57:死者の軍勢
ごく一部の例外を除き、一人称視点でしか戦う事の出来ないこのゲームにおいて、集団に取り囲まれるという状況は非常に危険である。
視界の外はどうした所で死角であり、そちらから放たれる攻撃に反応できる人間はごく僅かだ。
更に、エネミーの火力が高いこのゲームにおいては、通常の雑魚エネミーの攻撃ですら、後衛のHPは三分の一近く削られてしまう。
この状況で後衛に対し攻撃が届けば、果たしてどうなるか――それは、火を見るよりも明らかだろう。
幸い、そのうちの二人は上空に存在しているため、バックアタックを受ける心配はなかったが。
(……拙いですね)
胸中で呟きつつ、アマミツキは《ハイディング》を発動させる。
敵の目の前で使ってもあまり意味はないが、他の味方にヘイトが集中すれば一気に姿を消す事が可能なのだ。
現状では少しヘイトが向きにくくなるだけであり、相手の視界から外れる事は出来ないが、それでも時間稼ぎ程度にはなるだろう。
息を潜め、周囲を観察しながら、アマミツキはその明晰な頭脳を用いて状況の整理を始めていた。
(敵の数はおよそ30。雑魚敵に分類されるとはいえ、一体倒すのに姉さんの魔法が2,3発必要な相手ばかり。正攻法で挑めば、あっという間に物量に押し切られてしまう)
しかして、短期決戦に持ち込むような手段は無い。
大威力の魔法を持ち、更に氷古龍の力を借りる事ができる白餡は、現在留守番中。
代わりにいるゆきねのゴーレムは強力だが、使役する本人のパラメータは完全に生産特化であり、下手をすればメイジよりも装甲は薄い。
一応自作の防具があるためそれなりの防御力はあるが、これだけの数から攻撃を受ければ大差ないだろう。
(幸い、制空権補正で兄さんと姉さんがヘイトを集めれば、対空攻撃を持つレッサーヴァンパイアはそちらに攻撃を集中させる……その間に、出来るだけ仕込みをする必要がありますか)
上空の二人が攻撃を集め、その間に他の面々が戦う――というのもありと言えばありだが、若干レベルの低いダンクルトたちが突っ込んだ所でどうにかなる訳ではない。
ならば、と――《ハイディング》を掛けた状態のまま、アマミツキはパーティチャットで味方全体に指示を飛ばしていた。
『思いつきました。とりあえず兄さん、姉さん、攻撃しまくってヘイトを集めて下さい。まずは群れ全体の攻撃目標を兄さん達に絞らせる事が重要です……兄さん、回避出来ますか?』
『また、無茶苦茶言ってくれるな……だがまぁ、やるしかないだろう』
群れは徐々に動き出す。だが、それらの視線の多くが向かうのは、上空を漂うライト達に向かってだ。
それ以外の面々にもいくつか視線は向いているが、上空の二人ほどではない。
だが、これではまだ足りないのだ。
『兄さんと姉さんは、総てのエネミーのヘイトを集めるように……そうしなければ、作戦が始まりません』
『了解。じゃあ、そこを動くなよ。乱戦になったら攻撃できんぞ』
そう告げて、まずはライトが攻撃を開始した。
持ち出したのは、インベントリから取り出したグレネード六つ。
通常のものに加え、パラライズやスリープといった、足止め効果を持つものを交えた攻撃だ。
本来ならばそちらばかりを投げておきたい所ではあったのだが、さすがに遠慮なく投げ続けられるほどの数は揃えられていなかったのだ。
けれど、ヘイトを集めるだけならば、それでも十分であると言えた。
次々と投げ放たれるグレネード。空中から降り注ぐそれは、漫画やイメージの映像で見た空爆にそっくりであった。
(こちらから攻撃するまで動きが鈍かったので助かりましたが……どういう事でしょうかね、何か指示でもされていたのでしょうか)
――ふと、漠然とそう考えながら、アマミツキは周囲の警戒を続ける。
今までは少ない数でしか出現しなかった為に気付けなかったが、レッサーヴァンパイアはどうやらリンクする性質を持つエネミーであったらしい。
視界に入る大半のエネミーが、空を見上げて魔法の詠唱に入っていたのだ。
たった一度の攻撃でこれならば、予想以上に上手く行くかもしれない――そう考えながら、アマミツキは同じように空を見上げていた。
いつの間にか元に戻っていた月、その脇を飛び回る人影。
影だけが見えるそれは、まるで水底から優雅に泳ぎ回る魚の影を見上げるように。
けれど、そこから降り注ぐ物は、決してそんな優雅な代物ではなかった。
「『我が手に集え火精の吐息! 集束し、包み込み、焼き払え火精の抱擁! 我が言葉に従い降り注げ、地を這い喰らい尽くす炎の顎! 汝は総てを包み焦がす焔の波濤なり!』」
響き渡るのはヒカリの詠唱。
大きな声で詠唱を叫び、より多くの注目を集めようとする彼女の手には、渦を巻くように炎が現れ、球体へと集束していく。
それは火属性第五の魔法。二つ目の範囲魔法にして、現在のヒカリが操れる最高の魔法だ。
