39:エレメンタルマスター
「それじゃあ、私はこの辺りで戻ります……戻りますからね!」
「いや、うん、分かったから」
「未練たらたらじゃないか」
ニアクロウ領主の館の前。
ライニから紹介状を受け取ったライトたちは目的のメイジに会うためにそこへと向かい、そんな言葉を交わしていた。
先に話していた通り、白餡は再び王都フェルゲイトへと戻る。
アマミツキを放置しておくと何をしでかすか分からないという、パーティの面々にとって共通認識とも呼べる事柄が原因であった。
それがなければ白餡も残る事を選択していただろうが、どこまでも貧乏籤を引く気質の少女である。
「まあ、しっかり話は聞いてくるから安心しろ。白餡はアマミツキの事、頼んだぞ」
「はい、分かりました。よろしくお願いしますね……それでは、情報が手に入りましたらまた」
「ああ、分かった。それじゃあな」
ライトの告げた言葉に、白餡は僅かに残念そうな表情を浮かべていた。
もしも引き止められていたら遠慮なく残っていたのだろう――その姿を思い浮かべ、ライトは僅かに苦笑する。
面倒見がよい少女である事も事実だが、動物に対する情熱はそれに負けず劣らずである。
そんな白餡はぺこりと頭を下げると、踵を返して町の中心部へと向かっていった。
時折、後ろ髪を引かれるように振り返りながら。
「……何かちょっと悪い事した気になるな」
「けど、分担は分担だぞ。その辺りはきっちりしないと、後々に響くからな」
腰に手を当て、仁王立ちの姿勢で放たれたヒカリの言葉。
ライトはそれに、無言で首肯していた。
ヒカリなりの経験則、彼女がこれまで努力した中で培ってきたモットーなのだ。
それならば従うことに否はない――尤も、ライトがヒカリの指示に従わない事など、それこそ滅多にないのだが。
「さて、それじゃあ行くとするか」
「んー、そだな。白餡は戻るの一瞬でも、あたしたちはきちんと道を進まなきゃならんし」
「ま、そこは飛んで行けばいいんだがな」
「にはは、目立たない行動とか全く考えないんだなぁ」
「既に目立ってるからな。今更だ」
先日妹分が嬉々とした無表情で見せてきたスレに事を思い返し、ライトは思わず渋面を作る。
別段目立たないでいたいと主張する訳ではないのだが、必要以上に目立つ事も煩わしいと考えていたのだ。
とはいえ、例のスレは本人への突撃は禁止であるという事になっていたので、ライトはそうそう悪質な者は現れないだろうと踏んでいた。
もしもそういった者が来れば、スレの方に直接苦情を言いに行けばいい。
無駄に対応の早いタカアマハラの管理の下、即効でスレは削除される事だろう。
流石に、即座にそこまでの対応をするかどうかはライトにも分からなかったが。
「ま、とりあえずゴー」
「っと、あんまり急ぐなよ」
思考を中断し、ライトは先行し始めたヒカリの背中を追う。
その行動にどことなく過去の記憶を思い返しながら、ライトは小さく笑みを浮かべていた。
同時、インベントリの中からライニのしたためた招待状を取り出し、小走りにヒカリの隣へと並ぶ。
視線の先にあるのは、領主の館の門と、その前に立つ門番の姿だ。
今の自分たちよりも遥かに高級そうな装備に身を固めた彼へと、ライトは手に持った手紙を差し出す。
「古書店の主、ライニからの紹介状を貰ってきた。どうか、この館に滞在するメイジと面会できないだろうか」
「む? ……ふむ、少々待っていろ」
初めは警戒の色を浮かべていた門番であったが、紹介状を受け取ってそれを確認すると、すぐさま態度を変化させた。
彼はすぐさまインベントリから水晶玉のようなものを取り出し、それに向かって話し始める。
どうやら、この世界における携帯電話のような道具らしい。
「NPCはああいうの使って話をするんだなぁ」
「俺たちの場合はウィスパーチャットがあるからなぁ」
やはり、プレイヤーとNPCに与えられている特権は異なるものであるらしい。
それを認識して、ライトは軽く肩を竦めていた。
