93:変化
遠く、遠く、風が吹き抜ける。
地上が見えぬほどに高い山々。その頂上に、一つの建物が建っていた。
未だ何者にも触れえぬ領域。長き間、誰も辿り着けぬであろう危険な領域。
その中心に立つ天文台の中に、しかし望遠鏡の姿は存在していなかった。
『思うに――』
そこに、女の影が一つ。
舞い踊るように両手を広げて、彼女は天文台の中をゆっくりと歩む。
本来望遠鏡があるはずの場所――そこに突き立つ、長大な刀へと向かって。
『――間違いを知りつつ間違いを肯定する。その矛盾こそが人であり我々なんだ』
その刀に背を預けるように、その踊る女の影の声を受け止めながら、一人の男が地に座する。
黒き髪と黒い瞳。白い甲冑の中心には、万色の光が渦を巻き集束する宝玉が一つ。
剣の主は、黙して語らず。けれど、その口元を僅かに歪める。
『ならば、ワタシは人と変わらないか?』
女の影は、自嘲するように舞い踊る。
黒衣を纏って。ひらり、ひらりと。
嘲るように。祈るように。
『だがな、ワタシは思う。我が半身よ。我らが主こそが、何よりも過ちを貫いた存在であると』
そう、口にして――女の影は、ぴたりと足を止める。
己の半身と、黒白の男と背を合わせるようにしながら。
くすくすと、くすくすと――
笑い声を響かせて――
――影は、芝居がかった様子で告げる。
『ああ、未だに四柱は健在。《賢者》にも《霊王》にも《刻守》にも《水魔》にも、触れ得るものなどありはしない――そうだろう?』
「――その通り、その通り。誰も、アタシ達に触れられない」
刹那――
声が、響いて――
――僅かな水音が、それに続く。
広き観測台の片隅、水を滴らせるような音と共に現れたのは、黒い軍服を纏う少女。
黒い髪と、黒い瞳。総てを黒く染め上げた彼女は、まるで深く暗い海底のように。
ただ、唇だけが紅く。
弧を、描いて――
「でも、この世界は全てが茶番。なら、それ相応に届く刃もあるでしょう……ねえ、《斬神》。貴方の加護の傍にある剣は、果たしてどちらを選ぶのかしら?」
「――見届けろ、《水魔》。貴様の手出しは、認めんぞ」
「ふふ……あははっ、あはははははははははははははははははははは!」
哄笑が、響く。
緩く波を描く髪を揺らし、身をよじりながら、黒き水底の少女は嗤う。
黒き波紋に、水面は揺れて――底に沈む魔性は、剣気の前に両手を広げる。
――紅い唇が、音を紡ぐ。
「いいでしょう。ならばアタシも現在を見つめる」
『されど。されど。我らが願いは唯一つ』
水底の主は、笑みを歪め。
揺れる影は、淡く笑って。
神剣の王は、顔を上げる。
――告げる願いは、唯一つ。
『我らの楽園よ、永遠なれ』
* * * * *
来徳寺弾――BBOのプレイヤーキャラクター『ダンクルト』を操る青年は、頭に被ったVRデバイスを取り外して大きく息を吐く。
肉体的に疲れている訳ではないため、どちらかと言えば感じているのは精神的な疲れだ。
しかしそれも、どこか達成感の混じったものであり、心地のよい疲れであると言えるだろう。
始めた当初は戸惑う部分もあったBBOも、今では十分に慣れていると言える状況だ。
(ま、それもこれもあいつらのおかげだろうけどな)
胸中で苦笑し、弾は窓の外へと視線を向ける。
ゲームの中で仲間となった、ギルド『碧落の光』のメンバー達。
その中でも、ギルドマスターであるヒカリの采配には驚かされる事ばかりであった。
ギルドは基本的に団体行動を行う事になるものであり、ギルドの運営にはそれなりに苦心しなければならない事も多い。
そんな中で、自分や旬菜のようなアクの強いプレイヤーは扱いづらいだろうと、弾はそう考えていた。
しかし、ヒカリはそれをあっさりと制御し、尚且つ更に癖の強いプレイヤーの面々を上手く乗りこなしている。
今現在、弾が満足なゲームプレイを行えているのは、間違いなく彼女のおかげだっただろう。
「俺がギルマスだったら、まず却下するような内容ばっかりだしなぁ」
くつくつと笑い、弾は仲間の面々を思い出す。
プレイスタイルもそうだが、性格まで含めてあまりにも濃すぎる面々だ。
