36:王都での出会い
白亜の城の横にある、巨大な建造物。
茶色の屋根と白い壁は、西洋の古き町並みにある歴史的建造物といった風情を漂わせていた。
壁の経年劣化すら再現しているその細かさに感心しながら、アマミツキはぼんやりとその建物を見上げる。
「なるほど、確かに大きいですね。ニアクロウにあったものとは桁違いです」
彼女の口調は、相変わらず淡々としたものだ。
言葉の上では感心しているにもかかわらず、あまり感情が揺れ動いた声音ではない。
元より、彼女はそういう人間なのだ。家族の事以外では、あまり感情を表に出さない。
その数少ない例外が、白餡こと白峰愛莉なのである。
とはいえ、その彼女も今は隣にいないのだが。
「……まあ、戻ってくるまでにはしばらく掛かりそうですし、入りますか」
白餡の早期帰還は見込めない。
軽く肩を竦めると、アマミツキはちらりと横に立つ看板を見ながら図書館の中へと進んでいった。
看板に書いてある注意書きは唯一つ、『入館料2000リール』である。
入るだけで金を取られるというシステムに、アマミツキは小さく溜息を吐く。
(貴重な品々があるから、という事でしょうかね。これだけの規模の施設ですから、運営どころか維持だけでもそれなりにお金が掛かりますし。初心者には少々きつい値段ですが、書物を公開するというリスクと比較すれば順当な値段でしょうか)
何故そんな裏設定のようなものを考察しているのか、と胸中で自問自答しながらも、アマミツキは入館手続きを済ませて建物の中へと進んでゆく。
2000リール程度であれば、難易度の高いダンジョンで荒稼ぎしたアマミツキたちにとってはそれほど大きな額ではない。
尤も、少ないと言えるほどの額ではない事も確かであったが。
そうして入り口を通り抜けたアマミツキの目に入ってきたのは、『本の壁』とでも形容すべき光景であった。
内部は明るい証明に照らされ、周囲を見渡す事にも本を読むことにも不自由しない明るさを保っている。
そして、そんな証明に照らされた下には、無数と言えるほどの本棚が立ち並んでした。
その数は、優れた演算能力を持つアマミツキですら想像できないものであり、正面にある大きな階段から、更に上層階も地下もある事が伺える。
「これは……流石に、制覇は無理ですね」
これだけの知識を詰め込んで、それでも頭がパンクするとはアマミツキも考えてはいなかった。
けれど、それを行うだけの時間は流石に存在しない。
これだけの本を読んでいくとなれば、アマミツキですら数年単位の時間が必要となってしまうだろう。
それはそれで魅力を感じているアマミツキであったが、今は仲間たちの望みを尊重する事を優先していた。
家族の、兄と姉の信頼を裏切る事はできない――それこそが、アマミツキにとっての原動力だったのだ。
「さて、それはそれとして……どうやって本を探すかですね」
独りごちて、アマミツキは周囲へと視線を走らせる。
あまりにも広すぎ、あまりにも多くの本がありすぎる館内。
この中から闇雲に関係のありそうな本を探す事は不可能であろう。
ならば、どうすればいいのか――そう考えたところで、アマミツキはふと、長い銀髪のプレイヤーの姿を目にして動きを止めた。
ポニーテールに長い髪をまとめているが、どうやら髪の量が多いらしく、もっさりと広がって背中を覆い尽くしている。
そんなプレイヤーは、本棚の横に設置されているらしい水晶の板のような物に手を伸ばしていた。
「……ふむ」
こくりと頷き、アマミツキは再び周囲を見回す。
そしてしばし周囲を探ってみれば、さほど時間をかけず、銀髪のプレイヤーが向き合っているものと同じ板を発見する事ができた。
アマミツキはそれに接近し、倣うように手を伸ばす。
それと共に水晶版に浮かび上がった画面は、彼女の想像したとおりのモノだった。
「やはり検索機ですか。ファンタジーの癖にハイテクですね」
尤も、こういったものがなければ本の山の中から目的の本を探す事など不可能であっただろう。
これだけの広さでは、司書でも対応しきれないであろう事は容易に想像がついた。
しかし何にしろ、アマミツキにとっては好都合だ。彼女は早速水晶板を操作し、目的の本を探してゆく。
