02:ゲーム・スタート
日曜日、午前11:50――《Blade Blaze Online》サービス開始の直前。
頼斗は、手に入れてきたVR機を前に静かにたたずんでいた。
ヘッドマウントディスプレイの後頭部部分を無くしたような形状、あえて言うならバイザーのような形をしたそれは、《エンターキー》と言う名称の品だ。
VR世界へと入ってゆく為の鍵、と言うそのままなネーミングである。
キーボードのボタンとは関係ないらしいが、洒落ているのかセンスが無いのか判断に困る名前だ。
「……いざ付けるとなると、中々度胸がいるな」
既にソフトは起動済みであり、後はこれを被ってベッドに転がるだけである。
サーバーが開くのは12:00きっかりであるが、その前でもソフトを起動し、キャラクターの編集を行う事は可能だった。
なので、少し前に入って作成を開始しようとしていたのだが――そこで、二の足を踏んでいたのだ。
やはり頼斗も、ゲームの起動中は現実の身体を動かせなくなると言うのには、若干の抵抗感を感じてしまう。
「つってもまぁ、セーフティタイマーが付いてるんだし、あんまり心配しすぎても仕方ないか」
VR世界にダイブしてプレイすると言うゲームのシステム上、空腹感などはシャットアウトされてしまう。
その為、ある程度の時間が経つとユーザを強制的にログアウトさせるタイマー機能が搭載されているのだ。
ちなみにこのタイマー機能、中学生までの子供がゲームを購入する際に、保護者が時間を設定する事になっている。
しっかりとパスワード設定されているため解除は難しく、ゲームは適度な時間しかやらせない事を徹底していた。
ちなみに、高校生以上は自己責任である。利用規約にもしっかり明記されている辺り、徹底していた。
苦笑しつつ、頼斗はベッドに転がりながら《エンターキー》を装着する。
起動スイッチは左のこめかみの辺り。それを中指で押して、頼斗は腕をゆっくりと下ろしリラックスできる体勢を整えた。
そしてそれと同時に、音声でのアナウンスが流れ始める。
『起動準備中です。楽な姿勢を整えてお待ちください』
バイザー部分に浮かび上がるマークが、くるくると明滅しながら回転を続ける。
時間にして数秒だろう、画面と音声で、起動準備完了が知らされる。
『準備が完了しました。『ダイブ・スタート』の音声を認識次第、ゲームを起動します』
「――ダイブ・スタート」
『確認しました。それでは、良き旅を』
目を閉じ、そう呟いた瞬間――頼斗は、強い浮遊感を感じていた。
落下しているのではなく、まるで水の中にいるような感覚。
少しだけ快感に感じるそれは、しかし僅かな時間で消え去ってしまう。
そして気がついた時には、頼斗は広い山々を見下ろすような、遥か上空の視点に立っていた。
「う、お……」
僅かに、声が零れる。
恐怖を感じるほどに高い場所にいるにもかかわらず、頼斗が感じていたのは強い高揚感であった。
空にいるからと言う事だけではないだろう。地面がしっかりしているから、と言うだけでもない。
違和感すら感じるその高揚に疑問を抱こうとした――瞬間、声が響き渡る。
『《Blade Blaze Online》の世界へようこそ。ゲーム開始の前に、利用規約への同意をお願いします』
「っと……ま、同意しなきゃゲームできないしな」
目の前に浮かび上がってきた半透明のウィンドウ、そこに浮かび上がっている『利用規約に同意します』のボタンを指で押す。
それと同時、ウィンドウはポスターのようにくるくると丸められ、一度消滅する。
そこで頼斗は気付いたのだが、今の彼の身体は、薄ぼんやりと輝くワイヤーフレームのような状態になっていた。
これは、まだ自分のアバターを作成していない為であろう。
『確認しました。それでは、使用アバターを選択してください』
そんな声と共に再び出現したウィンドウには、『キャラクターの新規作成』というスロットが四つ並んでいた。
アバターは1ユーザに4つまで作成できるらしいが、職業を自由に変更できるゲームであるため、あまり意味は無いだろう。
それこそ、大きく外見を変えたい時でもなければ、複数のキャラクターを作成する事はない。
ともあれ、頼斗は一番上のスロットを指でクリックした。
それと共に、前方にキャラクターの素体が出現する。
