47:依頼
遠く、遠く、風が吹き抜ける。
地上が見えぬほどに高い山々。その頂上に、一つの建物が建っていた。
未だ何者にも触れえぬ領域。長き間、誰も辿り着けぬであろう危険な領域。
その中心に立つ天文台の中に、しかし望遠鏡の姿は存在していなかった。
『思うに――』
そこに、女の影が一つ。
舞い踊るように両手を広げて、彼女は天文台の中をゆっくりと歩む。
本来望遠鏡があるはずの場所――そこに突き立つ、長大な刀へと向かって。
『――変化を求めるようで不変を求めている。その矛盾こそが人であり我々なんだ』
その刀に背を預けるように、その踊る女の影の声を受け止めながら、一人の男が地に座する。
黒き髪と黒い瞳。白い甲冑の中心には、万色の光が渦を巻き集束する宝玉が一つ。
剣の主は、黙して語らず。けれど、その口元を僅かに歪める。
『ならば、ワタシは人と変わらないか?』
女の影は、自嘲するように舞い踊る。
黒衣を纏って。ひらり、ひらりと。
嘲るように。祈るように。
『だがな、ワタシは思う。我が半身よ。我らが主こそが、何よりも不変たる象徴であると』
そう、口にして――女の影は、ぴたりと足を止める。
己の半身と、黒白の男と背を合わせるようにしながら。
くすくすと、くすくすと――
笑い声を響かせて――
――影は、芝居がかった様子で告げる。
『ああ、未だに四柱は健在。《賢者》にも《霊王》にも《刻守》にも《水魔》にも、辿り着ける者など在りはしない。《霊王》の影を踏む者は、一体いつ現れるのか』
告げる。告げる。
呪縛のように。祝福のように。
世界を歩む者たちへ。たった一人の少女へ向けて。
彼女は全てを識る者。
大図書館の主たる知識の王とは違った形で、総ての物事を知覚する。
万物を見通すその瞳は、今は未知に輝いて――
『しかし。しかし。我らが主の愛を受けし者たちよ。お前たちの行く末を、ワタシは知らない。知らないのだ!』
――喝采を、告げる。
純粋に。純粋に。女の影は、全てを識る者は、愛すべき者たちへの賞賛を口にする。
『我が半身よ、お前の愛を受けし《観測者》は、果たして何を見つめる?』
「――待てばいい。門は、いずれ開く」
『ならば現在を見つめよう。されど。されど。願う事は唯一つ』
笑う女は、笑いながら。
座す男は、瞳を開いて。
――告げる願いは、唯一つ。
『我らの楽園よ、永遠なれ』
* * * * *
「ふふふのふ~♪ はいソルベ、ご飯だよー」
『クォウ♪』
白餡から餌を与えられ、上機嫌にそれを齧っている氷古龍の幼生。
鱗と棘で覆われた尻尾をぶんぶんと振っているその姿の中には、かの成体の凛々しさなどどこにも存在していない。
むしろ、その犬っぽい外見も相まって、完全に愛玩動物と化していた。
そんな様子を横目に眺めながら、アマミツキは小さく嘆息を零していた。
「一応、隠してもあまり意味はないとは言いましたが……積極的に見せていいというわけではありませんよ?」
「う……いや、分かってるんですよ。だから人目に付きづらそうな道を通ってるんですし」
「それ、言い訳になると思ってます?」
「……思ってないです、ごめんなさい。で、でも、せめて食べ終わるまで送喚は待って下さい!」
「はいはい、分かってますよ全く」
必死に頭を下げる白餡に、アマミツキは嘆息交じりに肩を竦める。
元より、こうなる事を覚悟した上で孵化作業を行っていたのだ。
この事態は、予想通りといえば予想通りなのである。
「当初の予定通りでいいのか、アマミツキ?」
「はい。一応運営にも確認を取りましたから、問題はない筈です」
ライトの疑問に対し、アマミツキは鷹揚に頷いてそう告げる。
彼らパーティメンバーは、全員が一塊となって細い道を進んでいた。
先頭はゆきね、そしてその後ろに白餡を挟むようにしながらアマミツキとライトが並び、一番後ろにヒカリがいる。
このフォーメーションは他でもない、ソルベを抱えている白餡を隠すためのものであった。
アマミツキは氷古龍と接触した件について、ライトのアドレスを用いて運営と連絡を取っていたのだ。
そうして返ってきた返答はたった一つ。
