07:初めてのボス戦闘
エネミーのデータをある程度知ることができるスキルは、二つ存在している。
一般スキルである《観察眼》と、サブクラス『セージ』の持つ《識別》だ。
後者を使用できる人間はまだ存在しないであろうが、その違いに関しては今のところそれ程明らかになっていない。
ただ、後者に関してはパッシブスキルによる強化が行える事だけは既に公表されていた。
ともあれ、この場には《観察眼》を持つ人間が二人いる。
元々はアイテムを探してその名称を調べるスキルであり、エネミーに対して使うのはおまけのようなものだ。
だから、詳細なデータは分からないし、アイテムと同じく分かるのは精々名前までという程度の能力だ。
けれど――
「お、おい、ケージ。あいつは何だ……?」
バリスは、若干引き攣った声でケージへと問いかける。
けれどその視線は、一瞬たりとも目の前にいる敵から離れていなかった。
紅いドラゴンの視線は、既にパーティメンバーたちを捉えている。
まだ動かない理由は分からないが、それはある種好都合であるといえただろう。
突如として現れた存在の衝撃に、彼らは動けずにいたのだから。
そして、ライトとケージが抱いていた驚愕は、それとはまた別のものであった。
「……おい、ケージ。俺だけか?」
「……お前の熟練度で見えないんだったら、俺に見えるわけ無いだろう」
「ねえ、それってまさか……」
――見えなかったのだ。相手にフォーカスしても、そのエネミーネームすら。
表示される名前は『????????』。《観察眼》を使用して相手を見つめた場合、その名前が相手の頭上に表示される。
さらにある程度レベルが近い相手ならば、敵のHPゲージの数値も表示されるのだ。
だが今回は、その第一段階である名前すら分からなかった。即ち――
「今の俺たちより、かなりレベルの高い相手だ! まともに戦っても勝負にならない……回避に専念して、敵の行動パターンを見極めるんだ!」
そして、その言葉を合図とするかのごとく、ドラゴンが動き出した。
水辺に横たえていたその身体を起こし、長い首でライトたちの事を睥睨する。
そして――大きく、息を吸った。
「っ、散開!」
ケージの指示の下、全員がその場を離れようと動き出す。
その、次の瞬間。
『GoaAAAAAAHHHHHHHHHHHH――――ッ!!』
巨大な咆哮が、周囲へと響き渡った。
空気をびりびりと震わせるそれは、質量的な圧迫感すら持ってライトたちの身体へと叩きつけられる。
「ぐ……ッ!?」
急いで離れようとしたが、身体が動かない。
あまりの声量に、三半規管を揺さぶられたのだ。VR世界の身体にそんな物があるのかはライトにも分からなかったが。
咄嗟に耳を塞ぎ、その場に踏ん張る。しかし多少はマシになったものの、その場から動くほどの余裕は無い。
ドラゴンが最初に息を吸った時、その場にいた全員が考えたのは『ブレスによる攻撃』であった。
その為、固まっていては一網打尽にされると思い、その場を離れたのだ。
(こんな攻撃をして来やがるとは……ッ!)
予想外の攻撃に、元よりあまり存在していなかった余裕が吹き飛んでゆく。
相手はボス、同レベル帯であったとしても、相手の方が強い存在なのだ。
それは本来、攻略法を探り、それを元に戦うべき相手。
情報が無い今では、勝つ事は不可能だ。
(だから、パターンを覚える。相手の予備動作を観察する!)
