89:現実の片鱗
「行けっ!」
『――――!』
ゆきねの号令の下、ミスリルゴーレム“ディオン”は巨大な刃を振るう。
ディオンの身長は、ヒル・ジャイアントのちょうど半分程度。人間で言えば、大人と子供ほどの差があるだろう。
しかし、ゆきねの傑作たるディオンのステータスは、攻撃力に関して言えばヒル・ジャイアントと引けを取るものではなかった。
【グレートソード】を片手剣のように、プレイヤーの全身を覆うほどの大型楯である【タワーシールド】を装備したディオンは、ヒル・ジャイアントに猛然と打ちかかる。
当然ながら、正面に現れた敵であるディオンを、ヒル・ジャイアントも無視するような事はなかった。
「ガアアアアアアアアアアアアッ!」
『――――――ッ!』
ヒル・ジャイアントが突き出してきた右拳を楯で受け止め、弾きながら、ディオンは猛然と刃を振るう。
その一閃は、体勢を崩していたヒル・ジャイアントの胸元を確実に斬り裂いていた。
斬り裂かれた胸元からダメージエフェクトを発する巨人は、怒りと共に体勢を立て直すと、今度は左の拳を振るっていた。
対し、ディオンは返す刃で剣を振るい、巨人の拳を正面から打ち返す。
攻撃力の拮抗した者同士の攻撃は、ぶつかると同時に互いに弾き返され、両者は同時に体勢を崩していた。
――だが、体勢を立て直す時間はヒル・ジャイアントのほうが僅かに速い。
「オオオオッ!!」
『――――!?』
放たれた右の拳を、ディオンは咄嗟に楯で受け止める。
だが、続けざまに叩きつけられた衝撃に、ディオンはたたらを踏みつつ後方へと弾き返されていた。
その様子を見て、ゆきねは苦々しく表情を歪める。
「ある程度近いステータスではあるけど、まだ打ち負けるか……!」
「――けれど、戦い易くなりました」
刹那、ゆきねの隣を疾風が通り抜ける。
囁きを残して通り過ぎた影は、ディオンの背後まで辿り着くとその場で跳躍、大きなゴーレムの肩に乗っていた。
そんな彼女――プリスが睨むのは、正面からディオンを打倒しようと向かってくるヒル・ジャイアント。
その顔面を、その目を睨みながら、プリスは一つのスキルを発動させた。
「――《疾風の刃》!」
居合いの要領で抜き放たれた剣閃は、スキルの発動によって風を纏い、空を飛ぶ斬撃となって放たれる。
その一撃は、狙いを外す事無く、ヒル・ジャイアントの眼球へと命中していた。
人型エネミーの弱点位置は基本的に変わらず、頭と首筋、後は心臓部に存在している。
その頭部の中でも、特に大きな怯みを発生させる場所が眼球なのである。
通常のエネミーであれば上手く狙えるほど大きな部位ではないのだが、巨人族が相手ならば話は別だ。
動き回る上に背が高いため当て辛いのは確かだが、正面から向かってくる相手を狙う程度であれば、プリスにとっては容易い。
プリスの攻撃を受けたヒル・ジャイアントは、眼球ダメージの例に漏れず顔を押さえて立ち止まる。
――そんなヒル・ジャイアントの背後で、一瞬だけ魔法陣が輝くのをその場にいた全員が目撃していた。
『――本当ならば走ってる最中に当てたかったんだがな。モンク三人、押し込め』
どことなくうんざりした様子のケージの言葉に、しかし声を掛けられた三人は言われるまでもないとばかりに行動を起こしていた。
プリスの後を追うように走り、ディオンの肩や頭を踏み台に、三人は次々とヒル・ジャイアントへと向けて跳躍する。
先陣を切ったのは、真っ先にプリスの事を追いかけていたバリスであった。
「喰らいな! 《ドラゴンブロウ》ォッ!」
蒼い闘気を右腕に纏い、バリスは弾丸のように飛び出してヒル・ジャイアントの胴へと向かう。
現在顔を押さえているヒル・ジャイアントの腹部を防御するものは何もない。
故に、《ウェポンアーツ:鋼拳》の攻撃スキルは、狙い違える事無く巨人の腹部へと命中していた。
「はははっ! ボディががら空きって奴ぶほっ!?」
「踏み台感謝ー」
反動で若干弾き返されたバリスが、攻撃によって僅かに身体を折ったヒル・ジャイアントに勝ち誇ろうとしたのと同時、彼の頭を足場にして旬菜が更に上へと跳躍していた。
狙うは、身体を折った事によって僅かに接近してきたヒル・ジャイアントの胸元。
そこへと向けて、旬菜は魔法を纏う両手を突き出していた。
