14:合流と再出発
遠く、遠く、風が吹き抜ける。
地上が見えぬほどに高い山々。その頂上に、一つの建物が建っていた。
未だ何者にも触れえぬ領域。長き間、誰も辿り着けぬであろう危険な領域。
その中心に立つ天文台の中に、しかし望遠鏡の姿は存在していなかった。
『思うに――』
そこに、女の影が一つ。
舞い踊るように両手を広げて、彼女は天文台の中をゆっくりと歩む。
本来望遠鏡があるはずの場所――そこに突き立つ、長大な刀へと向かって。
『――平穏を求めているようで刺激を求めている。その矛盾こそが人であり我々なんだ』
その刀に背を預けるように、その踊る女の影の声を受け止めながら、一人の男が地に座する。
黒き髪と黒い瞳。白い甲冑の中心には、万色の光が渦を巻き集束する宝玉が一つ。
剣の主は、黙して語らず。けれど、その口元を僅かに歪める。
『ならば、ワタシは人と変わらないか?』
女の影は、自嘲するように舞い踊る。
黒衣を纏って。ひらり、ひらりと。
嘲るように。祈るように。
『だがな、ワタシは思う。我が半身よ。我らが主こそが、それを最も体現したモノなのだと』
そう、口にして――女の影は、ぴたりと足を止める。
己の半身と、黒白の男と背を合わせるようにしながら。
くすくすと、くすくすと――
笑い声を響かせて――
――影は、芝居がかった様子で告げる。
『ああ、未だに四柱は健在。《賢者》にも《霊王》にも《刻守》にも《水魔》にも、辿り着ける者など在りはしない』
告げる。告げる。
呪縛のように。祝福のように。
世界を歩む者たちへ。たった一人の少女へ向けて。
彼女は全てを識る者。
大図書館の主たる知識の王とは違った形で、総ての物事を知覚する。
万物を見通すその瞳は、今は未知に輝いて――
『しかし。しかし。我らが主の愛を受けし者たちよ。お前たちの行く末を、ワタシは知らない。知らないのだ!』
――喝采を、告げる。
純粋に。純粋に。女の影は、全てを識る者は、愛すべき者たちへの賞賛を口にする。
『我が半身よ、お前の愛を受けし《観測者》は、果たして何を見つめる?』
「――待てばいい。門は、いずれ開く」
『ならば現在を見つめよう。されど。されど。願う事は唯一つ』
笑う女は、笑いながら。
座す男は、瞳を開いて。
――告げる願いは、唯一つ。
『我らの楽園よ、永遠なれ』
* * * * *
「『風よ、天へと至る翼を我に――《フライト》』!」
魔法の発動と共に、ライトの身体はふわりと浮き上がる。
飛行魔法は、発動した後は思考するだけでその動きを操作する事が可能であり、若干の慣れは必要となるが自在に飛び回る事が出来るのだ。
ただし、遅さを感じない程度に飛ぶには《飛行魔法強化》のレベルが必要となるが。
青い空へと向かい飛んでゆけば、遮蔽物のないそこはまるで天へと落ちて行っているようにすら感じる。
体一つで空を飛ぶ感覚――ライトは、すっかりそれに魅せられていた。
「兄さーん! 気分はどうですかー?」
「はははっ! ああ、最高だ!」
「おお、脳内麻薬がドバドバ出てますね」
地上で叫ぶ妹――アマミツキの言葉も特に気にせず、ライトは空を飛び回る。
ライトのボス討伐の翌日、二人はようやく合流する事となったのだ。
いや、正確に言えば二人ではないのだが――
「……あの、私はここにいていいんですか?」
「はい。兄さんはめっちゃご機嫌ですから、問題ありません」
「まあ、傍から見てても異様なほど楽しそうですけど……ああでも、空を飛ぶって気持ちよさそうだなぁ」
アマミツキと共にパーティに加わった白餡。
妹が連れてきた彼女を、ライトは快く迎え入れていた。
制御する事が難しい妹の手綱を握ってくれる、という点もあったが――純正な魔法使いである彼女がいてくれれば、火力の面で助かるかもしれないという考えがあったのだ。
何せ、ライトは飛行魔法からの爆撃、そしてアマミツキに至ってはそもそも戦闘をする気の無い組み合わせであった。