咆哮が止み、ライトたちは若干ふらつきながらも拘束から逃れる。
しかしそんな彼らに対し、ドラゴンは身体を低く構える。
何が来るのか。ライトとケージは、ひたすらそれを観察していた。
そして――ドラゴンは、その巨体からは考えられぬ俊敏さで動き始める。
「跳躍……!?」
「皆、離れろ! 踏み潰されるぞ!」
身体を撓めていたドラゴンは、斜め上の方向に対して強く飛び出していたのだ。
このドラゴンには翼はあるものの、あまり大きいとはいえない。
退化したのかはデータの無いライトには分からないが、少なくともあの翼で飛翔する事は無理であろうというのは簡単に想像できた。
大きく飛び上がったドラゴンは、滞空時間もそこそこにライトたちへと向けて落下を始める。
「う、おおおおおおおッ!?」
圧倒的な質量だ、受け止める事など出来はしない。少なくとも、今はまだ。
ただでさえ大きなレベル差があるのだから、正面から戦う事など無駄にしかならないだろう。
空中から睥睨しているドラゴンの視線は見ないようにしながら、ライトは横に身を投げ出すようにしてその攻撃を回避する。
――結果的に言えば、それは正解であり、ある意味では不正解だったのだろう。
「うおっ!?」
「きゃあ!?」
大きく空を裂くような音と共に、バリスとプリスの悲鳴が響く。
二人はドラゴンの跳躍にいち早く反応し、その場から跳び離れていたのだが、着地直後に振り回された尻尾を避けきれずに吹き飛ばされてしまったのだ。
視界に表示されている二人のHPは、大きく減じてしまっている。
プリスの残りHPはおよそ五分の一、バリスは三分の一といった所だ。
ファイターであり防具をしっかり装備している二人がこれだけのダメージを受けたという事に、ライトは思わず戦慄する。
「距離を取れ、立ち止まるな! 後衛組は一撃でも受けたら終わりだぞ!」
「オワタ式かよクソッタレ!」
思わず罵声を上げつつ、ライトは頭上を確認しつつその場を離れる。
尻尾の一撃は、あまり攻撃力が高い一撃であるとは考えづらい。
それですらあのダメージだというならば、それこそ軽い一撃すら受ける事はできない。
「嫌なコンボしてくるわね……私は回復を――」
「アンズ、立ち止まるな! バリス、回避に専念しつつヘイトを稼げ!」
ケージの指示が飛び、それぞれが動き出す。
動きながら回復しなければならないということは、即ち《サンクチュアリ》が使用不可能であるという事。
その場合、あれだけのダメージを一回で回復させる事は不可能だ。
そしてバリスがヘイトを稼がなければならない以上、攻撃役であるライトとプリスは下手に攻撃する事は出来ない。
「くっそ……!」
どちらにしろ、魔法使いが近距離で戦っていてもいい事は無い。
悪態をつきながらも、ライトは走ってドラゴンとの距離を開ける。
その間にバリスは《プロヴォック》を発動してヘイトを稼ぎ、後衛たちが逃れた方向とは反対の方向へと走り出す。
アンズは《ヒールライト》を使用してバリスのライフを回復、その他のメンバーは様子見だ。
五方向から包囲されている形となったドラゴンは、その視線をバリスの方へと向ける。
「来るか……?」
「『彼の者に光の加護を――《ホーリーアーマー》』!」
MPの大盤振る舞いをしながら、アンズはバリスへと補助魔法をかける。
初期の時点で発現していたのが、防御力強化の補助魔法である《ホーリーアーマー》だった。
現状の熟練度ではそれ程の強化は見込めないが、少なくとも無いよりはマシである。
白い光のエフェクトがバリスの身体を包み込み、そのステータスを向上させる。
現状で可能な万全の体勢。そのまま、五人はドラゴンの動きを観察する。
ドラゴンは――大きく、息を吸った。
「咆哮か!?」
「いや、違う!」
バリスの声を、ケージが否定する。
先ほどとは、動きが若干違うのだ。今回は息を吸う勢いのまま後ろの二本足で立ち上がり、その首を大きく旋回させる。
その口の間から漏れ出ているのは、小さな火の粉――
「ブレスだ!」
そのケージの声に合わせるかのように、ドラゴンはその口から火炎を吐き出した。
さらにはその首を旋回させ、周囲を撫でるように炎の波を広げてゆく。
これを横に回避する事は、まず不可能であろう。
「射程はそこまで長くない! 後ろに下がれ!」
「つっても結構速いっての……!」
炎が広がる速度は中々に速く、反応したバリスも完全には避け切れず、身体を炙られながら射程外へと逃れる。
HPの減少はおよそ五分の一。どうやら、長時間浴びさえしなければダメージ量はそこまでではないらしい。
とは言え、まともに受ければ範囲外の逃れる前にHPを全損する事になるだろう。
再びHPを回復されているバリスの様子を見ながら、ライトはケージへと向けて声を上げる。
「ケージ! 試してもいいか!」
「ああ、一発だけだぞ。どの程度ダメージが入るのか確認してくれ」
「了解……『集え、風の刃よ――《ウィンドカッター》』!」
手に持った杖を向け、ライトは叫ぶ。
放たれた風の刃は瞬時にドラゴンへと向けて飛翔し――その鱗に、僅かにダメージエフェクトを刻んで霧散した。