『身長・体重を入力してください。ただし、現実の身体と著しく異なる場合、アバターの動作に強い違和感を感じる可能性があります』
これは、アーケード時代から言われていた事だ。
自分の体格と違うキャラクターを作ると、ゲーム内での違和感が強くなり、また現実に戻ったときにも違和感を感じてしまう。
特に腕の長さや足の長さに関しては、大きく変わってしまうと非常に動き辛くなってしまうのだ。
そのため、これは現実と変わらない身長や体重を入力する事が推奨されていた。
無論、頼斗もそれに従う事を決めている。
『確認しました。アバターの顔部分には、現実の顔をスキャンしたデータを使用しますか?』
これは、頼斗も若干迷っていた事だ。
顔のパーツの位置も、違和感を産む原因の一つであるとされている。
しかし、仮にもネットゲームで現実の顔を晒す事には若干の抵抗があったのだ。
とはいえ、それを素体とすると言う意味であり、そこから更に手を加えてゆく事ができるのだが。
ちなみにゲームの方でもある程度、元となる顔のデザインが用意されている。
しかしパターンはそれ程多くない上に、手を加えてゆくと外から見た時に不自然に感じてしまうのだ。
その為、これも現実のデータを元に少しだけ改変を加える程度が望ましいとされていた。
「……まあ、人相なんて簡単に変わるしな」
目の形を少し弄るだけでも人の印象はかなり変化する。
ファンタジーなのだから多少色を変えてしまえば、もう誰だかなど分からないだろう。
そう判断し、頼斗はその質問も【はい】を選択した。
それと共に、目の前に浮かんでいたアバターが、頼斗の姿そのものへと変化する。
ちなみに服装は、革鎧を纏い剣を佩いた戦士姿だ。
普段では見る事の出来ない自分の姿に、頼斗は思わず歓声を上げる。
「おお、何か変な気分だな」
『詳細なデータの入力を開始します』
が、感動するのも束の間、再びウィンドウが表示され、そこにアバターデータの詳細な設定を行える画面が現れた。
まず最初に目に付いたのは種族――要するに、外見が大きく変わる可能性がある部分に関してだ。
ヒューゲン、エルフィーン、ニヴァーフ、ヴェーアン、ドラゴニアン。基本的にはこれらの五種類だ。
分かりやすく言えば、人間、エルフ、ドワーフ、獣人、竜人となる。
しかし獣人と竜人にはいくつか種類があり、特に獣人には狼、猫、兎、狐などなど、様々な種類が存在していた。
しかも外見の大きな変化など耳と尻尾程度しか無いにもかかわらず、それぞれ種族特性が違う。
「獣っ娘にどれだけ命かけてるんだ製作陣……」
思わずツッコミを入れるが、あまり大きく身長が変わりそうな種族を入れられなかった代わりに、そっちを増やしたと言う事なのだろう。
ちなみに、エルフィーンとニヴァーフは、それぞれ若干ながら身長の変化が起こる。
それも操作に違和感が無い程度なので、あまり大きくはならないが。
その中で、頼斗はヒューゲンを選択する。
飛行魔法を夢見て魔法職を選ぶ予定である頼斗は、本来ならばエルフィーンを選択するべきだろう。
しかし、頼斗が注目したのは、ヒューゲンの説明欄に書いてあった内容だった。
『ステータスが平均的、どのような職業にも適応できる種族。型にはまらない特殊なキャラクター育成にも対応できる』
飛行魔法はその性質上、アーケード版ではほぼ死にスキルであった。
しかし職業の幅は広がった今ならば、それを活用できるキャラクタービルドが存在する可能性は高い。
そしてそうなったとき、どのようなビルドにも対応出来るようにするため、頼斗はヒューゲンを選択したのだ。
結果として、表示されているアバターの姿は変化せず、次の設定へと移る。
「顔のパーツは……」
若干悩み、頼斗は目と眉を少しだけ変更する。
目は少しだけ鋭く、しかし険があるようには見えないように。そして眉は、若干細く変更した。
目と髪の色に関しては、大きく変えると日本人の外見では違和感があることが判明している。
とは言え、変える人間も多いので、その内慣れるとの事であったが――
「まあ、蒼で」
空の色のように鮮やかな蒼を頭に載せるのは少々違和感が強く、それは夜空のような紺色へと変える。
そして瞳の色だけは、秋空の雲ひとつ無い蒼天の色。
少々子供じみた自分の行動に苦笑を零しながらも、頼斗は設定したその姿を気に入っている事に気づいていた。