『ええよええよ、かまへんかまへん。それを使って辿り着いてくれる子が出てくるとは思わへんかったから、うちとしても嬉しい限りや。ただ、積極的には知らせんようにな』
――そんな、常世思兼によるコメントのみだったのだ。
ライトからの質問であれば彼女が目を通す可能性があると踏んだ、アマミツキのファインプレーであった。
ともかく、自分たちが利用した方法が認められた以上、気を使いすぎる必要はなくなった。
どうにした所で、これからソルベを戦力として使っていくつもりがあれば、衆目に晒されてしまう所だったのだ。
ソルベ自身が優秀な戦力であり、さらに白餡も我慢する事は不可能だろうと考えられる。
そのため、アマミツキはソルベを合法的に運用できるように、《タカアマハラ》の一角へと接触を図ったのだ。
かなり賭けの部分はあったものの、その見返りは大きいと言えるだろう。
(まさか、全てのメールを閲覧しているなんて事はないでしょうし……兄さんが監視されている、と考えるべきでしょうか)
《タカアマハラ》、常世の偉業を考えると、全てのメールの閲覧ももしかしたら可能なのではないかと思えてしまうが。
ともあれ、掲示板などに積極的に情報を伝える事はないが、問い詰められたときに言い訳の手段としてある程度の説明をする事が可能になった。
それでも無駄に騒がれぬよう人目を避ける事に変わりはなかったが、そう極端に気を使いすぎる事もないと、アマミツキはそう考えていた。
「それにしても、わざわざ皆で付いてこなくてもよかったんだよ?」
「まあ、乗りかかった船だしな。それに、人が殺到して来た時のために、俺たちは必要だろ?」
「ライト君……」
「しなを作るな、わざとらしいぞ」
半眼を向けられ、ゆきねはからからと笑う。
元来仲間というものに対する理想の高いゆきねは、既にこの『碧落の光』以外のパーティなど歯牙にもかけていない状況であった。
仲間の迷惑にならない範囲でならいかなる事も認めてくれるヒカリの器の大きさと、そのサポートすらしてくれる仲間たちの協力体制。
ゆきねにとっては、非常に居心地の良い場所となっていたのだ。
「ま、お金を稼ぐ必要はあるしね。ネトゲのトッププレイヤーは装備のためならとにかくお金に糸目をつけない連中だし、今回の素材はまだ無理のない範囲のアイテム。結構いい稼ぎが出来ると思うよ」
「にはは、そしたらもっと沢山作れるように、ギルドハウスも買って生産施設も作るぞー!」
「当面の目標はそっちって訳か。次の狩場も考えないとな……その辺りは任せるぞ、アマミツキ」
「はい、お任せ下さい。報酬は兄さんのアレとかソレとかナニとかで」
「何をする気ですか、一体」
五人は思い思いの言葉を口にしながら、借りている露天へと向かっていく。
面している場所こそ王都の大通りであったが、路地を使えば回り込んで行く事も不可能ではない。
王都のマップを表示しながらぐるりと移動し、一行は目的の場所へと辿り着いていた。
日本の縁日の屋台より多少しっかりしているという程度の露天。
木枠と布の屋根という簡素な造りの中には、一人の女性が立って店番を続けていた。
そんな彼女へと、ゆきねは後ろから声をかける。
「おーい、クレールさーん」
「あ、ゆきねさん? よかった、もう品切れになりそうだったんですよ」
クレールと呼ばれた彼女は、店番NPCとしてゆきねが雇った人物であった。
それなりに多い値段を払ったため、不正などは行わない優秀なNPCである。
尤も、そんなシステムがあるのもどうなのか、という意見は多数は存在していたが。
ともあれ、ライトたちからしてもクレールの仕事は概ね満足できるものであった。
その為、このように継続して店番を頼んでいたのだ。
「いつもありがとう。これ、追加の商品だよ」
「はいはい、こちらもお給料貰ってやってますから、頑張りますよー!」
「ああ、いつもありがとうな。所で、何か変わった事とかはなかったか?」
ゆきねが共有インベントリからアイテムを受け渡したのを確認し、ライトはクレールにそう尋ねる。
その言葉に、アイテムを確認していたクレールは視線を上げ、首を傾げていた。