確かに差こそあるが、NPCにはNPCに適した環境が与えられているのだ。
(しかしまぁ、つくづく謎だな。一体どうやったら、こんなふうに自然な動作をさせられるんだ)
BBOのNPCには良くも悪くも機械らしさというものが存在しない。
どこまでも人間らしい、あえて言うならば『この世界で実際に生きてきた民がいたならば』というIFの元に生まれているとも感じられる。
タカアマハラの技術はとことんまで規格外であったが、これもまた有名な一角であった。
「……よし、許可が出た。通っていいぞ。案内はそこのに任せるから、声をかけてやってくれ」
「ありがとう」
「お世話になりまーす」
思った以上にすんなりと通り、拍子抜けしつつも二人は門番に頭を下げていた。
その門番は手に持った紹介状を近くにいた別の兵士に渡し、彼の事を示しながら二人に指示を飛ばしていた。
元より、建物の中がどうなっているかなど知らなかったのだ。ライトたちにとっても好都合であると言えるだろう。
二人は門番の言葉に素直に従い、案内の兵士の後を付いて屋敷の中へと足を踏み入れた。
「へぇ……」
「おー……」
当然ながら、純日本人であり孤児であった二人には、西洋風の高級な建物に入った経験など存在しない。
それ故に、二人は整ったその内装に眼を奪われる事となった。
必要以上に高級感溢れる見た目という訳ではない。
目に付く所には調度品を置き、見栄えよくしながらも、それ以外の部分には基本をしっかりとしているのみで必要以上のモノは置かない。
それが、二人には非常に整然とした空間に映っていたのだ。
「こういうのはよく分からないが、ここの主って結構趣味良さそうな感じだな」
「にはは、テキトーに言ってるだけだけどな。それに、今回の目的はその人じゃないし」
「まあな。機会があれば一目見てみたいとは思うが、会って話すのも何だか緊張しそうだ」
ゲームとはいえ、見るからに上流階級の人間が相手では緊張してしまうと、ライトは苦笑を零す。
一応、隣を歩くヒカリも、資産家に引き取られた為それに類する人間ではあったのだが。
しかしヒカリはそれにツッコミを入れるような事はせず、くすくすと笑いながら屋敷の廊下を進んでゆく。
そしてある程度進んだ所で、ふと、少女のものと思われる声が聞こえ始めた。
『ちょっと、だから言ってるでしょ――』
「ん?」
「お?」
声の響いてくる方向は、進行方向と同じ。
その声は非常に若いと思われる少女の声で、しかし非常に理知的な知性の色に満ち溢れていた。
非常に美しい鈴を鳴らすようなその声は、二人が歩むほどに徐々に大きくなってゆく。
『ああもう……どうして私がこんな……』
聞こえてくる声は、進む方向の先にある、廊下の正面の扉からのようであった。
あまり防音がしっかりしていないのか、或いは別の理由なのか――響く声は、なぜかはっきりと聞き取れる。
そんな不思議な状態に疑問符を浮かべながらも、ライトとヒカリは半ば確信を持って視線を交わしていた。
――恐らく、この声の主こそが、自分たちの探す人物なのだ、と。
『――分かったわよ。いい、これが終わったらさっさと……』
果たして、この声の主と、その会話の相手は誰なのか。
そんな疑問を抱きつつ、二人は兵士の導きの下、部屋の前まで辿り着く。
その時には、既に部屋の中から響く話し声は消えていた。
最後に届くのは、まるで計ったかのようなタイミングで放たれる、部屋の中からの言葉。
『入りなさい。お客さんが来てるんでしょう?』
「は、はい」
その言葉に、屋敷の人間である兵士ですら、驚いた様子で仰け反る。
無理はないだろう。まるで外の様子を見ていたかのようなタイミングの言葉だったのだから。
内側から響く声は、そんな底知れぬ存在感を湛え、ライトとヒカリの心に衝撃を与える。
そして同時に、大きな興味と期待感を抱かせていたのだった。
(これは……)
(微妙な可能性だと思ってたけど、結構当たりか……?)