「《リリース》――《インパクトウェイブ》」
エンチャントした魔法を解放し、次の一撃のみダメージをブーストする《リリース》。
そして、自らの前方の空間に衝撃波を発生させる《ウェポンアーツ:鋼拳》の攻撃スキル《インパクトウェイブ》。
飛び道具と言うよりはリーチの長い攻撃と表現すべきそれは、《ディスチャージ》と合わさる事で炎を纏う爆発となってヒル・ジャイアントに叩きつけられた。
仰け反り効果の高い衝撃波攻撃に加え、魔法属性へと変換されたためにダメージもブーストされ、ヒル・ジャイアントは仰け反りながら僅かに体勢を崩す。
そして――
「ダメ押しだ、喰らっとけ! 《アクセルストライク》ッ!!」
ディオンの肩を足場として、ダンクルトがスキルを発動させる。
黒い変身衣装を纏ったダンクルトは、強くディオンの肩を蹴ると共に加速、空中で前転して右足を前に出す形で体勢を整える。
そのスピードは、アクセルファイターのスキルが上乗せされる事によって、一時的にプリスの移動速度すらも圧倒するほどに高まっていた。
ダンクルトの身体は足先から強い蒼の輝きに包まれ、まるで彼自身が一本の矢であるかのようにヒル・ジャイアントへと突撃する。
その一撃は、旬菜の一撃によって顔から外れていた腕をすり抜け、ヒル・ジャイアントの鼻っ柱に直撃していた。
「ゴ、ガ……ッ!?」
怒涛の三連続攻撃によって、ヒル・ジャイアントは苦悶の混じった声と共に後方へとたたらを踏む。
その足が一歩、後ろへと踏み込まれた瞬間――その足元に、赤い魔法陣が浮かび上がった。
そして次の瞬間、ヒル・ジャイアントの足元にあった地面が消失し、円形の穴が開く。
当然ながら、巨人は足をとられ、大きくバランスを崩していた。
後ろに踏ん張るために踏み出した足が取られれば、当然身体は後ろに傾く事となる。
そんな状態のヒル・ジャイアントへと、ディオンはダメ押しとばかりに大剣を振り下ろしていた。
「グガァッ!?」
避けられるはずもなく剣を受け、ヒル・ジャイアントは仰向けに倒れ込む。
その瞬間――先ほどと同じような赤い魔法陣が、巨人の両腕と背中の辺りで輝いていた。
しかし、次に発生したのは落とし穴ではない。地面に細い穴が開くと同時に、鋭い銀色の槍が九本ずつ飛び出してきたのだ。
『《ブラッディランス》……次いで、《遠隔起動》、《チェインバインド》。拘束は先ほどよりは増やしたが、それでも長持ちはしないぞ。早めに手甲を狙ってくれ!』
『なら、まずはあたしからだ!』
チャットに流れた力強い声と共に、再び《サンライトスピア》が発動する。
しかし今回は、未だ手甲の装備されているヒル・ジャイアントの左手を標的として発動させたものであった。
大雑把にしか狙いのつけられない魔法であるため、全てが正確に命中した訳ではなかったが、それでも手甲とヒル・ジャイアントにダメージを与える事に成功する。
通常よりもダメージは大きくないものの、その分だけ手甲にはダメージを与えられた。
そして、術の発動が終了する頃には、前衛の四人も左手の傍まで辿り着いていた。
「うへぇー……相変わらず、拘束されてるくせにすっげぇ迫力だな」
「急ぎましょう。ヒカリさんの魔法が直撃しなかったとは言え、鎖の耐久度も減ってるはずです」
大幅なダメージは与えられたが、未だ破壊には至っていない。
ゆきねが既にディオンを出している以上、躍起になって破壊するほどではないとも考えられるが、それでも戦闘継続を考えれば破壊するに越した事はない。
今この場にいる面々の装備も、徐々に耐久力が減ってきているのだ。
最悪、空中にいるライトとヒカリだけでも戦う事は可能だが、そうなる前に決着を着けるべきなのは事実だ。
「どんどん攻撃」
「とっととぶっ壊して、トドメを刺すとしようぜ!」
その状況を理解しているのかいないのか、いつもと変わらぬ調子で旬菜とバリスが巨人の近付く。
目指すは手甲の破壊。エネミーの装備には耐久度が表示される訳ではないので、右の手甲と比べた際の体感でしか状況を推し量れないが、それでも余り時間は掛からないだろうとプリスは判断していた。
そしてふと、彼女はヒル・ジャイアントの体力ゲージを見上げる。
「あ……後ちょっと?」
三段重ねになっていたヒル・ジャイアントの体力ゲージ、その内の二本目が、あと少しで削り取られようとしていた。
