155:分岐点
「――問おう」
《斬神》は問いかける。
その手に巨大な刃を、彼のその名の所以であるとも言える一振りの刀を手に。
振り下ろされる刃は、目視することすらかなわない。
彼の持つ技量は、プリスのそれすらも遥かに凌駕しているのだ。
素人でしかないライトには、防御すらも叶わないほどの一撃なのである。
むしろ、割り込んでヒカリを庇うことができただけでも幸いであると言えるだろう。
そして、《斬神》の振り下ろした一撃は――
「何故、お前は『使わなかった』?」
――ライトとヒカリをまとめて両断しようとしたその瞬間、彼の肩口ギリギリの所で停止していた。
そのままあと少しでも進んでいれば、ライト達は《オートガード》ごと叩き斬られていただろう。
ただの防御スキルで《斬神》の一撃を防げると思うほど、ライトは楽観的な考えなどしていなかった。
無論、殺気の有無を読んで攻撃する気があったかどうかを確かめることなど、ライトにできるはずが無い。
ただ純粋に、ヒカリを護るために己の身を差し出しただけなのだ。
しかし、そんなライトに対し、《斬神》はその黒い瞳を真っ直ぐと向けて問いかける。
「お前には、その手札があった筈だ」
「……何を、言っている?」
「お前は分かっているだろう。この領域まで足を踏み入れた時点で、お前が何者であり、お前に何が出来るのか」
切っ先を持ち上げ、突きつけていた刀を再び地面に突き刺し、《斬神》は問う。
ライトと、その後ろにいるヒカリへと向けて、誤魔化しなど許さないとでも言うかのように。
「今の一撃に、オレの力は込めていなかった。ただ振り下ろしただけの攻撃だ。故に、お前ならば防ぐことは出来た筈だ」
「無茶なことを言わないでくれ。俺にはあんたの名前すら識別できない。圧倒的なレベル差だ、攻撃を受けたら一撃で負けるに決まってる」
「お前はその願いの性質上、防衛に向いた能力を有している。だからこそ、言っているんだ……どうしてお前は、回帰も超越も使おうとしなかった?」
その言葉に、ライトは虚を突かれたように目を見開いていた。
そして恐らくは、背後に庇ったヒカリも同様に。
それは、《斬神》の言葉を理解できなかったためではない。むしろ、理解できてしまったが故の動揺であった。
聞きなれない言葉であるはずなのに、それがどういう意味であるのかを、正確に理解できてしまっていたのだ。
「お前達は、元よりそういった存在だ。踏み出す覚悟があるならば、その意志を有しているならば、回帰も超越も最初から使うことが出来たはずだった。そしてその力ならば、今の一撃も防ぐことが出来ただろう」
「……それ、は」
「故に問うた。お前は何故――いや……そうか、そうだな」
《斬神》は、ちらりとその視線を横へと動かす。
その先に立ち尽くしているのは、一切動くことが出来なかったアマミツキだ。
困惑した様子で成り行きを見守っている彼女の姿に、《斬神》は軽く吐息を零しながら目を閉じる。
その姿は、どこか苦笑しているようにも思えるものであった。
「それが、お前達の選んだ答えということなのだろう。ならば、オレの行動にもオレの思惑以上の効果があったということだ」
『むしろ、喜ばしいことかな? なあ、相棒よ』
「さてな。どう転ぶかは、あいつら次第だ」
そう零して、《斬神》は踵を返す。
困惑するライト達の視線を受けながら、元々座っていた天体望遠鏡の台座の前へと。
そこに備え付けられた銀炎の篝火を前に、彼は見上げながら声を上げる。
「お前達の答えは理解した。ならば進め、最早止めることはない」
「い、今のは……一体、何を」
「この先は、行く末は、オレにも見通すことが出来ない。否、見通すべきではないというべきか。だからこそ、お前達の得た答えを知りたかった……ただそれだけだ。この先がどうなるかは、お前達次第なのだからな」
告げながら、《斬神》は手を掲げる。
その瞬間、台座に備え付けられていた篝火の炎が、一気に勢いを増して燃え上がった。
まるで生物のように揺らめく炎は瞬く間に巨大化し、大きな円を描き始める。
