59:《霊王》
菊理と名乗る少女――その人物が口にした言葉に、ライト達は一様に息を飲んでいた。
正確に言うならば、ダンクルトと旬菜を除く四人であったが。
《霊王》――《タカアマハラ》、即ちこの世界を作り上げたメンバーの内の一人。
彼女が果たしてどのような役割を負っていたのかまでは分からないが、今まで顔を見せる事のなかった人間が目の前にいる。
それが一体どのような意味を持つのか、ライトはそれを図りかね、じっと彼女の事を見つめ続けていた。
「……どうぞ、アイテム回収の続きを行って下さい。私にお話があるのであれば、待ってます、から」
「ん……うん、分かりました。ダンクルト、旬菜。悪いけど、アイテム回収を頼みたい。あたしたちはこの人と話がある」
「あ、ああ……それは構わないけど、知り合いなのか?」
「ま、そんなとこ」
実際には知り合いでも何でもないが、とりあえずでも納得させるために、ヒカリはそう口にする。
話を聞かなければならないし、事情を知らずこれからパーティに入るかどうかも分からないダンクルトたちには、まだ《霊王》の詳しい情報について伝える訳には行かない。
尤も、勘のいい旬菜は、菊理が何者なのか若干の当たりをつけている可能性はあったが。
このようにゲームシステムを操れるような存在など、そうそういる訳もないのだから。
「さて……それで、どのようなご用件ですか、《タカアマハラ》の一角が、一プレイヤーでしかないあたしたちに声をかけてくるなんて」
「……やっぱり、私の事は知っているん、ですね。あの子達から、聞いたのかな……」
「『コンチェルト』というギルドの面々です。貴方の事を、知っているような口ぶりでした」
「『コンチェルト』……そう、やっぱりあの子達、か……やっぱり、私のところに来るつもりなのかな……」
どこか陰気な喋り方をする菊理に、ヒカリは思わず目を細める。
その喋り方を鬱陶しく思っているという訳ではない。どのような人間性を前にした所で、ヒカリという少女がそれを受け入れない筈がない。
彼女が考えていたのは、菊理が『コンチェルト』の面々に対して抱いていると思われる感情についてだ。
彼女は、『コンチェルト』の存在――そのメンバーの事も知っていると思われる。
そして、彼らの持つ目的についてもだ。それらの上で、菊理がどう考えているのか。
(そこまでは読めない、が……悪い感情は感じないな)
《霊王》菊理は、『コンチェルト』の面々に対して悪感情を持っている訳ではない。
両者の間にある事情は未だ知りえていないものの、とりあえずは放っておいても問題はないと、ヒカリはそう判断した。
今はそれよりも、何故彼女がこうして姿を現したのかが問題だ。
思い当たる理由など、そう多くは無いのだが。
「それで……どうして、あたしたちの前に姿を見せたんですか?」
「……気になった事が、あったから」
《霊王》に関する話といえば、『コンチェルト』の面々に関する事か、或いはライトが以前出会った常世に関する事のみである。
前者に関してはライト達と直接関係があるとは言えないが、後者に関してはある程度強い繋がりであるとも言える。
常世は、《タカアマハラ》の一角であり、《賢者》の称号を持つ者であると考えられる。
即ち、この《霊王》と同格の存在であり、ほぼ確実に知り合いであると考えられるのだ。
それならば、菊理がライトに対して興味を持っても不思議ではない――ヒカリは、そう判断していた。
「気になった事とは?」
「……貴方達の、気配」
「は、気配?」
思わず、ヒカリはそう聞き返す。
しかし話を聞いているのかいないのか、菊理はどこか焦点の合わぬ視線のまま、ぼんやりとした調子で続けた。
「……貴方たちの、魂。私の仲間の気配が、するんです……それが、気になって」
「え、魂って……え?」
「姉さん、会話大丈夫ですか?」
「お、おう……ちょっと困ってるかも」
菊理は、会話をしているというよりは、独り言をぽつぽつと呟いているような調子がある。