現在のライトはレベル16、スキルは《メモリーアーツ:風》、《風属性強化》Lv.6、《飛行魔法強化》Lv.8、《オートガード》、《観察眼》、《生産:グレネード》、《グレネード強化》Lv.3、《投擲》となっている。
辛うじてグレネードを育てている程度であり、完全に飛行魔法に傾倒している構成であった。
とは言え、このレベルで放たれる魔法の威力は十分高い。更に、飛行魔法のある特性のおかげで彼の魔法熟練度は上昇を続けていた。
「飛行魔法って、発動している間ずっと熟練度が上がっていくんですね……ちょっとずるいような気が」
「とは言え、《飛行魔法強化》が無ければ浮ける程度の性能ですから、移動時に使うような事は出来ませんよ。まあ、街中でずっと浮いているという手もありますが、どっちにしろ《飛行魔法強化》がないと消費MPも激しいですし、割に合わないかと」
《フライト》は、使用している間ずっとMPを消費し続けるが、同時に《メモリーアーツ:風》の熟練度も上昇してゆくのだ。
その為、戦闘で攻撃魔法を使わないライトであったが、魔法の熟練度は中々に高い数値を叩き出していた。
とは言え、それで覚えた魔法を使用しないのだから宝の持ち腐れであるが。
「……ちなみに、それも本で?」
「はい」
最早どこまでが本気か分からない、と白餡は嘆息を零す。
ちなみにアマミツキのクラスはスカウト/アルケミスト、そして白餡はメイジ/サモナーとなっていた。
現在レベル11のアマミツキの構成は、これもまた非常に妙な構成となっている。
メインクラスのスキルは《ハイディング》、《シャドウウォーク》Lv.6、《バックスタブ》。そして一般スキルは《観察眼》、《索敵》、《投擲》となっている。
そしてサブクラスのスキル構成は、《生産:薬品》、《薬品強化》Lv.5となっていた。
こうしてみれば、良くある暗殺者型の構成である。
メインクラスのスキル三種は、順に隠密化、隠密移動、奇襲攻撃のスキルである。これにサブクラスの薬品生成で作り上げた毒物を使用すれば、立派に暗殺者となれるだろう。
だが、彼女には暗殺者をやるつもりなど毛頭無かったのだ。
「では兄さん、私は隠密して素材回収に行ってきますので」
「おう。それじゃあ白餡、こっちは上空から援護するから頑張って進もう」
「……違う、これはパーティプレイとは何か違う……!」
頭を抱えつつ呻く白餡であるが、彼女の主張も尤もであろう。
アマミツキは、あくまでも隠密によって隠れつつ素材アイテムの収集を行う事が目的だったのだ。
彼女自身に戦闘する気がないのは、《ブレイドアーツ:短剣》や《ウェポンアーツ:弓》などのスキルを取得していない所からも明らかだ。
彼女の目的はあくまでも兄の手助けをすること。その為、彼女はライトの使用するグレネードの素材や、それを強化するための薬品などを作り上げようとしているのだ。
ちなみにポーションもしっかり作れるため、回復役を兼ねているという部分もある。
そんな特異な二人に悩みつつもほかにフレンドもいないため付いていかざるを得ない白餡は、それなりにメジャーな構成であった。
彼女の現在のレベルは13、スキルは《メモリーアーツ:火》、《メモリーアーツ:氷》、《火属性強化》Lv.5、《氷属性強化》Lv.6、《オートガード》、《召喚魔法》、《テイミング》、《フレンドシップ》Lv.3である。
メイジのスキルに関しては、非常に分かりやすい構成をしている。
若干趣味に走っている部分があるとすれば、サモナーのスキル構成であろう。
白餡――現実世界の白峰愛莉は、ペットを飼う事を趣味としている。
とは言え、飼っているのは猫一匹なのであるが、とにかく動物好きである彼女はこのゲームの世界で会える動物を楽しみにしていたのだ。
《召喚魔法》は二種類の使用法がある魔法だ。まず一つ目は《メモリーアーツ》と組み合わせて使用する事。
その属性に合わせた幻獣を一瞬だけ召喚して攻撃させるというものである。これは基本的に、普通の攻撃魔法と大差ないスキルだ。