炎はやがて螺旋へと、炎の尾を描きながら天空へと駆け上り――そしてその炎の中心に現れるのは、銀色の炎に縁取られた石造りの扉であった。
その姿を目にし、そしてそこから感じる気配を感じ取り、ライトとヒカリは本能的に理解する。
――あれこそが、《魔王》と《女神》の元へと通じる扉である、と。
「さあ、進め。そして、お前達の望む真実を知るがいい。願わくば、お前達の目指した未来を、忘れぬように」
ただ一方的にそう告げて、これ以上語ることは無いと言うかのように、《斬神》は最初と同じ体勢に戻り沈黙する。
瞳を閉じて腰を降ろした彼はそのまま微動だにせず、ただ傍に控える黒い女性だけが小さく笑みを浮かべていた。
何も答えるつもりは無いのだろう。一方的に告げるだけ告げて結論を出してしまう姿は、他のタカアマハラのメンバーにも通じる部分があった。
困惑しつつ、ライトとヒカリは視線を合わせる。
だが少なくとも、この場で立ち尽くしているだけでは何も始まらないだろう。
「……仕方ない。アマミツキ、あたしたちは先に進むけど」
「本当に、大丈夫なんだな?」
「はい。答えてくれることは約束してくれましたし、このエリアから出るわけでもありませんから」
「そうか……分かった、気をつけてな」
「はい、兄さんと姉さんも」
危険は無いと告げて、アマミツキは頷く。
先ほどの行動も含め、《斬神》のことを素直に信用するつもりは無かったが、それでも連れて行けるわけではない。
アマミツキに別行動を告げて、二人はゆっくりと門の方向へと歩き出す。
《斬神》はそれに何も口出しする気配はない。ただ黙し、目を閉じたまま、まるで彫像のように微動だにしなかった。
そんな彼の姿を横目に、二人は天体望遠鏡の台座を登り、門へと接近する。
銀の炎に包まれる門は、しかし熱を発している様子は無い。
ただ、強い光を放つ銀の炎に目を細めながら、ライトとヒカリは、まるで示し合わせたかのように同時に手を伸ばしていた。
瞬間、門はゆっくりと開かれ――二人の姿は、その場から跡形も無く消え去っていた。
* * * * *
――それは、かつて一度見た光景。
周囲を覆う硝子のドームと、その向こう側に広がる草原。
足元の硝子の向こう側には無限の宇宙が広がり、そして頭上にもまた、果ての無い宇宙の姿が広がっていた。
その様はまるで夜空そのものであるが、しかし周囲は昼間と同様の明るさを保っている。
その矛盾した世界の中心で――白銀と黄金は、静かに微笑を浮かべていた。
「待っていたぞ」
「ようこそ、二人とも」
どこか、エコーがかかったように感じる声。
《斬神》と同じそれを耳にしながら、ライトとヒカリは目の前の二人に対し、どこか違和感にも似た印象を抱いていた。
以前出会った時とは少しだけ違う。以前はどこか、夢を見ているような、現実感の無い印象ばかりを受けていたのだ。
だが、今回は違う。紛れも無く目の前にいるのだと、相対する二人が確実に自分達の姿を見つめているのだと、そう確信することができたのだ。
「《魔王》、そして《女神》……」
「レン・ディア・フレイシュッツ。ミーナリア・フォン・フォールハウト。まあ、呼び方なんぞ何だっていい。いくつもあるが、結局はその称号に行き着くからな」
銀の髪と銀の瞳、怜悧な双眸を皮肉気に歪め、《白銀の魔王》レンは告げる。
その言葉を聞き、ヒカリは僅かに違和感の正体を察知していた。
煙に巻くような、あの気配が無い。以前のような、目の前にいるにもかかわらず、まるで遥か彼方の相手と話しているような違和感が無い。
この二人の人物が、今間違いなく目の前にいるのだと――そう確信することができたのだ。
呆然と立ち尽くすライトとヒカリの姿に、《魔王》は肘掛に頬杖をついた姿勢のまま笑みと共に声を上げる。
「俺たちに会いに来たのだろう? 座るといい。話を始めれば、少し長くなるだろうからな」
「どうぞ、ゆっくりお話しようね」
柔らかな口調と共に手を伸ばしたのは《黄金の女神》ミーナリアだ。
その手が差し伸べられた瞬間、二つの椅子が彼らの着くテーブルの前に出現する。
