19:再会の後で
久しぶりの駄妹回
ログアウトと同時に目を覚ます――否、どちらかと言えばこれは意識が切り替わるような感覚であろう。
強いて言うならばテレビのチャンネルが変わるようなものか。
そんな感覚を味わいながら、頼斗は身体にのしかかってきている感覚に対して半眼を向ける。
《エンターキー》を外した視界の中に入ってきたのは、他でもない妹分の姿であった。
「……何をしている」
「お帰りなさい、兄さん。もうちょっとゆっくりでも良かったんですよ?」
「お前の事だから仕様書を端から端まで読んでいるんだろうし、警告が出る事は知ってたんだろうが。で、何してる」
BBO、および《エンターキー》の仕様上、もしも現実の肉体に何らかの異変が起こった場合、プレイヤーに対して警告が表示されるようになっている。
これは地震や火事などに対応するための仕様であるが、このように人間の襲撃者に対しても効果を発揮するのだ。
そう、その手にロープを持って頼斗の身体を縛ろうとしているひなたのような。
「お前な……どうせ俺たちの行動を読んでたんだろうが、妙な真似をするんじゃない」
「まあ、どうせゆっくり話していこうとかそういう結論に達する可能性が高いと考えていたのも事実ですが、ひょっとしたら話し込む可能性も考慮していたので」
「で、そうしたら俺は気がついた時には縛り上げられている事になっていたと」
「はい」
悪びれる様子もなくしれっとした表情で頷くひなたに、頼斗は深々と嘆息する。
縛り上げて何をする気だったのか、と言う事に関しては聞けなかった。怖くて。
だが、そんな頼斗の様子には気付きながらもお構い無しに、ひなたはいつも通りの調子で声を上げる。
「失敗しましたね、先に手を縛っておくべきでした。そうすれば《エンターキー》を外せないですし、自動的に目隠しプレイになったのに」
「言っておくが犯罪だからな」
「犯罪が怖くて妹は出来ません」
「お前の中で妹は一体なんなんだ」
殆ど反射的に、しかも真顔でツッコミを入れて、頼斗は身体を起き上がらせる。
腹の上辺りで馬乗りになっていたひなたは、その勢いに押されてころんとベッドに転がっていた。
無駄に知識を蒐集しているひなたの事だ、その気なれば決して抜け出せないような拘束法も心得ているのであろうが、今日の彼女はそこまで本気ではなかったらしい。
「こんな夜中にベッドに押し倒すとは、やる気ですね兄さん」
「先にのしかかっていたお前の言う事じゃないが――な!」
「ふひゅっ!?」
苦笑と共に助け起こす振りをしながら、頼斗はひなたの脇腹へと手を伸ばす。
弱点らしい弱点も少なく、普段から警戒心も強いひなたであるが、光との再会によって多少気が緩んでいたらしい。
脇も足の裏も効かないが、唯一くすぐられると弱い脇腹を揉まれ、ひなたはベッドの上で身を捩じらせる。
「ひっ、ふぁっ、に、兄さんずる、ぃひっ!」
「何がずるいだ、全く。こら、身を捩じらせるな、逃げようとするな」
「ん、ひあっ! だ、駄目です、脇腹は……ふにゅっ!」
身体を捻ってうつ伏せになり、枕の方へと這って逃げるひなたを追って、頼斗も手を動かす。
流石に尻を触ると後々不利な条件を叩きつけられそうだったので、そこは細心の注意を払っていたが。
そうしている内に、悲鳴とも嬌声とも付かない声を上げるひなたは、枕に自分の顔を埋めるようにしながら笑い声を抑え始めていた。
少々痙攣している様子の彼女に、流石にやりすぎたかと頼斗は手を離すが、ひなたは動かず伏したままとなっている。
「おい、ひなた?」
「……」
不審に思い頼斗が問いかけても、返答はない。
聞こえてくるのは、すーはーすーはーというくすぐりによって荒れた呼吸音のみ――
「――って、枕の匂いを嗅いでるだけかお前は!」
「ぶぎゅっ」
油断も隙もない、と頼斗は乱れた黒髪の頭へと向けてチョップを振り下ろす。
枕と手の間で顔面を潰されたひなたは、先ほどのくすぐりのせいか或いはまた別の理由なのか、頬をわずかに赤く染めて頼斗を見上げる。
眠そうな半眼ではあるが、枕に似合う表情かと聞かれれば、頼斗も疑問符を浮かべざるを得なかった。
「何ですか、兄さん。このまま兄さん枕で一人窒息プレイと洒落込もうかと思っていたのに」
「お前のレベルの高さに俺はドン引きだよ。そういうのは自分の部屋でやってくれ。死なない程度に」
「最後に気遣う言葉を忘れない兄さんが大好きです。とは言え、自分の部屋だと自分の匂いしかしないじゃないですか」
「いいから、そういうのは」
何とかと天才は紙一重と言うが、そこに匂いフェチまで同居して欲しくなかった、と頼斗は胸中で嘆息を零す。