そんなプレイヤー一同を、少数とは言えしっかりと不満を出さずに纏め上げる技量は、弾としても驚きを隠せない部分であった。
見た目からしても中学生程度にしか思えない――とはいえアマミツキが『姉』と呼んでいるのだからそれ以上の年齢だろう――ヒカリが、あれだけ見事にリーダーを務めているのだ。
女性として云々という話ではないが、ヒカリ自身に対する興味がある事は、弾としても否定は出来ない事柄であった。
故に、今回のオフ会の話は魅力的な提案だったのだが――
「……いや、会わんとな。あいつらなら、ひょっとしたら――」
その先は言葉には紡がず、弾はゆっくりと立ち上がる。
寝転がっていて凝っている体を解し、軽く身体を捻ってぽきぽきと背骨を鳴らす。
頭がすっきりと回り始める頃には、弾も己の意識を新たにしていた。
「うむ、やっぱりオフ会はやるべきだ。それぐらいの活動をしなけりゃ、何も変わらない」
一人呟いて頷き、弾は立ち上がる。
若干凝った体を解しつつ向かう先は自分の部屋の向かい側にある部屋だ。
そこは、共に暮らしている一人の少女が住まう場所。
ドアにかかっている『ノックを忘れずに』の看板に苦笑しつつ、弾は軽くその扉を叩いていた。
「なつめ、戻ってきてるだろ? 入るぞ」
『いいよー』
いつも通りの間延びした声に軽く頬を歪め、弾は部屋の扉を開く。
そうしてまず目に入ってくるのは、己が使っているものよりも更に広い間取りの部屋だ。
ここは元々弾が使っていた部屋であり、とある出来事をきっかけに、今の主へと明け渡された場所なのである。
その広さには若干の羨ましさを覚えつつも、そんな想いをすぐさま追い払い、弾は部屋の奥――そこに鎮座する、大き目のベッドへと視線を向ける。
両脇に手すりがついたベッドから今まさに身を起こしていたのは、長い髪の小柄な少女であった。
弾から『なつめ』と呼ばれた彼女は、儚げな外見の中に眠そうな半眼を浮かべ、薄っすらとした笑みを浮かべる。
「おつかれー、弾」
「ああ。お前もだ、なつめ」
秋村なつめ。弾の従妹である彼女の外見は、酷く細く小柄である。
不健康であるとすら言える彼女は、緩慢な動きで弾を呼び寄せる。
長い髪は伸ばしているというよりもあまり手入れをしていない様相であり、彼女自身の出不精さが伺えた。
とは言え――これがただの出無精であるならば、弾としても何一つ心配する事はなかったのだが。
「乗せて」
「あいよ」
慣れた様子の伺えるやり取りと共に、弾はなつめの体を抱え上げる。
小柄で細身の彼女の身体は見た目相応に軽く、大学生の弾には簡単に抱え上げられる程度のものであった。
そして弾はそのまま、彼女をベッドの脇に置いてあった車椅子へと優しく下ろす。
満足気に笑みを浮かべるなつめへ弾は小さく苦笑し、そのまま車椅子を部屋の外へ通し始める。
なつめの姿はやる気のないパジャマのままであったが、今日は元々出かける予定など何もない。
そして家の中ならば、互いに気にする事など何もないとばかりに、なつめはだらけた姿を晒していた。
未だ寝癖の残るなつめの頭へと視線を降ろし、弾は呟くように声を掛ける。
「なあ、なつめ。ヒカリの呼びかけ、まだ伸ばすのか?」
「ぅ……起きがけに話しづらい内容なんて、弾生意気」
「お前がいつまでも悩んでるからだろ。ったく、伸ばすって言葉を否定しないって事は、少なくとも行きたい気持ちはあるって事だろうが」
「ん……」
軽く小突いてくる弾の手から逃れながら、なつめは唇をへの字に曲げる。
なつめも――旬菜もまたヒカリの提案したオフ会には興味を持っていたのだ。
ヒカリは信頼できる相手であるとなつめは判断しているし、その他の面々もアクは強いものの、悪い人間ではないと判断している。
これがただのMMORPGならば分からなかったが、BBOは表情も感情も筒抜けになりやすいVRMMORPGなのだ。
他者の目というものを常日頃気にしているなつめは、『碧落の光』の面々は己にとって安全な相手であると判断していた。
だが――
「……もう、ちょっと。もうちょっと、だけ……時間、欲しいかも」