次に、《テイミング》に対応した使い方。これこそが白餡の望んでいたスキルであり、一部のエネミーに対して使用すると自分に懐かせる事ができるのだ。
《テイミング》で懐いたエネミーは《召喚魔法》の単独使用で呼び出す事も可能であり、戦闘のサポートを行ってくれる。
そして《フレンドシップ》は、《テイミング》の成功率を上昇させるパッシブスキルであった。
「えっと、ライトさん! 敵が出てきたら、いきなり爆撃しないで下さいよ! 《テイミング》を使ってみますから!」
「ああ、了解だ!」
ここまでの道中に現れたエネミーにも、彼女は幾度かそのスキルを試していた。
元々使いどころの少ないスキルである為に、熟練度の上り幅は大きく設定されている。
しかし成功率は低い為に、彼女は現状のレベルにしては中々に高い熟練度を得ていた。
本来ならばMPの消費が激しい為にそこまで連発は出来ないのだが、そこはアマミツキのMPポーションのおかげで何とかなっている。
「ところで、この山に挑む目的は何なんだ?」
「あ、はい! 何でもアマミツキが言うには、この山にはドラゴンが住んでるらしくて」
ニアクロウの東には、遠景に山々が存在している。
そこは西の森に対応するレベルのエリアであり、サブクラスを開放していない人間が入るには少々厳しいエリアだった。
だが、現状トップクラスのレベルを持つライトと、魔法使いとして優秀な火力を持つ白餡ならば、敵さえ選べばどうとでもなる場所であった。
無論、数の多い敵と戦うのは厳しいと言わざるを得ないが、そこはアマミツキの援護が入る為に何とかなっている。
このエリアを進む事が出来ると言ったのも彼女の言であり、一体どこまで調べているのかと白餡は空恐ろしい思いを感じてもいたが、彼女のもたらした情報に心躍るのを抑える事は出来ていなかった。
「……もしかして、ドラゴンも好きなのか?」
「あはは……ほら、赤ちゃんのドラゴンとか見られたらなーって」
現実世界で見られる動物ならばともかく、こちらは幻想の世界である。
こちらでしか見る事の出来ない動物がいるならばぜひ見てみたい――それが、白餡の思いであった。
そんな彼女の言葉に、ライトは小さく苦笑を零す。
「会っていきなり襲いかかって来ないならいいけどな」
「それは大丈夫だと思います。あの子が言うには、守り神みたいな感じで、人間には割と友好的な存在だそうですし」
「どの種族に対してもそうならいいんだけどな」
ライトはヒューゲン、アマミツキはニヴァーフ、白餡はエルフィーン。
種族は全てバラバラであるが、それら全てに友好的ならば問題は無いだろう。
その辺りは後でアマミツキに尋ねた方がいいだろう、と胸中で呟き、ライトは苦笑する。
結局はゲームだ。それならば、危険に踏み込んで行ってこそ価値がある。
「よし、それなら行ってみるとするか」
「はい!」
上空と地上と言う奇妙な距離で会話を行いながら、二人と姿を消した一人は山の方へと向かって行ったのだった。
* * * * *
爆発音を発しながら進んで一時間ほど。
山の麓辺りまでたどり着いた一行は、一度管理小屋のようなセーフティエリアに身を寄せていた。
「いやぁ、本当にこのメンバーでここまで来れるとは……」
「そりゃあ、当然ですよ。この私が丹精込めて造り上げた麻痺毒をグレネードに混ぜてるんですから」
「……お前、普通に暗殺者やった方が強いんじゃないか?」
インベントリから取り出した黄色い液体入りの瓶を見つめ、ライトは苦笑する。
《生産:グレネード》の熟練度が上昇する事によって使用可能になった新たな武器、【パラライズグレネード】である。
同時に作成可能になった【ポイズングレネード】もあるが、現状では麻痺の方が役に立っていた。
戦闘開始直後では、基本的に敵は一塊になって出てくる。
上空を飛んでいるライトには、あらかじめその敵を察知して、最良のタイミングでグレネードを投げる事が出来るのだ。
