33:シティクエスト
NPCの酒場を出た少し先。
あまり離れていない場所に、その本屋は居を構えていた。
書店『デュアフライ』――あまり大きいとは言えないその店の前に立ち、ヒカリはライトに向かって疑問の声を発する。
「ゲーム的に、本屋ってどういう扱いなんだ?」
「こういう店に売ってる本は、使用するとポイントと本を消費してスキルが覚えられるんじゃなかったか?」
本で覚えられるスキルはそれ以外では覚えられないものもあり、それなりに高価な品物だ。
ただし、これは覚えておくべきであると言うような必須スキルなどは存在せず、自分なりのコンボを考える際のパーツにするのが精々と言ったところである。
どちらにしろ、序盤で購入するにはそれなりに高価な代物であるため、店の中に人の姿は無いが。
「ふーん……とりあえず入ってみるか」
「ああ」
開け放たれている扉を潜り、二人は書店の中へと足を踏み入れてゆく。
あまり明るいとは言えない内装と、どこか黴臭さを感じる室内は、お世辞にも商売をしている雰囲気には見えないだろう。
しかし、それを含めて『ゲームらしい』と言ってしまえば、二人の感性にもしっくり来る外観であった。
外からの光を遮るように立ち並ぶ本棚には、ぎっしりと本が詰められている。
「やっぱり、アマミツキが喜びそうな光景だなー。あたしはもうちょっと明るい方が好みだが」
「後で話したらこっちに来たかったと言い出しそうだな……っと、この辺はスキルブックじゃないのか」
「ほー、普通の本も売ってるのか」
ライトが適当に手にとってみた本は、読んだだけでスキルが覚えられるような便利な代物ではなかった。
尤も、そんなものを簡単に手に取れるような位置に置いてある筈が無いのだが。
スキルブックは使用すれば消滅してしまう。
立ち読みできるような場所においておく事はリスクが高すぎるのだ。
軽く本をパラパラと捲り、それを元あった場所に戻そうとして――
『ぉーぃ……』
「……ん?」
ふと聞こえた音に、ライトは手を止めていた。
小さな、運が悪ければ聞き逃してしまいそうな声。
普段から強い風の中を飛び回り、それでも音を聞き逃さぬよう集中しているライトだからこそ拾う事ができた音だ。
それ故に、ヒカリには聞こえなかったのだろう。突然動きを止めたライトに対し、彼女は首を傾げながら問いかける。
「ライ、どうかしたのか?」
「ああ、いや……何か声が聞こえた気がしたんだ」
「声? どっちの方からだ?」
「いや、さっきのだけだと小さすぎて分からなかった。ちょっと静かにしてみよう」
そう返したライトの言葉に、ヒカリは即座に実践しようと言うかのごとく無言で頷いていた。
動きと息を止め、耳を澄ませて、二人は周囲の音に集中する。
聞こえてくるのは表通りの雑踏の音、それ以外に何かが聞こえるような事は無い。
だが――それに対し、ライトはふと一つの疑問を抱いていた。
(店内に気配が感じられない? それなら、店の人間は一体どこにいるんだ?)
