88:狂乱の拳、銀の拳
「ッ……咆哮だけで《オートガード》を砕くとは、何処の怪獣だ。ヒカリ、大丈夫か」
「うん、ライが楯になってくれたから問題ない。だが、近距離ではダメージ判定、中距離でもスタンか……厄介なスキルを持ち出してきたな」
緑色の肌を僅かに変色させ、怒り狂うヒル・ジャイアント。
その姿を見つめながら、しかし距離を開ける事はなく、ライトはじっと相手の出方を伺っていた。
《オートガード》が破られた以上、もう一度同じ攻撃を食らえば致命的なダメージを受けかねないが、それでも回避盾の役割を負った自分達が下がる訳には行かない。
咆哮で吹き散らされた《エアクラフト》を再び展開しながらも、ライトは決してヒル・ジャイアントから視線を外す事はなかった。
巨大な咆哮を上げていた巨人は、仰け反らせていた上半身をゆっくりと戻し、怒りに染まった視線で周囲を睥睨する。
「……来るか」
「気をつけろ、ライ」
ボスモンスターの性質上、これまでとは動きが異なる可能性も十分にありえるのだ。
どのような攻撃が飛んでくるか分からない以上、油断する事は出来ない。
しかし、ライトの攻撃ではヒル・ジャイアントを怯ませる事が出来ない以上、まずは回避と観察に徹する他ないのだ。
そのため、ライトはどのような攻撃が来ても対処できるよう、瞬時に動ける体制を維持したままヒル・ジャイアントを睨んでいた。
対する巨人は、剥き出しにした歯の隙間から唸り声を上げつつ――その右拳で、地上にいた前衛メンバーを薙ぎ払っていた。
「なっ!?」
「ヘイトが初期化されたのか!?」
地上のメンバー達はスタンから抜けて動けるようになったばかり。
咄嗟の一撃に反応しきれず、拳はプリスたちへと迫り――
「ハッハッハ、やらせるかへぶぁ!?」
「お、お兄ちゃーん!?」
直前で割り込んだバリスが、その直撃を受けて大きく吹き飛ばされていた。
高々と宙を舞ったバリスは、そのままの勢いで地面に墜落し、大きくバウンドする。
あまりにも軽々と人間が吹き飛んだ光景に、一同は思わず絶句し――そのままひょっこりと、バリスは起き上がっていた。
「ふっ、《受け流し》が成功しなかったら即死だったぜ……」
「いや、今のどう見ても失敗してるでしょ。まあ、ある程度ダメージは軽減されてたみたいだけど」
急いで回復魔法をかけながら、アンズはバリスの一言に対してツッコミを入れる。
モンクであるため、防御力の高い重量級の防具を装備できないバリスは、当然ながら防御力はあまり高くない。
そのため、《バーサーク》によって攻撃力が上昇しているヒル・ジャイアントの攻撃が直撃すれば、普通は即死する事になるだろう。
しかしながら、現在のバリスにはアンズが強化した補助魔法がかかっており、その上で相手の攻撃を受け流すスキルである《受け流し》を使っていたのだ。
《パリィ》の上位スキルであるとも言えるそれは、例え失敗したとしてもある程度のダメージを軽減する効果を持っている。
その効果によって、バリスは何とか即死を避けていたのだ。
バリスが攻撃を受けた事には驚いたものの、彼が無事である事を確認した頃には前衛組のスタンも解け、三人はヒル・ジャイアントから距離を取っていた。
それと入れ替わるように、上空ではライトが攻撃を開始する。
攻撃用の《エアクラフト》を補充しつつ飛ばしながら、ライトはアマミツキへと向けて若干の焦りを含む声を上げていた。
「アマミツキ、どう見る!? 何故こちらに攻撃してこなかった!?」
『今のところ不明ですが……ただヘイトがリセットされただけだとしても、空を飛んでる兄さん達は優先的に攻撃されるはずです。だとすれば……《バーサーク》によって、無差別に攻撃するようになったとしか』
「そりゃまた、徹底的に『数で押す』事を想定したようなボスだな……」
背中から聞こえるヒカリの魔法詠唱をBGMに、ライトは苦い表情でそう呟く。
ヘイトを稼ぐ事が全くの無意味だとは考えられないが、それでも他のプレイヤーへと攻撃が向くようになってしまったのは大きな痛手だ。
特に、現在戦っているメンバーは、全員防御力があまり高くない。もしもヒル・ジャイアントの攻撃が命中してしまえば、その時点で倒れてしまうだろう。
蘇生アイテムの準備が無い訳ではないが、ジリ貧にならずに戦えるかどうかの自信はライトにもなかった。
「とにかく、引き付けるしかないか……行くぞ」
詠唱中のヒカリが頷くのを気配で感じながら、ライトはヒル・ジャイアントへと向けて接近していた。
リスクは大きいものの、地上メンバーへと攻撃が向く危険を考えれば無駄ではない。
尤も、最大のダメージソースであるヒカリを危険に晒しているため、あまりよい作戦であるとも言えなかったが――
(俺の腕次第、だ――!)