唐突に現れたそれらに少しだけ驚きつつも、二人は招きに従って《魔王》たちと相対するようにテーブルに着いていた。
視線の高さを合わせた《魔王》と《女神》は、相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
そんな彼らに対し、問いかけようと思っていた言葉が抜け落ちていくのを感じ――慌てて、ヒカリは口を開いていた。
「教えて欲しいことがあって、あたしたちはここに来ました」
「教えて欲しいこと、か。だが、ある程度は自分達で気づいているんじゃないのか?」
「……その確信を、俺たちは得たいんです。このまま進もうとするのは、どうしても怖い」
「そうだね……ねぇ、レン」
「ここまで来て隠し立てするつもりもない。俺たちの目的は既に達成されているからな……さて、どこから話そうか」
背もたれに体を預け、《魔王》は目を閉じながら口元を笑みに歪める。
ゆっくりと、言葉を選ぶように――そして、彼は口を開く。
「お前達が問いたいのは、お前達自身が何者なのか、ということだろう?」
《魔王》が告げた言葉は、酷く大雑把なものであった。
だが、それは決して間違いではない。
自分達の過去にある矛盾。果たして自分達はどこで生まれて、どこから来たのか。
そして――タカアマハラの者達が告げてきた言葉の意味とは、一体なんだったのか。
問わねばならない。全てを知っているのは、彼ら二人だけなのだから。
「……俺たちは、どこで生まれて、どこから来たのか。どこへ行くべきなのか」
「先のことは、あたしたちで決めます。でも、だからこそ……過去との決着をつけたいんです」
「道理だな。だが、その結果として得た答えが、お前達にとっては残酷な真実かもしれないぞ? 何も知らずに生きるほうが、お前達にとっての救いになるかもしれないな」
「それも承知の上です。俺たちは、知りたい。そのために、仲間達の協力を得て、その力のおかげでここまで来ることができた」
「だからあたしたちは聞きたいし、聞かなきゃいけない」
「くはは、成程いい度胸だ」
笑いながら、《魔王》は頭上へと視線を向ける。
硝子のドームに遮られた向こう側、無限に広がる宇宙の光景へと。
「この世界は、『永遠の正午』と呼ばれるものだ」
「え……?」
「《斬神》の創った雛形である《高天原・天之常立》に、俺とミナが自分達の住まう場所を創り上げた、いわば楽園にして監獄。それが、この『永遠の正午』だ」
「『永遠の正午』……けど」
《魔王》を倣うように頭上を見上げ、ヒカリは困惑する。
明るい光に包まれたこの空間。だが、これを正午と呼ぶには明らかに足りないものがある。
何故なら、ここには太陽と蒼穹がない。南天に輝く太陽も、それを彩る蒼穹も――それら全てが失われ、宇宙の光景だけが広がっているのだ。
しかし、それが一体何の関係があるのかと、疑念と共にヒカリは視線を戻す。
そして、それと同時に視線を戻していた《魔王》の表情を目にし、ヒカリは一つの違和感を覚えていた。
彼の視線が、まるで先ほど空を見上げていた時と同じもののようで――
「お前が今考えたように、この世界には太陽と蒼穹がない。正確には、今この空にはない、と言うべきだがな」
「それ、が……一体、何だって」
「分かっているはずだ。そうだろう?」
《魔王》は嗤う。その名に相応しいとも言えるような、不敵な笑みで。
そして、ライトとヒカリは同時に理解してしまう。彼が言わんとしていることを。
この場所に足を踏み入れたときから感じていた違和感が何なのかを。
――自分たちが、一体何者であるのかを。
「お前達は――俺とミナによって、この世界の太陽と蒼穹から創り上げられた存在」
「わたしと、レンの……大切な、子供達だよ」
まるで祝福するかのように、《白銀の魔王》と《黄金の女神》はその事実を告げていた。
今日の駄妹
「驚きましたが、一体何をしたかったんですかね……ともあれ、聞くべきことは聞かなくては。絶対に知っておかなければいけないこともありますしね」