今現在、息を殺して気配を消している二人以外に、店内からは何者の気配も感じ取る事はできない。
ライトは当初、店主は本にでも集中して動きがないのかと考えていたが、それにしたとしても動く気配が感じられないのだ。
例え本を読んでいたとしても、身じろぎ一つしないという事は不可能である。
店が開いている以上店主はいる筈なのだが――と、ライトがそう考えていた時であった。
『だれかー……』
「お、ライ、今度はあたしにも聞こえたぞ」
「ああ、どうやらこっちみたいだな」
息を殺していたおかげではっきりと聞き取る事の出来た人の声に、ライトは止めていた息を吐き出して頷く。
どうやら、人がいなかった訳ではないらしい。何らかの理由で、身動きが取れなかっただけなのだ。
その理由とやらを想像して軽く肩を竦め、ライトはその声が聞こえた方向へと歩き出した。
店の更に奥、表からは本棚に隠れて完全に見えなくなっている場所。
若干薄暗いその場所に――本の山が出来上がっていた。
「おおう」
「本棚が倒れた……訳じゃないみたいだな。一体どうしたらこうなるんだ」
「ライ、あれだ。本棚の上」
軽く服を引っ張られ、ライトは示された方向へと視線を向ける。
ヒカリが示した本棚の上、そこには多くの本が平積みされて積み上がっていた。
本棚だけでは入りきらず、そこに乗せていたのだろう。
そしてそれが、何らかの拍子に落下してきたのだ。
つまり――
「……さっきの声はこの中からか」
「何つーか、来て早々脱力しそうな事態だな」
『たすけてー』
今度こそ確実に、目の前の本の山から聞こえてきた声を捕らえて、二人は軽く視線を交わす。
そんな二人の口元に浮かんでいたのは、何とも曖昧な笑みであった。
何故このような事態になっているのか、それは分からないが、ここからこの人物を助け出さない事には始まらない。
実際、本の中から人間の右手が僅かながらに覗いているのが確認できた。
「やれやれ……んじゃ、助けるか」
「にはは。何か思ってたのと違うなー」
苦笑を零しつつも、二人は本の山を崩す作業に取り掛かる。
乱雑に積み上げられていて、更に落下したものとはいえ、仮にも店の商品だ。
あまり雑に扱う訳にも行かず、一つ一つ取り除いてから並べてゆく。
流石に、仕舞う場所も無いので床に置いていく事になったが。
そうして本の山を崩した後に現れたのは――黒い髪を乱雑に束ねた、四角い眼鏡の女性であった。
「ふひぃー……いやぁ、助かった助かった。ありがとうね、お二人さん」
どこかゆったりとした深緑のローブを纏った彼女は、罅割れていた眼鏡を外すと、軽く腕を振りながら『《アイテムリペア》』と小さく唱える。
瞬間、手の中の眼鏡はフレームの歪みもレンズの罅割れも瞬時に修復され、元の状態に戻っていた。
その様子に、二人は思わず目を見開く。
「お、このスキル知らない? ま、あんまり知ってる人いないからねぇ。これは小物を直すスキルだよ。まあ、一定以上の大きさの物は直せないから、武器とか防具とかを直すのは無理だけど」
「は、はぁ……ええと、それもスキルブックで?」
「そうそう。あ、助けてくれたお礼にそのスキルブックをあげよう。何かと便利だよ」
ニコニコと笑いながら本を押し付けてくる女性に、思わず引きながらもライトは失策を悟っていた。
こうも素早く貸しを返されてしまったのだ。
かと言って、使い道がそれなりにありそうであり、高価なスペルブックを返すつもりにもなれない。
とぼけた表情ながらも、抜け目が無い相手――そう判断して、ライトは気を引き締めていた。
「さて、それでお客さん。本日はどのような本をお探しかな? この書店の店主である私、ライニが速やかに案内してあげよう」
黒縁眼鏡の女店主――ライニは、中指で眼鏡の位置を直しながら気取ったポーズでそう告げる。
そんな彼女の姿に思わず口元を引き攣らせつつも、ライトは隣に立つヒカリと一瞬だけ視線を交わしていた。
面食らう相手ではあるが、それで踏み込むのを躊躇ってしまっては目的に支障が生じてしまう。
若干の警戒は残しつつも、ライトは改めて彼女に対して声を上げた。
「貴方が、領主の館に住む魔法使い……『メモリーマスター』、でしたか? その彼女とお知り合いであるという話を聞きました」
「あたしたちは、その人に会いたいんです。なので、是非紹介状を書いていただきたく、今日はお尋ねしました」
「……ほう」
二人の言葉に、ライニは僅かに顔を俯かせる。
それは果たして狙っているのかどうなのか、差し込んでくる僅かな光を反射した眼鏡は、見事に輝いて彼女の目元を隠していた。
最早一部の隙も無いほどに胡散臭いライニに対し、ライトは口元を引き攣らせ、ヒカリは楽しそうに目を輝かせる。
しかし、当の彼女はそんな二人の様子などお構い無しに、どこか芝居がかった様子で声を上げた。
「つまり、君たちはかの『エレメンタルマスター』に会いたいと!」
「……それ、どっちの呼び名が正しいんですか?」
「あ、こっちはクラス名だね。『メモリーマスター』が二つ名」
唐突に言葉の調子を元に戻すライニに対し、ライトは思わず面食らうものの、何とか気を取り直して耳を傾ける。
それと同時に、思考の裏では有用そうな情報に対して考察を行っていた。
上級職の情報は未だに少ないが、その中にエレメンタルマスターなる職業名は存在していない。
単純にまだ情報が出てきていないだけなのか、はたまた隠しクラスなのか――それに関して、現状で判断する事は難しいだろう。
(名前の感じ、全属性の魔法を習得して育てていると出るとか、そういう感じか……?)