手足や胴回りに関しては弄る必要性を感じず、そのままの状態で設定を流してゆく。
そして最後の方に現れたのは、クラスの設定欄だ。
『メインクラスを設定してください』
メインクラスとは、アーケードで使用されていた基本クラスの事を指す。
ファイター、メイジ、アコライト、スカウト。その四つの中から、頼斗は迷う事無くメイジを選択する。
空を飛ぶ事――ただそれだけが、頼斗の目的なのだから。
メイジを選んだ瞬間、アバターの服装が簡単なローブと細いスタッフに変化する。
やはり安っぽい姿ではあるが、典型的な魔法使いの外見だ。
『所属国家を入力してください』
存在している国家は四つ。
ダンジョンなどが多く存在しており、最大のダンジョンを保有するリオグラス王国。
アコライト系のクラスに関するイベントが多い神聖グレイスレイド教国。
最大の規模を持ち、良質な鉱石が採れるディンバーツ帝国。
商業が盛んであり、多くのアイテムが集う自由国家群。
国家への所属は、それぞれにメリットとデメリットが存在している。
まずメリットは、その国の中では全てのアイテムが少しだけ割引される事や施設の利用が可能な事など。
そしてデメリットは、所属していない国では入国に金がかかる事などが挙げられる。
全ての国に所属しないと言う選択肢も存在するが、それはメリットまで消えてしまうので、国外にあまり移動しない初期では美味しいとはいえない。
その為、頼斗は特に考えずにリオグラス王国を選択していた。
そして、最後に現れたのが――
『アバター名を設定してください』
このゲームではユーザ名とアバター名が存在している。
ユーザ名は他のプレイヤーと被る事は出来ないが、アバター名なら何人同じ名前が存在していても構わないのだ。
空欄となっているアバター名の設定欄を指でクリックすれば、半透明のキーボードが浮かび上がった。
「名前、か」
ゲーム内での名前は、考えていなかったといえば嘘になる。
けれど、いくつの名前を考えても、最後に浮かんでくるものは同じだったのだ。
それは幼き日、かつて共にあった少女との会話。
頼斗にとって、忘れがたい思い出の名前だった。
――おまえの名前はどんな字だっていってた? あたしはそのままだって!
――えっと、しんらいの『らい』に、ろうとの『と』だって。
――にはは! それじゃあ『らいと』じゃんか! よし、じゃあおまえのあだなはライトだぞ!
――読みかたがちがう、よりとだってば……!
――にはははは! いいじゃん、かっこいいぞ、ライト! ちなみに呼びかたはライだ!
――なんであだなをさらにちぢめるのさ!
そんなかつての輝きに、ずきりと胸が痛むのを感じる。
感情の動きによる胸の重さは、果たしてアバターが表現したものなのか――そんな益体もない事を考えながら、頼斗は名前を入力していた。
「何だかんだで、悪く無いと思ってたんだよ、ライトって」
アバター名を『ライト』と入力し、エンターを押す。
そしてそれと同時、入力を行っていた頼斗の身体が突如として発光した。
面食らうのも束の間、砕け散るように光が消えると、ローブを纏ったアバター、『ライト』の姿が現れる。
頼斗の身体は今、完全に『ライト』へと変化していた。
『設定が完了しました。それでは、剣の神に愛されし世界をお楽しみください』
スキルの設定が来ると思って身構えていた頼斗――否、ライトは若干面食らい、それと同時に景色が急速に動いているのを感じた。
まるで空を飛んでいるかのように、ライトの身体は勢いよく移動していたのだ。
その絶景に浮かんでいた疑問も吹き飛び、彼の口元には小さな笑みが浮かべられる。
雲の切れ間を縫い、高い山々を飛び越えて、ふと見えた天文台に目を奪われた――次の瞬間。
世界に、亀裂が走った。
「なっ!?」
剥がれ落ちるように目の前の景色が消滅する。
響き渡る音は風を斬るようなものではなく、無数の紙束が宙を舞うようなそれだ。
ライトの目の前の景色はA4の紙が大量に舞うように剥がれて消え、その奥から現れたのは――
「よーこそ、うちらの世界へ!」
――どこまでも広大な大図書館と、その中心に存在する一人の女性の姿だった。
今日の駄妹
「見た目は悩みますね……一目で私と分かるように、かつ上品でお淑やかで繊細で美しく気品を兼ね備えなければ……倫理コードの解除ってあるのでしょうか」