更に、炎を集束させるその手の中には、一本の試験管が握られている。
それは、ゆきねの生産したアイテムのうちの一つ、呪物に分類される【魔法強化触媒α】だ。
使い捨てではあるが、魔法の威力を強化してくれるそのアイテムは、威力強化に余念がないヒカリにとっては都合の良いアイテムである。
そうして放たれる攻撃魔法は、間違いなく現プレイヤー中最高クラスの破壊力を叩き出す事が出来るのだ。
「――《インセンディアリィ》!」
ヒカリの宣言と共に、炎の魔法は放物線を描きながら魔物の群れへと降り注ぐ。
その速度はあまり速くはなく、避けようと思えば簡単に避けられるだろう。
しかし、この魔法はそんな単純なものではない。輝く火球が降ってくる様を見つめながら、アマミツキは小さく嘆息を零していた。
「しかし、兄さんと姉さんがそれを使うと、あんまり洒落にならない気がしますね……焼夷弾、なんて」
その言葉とほぼ同時、一定の高さまで落下した火球は、破裂音と共に爆発して周囲に炎を撒き散らしていた。
降り注ぐ炎は、エネミーや地面に触れても消えず、その一体を炎の海に包み込む。
一定時間は絶対に消えず、スリップダメージを与え続ける持続型の範囲魔法。
一撃の威力はそれほど高くはないものの、消す手段が無い以上はダメージを受け続け、更に燃えている地面に触れれば追加でダメージも入る。
総合的な範囲、火力を含めれば、間違いなく過去最大の魔法であると言えた。
(受けた敵は当然火のある場所からは遠ざかる形で動く……敵の誘導にも使いやすいかもしれませんね)
尤も、急ぐために無詠唱で使おうとすれば、威力も効果時間も大幅に落ちてしまうので、考えながら使わなければならないだろうが。
その辺は追々考える事として、アマミツキは再びパーティチャットに対して声をかけていた。
ライト達が仕事をしている間に、残る仲間達に作戦を伝えなくてはならないのだ。
『では三人……いえ、手持ちに無いのは二人ですね。お二人とも、これを受け取って下さい』
『お、おう……グレネード?』
『おー、ライトさんが使ってる奴デス』
アマミツキがプレゼント画面を表示して二人に渡したのは、1スタック分のグレネードであった。
とんでもない量の爆発物にダンクルトが顔を引き攣らせる中、旬菜は一本を取り出してしげしげとそれを眺めている。
そのサイズはジャムのビンほど――つまり、通常のグレネードであった。
『以前、スモールグレネードを作れなかった頃に作りまくったものの余りです。ここで在庫処分します』
『在庫処分って……俺達なら普通に殴ったほうがダメージ出るぞ? そりゃ、この方が広い範囲には攻撃できるだろうが……』
『それじゃあ兄さん達がタゲ取ってる意味が無いじゃないですか。私達が行うのは別の作業ですよ』
肩を竦め、アマミツキは手に取り出したグレネードを示す。
使い捨ての攻撃アイテム――効率的な面から考えればあまりよろしくはなく、素材の消費量と敵を倒せる量を比較すると、あくまで補助的な物である事が分かる。
しかしながら、アマミツキはこれまでの経験で、使い方次第によっては大きな効果を発揮する事を理解していたのだ。
『このグレネードの爆破半径はおよそ2.5m程度です。そしてその中に別のグレネードが存在していた場合、誘爆する性質を持っています』
『うぇ、おっかないな』
『……つまりアマミツキ、この辺に地雷原でも作ろうって言うつもり? しかも、この群れの中を掻い潜って?』
『多いといっても、ぎっしりとひしめき合っている訳ではありませんからね。避けながらグレネードを地面に埋めるのも難しくはありません』
周囲を取り囲むレッサーヴァンパイアたちではあるが、その体躯は決して大きいものではなく、エネミー同士の隙間を通り抜ける事も不可能ではない。
尤も、標的が己に向いている場合は無理であろうが、エネミーたちの視線は完全に上空へと向けられている。
発射される氷の矢をひょいひょいと躱している兄の姿をちらりと見上げ、アマミツキは続けた。
『これを蓋が飛び出る程度に地面に埋めます。その程度なら、踏んでも爆発しません』
『爆発しないんだったら意味無いんじゃないのか?』
『ダン、頭使った方がいいと思うヨー。仕掛けてる途中に爆発したら、わたしたちもどかーん』
旬菜が説明する言葉に、ダンクルトは頬を引き攣らせる。
敵を一網打尽にするための作戦なのだ、途中で爆発させてしまったら意味が無い。
『グレネードは、連鎖的に爆発するとダメージ倍率が伸びます。まあ、限界はあるようですが……それでも、これだけの数が連鎖的に爆発すればかなりの威力になるでしょう』
『それで、起爆はヒカリに任せるのかな?』
『そういう事です。兄さん、姉さん、ヘイトを十分に集めたら回避に徹して下さい』
『おう、了解だ』