下から突き上げてくる岩塊のようなアッパーカットを、ライトは斜め上方へと飛翔、加速しながら何とか躱す。
それに合わせ、接近したヒル・ジャイアントの顔面へと、《ストライカー97》を四つ叩き込んでいた。
急所である頭への攻撃でも、《バーサーク》のかかった巨人を怯ませる事はかなわない。
だが、発生した爆発によって、相手の視界を覆い隠す事には成功していた。
そしてそのチャンスを、ヒカリは決して見逃さない。
「三発目だ、喰らえ!」
ヒル・ジャイアントの背後へと回った直後、《サンライトスピア》が発動する。
現状、ヒル・ジャイアントに対して唯一有効なダメージを与えられている魔法は、遺憾なくその効果を発揮していた。
放たれる四つの槍と、トドメに打ち下ろされる五つ目の槍。
三段重ねになっていたヒル・ジャイアントのHPバーの一段目は、その一撃によってついに削りきられていた。
他のメンバーによる攻撃のダメージもあったが、多くはヒカリが与えたものであり、ヘイトが彼女に向くのは当然のはずなのだ。
しかし、二人が視界から外れた瞬間、ヒル・ジャイアントは他のメンバーの方へと視線を向けていた。
「クソッ、やっぱり無差別か!?」
「あいつの目の前を飛びまわれ、ライ! 自動操縦以外では攻撃しないでもいい!」
ヒカリの指示に返事をする余裕すらなく首肯し、ライトは《エアクラフト》の制御を自動操縦に切り替えながら再びヒル・ジャイアントの視界へと戻っていた。
旋回しつつ距離を空けながらではあるが、ライトが視界の中に戻ってきた事で、ヒル・ジャイアントの注意はある程度彼の方へと向く。
だが、それも完全ではない。ライトの方へと唸っている事もあれば、距離を保っているダンクルトたちの方へ踏み込もうとしている事もあるのだ。
注意の比率はライト――と言うよりヒカリに向かっている部分が多いものの、すべての視線を集める事は出来ていなかった。
「あまり離れすぎても駄目、視界から外れても駄目、攻撃が届く範囲内でもなければ標的にされる比率は著しく下がる……ってとこだな」
『傾向が分かったのはいいですが、リスクが高い事に変わりはないですね』
「だが、背負う価値はあるリスクだ。前衛組、奴の視界外から奇襲をかけるように心がけろ。一撃でやられないバリスは――」
『ヒル・ジャイアントの注意を引き付けるように、だな? あいつの事はこちらで管理しておくから、存分にやってくれ』
チャットに対して返答してきたケージの言葉に、ヒカリは満足気に頷いてから詠唱を再開する。
ヒル・ジャイアントに有効なダメージを与えられるのは、今の所ヒカリだけなのだ。
指示を飛ばしたい部分もあるが、少しでも時間を無駄にはしたくない。
多少格上のエネミーすら、それこそ下手をすれば西の森のボスであるレッサー・ドラゴンすら一撃で葬り去る可能性すらある魔法なのだ。
現状を打破する最も確実な方法は、ライトが攻撃を躱し続け、ヒカリが魔法を当て続ける事である。
(だが、協定を結んでないソロのプレイヤーとかが寄ってきたら面倒だ。あたしとライだけじゃ時間がかかりすぎる。まあ――)
刹那、離れた場所より『ガシュン』という強い射出音が響き渡った。
その瞬間、遠方より飛来した物体が、一直線にヒル・ジャイアントの胸元に激突し、大きく紅いダメージエフェクトを咲かせる。
飛来したものは、槍と見紛うほどに巨大な矢。それを放ったのは他でもない、ゆきねの用意した大型弩砲であった。
通常の武器よりも遥かに威力の高い設置型兵器は、ヒカリの魔法ほどではないものの、それなりに大きいダメージをヒル・ジャイアントへと与える。
しかし、都合のいい面ばかりではない。今の一撃によって、ゆきねもまたヒル・ジャイアントの標的に含まれてしまったのだ。
防御力も回避力も無いゆきねでは、ヒル・ジャイアントに狙われた時点で危険に晒される事となる。
しかしゆきねは、その視線を真っ向から受け止めながら、笑みと共に仲間達へとチャットを飛ばしていた。
『思ったより面倒そうだし、状況が状況だからね……流石に、贅沢は言ってられないかな』
「ゆきね? どうしたんだ?」
『うん、アレを使うよ。その代わり、前衛組は早くあの左手の手甲を壊してよね』
その言葉に、ライトは僅かに目を見開く。
ヒル・ジャイアントから注意を外さぬものの、ライトの意識は確かに驚愕に彩られていた。
ゆきねが、あれほど嫌がっていた事を、自分から進言するとは露ほども思っていなかったのだ。
『何か微妙に失礼な事考えてないかな? まあとにかく、ここからはボクも行くよ』
「出来れば最初からやっていて欲しかった所なんだがな」
