156:真実と選択
「兄さんと姉さんが、《魔王》と《女神》の子供……?」
「厳密に言えば、お前達の想像する『子供』とはまた別の存在だ。だが、あの二人は《魔王》達が己の身の一部を削って創り上げた血族には違いない……故に、息子と娘であると言っても間違いではないだろう」
殊の外、素直に答えてくれた《斬神》のその言葉に対し、アマミツキは困惑を隠しきれずにいた。
あの二人が《魔王》と《女神》に関連する人物であるということは、アマミツキも予想していたことだ。
《水魔》もそれに近い発言をしていたし、《斬神》の保証もあった以上疑問の余地はない。
だが――まさか『子供』と表現するほどの存在であるとは、露ほども考えていなかったのだ。
「あいつらがどうして、そのような存在を欲したのかは置いておこう。お前が聞きたいのは、それよりも別の話だろう?」
「兄さんと姉さんのことですし、聞きたいことは聞きたいのですが……でも、それは兄さんたちが聞くでしょうからね。だから、質問です」
自分達が知りたいと思っていた、謎に包まれた出自。
三年よりも前の記録がない自分達が、果たして何者なのか。
その疑問の一部は、目の前の存在によって解答が提示された。
ならば、残りの疑問。即ち――
「兄さんと姉さんの出自は分かりました……ですけど、私は違うはずです」
アマミツキは、既に確信している。自分は《魔王》と《女神》の子供ではないと――すなわち、ライトとヒカリとは異なる出自を持った存在であると。
もしも彼らと同じであれば、自分があの炎の先へ向かうことができないなどということは無かったはずだ。
しかし、それでは自分は何者なのか。ライト達と同じように三年より前の情報が無く、偽物の情報を与えられていた自分。
思い起こされるのは《水魔》の言葉だ。彼女は、アマミツキのことを《斬神》の眷属であると断言していた。
もしも、自分がライト達と同じような存在であるというならば――
「私は……貴方の子供に当たる。違いますか?」
「…………」
アマミツキの言葉に、《斬神》は沈黙する。
目を閉じ、口を引き結んだ彼は厳格で神秘的な雰囲気を発していたが――アマミツキには、彼が質問に対して答えあぐねているようにしか見えなかった。
やがて彼は僅かに息を吐き出すと、瞳を開け、真っ直ぐとアマミツキの目を見つめながら声を上げた。
「……違う」
「それは、本当に?」
「ああ。お前は、オレが身を削って生み出した血族というわけでもないし、女に産ませた子でもない。故に、オレがお前の父であると言うことは出来ないだろう」
「ふむ……」
予想は外れ――しかし、一部が当たっていたことを確信する。
《斬神》は決して、全く関係がないなどと断言しているわけではないのだ。
その中途半端な言い方に真実の片鱗を感じ取り、アマミツキは言葉を紡ぐ。
「けれど、私と貴方の間には確実に繋がりがある……こうして目の前に立てばわかります。何かが繋がっている。これが、貴方の眷属であるということなのでしょう?」
「……そうだな、肯定しよう。お前は確かにオレの眷属だ。オレの力を、オレの権能の一部を分け与えた……《水魔》の言葉は事実として受け止めていいだろう」
「では、私は何者ですか? 私は……どうやって生まれたのですか?」
今までの暮らし方は、そして改竄された過去は、ライトと何ら変わりはない。
そして、自分達がタカアマハラに関係した存在であるという点も。
その中で、己だけが違う理由とは何なのか――それを知るために、アマミツキは質問を重ねる。
対する《斬神》は、ゆっくりと頷いてから声を上げた。
「お前は……お前があの二人と異なるのは、お前が元々はただの人間であったという点だ」
「元々は? では、私はいつから今の状態になったと?」
「既に聞いているのではないのか? お前達がその目で見てきたものこそが真実だ」
「……つまり三年前。その時点で、私は貴方の眷属になったと、そういうことですか」
アマミツキの言葉に、《斬神》は無言で首肯する。
あの児童養護施設が設立され、そして自分たちの生活が記憶と一致するようになったその時点。