(龍の話となると、やはり御伽噺ばかりですか……とはいえ、これだけの量ですから全く無いなどありえない。それに、氷古龍に関してなら御伽噺だとしても多少はヒントになるでしょうし)
操作し、映し出した本の在り処を瞬時に暗記する。
そうして記憶した本の場所の数はおよそ二十五冊。若干趣味の内容も混じっており、全てが役に立つ本という訳ではなかったが。
今回は少々条件を厳しくして選んでいるので、もしかしたらこれ以外にもヒントになる本はあるかもしれないが。
(まあ流石に、あまり多くしても読みきれませんからね。このぐらいで十分でしょう)
軽く肩を竦めて、アマミツキは歩き出す。
場所が分かっても、この図書館が広大である事に変わりはないのだ。
求めている本を探し出すまでにも、それなりに時間がかかってしまう。
少々面倒になりそうな作業に嘆息しながら、アマミツキは本棚の森の中へと足を踏み入れていった。
* * * * *
「……ようやく集まりました」
若干疲れを交えた口調で、アマミツキは嘆息交じりに本を運ぶ。
その数二十五冊――タワーとなっている本の山を器用に運び、それを机の上へと鎮座させる。
持ち運ぶには少々重くはあったものの、一応それなりにステータスがあるために運べないという事はなかった。
そんな現実の体との差に若干の違和感を覚えつつも、アマミツキは本の横にあった席に着く。
「さて、と」
頷き、アマミツキは二冊の本を手に取った。
選んだ二冊はなるべく同じぐらいの厚さのもの。
片方は龍に関連する御伽噺。そしてもう片方は、珍しい魔物について調べた図鑑のような書物だ。
アマミツキはその二冊を自分の目の前に並べるように置き、そして両手を本の上に添える。
そうして彼女が始めた行動は、一般的に見て非常に奇妙なものであった。
(さて、期待はできるでしょうかね……)
アマミツキは、両手で同時に表紙を開く。
彼女の目の前にあるものは二冊の本。当然ながら、内容はまったく別のものだ。
しかし、彼女はそれを、両方を視界に納めるようにしながら同時に読み取ってゆく。
複数の本の内容を同時に読み取る技術――それは、瞬間記憶能力を持つ書痴であるアマミツキだからこそできるものだ。
その気になれば、最大で五冊程度まで同時に読む事が可能である。
しかしそれをしないのは、偏に本を捲る手が足りない為であった。
(こういう時のために白餡を呼んでいたのもあるのですが……まあ、無いもの強請りをしても仕方ないですね)
本人が聞いたら複雑そうな表情を見せるであろう台詞を胸中で呟き、アマミツキは読書を進める。
例え二冊同時であろうと、彼女の読書スピードはかなり速い。
更に今回は本の内容全てを覚える事が目的ではなく、調べ物の為に本を探っているのだ。
そのため、特に関係のない記述であれば読み飛ばしてしまっても問題はない。
アマミツキは、ほんの数秒で二冊の本の一ページを確認すると、すぐさま次のページへと読書を進めていった。
(あまり関係の無さそうな内容ではありますが、魔物図鑑の知識は無駄にはなりませんしね……サラッとでも覚えておいた方がいいでしょう。御伽噺は……この辺りは関係無さそうですね。というか、これいちいち考えたのでしょうか)
改めてタカアマハラの驚異的な能力を認識し、アマミツキは目を細める。
このゲームは、どう考えても数人程度のスタッフで完成させられるような代物ではない。
タカアマハラはゲームの販売や運営は有名なゲーム会社に委託しているが、開発は完全に彼らのみで行っている。
しかし彼らは少人数のグループであると伝えられており、一体どのような方法でこれだけの規模のゲームを作り上げたのかは、まるで都市伝説であるかのように語られていた。
(何故でしょうか、彼らの事がこんなにも気にかかるのは)
アマミツキにとって、執着の対象となるものは基本的に家族のみであった。
しかしながら、タカアマハラというチームの存在は、なぜか彼女の意識に引っかかり続けていたのだ。
彼らは一体何故、そしていつこのゲームの世界を作り上げたのか。
タカアマハラというチームのメンバー以外、世界中の誰もが知り得ない、その情報。
「――私が見ている時にしか、月は存在しないのか」
「アインシュタインとシュレーディンガーの『観測者』?」
ふと、口をついて出た言葉。それに対して戻ってきた言葉に、アマミツキは目を見開いて本から視線を上げる。