しかし悪びれる様子もなくベッドの上をころころと転がるひなたは、いたく上機嫌な様子であった。
そんな彼女の長い髪を踏みつけないように気をつけながら、頼斗はぽんぽんとその頭を叩く。
「全く、何が楽しいんだか」
「それは勿論楽しいですよ。匂い=分泌物という感じで、体内に兄さんの一部が入ってきて私を侵食していると考えるとですね、何とも言えぬ幸福感が――」
「お前今日はちょっとレベル高すぎるぞ。何なんだ、Mなのか」
「それは兄さんに言われたくありません」
相変わらず枕に顔を半分埋めたまま、表情を変えずにひなたはそう言い放つ。
ふてぶてしい態度に頬を引き攣らせながら、また脇腹をくすぐってやろうかと頼斗は右手を構える。
が、流石にこれ以上は嫌だったのか、ひなたは片手で脇腹を押さえていた。
そんな姿に苦笑を零し、頼斗は声を上げる。
「ったく。誰がMだ、誰が」
「だって兄さんはカシエムさんじゃないですか」
「……何だそれ?」
「『姉さんに傅いて快感を得ているドMさん』の略です」
「……」
咄嗟に言い返す事が出来ず、頼斗は視線を逸らす。
そんな視界の端には、どこか得意げな表情をしたひなたの顔が映っていたが。
結局の所、口でひなたに勝とうとした所で勝ち目はない。例え追い詰めたとしても、妙な知識を持ち出されて誤魔化されてしまうのだ。
その事実にも苦笑しながら、頼斗は軽くひなたの頭を撫でる。
「ん……」
さらさらとした髪が指の間を通り抜けてゆく。
そんな頼斗の手を見つめていたひなたは、触れている温もりを感じ取るように瞳を閉じていた。
結局の所――こうされてしまえば、ひなたも頼斗には勝てないのだが。
心地よさそうに口元を緩めている妹分を見つめ、頼斗は声を上げる。
「今日は随分と絡んでくるな、お前は。そんなに驚いたのか?」
その声音は、非常に優しいもの。
普段のひなたは行動や言動が行き過ぎているため厳しい対応が多い――あくまでも頼斗本人基準――が、頼斗にとってひなたはたった一人の妹分だ。
世界でたった二人だけ、家族であると認識している人間である。
そういう意味で、頼斗はひなたの事を大切に考えていた。
そんな頼斗の優しい声音に、ひなたは瞳を閉じたまま声を上げる。
「……変わらなかったですね、姉さん」
「ああ、そうだな」
「本当に、安心しました。時折届く手紙ぐらいで……全然、近況が分からなかったですから」
「全くだ。連絡先ぐらい送ってくれてもいいのにな」
「引き取った方がそういう方針だったんだから仕方ないですよ」
言って、ひなたは小さく笑う。
光を引き取った六木夫妻は、若干年齢の高い資産家の夫婦だ。
少々古風な考え方の部分があり、携帯電話の番号などを手紙に書く事に抵抗感があったらしい。
とは言え、理由はそれだけでは無いだろうと二人は睨んでいたが。
「あのご夫婦は、心配性なんです。けど、姉さんの事を本当に大切に思ってる」
「そうだな……確かに、頻繁に俺達と会えるようじゃ、あいつの成長の妨げになるのは事実だろう」
「姉さんなら、私たちと出会える自分になれるように頑張りますからね」
時間が経つほどに疎遠になってしまっていたのは事実だろう。
光は自らの目標の為に引き取られる事に同意して、頼斗とひなたはこの児童養護施設に残る事となった。
それは三人とも、悲しくも納得していた事であり――故にこそ、軽々しく会う事は出来なかったのだ。
「……姉さん、私たちの事を受け入れてくれましたね」
「あいつ自身、納得できる所まで自分を磨けたって事かな」
「それじゃなきゃゲームしてる余裕なんて無かったでしょうね……姉さんの事ですから、きっと私以上の成績を取ってますよ」
「そうだな、あいつならありえるかもしれない」
思わず圧倒されるほどのあの輝きで、ずっと歩んできたのだろう。
そうでなければ、あの変わらぬ姿勢はありえない。
絶対に諦めないと言う不屈の心は健在だったようだ。
その事を何よりも嬉しく思いながら、頼斗は微笑む。
「ゆっくり、あいつと話していこう。楽しかった事も、辛かった事も、俺たちの全てを」
「はい……姉さんならきっと、照らして、導いてくれます」
「ああ、そうだな」
そしてその代わり、自分が光の全てを包み込むのだ、と。
そんな覚悟を新たにしながら、頼斗はちらりと携帯の方へと視線を向ける。
今夜中に、一通ぐらいはメールがあるだろうと、そう考えながら。
と――胡坐をかいていた頼斗の膝の上に、ぽすんと軽い重みが乗る。
「でも……」
「ひなた?」
ひなたは、頼斗の膝の足の上に頭を乗せながら、じっと上にある頼斗の顔を見つめる。
その瞳の中に、どこか懇願するような色を宿しながら。