ここまで来て、ヒカリは彼女が人前に姿を現さない理由について理解し始めていた。
見目については問題ないだろう。儚げな様相ながら、菊理はそれなりに整った容姿をしている。
しかし、彼女が人前でまともに話せるかと問われれば、それには疑問を抱かざるを得ないだろう。
菊理は、自分の基準を元にして話をしている。逆に言えば、相手に合わせる事が出来ないのだ。
元より事情に通じている人間が相手ならば話も通じるだろうが、そうでなければ会話が成り立たない。
(……確か『コンチェルト』の巫女は、《タカアマハラ》の事を『他人の考えなんてまるで考えない』と、そう評していたんだっけか)
ヒカリはちらりとゆきねの姿を視界に納め、唇を引き結ぶ。
自らの都合だけで数多くの技術を生み出し、世を混乱させた者たち。
とはいえ、正しく技術が提供されていれば、それはそれで大きな混乱を招く事になったと考えられるが――
(《霊王》一人だけを見て判断する訳には行かないだろうが、《タカアマハラ》は思った以上に無茶苦茶な存在なのかもしれないな)
胸中で呟き、ヒカリは軽く嘆息を零す。
とはいえ、これまで誰も目にした事のない《タカアマハラ》の一角が目の前にいるのだ。
ただ逃げ帰るだけというのは、あまりにも勿体無い。
そう判断し、ヒカリは改めて気合を入れなおすと、視線を上げて菊理と向き直った。
若干小柄ではあるが、ヒカリと比べればまだ背は高い。しかし闇に紛れて捉えづらいその姿を見上げながら、ヒカリは改めて声を上げる。
「それで、ええと……あたしたちの何が、気になったと?」
「……さっきも、言いましたけど……貴方からも、そこの彼からも、そしてそこの女の子からも……私の仲間の気配がします」
「うん……?」
順番に指を指しながら口にする菊理に、ヒカリは思わず眉根を寄せる。
菊理は、何故かゆきねだけは示さなかったのだ。
即ち、彼女が示したのはヒカリ、ライト、アマミツキの三人のみ。
そんな三人の事を順番に観察しながら、菊理は変わらぬ調子で声を上げる。
「……あの人たちがやったなら、私が知覚出来ないのも納得できます……でも、常世さんの気配も感じる……また、何か企んで……?」
「ええと、何なんだ? それは、一体どういう事……? あの人たち?」
「……あ、えっと……ごめんなさい。詳しくは、話せませんが……私たちの主、私たちの王。私たちの高天原を築いてくれた人たち……もしかしたら貴方達は、そんな人と関わっているのかもしれません」
要領を得ない言葉であったが――表面上から分かる情報だけでも、それは驚愕すべき言葉であった。
《霊王》の口にする主という存在。それは即ち、《タカアマハラ》のリーダーと呼ぶべき存在なのではないか。
そして、自分達がそんな存在に関わっている可能性があると、菊理はそういうのだ。
これを驚かずして、何を驚けというのか。
それに、ヒカリは僅かに違和感のようなものを覚えていた。
菊理の口にした《タカアマハラ》という言葉――それに対し、若干のニュアンスの違いを感じ取っていたのだ。
「……もしも、興味があるのなら。貴方達は、門を目指すべき、です」
「門? それは一体、何を指しているんですか? それに、それはどこに……」
「……二つの螺旋が……集束する点、です。その極点に、高天原への門が在る。貴方達が、己の事を知りたいと願うなら……そこへ、向かうといいと思い、ます。これほど強く気配がするなら、貴方達に深く関わっているはず……もしかしたら、出生にも」
『――――っ!?』
その言葉に、ヒカリたち三人は思わず絶句していた。
ヒカリ――六木光、また三久頼斗や東雲ひなた。この三人は、親の判明していない捨て子だ。
一体自分がいつ、誰から生まれたのか、それは三人の誰もが知りえぬ情報である。
とりあえず血の繋がりがない事だけは判明しているのだが、それ以外のことは何も分かっていないのだ。
しかし菊理は、《タカアマハラ》の王がそれに関連している可能性があると、そう口にした。
(何者なんだ、一体……?)