その裂き、机を挟んだ反対側の座席――そこに、先ほど見た銀髪のプレイヤーが腰を下ろしていた。
白を基調とした動き易そうな衣。それは見栄えというよりも機能性を重視した品であったが、それでも似合わないとは口にできないだろう。
体格は小柄。アマミツキと比べても身長は低いだろう。しかし、幼児体型と言うほど小さい訳でもなく、ゆったりとした服の中にも女性らしい仕草というものが伺える。
そんな人物が、アマミツキの瞳を見つめながらにっこりと笑みを浮かべていた。
「貴方は……」
「こんにちは、ちょっと訊ねてもいいかな?」
先ほど水晶版の前で本を調べていた人物。その印象的な姿をいつも通り記憶していたアマミツキは、しかしその接触に目を瞬かせていた。
何故自分に接触してきたのか、そんな事を考えていたのだ。
しかし、当の本人はお構い無しに、赤い瞳を細めながら声を上げる。
「きみは、この図書館には詳しいの?」
「……いいえ、今日この街に来た所ですので。あまり詳しいとはいえませんね」
「ありゃ、そうだったんだ……すごく本を読むのが好きそうだし、通い詰めてるのかと思ったよ」
「読書に関しては否定しません。まあ一応、それなりに本は読んでいますしね」
「へぇ、それじゃあこの街以外では本を読んでたのかな」
根拠のない言葉か、或いは理由のある推測か。
会話を行いつつも視界の端ではしっかりと読書を継続していたアマミツキは、目の前の相手に興味を惹かれ、それを完全に中断していた。
少なくとも頭の回転は悪くないとそう判断し、アマミツキは問う。
「だとしたら、どうします?」
「まあ、ボクとしては教えて頂けると助かるよ。これだけの規模の図書館だ、ここにも同じ本があるかもしれないしね」
一理あると、アマミツキは胸中で呟きながら肩を竦める。
教える理由は無いが、教えない理由も無い。果たしてどうしたものかと考えて――アマミツキは、まず前提となる疑問を口にしていた。
「貴方は、どのような本を探しているのですか?」
「あ、そういえば言い忘れてたか。ボクが探してるのは調合書だよ」
調合書とは即ち、通常の生産スキルの熟練度上昇では覚えられない特殊なアイテムの調合法が書いてある本であった。
これらのアイテムは基本的にそう強力なものという訳ではなく、あると便利だがなくても困りはしないといった程度のものだ。
しかし、稀に非常に貴重なアイテムの調合法が書いてある事もあるため、決して無視は出来ないアイテムであろう。
スキルブックと同様、使用すると消える物と、使用しても消えない物の二種類があり、図書館に置いてある物は基本的に後者である。
「調合書という事は、貴方は生産職ですか。どちらかの所属で?」
「いやー、ボクはフリーなんだよ。ちょっと変わった事してるから、どこにも入れて貰えなくて」
その言葉に、アマミツキは気付かれない程度に目を細めていた。
兄や姉、そして白餡と同じく、プレイスタイル自体が特異なプレイヤー。
そういった存在である事を――自分の事は棚に上げながら――認識し、アマミツキは小さく頷いていた。
(見極める機会が得られると考えれば、情報を提供する事も高い出費ではないですね)
今自分たちに必要なものが何であるか、アマミツキはしっかりと認識している。
そのために、彼女はインベントリの中から紙とペンを取り出して、さらさらとその用紙に文字を刻んでいった。
突然の行動に机を挟んだ相手は面食らったように動きを止めるが、アマミツキは特に気にする事もなく、文字を書き終えたメモ用紙を彼女へ向けて突き出す。
「私が前の街で発見した調合書のタイトルです。確かに、こちらの図書館にも置いてある可能性は十分にあるでしょう」
「っと……あはは、ありがとう! えっと、きみはアマミツキって言うんだ。ボクは『ゆきね』だよ」
「はい、よろしくおねがいします、ゆきねさん。あ、メモ用紙は後で返してください」
「別に呼び捨てでいいよ。それじゃあ、きみの情報に頼らせて貰うね」
ニコニコとした笑顔で、銀髪のプレイヤー――ゆきねは席を立つ。
そんなゆきねの背中を視線で追って、アマミツキは小さく口元に笑みを浮かべていた。
今日の駄妹
「さて……兄さんに報告できることが、色々と増えそうですね」