彼女の示したそんな表情に、頼斗は思わず視線を細める。
それはあまりにも、普段の彼女には似合わないものであったから。
「兄さんが嬉しいのは、分かります。私も、姉さんと会えて嬉しいです……けど、ちょっといきなり過ぎました。覚悟が、まだ決まっていなかったんです」
「覚悟……?」
「兄さんを、姉さんに返す覚悟。十年近く、私はずっと兄さんを独占して来ましたから……これでは、契約違反になってしまいます。だからその分だけ、姉さんに返さないといけないんです」
自ら決めたと言うかのように、ひなたは真っ直ぐとそう口にする。
気にしすぎだと、そう言うべきなのかもしれない――そう考えながらも、頼斗は決して口を出すような事はしなかった。
「だから、ゲームの中では姉さんと思う存分楽しんでください。私も楽しみますけど、姉さんが兄さんと一緒にいたいなら、絶対にそれを妨げません」
「お前、最初から妨げるような事はしないだろう?」
「それはそうですけど、気持ちの問題なんですよ」
言って、ひなたは小さく笑う。
表情の変化に乏しい彼女が、家族の前でだけ見せる淡い微笑だ。
それは、本当に家族の事を愛しているが故に浮かべられる表情であり――頼斗も、それを心底気に入っていた。
「とにかく、ゲームの中では姉さんを優先してください。今は、それぐらいしかちゃんと会えないんですから」
「ああ、分かってるよ」
「でも――」
そっと、ひなたは手を伸ばす。
彼女の細く柔らかな手は頼斗の頬に当てられ、その顔を僅かに撫でていた。
ひなたは、優しい手つきで頼斗を感じ取りながら、声を上げる。
「こっちでは、この世界では……現実の世界で姉さんと再会するまでは、私だけの兄さんでいてください」
「……ひなた」
「お願いです、兄さん」
そんな彼女の言葉に――頼斗は、小さく笑みを浮かべていた。
本物の家族ではない、血がつながっているわけでもない。けれどそんな彼の微笑は、ひなたの表情と本当に似ていて――
「当たり前だろう。お前は俺の家族で、俺はお前の兄貴だ。それはどんな事があったって変わらない。例え、あいつの前であってもだ。それは、お前があいつに勝ってる点だろう?」
「酷い人ですね、兄さんは」
それは、ひなたが望んでいる形ではないだろう。それを理解していたとしても、頼斗はそれをそのまま叶える訳には行かない。
だから、彼は彼なりに、妹であるひなたを最も愛する事ができる方法を模索する。
少なくとも今は、彼女を一人の少女として見る事は出来ないから。
そんな言葉の意味を理解して、けれどひなたは小さく笑う。
それもまた、理解していた事であったから。
「でも、それでも私は幸せです。貴方の妹は私一人だけ。それは、永遠に変わらない。だからそういう形であっても……私は、幸せですよ」
ありがとうとも、済まないとも、頼斗は口にしない。
ただ、ひなたの頭をそっと撫でるのみだ。それこそが、彼にとっての想いの形であったから。
ひなたはそれをしばし堪能して――ゆっくりと、身体を起こす。
「もう、いいのか?」
「はい。ありがとうございました、兄さん」
起き上がって振り返ったひなたの表情は、既にいつもと変わらないもの。
画面が入れ替わるかのようにいつも通りに戻ったひなたは、立ち上がってベッドから降り、軽く頭を下げる。
「では兄さん、お休みなさい」
「ああ、おやすみ、ひなた」
「兄さんの洗濯物は私が一しきり使用した後で洗濯に出しておきますので、それでは」
「ああ……っておい!?」
いつの間にか部屋の片隅に畳んで重ねてあった洗濯物を手にして、ひなたはしれっとした表情のまま部屋を出てゆく。
彼女は扉を閉める寸前に一度だけ部屋の中へと視線を向け、どこか楽しげに口元を歪めながら声を上げる。
「では、兄さん。私の匂いが染み付いたベッドをお楽しみください。それでは」
「おいコラ――」
思わず反射的に手を伸ばして、しかし閉まった扉にぱたりとそれを落とす。
頼斗は一度自分のベッドに視線を向け、深々と嘆息を零していた。
「あいつめ、わざわざ枕の方まで行くから何かと思ったら……それが狙いだったか。しかも洗濯物まで……」
先ほどまでの和やかな雰囲気はどこへ行ったのかと、誰へともなく文句を零しながら頼斗はベッドへと倒れこむ。
視界に映るのは、細く長い一本の髪の毛。鼻腔には慣れ親しんだ香りを感じ、頼斗は嘆息する。
「……まあ、いいか」
結局の所――妹分の極端な所業をそれで容認してしまう彼もまた、十二分に変人と呼べる人間なのであった。
今日の駄妹
「さて、下着は真空パックして保存しなくては。やはりパジャマは直接着るべきか、或いはシーツ代わりにするべきか……悩みますね」




