥舟殿がいなかったら、どうなってたことか」

「とにかく、無事でよかったわ。これ、着替えね。じゃあ、わたしは社務所に戻るから」

「わざわざありがとう、八坂。心配かけてごめんね」

「いいの。あなたが無事なら、それでいい。じゃあね」

 照れ臭そうに笑って、八坂は川をあとにした。

 

 ひやりとした水にひたり、諏訪は穢れから自分が清められていくのを、おぼろげに感じる。

 禊は、中つ国に住んでいれば日常的なものだ。穢れへの嫌悪感が強すぎて、当たり前に行うことがかえって重要に感じたのだ。


 そういえば、と諏訪はふと思い出す。

 あの雷神は、今、ここにはいない。

 記憶を失っているから、初めて会ったということにして知り合って未だ数日しか経っていない。

 それなのに、彼のいない事実が、諏訪に寂しさを与えた。

 自分は、少なくとも今の自分は、鹿島という存在をそれほど強く意識していない。出会う神々すべてが新鮮で、みな平等に愛おしい。

 

 そのはずなのに、鹿島はというと違う。

 彼が、自分の近くにいることが、まるで当たり前のように思えてならない。

 自分は、彼とどれほどの関係にあったのだろうか。


 それは、友達というにはまだ物足らない間柄なのだろうか。

 それは、優しい関係なのだろうか。それとも、いがみ合い憎み合いで埋め尽くされた関係か。

 いずれにせよ、自分はきっと、鹿島とは、一言では表せないくらいに強く繋がれた関係だったのだろうと、諏訪はそう感じた。


「……上がらなきゃ」

 諏訪は思考を停止して、川から上がった。




「……ひでぇことで」

 信濃の地に降り立って開口一番、鹿島はそうこぼした。


 月読の護衛として、鹿島は経津主と共に信濃へ来た。

 地からぼこぼこと穢れが湧き上がり、すぐさま形を成して有象無象の異形が生まれていく。

 穢れに侵食されていない部分の方を探したほうが早いほどに、信濃の現状は深刻だ。


 月読がふらつくのを、経津主がすかさず支える。腐臭に意識をやられそうなのだろう。月読は、本来はこういった現場に赴く類の神ではない。穢れに耐性のある天つ神とはいえ、戦闘向きではない月読には、この場所は毒だ。

「大丈夫か」

「……あぁ、すまない。急いで、この地の穢れを分析しなければ」

 肩を経津主に支えられた月読の顔色はすこぶる悪い。もともと青白い月読が、それ以上に青ざめている。瘴気にやられているのだ。足ががくがくと震えているのは恐怖にではない。毒気にやられて体が言うことをきかないのだ。

「無理はするな。おまえが欠けては、この先が思いやられる」

「分かっているよ、経津主。すぐに終わらせる。だから、それまでは私のことを頼む。建御雷も」

「了解。んじゃ、頼むぞ月読」


 月読は青ざめながらも、強く頷いて見せた。


 そんな月読を好き勝手させるほど異形も甘くはなく。むしろ美味そうな食い物が3つも迷い込んできたとばかりに狙いを定めてきた。


「やっぱ来やがるか」

「そのための私とおまえだろう」

「だな」


 鹿島と経津主が背中を預け合うようにして、月読を守っている。守られている月読は、地面に手をついて何かを吸い取っている。

 月読が、この地の『情報』を、文字通り手中におさめているのだ。『情報』を得られるだけ得たら、あとは社に戻って分析なり調査なりをゆっくりすればいい。こんな危険な地で必ずしもやる必要はない。


 その『情報』の入手も、少しばかり時間がかかる。ましてや、こんなにも穢れに満ちた場所であれば、月読への負担も相当なものだろう。ゆっくりと、月読自身が穢れに呑まれぬよう、時間をかけて『情報』を得なければならない。