『あはは、それはまぁ、ご愛嬌って事で……っと、言ってたら早速来そうだね。前衛の人たち、ボクが隙を作るから、何とか頑張って』
再び飛来した大型弩砲を受け、ヒル・ジャイアントは苛立ち交じりの唸り声と共に、ゆきねの方へと向けて走り出す。
それをあえて遮ろうとはせず、追随する形で飛行しながら、ライトは状況の様子見に徹していた。
普通に考えて、生産特化構成のゆきねに、まともな戦闘能力など存在するはずがない。
そんなゆきねがこれまで最前線で戦闘を続けてこられたのは、偏に操っているゴーレムのおかげである。
その最たるものにして、ゆきねの奥の手。それが損耗する事を嫌って、ゆきねはこれまで積極的には戦わずに来たが――
『性能確かめるには、ちょうどいいかもね』
ぽつりと呟かれた言葉は、閉じていなかったチャットに拾われ、仲間の耳へと届く。
その声音は、どこかこの戦いを楽しんでいるようにも感じられるものであった。
巻き込まれないようにとアマミツキが退避し、ゆきねがただ一人だけ残るその場所。
ゴーレムたちが慌しく大型弩砲を片付けているその隣へと、ヒル・ジャイアントは長大な歩幅であっという間に距離を詰めていた。
そのまま、軽自動車ほどはありそうな、巨大な拳がゆきねへと叩き付けられ――
『ゆきねさ――えっ!?』
悲痛な声を上げかけたプリスが、驚愕に目を見開いたかのような言葉をチャットに残す。
停まって、いたのだ。巨大な、岩をも粉砕するような巨人の拳が。
――ゆきねの背後から伸びた、白銀の腕によって。
『あはっ、あはははははははっ! 駄目だねぇ、全然駄目だ。そんな程度の攻撃じゃ、ボクの“ディオン”は抜けないよ』
いつの間に“それ”が現れていたのか、誰にも認識する事は出来なかった。
唯一、操り手であるゆきねを除いては。
背後に現れたのは、おおよそ4メートルほどの高さがありそうな、巨大な甲冑。
白銀のフルプレートに身を包んだそれは、まるで這い出すかのようにゆきねの背後から身を乗り出し、その右腕でヒル・ジャイアントの拳を受け止めていたのだ。
大きさこそヒル・ジャイアントに及ばないながらも、白銀の甲冑は――ゆきねの創り上げた大型ゴーレム“ディオン”は、兜の中で輝く単眼で巨人の姿を睨みながら、その拳をゆっくりと押し返してゆく。
『さあ、行くよ。ディオン、ボクのゴーレム……目の前にいるこのデカブツを、思う存分ぶちのめしてやろうじゃないか!』
返事はない、知性のないゴーレムに返答する機能などありはしない。
だが、ディオンはその言葉に従い、瞳を強く輝かせながらヒル・ジャイアントを押し返していた。
レアドロップアイテムである《マギスフィア》を基点に、ゆきねが創り上げた大型ゴーレム。
もしも、ただのゴーレムであればヒル・ジャイアントには到底及ばなかっただろう。
だがこれは、全身のパーツがクリティカルで成功するまでゆきねが創り直し続けた逸品なのだ。
その為に犠牲になったミスリルインゴットは数知れず。
だが、ミスリルゴーレムがボスとして登場するダンジョンで、ひたすらレベリングを続けていたゆきねには、何とか払える対価だったのだ。
その結果として生み出されたのが、全身をレアアイテムによって構成された破格の性能を持つゴーレムなのである。
「まさかあのレベリングの成果を赤字寸前まで持っていくとは思わなかったが……これだけの性能で、しかも成果を残してくれるなら、文句も付けられないな」
『あはは、言ってくれるねライト。勿論、それだけの働きはして見せるさ……行くよ!』
言いつつ、ゆきねがインベントリから取り出したのは、身の丈ほどの巨大さを誇る大剣、【グレートソード】である。
人間が装備すれば巨大なそれも、ディオンが持てばショートソード並みといった所だ。
そしてもう一つ、プレイヤーが装備すれば全身を覆うほどの楯となる【タワーシールド】。
ヒル・ジャイアントの左の手甲が破壊されていないために、そちらの攻撃を受ければディオンのパーツの耐久度は減ってしまう。
そのため、少しでも直撃を受けぬようにとゆきねはディオンに指示を飛ばす。
『あいつの攻撃は出来るだけ装備で受けるように! それから、正面から殴り合って引き付けろ!』
返事はなく、けれどその言葉に首肯するかのように、ディオンはヒル・ジャイアントへと向かって猛然と打ちかかる。
イベントも終盤――戦場は、その様相を徐々に変えようとしていた。
今日の駄妹
「これぞ我らが『碧落の光』の持つ第二の切り札! まあ、レベリングの成果が赤字寸前になったので、姉さんでもなければ許可を出さなかったでしょうけど」