目配せし、声を出さないままに、二人はそう胸中で言葉を交わす。
そして二人は同時に頷くと、再び正面へと視線を戻していた。
同時に、入室の許可を得た兵士が、ゆっくりとその扉を開いてゆく。
その奥に存在していたのは――
「ようこそ、いきなり面倒な事をしてくれたお客さん」
――黒い。漆黒を纏う、一人の少女。
ツーサイドアップにされた黒い髪に、流れる夜のような漆黒のローブ。
その中で唯一輝くのは、若干面倒そうに歪められた銀色の瞳。
あまり派手な姿であるとは言えない。けれど、放たれる強烈な存在感は、今まで出会ってきたプレイヤーやNPCを遥かに超越していた。
人の姿をした力の塊、そう言われた方がまだ納得できると思えてしまうほどに――
「私の名前は『アル』。貴方たちが探していたメイジよ。まあ、一応歓迎するわ……そこの案内、あんたはもう下がっていいわよ」
「は、はい」
椅子に座って足を組みながら軽く肩を竦めた少女――アルは、そう言って案内の兵士を退室させる。
非常に面倒くさそうな、ダルそうとも取れるその姿ではあるが、放たれる威圧感は並みではない。
その圧倒的な姿に息を飲みながらも、二人はそんな少女から目を離さずに立ち続けていた。
「さて、と。貴方達、さっさと要件を言いなさい。まあどうせ、あの犬トカゲの事でしょうけど」
「な……っ!?」
「どうして、それを!?」
「一応、あれも精霊王に関するモノだからね。私の所には情報が入ってくるのよ。正直、あいつらが何してようとあんまり興味ないけど」
肩を竦めるアルの表情は、どこまでも正直に語っているようであり――つまるところ、二人にはアルの表情を読みきる事が出来なかった。
どこまでが本気なのかも分からず困惑する二人の様子に、それまで面倒そうな表情を浮かべていたアルは、ようやく小さな笑みを浮かべる。
「成程ね……あんな所まで行くからどんな連中かと思ったら、まだ成長途中って所な訳か。こんなに早く辿り付けるとは思ってなかったし、どんな連中なのかと思ってたけど……中々、楽しみね」
その言葉に――それまで呆気に取られていたヒカリは、急速に意識を冷却させた。
今、アルが放ったその一言。それに対し、強い違和感を感じていたのだ。
「こんなに、早く……?」
「! 貴方は、まさか――」
「さあ、何の事かしらね」
口元を僅かに歪めながら放たれた言葉に、ライトとヒカリは息を飲む。
明言こそされていないものの、否定はしていない。
少なくとも、彼女がただのNPCであるとは、ライトには到底考えられなかった。
彼女は一体何者なのか、その疑問がゆっくりと首をもたげ――けれど、ヒカリはそれを押さえつける。
彼女に答える意志は無い。中途半端に情報を与え、反応を楽しんでいるだけだ。
それは彼女自身の性格が悪いというよりも、何か腹に据えかねた事があるが故の八つ当たりのように感じたが――
「……いや、いい。あたしたちは、貴方に尋ねたい事があって来ました」
「へぇ。何かしら?」
白々しい、と――脳裏でそう思い浮かべながらも、ヒカリは真っ直ぐとアルの瞳を見つめる。
彼女の輝く銀色の瞳は、どこかヒカリの事を値踏みしているようでもあった。
相手が何を考えているのかは、ヒカリにもさっぱり分からない。
けれど、今自分たちに必要なものは情報であり、彼女の正体ではないのだ。
気にならないといえば嘘になるだろうが、今はそれを追及するべき時ではない。
そもそも、聞いた所で答えはしないのだろう。
故に、ヒカリは本来の目的である問いかけを発する。
「先ほど貴方は犬トカゲと言っていました。貴方は……氷古龍の事を知っているんですか? それも、詳しく」
「……そうね、その辺りはちゃんと答えましょう。答えは肯定よ」
そんなヒカリの問いに対し、アルはどこか嘆息じみた息を吐き出してからそう答えていた。