当初は削りきれるかどうかも分からないと感じていた体力も、後三分の一だ。
この調子で行けば何とか倒せるかもしれないと、プリスは刀を構え――ふと、考える。
(そういえば、さっき《バーサーク》が入ったのって、手甲を壊したのと、一本目の体力を削りきった後だったような……)
考え事をしながらも体は普段の修行どおりに動き、プリスはヒル・ジャイアントの手甲を斬りつける。
鋭い上に《天秤剣士》の特性によって大幅に攻撃力が増しているプリスの攻撃は、手甲の上からヒル・ジャイアントにダメージを与え、その二本目のゲージを完全に削り取っていた。
――刹那、背筋を這い上がった悪寒に、プリスは半ば反射的に叫び声を上げていた。
「皆、下がって! 全力でッ!」
言うが早いか、プリスは刀を振り切った勢いで身体を半回転させると、そのまま体を深く沈み込ませて地面を強く蹴る。
攻撃の後に素早く距離を取る事を目的としたその歩法により、プリスは一瞬でその場から離脱していた。
状況の変化は、それとほぼ同時だっただろう。地面に倒れたまま拘束されていたヒル・ジャイアントの全身に、赤く輝く紋様が現れたのだ。
プリスの言葉には反応し切れなかった三人も、その一言があったおかげか、この変貌には即座に反応する事が出来た。
彼らは即座に反転し、その場から急いで離脱する――その、次の瞬間。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――ッ!!」
最早、言葉に形容する事すら出来ない爆発的な咆哮が、周囲へと向かって無差別に響き渡っていた。
物理的なダメージすら伴って放たれるその咆哮は、接近した状態で直撃を受ければ拳の直撃を喰らうのにも近いダメージを受けていただろう。
その影響を最も大きく受けていたのは、離脱した四人の中で最もAGIの低かったバリスだ。
「だばぁっっはああああ!?」
悲鳴とも驚愕ともつかない声を上げて、大柄な男が再び派手に吹き飛ばされる。
そのHPは確かに減少していたものの、最も体力が高い上に防御系スキルもある程度揃っているバリスは、一撃でHPを削りきられる事はなかった。
また、上空の二人はプリスの言葉を聞いた時点で距離を開けており、ディオンとゆきねは楯を構えていたために大きな影響は受けなかった。
残る内で咆哮による特殊効果を受けたのは――
「っ、スタン貰った……!」
大音量に耳を押さえ、その場に動けなくなっている旬菜であった。
早めに離脱できたプリスやAGIに特化したダンクルトは効果範囲外まで逃れる事が出来たが、満遍なく高いステータス構成の旬菜には逃げ切る事が出来なかったのだ。
システム的に拘束された身体へ小さく悪態を吐きながら、旬菜は必死に拘束が外れるまでの時間を待つ。
だがそんな彼女の背後で、ばきん、と何かが砕け散るような音が響いた。
「うぇ……やな、予感」
身体は動かず、背後を確認する事は出来ない。
だが、その状況を予測する事は――否、目に見えないからこそ、その様を鮮明に想像する事が出来た。
ヒル・ジャイアントが、赤き紋様を浮かび上がらせた怒れる巨人が、拘束を逃れて立ち上がったのだ。
踏みしめる地面の衝撃、深い苛立ちの混じった吐息、全てを鮮明に感じ取り、旬菜は思わず息を飲む。
視線だけで何とか様子を見ようとした彼女の視界には、陽炎のように揺らめく赤い紋様が、僅かに映っていた。
(あー、これは駄目かー……)
旬菜は胸中で諦観に嘆息する。
身体は動かず、最も敵の近場にいるのは自分自身。
この状態で一撃貰ってしまえば、即死するのは間違いないだろう。
むしろ、ここまでよく死人無しで戦えたものだと苦笑して――横合いから衝撃を感じ、旬菜はその場から弾き飛ばされていた。
けれど、それはダメージを伴うようなものではなく、誰かに突き飛ばされたかのような弱い衝撃。
強制的に身体を動かされた事によってスタンは解け、旬菜の視界には、それを行った張本人の姿が飛び込んできていた。
「ははっ、あの時の逆――」
突き飛ばした体勢のまま、変身姿のダンクルトは笑みを零して――巨人の蹴りにより、その場から吹き飛ばされていた。
今日の駄妹
「む……中々心惹かれるシチュエーションですね。まあ、ゲームじゃないと駄目ですが」