それだけ気を許せる間柄であるからこそ、なつめには臆病になっている部分があったのだ。
万が一受け入れてもらえなかったら――その考えが脳裏をよぎり、なつめの思考を縛り付けているのだ。
無論、普段のヒカリを見ていれば、そんな事などありえないと理解できるのだが。
そんななつめの返答に対し、弾は決して否定の言葉を発するような事はなかった。
少なくともオフ会自体には参加したいと考えており、徐々にその決意も固まりつつあったからだ。
「了解だ。まあ、別に急ぐ話でもないしな。けど、折角出来た友達だ、仲良くしておきたいだろ?」
「うん……ヒカリは、いい人だし」
「ちょっと心配になる……事はないか。強かな奴だし、周りにはあの二人もいる訳だし」
僅かに苦笑しつつ、弾はヒカリの姿を思い浮かべつつ声を上げる。
足を不自由にしてから殆ど友達がいないなつめにとって、『碧落の光』の面々は貴重な存在だ。
だからこそ、なつめにあれだけの自由を許してくれた上に、親しい友人として扱ってくれるヒカリを、弾は心から信頼していた。
弾もそこまで警戒心が薄い性質という訳でもないのだが、なつめにとっての利を考える場合、ヒカリよりも多くを考えてくれる人間はいないだろうと彼は考えていた。
「さて、それじゃあお前の決心を早める為にも、今日はちょっと遊びにいくとするか」
「えー……BBOやりたい」
「それは、皆が集まれる時間になってからだろ?」
「ん……そーだね、そうだった」
こくりと頷くなつめに、弾は嬉しそうに頷く。
これまでのなつめには、『誰かに合わせる』という行動は無かったが故に。
従妹の成長と、これからの変化を考えながら、弾は普段の生活へと戻っていった。
* * * * *
満月の月が昇る、古城の丘。
その中心に在る古き城の内部で、ローブを纏った一人の少女――《霊王》は、一人静かに佇んでいた。
従者である魔物達は、今この場には存在しない。
何故なら――今この場で動けるものが、《霊王》を除いて存在しなかったからだ。
彼女は小さく溜息を吐き出し、ローブのフードを下ろしながら声を上げる。
「珍しいですね、貴方がここまで来るなんて」
「まあ、たまにはね」
刹那――いつからその場にいたのか、テラスに一人の少女の姿が現れる。
紅の髪をポニーテールに纏め、活動的に揺らしながら歩む一人の少女。
ジャケットを纏い、ドッグタグを揺らしながら、軽く首筋を伸ばす少女は笑みを浮かべる。
「こんばんは、《霊王》。明かりぐらいは付けておきなさいよ、目を悪くするわよ?」
「私たちの視力が落ちる訳がないじゃないですか、《刻守》さん」
タカアマハラの一角、《魔王》の側近の一人。
純粋に《霊王》を案じているその言葉に、何よりも言葉を掛けられた本人が苦笑する。
とは言え、珍しい相手に困惑している事も事実であり、《霊王》は改めて《刻守》に対して疑問を投げかける。
「それで、どうしたんですか? 担当はグレイスレイドでしたよね?」
「ええ、まあそうなんだけど……貴方、レイドイベントの事は聞いてる?」
「ああ、あれですか? 一応、姫乃ちゃんの友達の子達に教えましたけど、まだ広まってはいないみたいですよ」
「……そう。全く、あのアホめ……」
忌々しそうに呟き、《刻守》は近場にあった壁を殴りつけていた。
何も装備していない素手の拳は、非破壊オブジェクトであるはずの壁をあっさりとひび割れさせ、その破片を周囲へとばら撒く。
しかし――その飛び散った破片は、そのまま空中で静止していた。
――まるで、時が止まったかのように。
対し、《霊王》はそんな破壊行動を気にも留めず、首を傾げて声を上げる。
「どうしたんですか? えっと……《賢者》さんが何か?」
「ええ、まあね……一応、貴方は既に喋っちゃったんだからあまり影響ないかもしれないけど――」
空中で停まっている破片を軽く払い、肩を竦めた《刻守》は半眼を浮かべる。
その言葉の中には、ただ大きな苛立ちと呆れが含められていた。
「――あのバカ、レイドイベントのこと、公表するつもりよ」
今日の駄妹
「イベント後は結構だらっと過ごしております。たれてる兄さんと姉さん萌え」