アマミツキは《薬品強化》を持っているため、生成される薬の効果は中々高い。
【パラライズグレネード】は、本来【シビレタケ】というキノコの素材を使用して作り上げるのだが、そこを麻痺毒に代用する事も可能なのだ。
結果として完成した麻痺爆弾は、通常のものよりも高い麻痺効果を持った改良型となっていた。
「意外と融通が利くんだな、生産のシステムって」
「と言うより、同系統の素材という扱いだったんでしょうね。【シビレタケ】よりも、私の麻痺毒の方がグレードが上だったという事です」
むふー、と自分の口で擬音を発しながら、アマミツキは得意気な顔でそう口にする。
その表情には呆れざるを得ないライトであったが、彼女の腕は確かなのだ。
ここまで楽に進む事が出来たのも、偏に彼女のおかげであると言える。
そしてそんな功労者は、今も大きな鍋を用意してポーションの作成を行っていた。
ある程度の量は同時に作る事が出来るため、こうして大なべで作成しているのである。
ちなみにある程度の量を取り分けると、自動的に瓶詰めされてアイテム化される仕様となっている。
現在彼女が優先的に作成しているのは、MPポーションだ。
「ガス欠の心配をしなくていいのがこんなに楽だったとは……!」
「まあ、そうだな。俺も遠慮なく空を飛んでいられるし、そっちも――」
「はい、ついに一匹目です!」
満面の笑みで頷く白餡は、嬉しそうに自分のスキル欄を閲覧している。
彼女が見ているのは《召喚魔法》の欄。そこには、《召喚:ウォルフ》の文字が表示されていた。
ウォルフはこの近辺に出現する狼型のエネミーであり、白餡は十数回目の《テイミング》によってようやくそれを成功させたのだ。
ちなみに、《テイミング》が行えるのは一体のエネミーにつき一回までなので、かなりの回数戦闘を繰り返した事になる。
種族ごとのヘイト値という概念が存在していなかったのは幸いであろう。
「別に、ずっと出しっぱなしにしていてもいいんですよ? 倒されても召喚解除になるだけでしょう?」
「いや、それは流石に悪いです。アマミツキがMPポーションを投げてくれるとは言え、出しっぱなしにしとくのは気が引けます」
「それならそれで、私も生産の熟練度が上がっていいんですけどね」
メモリーアーツと組み合わせた召喚と違い、《テイミング》に成功したエネミーは召喚し続ける事が出来る。
ただし一度に召喚できる数は熟練度に依存しており、さらに出している数だけ徐々にMPを消費してゆくのだ。
ウォルフ一体程度ならまだそれほどではないが、無駄にMPを消費している事に変わりは無い。
その辺りが律儀なのが、この白餡と言う少女であった。
「さて兄さん、グレネードの追加はどうします?」
「ああ、ポイズンはまだあんまり使ってないからいいだろう。パラライズを頼んでもいいか?」
「はい、了解です。麻痺毒ですね」
こう口にしているが、グレネードを作るのはあくまでもライトである。
毎度毎度アマミツキが大量の素材を収集してくるために、ライトの《生産:グレネード》の熟練度も上昇し続けていた。
消費よりも供給の方が上回っている状況であるが、現状では装備の切り替えもほとんど必要なく、インベントリの圧迫も無い。
そういった事情もあって、ライトは遠慮なく生産を続けていた。
「しかしお前、俺がこういう構成にする事を読んでたのか?」
「まあ兄さんですし、空を飛びたがるのは分かり切ってましたからね。なので、そこから実用に耐える戦闘方法を考えれば、自然と辿り着きました」
「今更ですけど、普通は思いついてもやらないですよね、これ……」
本当は思いついたのではなく教えられたのだが――と、ライトはそう呟いて苦笑しようとした、その時。
地面の振動と共に、大きな爆発音が響き渡ったのだった。
今日の駄妹
「ふぅ……兄さん凄くいい笑顔です。惜しむらくは現実世界ではない事……いえ、私の脳内保管技術があればいつでも合成可能ですが。とりあえず脳内兄さんフォルダが潤います」