HPのバーを見ても、減少したのはほんの僅か。注視しなければ分からない程度のダメージしか受けていない事が分かる。
このゲームにおいて、スキルを使用した攻撃の火力は通常攻撃よりも遥かに高い。
MPを消費しているのだから当然と言えば当然だが、それだけ魔法職の火力は高く、ヘイト管理に注意しなければならないクラスなのだ。
だが――
「……いくら初期魔法で風属性っつっても、これはねぇだろ」
絶望を通り越して乾いた笑みしか浮かんでこない。
ライトは口元を引き攣らせながら、思わずそんな言葉を呟いていた。
火力の低い風属性であるとは言え、この程度のダメージしか通らないとは思っていなかったのだ。
ドラゴンはライトの攻撃などあった事にすら気付かぬように、再び息を吸って身体を起こす。
口の間から漏れ出る火の粉――だが、その動きは先ほどと少しだけ違っていた。
「この距離なら後ろに下がれば!」
「待て、バリス! これは――」
その動きの違いに、ケージは一瞬迷ったのだろう。その逡巡が、回避の隙を奪っていた。
――ドラゴンは、首を旋回させなかったのだ。
先ほどとは僅かながらに動きが違う。そして吐き出されたものは――高速で飛翔する、火球だった。
先ほどのように短い射程で長い持続力を持つものではなく、一直線に飛ぶ一つの弾丸。
「う、おおおおおおおっ!?」
後方に下がって回避しようとしていたバリスはそれを避け切れず、正面から火球を受けて吹き飛ばされていた。
着弾と同時に爆裂したその威力に、バリスは後方にあった木へと叩きつけられる。
彼のHPは残り五分の一ほど。たった一発の攻撃で、VITを伸ばしているバリスのHPをそれだけ削ってしまったのだ。
そして、攻撃はそれだけに終わらなかった。
「バリス!」
「お兄ちゃ――」
連続して、火球はもう一度放たれたのだ。
こちらは横に逃げなければならない攻撃であり、それを追尾するようにもう一度放たれる攻撃なのだろう。
けれど、初撃を受ければ吹き飛ばされ、行動不能になっている所へと追撃が入る。
ダメージを最大HPの半分以下に押さえ込めなければ、一撃を受けた時点で死亡が確定するコンボ。
その理不尽な火力と、バリスのHPが全損してダメージエフェクトと共に倒れる様に、ライトは思わず呆然としていた。
「っ……よく、も、お兄ちゃんをッ!!」
「待て、プリス!」
「こら、待ちなさい!」
激昂して飛び出してゆくプリスと、それを追いかけるアンズ。
豹変した彼女の表情からは、本気の怒りを感じ取る事ができるだろう。
これはあくまでゲームだというのに、本気の殺意を湛え、プリスは刀を構えて駆ける。
その姿に、ライトは先ほどの言葉の意味を察すると同時、何故アンズがあそこまで必死になっているのかに疑問を抱いていた。
だがどの道、彼女は既に勝負を捨て、プリスを止める為に走っている。引き止める事は不可能だった。
「はあああああッ!」
『GaAAAAAAAッ!!』
刀を構えて駆けるプリスは、ドラゴンが振り下ろしてきた左前足を横に躱し、更に振り上げるように放たれた右前足を、左前足を足場にして跳躍する事で回避する。
そうしてドラゴンの頭上に到達したプリスは、大上段より振り下ろした刀により、ドラゴンの首を薙ぐ。
が――
「ッ……!」
刃が、通らない。刀のグレードも、プリス自身の能力値も、全てが届いていないのだ。
その一刀で首を落とそうかというような乾坤一擲の一撃だとしても、その数値による絶対的な差には届かない。
それでも、プリスは怒りのままに叫ぼうと口を開き――
「――使おうとするなっていってるでしょ、ヒメ!」
「ぁ、っ――」
彼女の後ろを追いかけていたアンズが、必死に追いついてプリスの腕を押さえていた。
その感触に、プリスは目を見開いて硬直し――二人は、ドラゴンに噛み付かれてHPを全損させた。
既にHPが無くなっている二人を、ドラゴンは噛み付いたままぶんぶんと振り回し、泉の方へと投げ捨てる。
これもまた、攻撃パターンの一つであったらしい。
「……仲間思いなのはいい事だと思うが、ちょっと過剰反応しすぎじゃないのか」
「まあ、あんまり追求しないでくれると助かる。ああいう奴なんだ、あいつは」
「ああ、深くは聞かん」
少なくとも、プリスの様子は尋常ではなかった。気軽には踏み込めないだけの気迫が、先ほどの彼女にはあったのだ。
追求しないで欲しいと言うなら、あえてする必要も無いだろうと、ライトは小さく嘆息する。
ともあれ、指し当たっての問題は――
「ところで、まだ様子見するのか?」
「まあ、出来る限りはな。どの道、俺たちのAGIじゃ長くは逃げ切れないだろうが」
ライトの問いに、ケージは苦笑しつつ答える。
二人の視線の先には、他の標的がなくなったことでターゲットを変更した、ドラゴンの姿があった。
――そして、三分後。善戦空しく、ライトたちはニアクロウへと死に戻りする事になったのだった。
今日の駄妹
「あまり大きくない図書館ですし、ほぼ読み終わりましたね……色々と隠し魔法も出ましたし、ホクホクです」