話を聞くうちに幾分か慣れてきていたライトは、菊理の言葉に視線を細めながら思考する。
この菊理もそうだが、《タカアマハラ》はあまりにも謎に包まれすぎている。
そんな中で、そのトップが自分達に関連している可能性があるとなれば、ライトとしても困惑を禁じえなかった。
《タカアマハラ》の主とは、一体何者なのかと。
そんな疑問と共に猜疑心を抱き、アマミツキが口を開く。
「正直、信じられません。意味が分からない、というのが正直なところです」
「……貴方の気配は、ちょっと違うけど……信じる信じないは、自由です。どの道……門へと続く道へと入るには、私たちのレイドクエストをクリアする必要がありますから」
「何だって? ……いや、確かに聞いてたか。《タカアマハラ》のメンバーは、レイドボスのような存在だって」
以前、『コンチェルト』の面々が口にしていた情報を思い返し、ヒカリは納得したように頷く。
《タカアマハラ》の面々はゲーム内に独自の領域を持っており、それぞれがレイドボスのような存在であると。
つまり、件の門に至るには、レイドボスと化した『霊王』を倒す必要があるのだ。
と、そこでふと、ライトは顔を上げて菊理へと問いかけていた。
「私たち、と言いましたが。他の《タカアマハラ》のメンバーであっても構わない、と言う事でしょうか?」
「……はい。それはその通り、です。ですけど……《刻守》と《水魔》のお二人とは……あまり、戦わない方がいいと思います」
「《刻守》、《水魔》?」
初めて聞くその名に、ライトは僅かに眉根を寄せる。
《霊王》と《賢者》についてはある程度知ってはいたが、その二つの称号を持つ存在については初耳だったのだ。
恐らく《タカアマハラ》のメンバーであると思われるその名に、ライトは疑問符交じりに問い返していた。
対する菊理は、ぼんやりとした視線をライトの方へと向け、僅かに首肯する。
「……《守護の四権》。《王権》の八柱の内、高天原を護る役目を負った四柱、です。まあ、本来なら護る必要なんてないと思いますけど……とにかく、そんな私たちのうちの誰かを倒せば、門を目指す資格が手に入ります」
「成程……それで、その二人をお勧めしないと言うのは?」
「……最近、イライラしてます、から。それに……手加減をしてくれる人では、ないです」
若干呆れを交え、菊理は嘆息を零す。
ライト達にとっては、未知のボスの手加減など、あろうとなかろうと理解し得ないものではあったが――それでも、誰に挑めばそれなりに有利であるのかは、考えるまでもなく理解できた。
《刻守》と《水魔》。それが、注意すべき人物である事も。
「とにかく、挑むのは貴方か常世さんであるべきだと……まあ、理解できました」
「……はい。でも、挑むのとは別に、常世さんの所には行った方がいいと思います……もしも知りたい事があるなら、分かるかもしれません」
「……了解です」
菊理の言葉に、ヒカリは頷く。
要領を得ない話ではあったが、得るものは非常に多かった。
ライト達はそれぞれが己の目標を持っている。しかし、このゲームにおいて達成したい目標というものを持っていた訳ではないのだ。
しかし今、一つの高みが提示された。
《タカアマハラ》というチーム、その頂点に立つものの存在。
そしてそれらが、己に関わっている可能性。
今はまだ、挑むには遠いその目標。しかし、挑戦するだけの価値は十分にあると、ヒカリはそう考えていた。
「では、最後に……貴方に挑むための、条件は?」
「……ふふ」
菊理は、小さく笑う。
まるで、背伸びする子供を微笑ましく見守るかのように。
小柄な少女の姿をした《霊王》は――遥か高き天空を見上げ、口を開く。
「……満月の夜に、この丘で。最大で10個のパーティが、同時にクエストを請けれます」
つまり、最大で60人。
それだけの数のプレイヤーを前にして、まるで余裕だとでも言うかのように、菊理はゆったりと微笑む。
同時に放たれるのは、びりびりと空気が震えているような錯覚を覚える圧迫感。
泰然と立つその姿は――不死者達を支配する、《霊王》の名に相応しいものであった。
「……見事、辿り着いて見せて、ください」
そして、そこまで口にして――菊理の姿は、突如として足元より湧き上がった黒い影に飲み込まれていた。
近くにいたヒカリが驚いて後退する中、闇に包まれ姿を消した菊理の声が、周囲一体へと響き渡る。
『……楽しみに、待っています』
そして――《タカアマハラ》の一角、《霊王》菊理は、完全にその姿を消し去っていた。
後に残るのは、静寂に包まれた古城の丘。アンデッドの気配すら感じないその場所で、ヒカリたちはしばし立ち尽くしていた。
と、そこに、周囲を歩き回っていたダンクルト達が声をかける。
「おーい、アイテム回収終わったぜ。【魔導核】も一個回収できたし、終わり良ければ全てよしってやつだな! ……おい、どうかしたのか?」
「……いや、何でもない。何でもないが……面白い事になりそうだったんだ、にはは」
「それ、何でもないとは言わないんじゃないか?」
訝しげに眉根を寄せるダンクルトの視線を受けながら――ヒカリは、太陽のように生気に満ちた瞳を、爛々と輝かせていた。
今日の駄妹
「ありえない……でも、嘘を吐いてもいない……?」