それこそがアマミツキの――東雲ひなたの始まりであると、彼はそう告げたのだ。
だが、それでも疑問は残る。それならば、それより以前では、己は一体何をしていたのか。
その疑問を読み取ったかのように、《斬神》は続けて口を開いていた。
「オレがお前を選んだのは、お前が未来に与える影響が極限まで小さい存在であったからだ」
「……? 言っている意味がよく分かりません」
「つまり――お前はその時点で死ぬ人間であった、ということだ」
そしてその言葉に、アマミツキは思わず絶句していた。
到底、そう簡単には額面どおりに受け入れられる言葉ではない。
だが、そんなアマミツキの様子を無視し、《斬神》は続ける。
「お前は元々普通の人間であり――三年前の時点で死ぬはずだった存在だ。そんなお前に対し、オレは役目と権能と記憶を与え、今の位置に配置した。あいつらの生み出した存在を安定させるために」
「……それまでの、私は?」
「詳しくは調べていない。影響がそこまで少なかったということは天涯孤独の身であったのだろうが……死因は自殺になる筈だった以上、あまり良い生活であったとは思えんがな」
「正直、その……全く、実感がありません」
「記憶は完全に上書きしている。蓄積されたエピソードの密度は少ないかも知れんが、それでも元々の記憶を塗り潰すのには十分だ。無論、丸ごと人格を書き換えたわけではない以上、お前の意識は以前と変わらんはずだが……記憶を辿るというのであれば、《賢者》に許可を出すが?」
動揺しながらもしばし黙考し、アマミツキは首を横に振る。
全く気にならないといえば嘘になるだろう。だが、両親が既に存在せず、そして自ら死を選ぶような生活をしていたのであれば、わざわざ知りたいとまでは思えない。
己の性格上、よほどのことがない限り自殺など選ぶはずがないと分かっているのだ。
いずれその過去も飲み下せるだけの覚悟が決まるかもしれないが、少なくとも今それを知りたいとは思えない。
「つまり……私の本当の両親は既におらず、私にとって家族と呼べるのは兄さんと姉さんだけであると」
「望んだ答えとは異なるかも知れんが、それが事実だ」
「いえ……今までとなんら変わりはありませんから、別に問題はありません」
どの道、現状と同じ鞘に収まっただけだ。決して取り戻せぬ過去であると言うのならば、固執する理由もない。
元より――アマミツキは、自分の家族にしか興味などないのだから。
それよりも、と軽く頭を振って意識を切り替える。聞かねばならないことは、まだまだあるのだから。
「もう一つお聞きします。貴方は、私に何をさせようと……いえ、何をさせていたのですか? 《魔王》と《女神》の目的は、恐らく兄さんと姉さんで完結しているはずです」
「お前は実に察しがいいな……お前達は三年前の時点で生まれた。そこまではいいだろう。だがそれはつまり、三久頼斗と六木光は、一度も顔を合わせたことが無いにもかかわらず、互いのことを家族として認識しているということになる」
「それは……そう、なりますか」
若干認めがたい事実ではあったが、アマミツキは首肯する。
自分達の時間が三年前から始まったのであれば、あのオフ会の時こそが、姉と慕う光と出会った初めての瞬間なのだから。
しかしアマミツキの複雑な内心を他所に、《斬神》はただ淡々と言葉を紡ぐ。
「《魔王》の操った因果である以上、間違いは無い……だがそれでも、ありもしない過去を信じきるということは酷く不安定な行為だ。故に、オレはオレの権能をお前に授けた」
「貴方の、権能……貴方の力、ですか。プリスさんと、同じような」
「そうだ。《賢者》はこれを、『観測者の権能』と呼んでいたがな」
《斬神》が口にした言葉を、アマミツキは口の中で小さく反芻する。
聞き覚えは無い言葉だ。だが、不思議な実感とも呼べる感覚は存在する。
《斬神》の紡ぐ言葉は、不思議とアマミツキの中にすんなりと入り込んでくるのだ。
「オレがお前に与えた力は、言うなればお前が認識したものを事実として固定する力だ」
「……済みません、意味がよく分かりません」