『にはは、派手にやるからなー! だけど、気をつけろよ!』
ヒカリの警告に対し、アマミツキは僅かながらに苦笑を零す。
ヒカリ自身の魔法攻撃力もそうだが、これだけの数のグレネードの爆発など、巻き込まれればひとたまりもない。
起爆の許可を出すのは十分にこの場を離れてからだ。
『とにかくそういう訳で、爆弾を埋めます。新参組は二人一組で、片方が周囲を警戒。ゆきねはゴーレムを楯装備に変更、命令を専守防衛に変えてください』
『ははっ、結構スリルありそうだな』
『背中は任せとけ……ふふふ』
『きみの心配は……まあ、するだけ無駄か。じゃあ、行くとしよう』
単独行動に優れたアマミツキが、この仕事には最も適していると言えるだろう。
それを思い返して苦笑したゆきねは、頷いてからゆっくりと周囲を見渡す。
一通りの敵にグレネードと魔法による攻撃が加えられたため、周囲のターゲットは完全に上空へと向けられている。
これならば、敵に接触さえしなければ問題なく通り抜ける事ができるだろう。
無論、敵の視界に入らないに越した事はないが。
(身を屈めて行った方が確実ですね……)
息を潜めながら気配を消したアマミツキは、低い姿勢のままレッサーヴァンパイアの群れの中へと足を踏み入れて行く。
ある程度の所でハンドスコップを取り出し、浅く穴を掘ってグレネードを突っ込む。
完全に埋める必要はない。グレネードは瓶が割れた際に効果が発動するため、踏まれただけでは割れないようにさえすれば問題はないのだ。
無論、その可能性は無きにしも非ずだが、幸いエネミーたちは上空に向けて魔法を撃つばかりであるため、あまりその場から移動する事はない。
踏まれる心配も少なく、アマミツキは周囲への警戒を怠らないようにしながらも、地面に等間隔にグレネードを埋め続けていた。
――そんな仲間達の姿を見下ろし、上空を飛び回るライトは小さく苦笑する。
「また妙な事を考え付くもんだな、うちの参謀殿は」
数が多い以上、時間の掛かる普通の戦い方をすれば手数の差に押し切られる。
かと言って、相手を一撃で消し飛ばせるほどの大火力をすぐさま発揮する事も不可能だ。
ならばどうするか――アマミツキの出した結論は、長時間の回避が可能なライトに攻撃を集中させている間に、敵の群れを一撃で消し飛ばせる準備をする、というものだったのだ。
方法としては、アイス・エレメンタルの時とあまり変わらない。
しかし、今回はあの時よりも、幾分かの余裕があった。
「来るぞ、ライ」
「ああ」
飛来する魔法は《アイシクルランス》。
氷の槍を三つ作り上げ、敵へと放つ魔法だ。直線で飛び、風魔法ほど攻撃速度が速い訳でもない。
敵の数はおよそ30であるため、単純計算で一度に90もの魔法が飛んで来る訳だが、結局の所ライトがいる場所にしか飛んでこないのだ。
ある程度ブレがあると言っても、狙いをつけた魔法は狙いに近い場所へと飛来する。
シューティングゲームで言うところの『自機狙い』。大量の弾幕に一瞬気圧されはするが、実のところ少し横に逸れるだけで当たらないという、初心者にも優しい仕様だ。
故にこそ、不規則な軌道で移動し続けていれば、敵の攻撃は当たらない。
無論、相手もAIを積んでいるエネミーであり、さらに一度通った場所を不用意に通れば流れ弾に当たる可能性はあるため、ライトは決して油断はしていなかった。
「ホーミングやら高速レーザーに比べりゃ……まあ、まだまだ楽だ」
アイス・エレメンタルの攻撃は『どうやって処理するか』まで考えなくてはならなかったが、今回はその限りではない。
例え、時折範囲魔法である《ブリザード》が発動したりしたとしても、ライトの飛翔速度ならば効果発生前に圏外まで退避できる。
勝てない相手ではない――先ほどの圧倒的な気配を前に感じた絶望感に比べれば、この程度の相手など大した事ない。
それが、ライトの認識であった。
「……しかし、あいつは」
先ほどの黒い影。その正体が何なのか――一体何を考えて、このエネミーたちを出現させていったのか。
意図も正体も何もかも、現状では想像する事すら出来ない。
けれど――
「ライ、今はいい。もしかしたら、全滅させれば教えて貰えるかもしれないぞ?」
「さて、どうなるかな……正直、あれの目の前に立てって言うのは、なかなかきつい話なんだが」
苦笑し、ライトはグレネードを一つ取り出す。
あまり無駄な事を考えていても仕方がない。あの影と戦えば負けるだろう――その確信があったが、今は気にしていても仕方がない事だ。
今はただ、地上で手を振っているアマミツキの指示に従い、仕掛けを作動するだけ――
「どうせ見てるんだろ? 勝たせて貰うぞ」
そう呟き――ライトは、地上へと向けてグレネードを投げ放っていた。
今日の駄妹
「一つ埋めては兄さんのためー、二つ埋めては姉さんのためー」