 月読が『情報』をすべて得るまで、月読の安全を保ち続けるのが、鹿島と経津主の役目だ。


 異形の数、およそ百。中つ国で一番穢れの侵食を受けている割には、まだ少ない方だ。

 だが、根本を絶たない限りは、この百を滅ぼしても次は二百が挑みかかってくる。


 全滅を目指す必要はない。月読の仕事が終わるまで、かかってくる異形を最低限の力で屠ればよいだけのことだ。


 鹿島はつい、と右手を前方にかざす。

「落ちろ」

 低い声で、そう発する。

 鹿島の声を聞いた雷が、鹿島に従い、異形の一体に迸った。

 瞬く間に閃いた雷に貫かれた異形は、ちょうど核に落とされたらしく、霧散して消えた。


 背後の経津主も、負けていない。

 腿に装着していたナイフを抜き、鳥型の異形の嘴へと、的確に投擲した。その異形も霧散した。


 どちらも、派手な技は使わない。

 こちらへ向かってくる脅威から、身を守るだけ。


「経津、こいつら、どう思う?」

「多いな。そしてきりがない」

「だな。体力は持つか?」

「私を誰だと思ってる」

「そうだったな」

「あまり無駄口を叩くな。体力を消耗する。月読の集中を切らしてしまうおそれもある」

「はいよ。んじゃ、そっちは頼むわ」

「言われなくても」


 経津主は、白藤の髪をさらりとなびかせ、ナイフを放って行く。

 呪力によって生み出されているから、ナイフは底をつくおそれがない。

 異形一体につき、消費するナイフは一本だけ。


 鹿島は、その場から一歩も動かない。動く必要がない。

 一声、「落ちろ」と命じれば、雷が従い、異形の核を確かに貫いてくれる。

 雷を操り、鹿島は異形を消していく。


 戦闘……特に異生物や異国のものといった異国の外敵に対して、鹿島も経津主も相性がよい。

 どちらも、外敵から高天原ひいては中つ国を守るために、訓練を叩き込まれてきた。

 二柱にとって、穢れを相手に暴れるのは、『日常』だ。


 月読に、穢れが一滴として触れることはなく、月読の『分析』を邪魔しようとしても、それらは鹿島と経津主がすべて弾いた。


 不敵な笑いを浮かべる余裕すら見せつける鹿島の、容赦ない雷によって。

 落ち着いていて、氷のように冷たい経津主の、慈悲を知らないナイフによって。


「……おわった」


 ぼそっ、と月読が零した。


 その言葉を聞いた鹿島と経津主は、示し合わせたように、最後に最大級の力でもって目の前の異形を破壊した。


「お疲れ、月読!」

「立てるか?」

「いや、すまない。無理だ……」

 鹿島に腕を引かれてようやく立ちあがった月読の顔色は、芳しくない。

 穢れに当てられ、あまつさえ最高濃度の穢れを持つ地の『情報』を手中に収めたのだから、身体に影響が及んでもおかしくはない。

 鹿島は、がりがりに痩せた月読を肩へと抱き上げる。

「戻るぞ。経津、追手は頼む」

「任せろ」


 このまま月読を抱え、跳んで、社へ戻る。鹿島はそのつもりでいた。


 ところが、それを許さない者が、そこへと来た。


 背後からの気配に気づいた経津主が、瞬時にナイフで『それ』を撃墜する。


「……!」

「新手か……!」


 鹿島も、一旦足を止める。


 経津主が撃墜したのは、黄ばんだ紙の、人形(ひとがた)だった。人形の心臓部分に、経津主のナイフが、深々と刺さっている。


「すごーい。そっちの綺麗なお兄さん、ナイフ投げが上手だね」


 あどけない、童の声がした。


 人形を放ったのは、その子供だろう。


 くるりとした瞳が、真っ直ぐ経津主を見すえている。腿まで露出させるほどの丈の短いズボンに、白黒の靴下と艶やかに磨かれた靴、燕尾の上着に袖を通したその童は、おそらくは経津主の胸ほどの背丈だろうか。


「すごいね、お兄さん。きれいだけじゃなくて、強いんだ」

「……子供の相手をしている暇はない。『きれいで強いお兄さん』など、探せばどこにでもいる。他を当たるといい」

「ぼくはお兄さんだからいいんだよ?」

 経津主は心底顔を歪ませた。心に『蓋』をしたはずなのに、感情がすきまから零れている。


「……鹿島、先に行け」

「いいのか」

「私には、月読を背負いながら敵を振り切って社へ帰還できるほどの腕力はない。アレの攻撃は私が弾く。貴方は、月読を社へ」

 鹿島は、一瞬だけ迷って、すぐに頷いた。

「死ぬんじゃねえぞ」

「死なない」


 鹿島は振り向かず、たんっ、と跳躍して、空を駆けて行った。

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