ロマンはあるが、とても効率的なビルドであるとは言えない――が、それを言ってしまえばライトとヒカリも同じようなものである。
自分自身のビルドが変わっている事を自覚しているライトは、そんな思考の内側で苦笑を零していた。
ともあれ――ライニの反応から、酒場の店主の言葉が事実であった事が伺える。
目的に一歩近付いた事を察し、二人は内心で笑みを浮かべていた。
「まあともあれ、確かに私は彼女の友人だよ。ここ、たまに掘り出し物があるって事で、稀にだけど顔を出してくれるからね」
「あんまり頻度は高くないんですね」
「んー、そうだね。精々月に一度ぐらいかな。で、君たちは彼女に会いたいと、そういう訳だね?」
ライニの言葉に、二人はこくりと頷く。
ここで待っていても会える可能性は確かにあるが、それは0でないだけマシという程度の話だ。
そこまで悠長にしている時間は無い以上、何とかして尋ねられるようにするのが正解であると言える。
「何か、会う方法はありませんか?」
「ふむ、そうだね……本の届けついでに紹介状を書いてもいいとは思うが……タダで渡すのは、私としても認められないかな?」
ライニが、どこか面白がるようにそう口にした――その、瞬間。
ライトとヒカリの視界の中で、オレンジ色のアイコンが現れて点滅した。
これは、NPCから受注できるクエストが発生した印だ。
それを確認して、二人は目配せして頷き合う。
「……どうすればいいですか?」
「あたしたちにやれる仕事なら頑張ります」
「ふッふッふ、いい返事だねお嬢ちゃんたち」
むやみやたらと得意げな様子の彼女は、まあいいとして。
二人はそう割り切りつつ、先を進めさせるためにライニへと視線を集中させる。
それを受け取り、彼女は非常に楽しそうな様子で声を上げた。
「よろしい、では君たちに出す依頼は二つだ。まず一つ!」
強く声を上げ、ライニはバッと腕を広げながら周囲を指差す。
辺りにあるのは、当然ながら光を遮っている本棚ばかりだ。
ライトとヒカリは周囲へと視線を巡らせて、改めてどういう事かと視線を戻す。
そんな二人の様子に、ライニは満足そうな表情で声を上げた。
「君たちには、この本たちの整理を頼みたい。自分で言うのもなんだけど、かなり乱雑になっちゃってるからね」
「ああ、まぁ……」
「確かに……」
何せ、一部本棚の空きがあるにもかかわらず、本棚の上に平積みされている本がある位なのだ。
かなり長い間放置され、片付けるのが面倒になったという風情ばかりが伺える。
書店の中は広くは無いものの、作業量としてはそれなりのものになってしまうだろう。
――しかも、依頼は二つあるのだ。
「んー? 嫌そうな顔してるね。嫌なら止めてもいいんだよー?」
「煽らないでください、分かってますから」
そろそろ敬語を止めようかどうか真剣に悩みつつあるライトであったが、露骨に態度を変えればそれはそれで何か言われかねない。
そう判断して、ライトは小さく吐息を零しつつ、隣に立つヒカリへと視線を向けていた。
彼女は、今の話を聞いて尚、口元に小さく笑みを浮かべている。
この程度の面倒では、彼女の闘志を折る事など出来ないのだ。
「よし、それなら受けて立とう! それで、もう一つの依頼は?」
「ほほう、お嬢ちゃんは気合が入ってるね! それならいいだろう、もう一つの依頼は――」
どうやら波長が合ったという部分もあったらしい。
そんな事を考えて、ライトはこっそりと溜息を吐き出していたのだった。
今日の駄妹
「警戒すべき方々ではありますが、ケーキは美味しかったですね。兄さんと二人きり……いやしかし、ゲーム内では姉さんに譲ると言いましたし。現実で連れて行ってもらいましょう」