その態度の中に嘘は見えず、もしもこれが演技ならばあまりにも相手が悪すぎる、とヒカリの隣に立つライトは内心で渋面を作っていた。
見た目は少女のようであるが、中身はあまりにも老獪だったのだ。
「それで、貴方たちは、あの犬トカゲの何を知りたいのかしら?」
「その前に、他言は――」
「ええ、しないわ。どうせ、貴方たち以外の人間なんてそうそう尋ねて来ないのだし」
肩を竦めるアルは、どこか呆れを交えたような調子でそう告げる。
その言葉にもどこか引っかかるものを感じたものの、二人は再び追求の言葉を飲み込み、改めて声を上げる。
「俺たちが知りたいのは、あの氷古龍の生態です。正確に言うなら、餌とするものを調べています」
「へぇ、なるほど。幼生結晶を貰ったのね。あのトカゲ、面倒な事をしてくれる……と言いたい所だけど、まあ大丈夫でしょうね」
氷古龍の事をまるで知己のように語りながら、アルは小さく笑いながらそう答える。
ライトとヒカリは、そんな彼女の様子を無言のままに見守っていた。
部屋を満たす威圧感と、必要な情報に迫った緊張感。
それを前に、ヒカリさえも言葉を飲み込んでいたのだ。
そして――アルは、笑みと共に声を上げる。
「貴方たちも氷古龍から聞いたかもしれないけど、あいつは幼生を育てた事はない。故に、餌になる物が何なのかは分からないわ」
「っ、そんな……!」
「――けど」
期待を外され、ライトが失望の声を上げようとしたその瞬間、アルはそれを遮って声を上げる。
どこか、得意げな笑みで表情を彩りながら。
「他の古龍も全てそうって訳じゃないわ。そして、それ故にある程度の傾向が存在する」
「傾向……? それは?」
「端的に言ってしまえば、それぞれの龍の属性が篭った品物よ。氷古龍で言うなら、魔法で出した氷や、氷の魔法生物の破片とかね。まあ尤も、前者ではかなり効率悪いでしょうけど」
その言葉に、二人の脳裏に浮かんだのは先日戦った遺跡を護るボスの姿だった。
氷の魔法生物アイス・エレメンタル。あれからドロップしたアイテムたちならば、それに該当するのではないか、と。
そんな二人の一瞬の目配せを察知したのか、アルはにやりと笑みを浮かべる。
「さて、必要な情報はそれだけかしら?」
「はい、ありがとうございました」
「そ。私のクラスの成り方とかを聞いてくるかな、とは思ったけど……ちなみに、貴方達の想像通りだと思うわよ?」
エレメンタルマスター――隠しクラスだと思われる上級職の名前を思い浮かべ、ライトは沈黙する。
思考を先読みされていた事を悔しがるべきか、想像を肯定された事を喜ぶべきか。
しかしそんなライトの渋面に、アルはくすくすと笑みを浮かべる。
「まあ、情報は十分だっていうならそれでいいわ……ああそうそう、もう一つ伝えておこうと思ってたんだったわ」
「もう一つ?」
「そう。貴方達――」
そこまで口にして、アルは姿勢を正す。
まるで、何かに敬意を払うかのように。
「まずは《霊王》の元へ向かいなさい」
「え……?」
「時期が来れば分かるわよ。それまで、忘れないようにしておきなさい」
それで話は終わりだというように、アルは背もたれに身体を預けながら、ひらひらと追い払うように手を振る。
そんな彼女の姿に困惑しつつライトとヒカリは視線を交わす。
それでも一度、二人は同時に頭を下げてから、部屋の外へと歩き去っていった。
「……もう一人はいないみたいだったけど、あれがねぇ。ま、私は細かな手伝いをするだけ出し……面倒なのは任せるとしましょうかね」
二人の姿を見送って、アルは小さくそう呟く。
そして立ち上がって踵を返した瞬間――彼女の姿は、その場から跡形もなく消え去っていた。
今日の駄妹
「……何故でしょう、何なんでしょうか。あの声も、この感覚も」