「変わった事、ですか?」
「ああ。変な客が着たりとか、俺たちの事を聞いてくるような奴がいたりとか」
「あー……確かに、そういうのは時々ありましたね。けど、ここがギルドで借りてると伝えたら退散していきましたよ」
「直接話をするならまだしも、店番相手に引き抜き交渉はしないだろうしなぁ」
クレールの言葉に、ヒカリは上機嫌な様子で二度ほど頷く。
自分の仲間の優秀さが認められているようで嬉しかったのだ。
とはいえ、そんな交渉が来るのは厄介事でしかない。早めに離れた方がいいと判断し、そう声をかけようとした――その時。
クレールは、ぽんと手を打つと付け加えるように声を上げていた。
「あ、そういえば変わった二人組みはいましたね」
「変わった二人組み? どんな人達だったの?」
「ええ、男女の二人組みだったんですけど……皆さんの事を聞いてきたのは事実だったんですが、ちょっと様子が違ったなって」
問い返したゆきねの言葉に、クレールは思い返すように顎に人差し指を当てながら声を上げる。
コンビのプレイヤーというのは、実のところあまり数は多くない。
ニアクロウならまだしも、ギルドの面々が多く進出しているフェルゲイトでは少人数グループはあまり見かけないのだ。
更に様子も違うという言葉も気にかかり、ライトはクレールに聞き返していた。
「具体的に、どう様子が違ったんだ?」
「ええと、まず商品を見て『これを一人で作ったのか?』とか聞いてきて、それから『作成の依頼は出来るか』とかも聞いてきましたね」
「引き抜きじゃなくて、アイテム作成の依頼か……けど、今までにもあっただろう?」
「ええ、そうなんですけど。普段なら受け付けていないといえば他のギルドさんの所に向かっていく所なんですが、その二人組みはどうしてもゆきねさんに依頼したいらしくて、しばらく粘ってたんですよ。まあ、今はいないから無理だって言いましたけど」
「そこまで腕を買って貰えるのも嬉しいけど……うちでそこまで粘る理由なんてあるのかな?」
ゆきねは生産の腕こそ高いが、今の所熟練度はそこまで高くない。
その為、レベルの高くない素材で作ったアイテムなら、他の店のほうが性能が高い場合も少なくないのだ。
他のプレイヤーにとってこの露天の認識は、『掘り出し物の多い店』といったところであろう。
故に、そこまで強くこの店に執着するような理由は、あまり存在しないはずなのだ。
「ちょっと毛色の違う連中か……どうする、ゆきね。仕事を請けるのか?」
「んー……興味があるのは事実だけど、こういうのを請けちゃうと際限なく入ってくるからなぁ」
基本的に拘束を嫌うゆきねである。
多少ならまだしも、あまり多くの以来が舞い込む事は望むところではない。
しかしながら、全くの興味が無いというのも嘘であった。
他のギルドではなく、ゆきねの技術を買ってと思われる依頼――それがどういったものなのか、気になっていたのだ。
と――
「……あ、人がいる」
「ん、おお!? もしかして、アンタらこの露天をやってるギルドの人か!?」
――露天の裏手で相談を続けていたライトたちに、そんな声が掛かった。
男と女の二人の声。その響きに、クレールは小さく目を見開きながら、一番最初にその声の方向へと視線を向けていた。
声の通り、そこに立っていたのは二人の人物。
若干背の高い痩身の男性と、その隣に立つ小柄な少女だった。
「あ、このお二人ですよ、さっき言ったの」
クレールの言葉に、半ば予測していたとはいえ、若干の驚きを交えつつライトたちは視線を向ける。
パーティ五人に加え、クレールを含めた六人分の視線。それらを一挙に引き受けながら、男性は嬉しそうに――そしてどこか必死さも交えて、声を上げた。
「アンタたち……いや、ちがう、ごほん。ええと、貴方たちに依頼をさせてください!」
「この【変化の種】……これでアイテム作れる人、探してマス」
そして、その言葉に――ゆきねとアマミツキは、大きく目を見開いていたのだった。
今日の駄妹
「儲かっているようで何よりですね。早く愛の巣を購入しなくては」