「先ほども言ったとおり、三久頼斗と六木光は不安定な状態にあった。だからこそ、彼らを安定させる必要があった訳だ。彼らと共通の記憶を有したお前が、それを事実であると認識し続ける限り……それは、事実として固定される」
「……ありもしない過去を、疑うことも無く事実であると誰もが認識していたのは――」
「そう、それがお前の力だ。お前が認識していたために、三久頼斗と六木光の過去は固定され、今では彼らの存在も安定している。つまり、お前は楔の役割を果たしていたわけだ」
確かに、矛盾点はいくつも存在していたのだ。
にもかかわらず、誰も疑うことなくこれまで過ごしてくることができたのは、そこに東雲ひなたが存在していたためであると。
《斬神》の告げるその言葉は、俄かには信じがたいものであったが――それを否定できるような材料も無く、アマミツキは口を噤んでいた。
そんな彼女の様子に気づいているのかいないのか、あまり気にした様子は無く、《斬神》は続けていた。
「お前の力は、《斬神》と《賢者》の力を元に構築されている。故に、お前はオレの眷属であると判断された」
『《魔王》達のように言えば、この子はお前と《賢者》の子か? ふふふ、《霊王》が知ったらどう思うかな?』
「……あまり洒落にならんことを言うな」
これまで沈黙していた黒い女性の言葉に、アマミツキは視線を上げる。
そして、どこかからかうように笑う彼女の言葉を反芻し、アマミツキは再び《斬神》へと視線を戻していた。
対する彼は、眉根に皺を寄せた表情のまま、静かに沈黙を保っている。
無表情な割に中々感情が分かりやすい《斬神》のその様子を見ながら、アマミツキは胸裏で思考を巡らせていた。
(私の本当の両親はもう存在しない……私は、兄さん達と違って『親』は存在しないということになる)
自分だけが二人と異なる――それは、アマミツキにとっては抵抗を覚える事実であった。
自分達にとっての真実である三年間。もしも、その時点から今の『東雲ひなた』が生まれたというのであれば――
「私にとってのお父様が貴方、ですか。それも、間違ってないかもしれませんね」
「ぬ……」
『くくく、言われているぞお父様?』
「止めろ、全く……それよりも、他に聞いておくべきことは無いのか?」
露骨に話題を逸らす《斬神》に対し、アマミツキは表情に出さずに苦笑する。
彼としても認めていないわけではないのだろう。だが、どちらかといえば上司のような意識を持っていたのだと思われる。
咳払いをする《斬神》の言葉を聞きながら、アマミツキは揺らいでいた己の感情を落ち着かせる。
他に聞いておきたいことと問われれば、いくつかあるだろう。
だが――
「聞かなければならないことは、もうないと思います」
「ほう?」
「私たちがここに来た理由は、私たちの出自を知ることです。今後のことに関しては、兄さんと姉さんの答えを聞いてから判断するつもりですから」
「力についてもこれ以上は必要ないと? お前はこれまでよく働いてくれた。その働きには報酬を与えても問題はないが」
「ええ、きっと、これからの私たちには必要の無いものですから」
《斬神》の告げた観測者の権能は、それを持っていることは実感できたものの、行使していたこと自体はあまりイメージが湧いていない。
それよりも、自分の持っている瞬間記憶の能力のほうが、実感としては強いほどだ。
もしかしたら、これも権能から派生した能力なのかもしれないが――
「今の私は、今以上のものは求めていません。知るべきことは知れましたから……兄さんと私が血の繋がっていない兄妹であることが知れただけでも十分です」
「……そちらの方がメインになっていないか?」
『このような性格がお前の趣味か? だとしたら、今後の付き合いは少し考えなければならないが』
「無作為に選んだと言っているだろう……」
軽口を――半ば本気ではあったが――交わしながら、アマミツキは微笑む。
そんな彼女の視線が向かう先は、今は元の姿に戻った銀の炎を宿す篝火だ。
(兄さん、姉さん……信じています)
言葉などは必要ない。胸中でそう呟き、アマミツキは再び、己の父とも呼べる相手へと言葉を重ねていった。
今日の駄妹
「兄さん達とは血が繋がっていない……つまり、結婚しても全く問題ありませんね」