152:疑念と特攻
「は……?」
「え……いや、まさか、そんな……」
ハイドラが告げたその言葉に、当の本人であるアマミツキは呆然と目を見開き、そしてプリスは言葉を反芻しながら硬直していた。
だが、《斬神》を嫌っていると独白するハイドラは、そんな二人の様子など意に介すことも無く、眉根を寄せながら声を上げる。
「あいつ、アタシにばっかり色々と口出ししてくるし。男同士だからって、彼の理解者ぶった行動してくるし。アタシの方が彼のことをよく知ってるのに……あいつに出しゃばられるのは嫌いなのよ」
「い、いや、ちょっと待って……れ、じゃないハイドラさん。あたしとか、プリスが眷族だっていうのはまだ理解できるわ。でも、何でこの人まで?」
「んー……まあ、貴方は特大の加護を貰ってるからねぇ、妹ちゃん」
アンズが発した問いかけに、ハイドラは肩を竦めながら返す。
その瞳の中に感情の色は無い。《斬神》を苦手としていることは事実であるが、その血族に手を出すことがどれほど危険なことであるのか、それは彼女も理解していた。
故に、アンズの問いかけに対しては比較的丁寧に、視線を返しながら声を上げる。
「力も持たないくせに、アタシたちが持つものと近い能力を発現できる貴方。それなら、気づかなかった? その子も、同じだけの加護を有していることに」
「アマミツキさんが……いや、でも、確かに」
「経緯は知らないけど、ある程度の予想はできるわね。しっかし――」
思考の淵に沈むアンズを他所に、ハイドラはアマミツキへと視線を向ける。
深遠のような、深く暗いその視線を受け、アマミツキは思わず体を震わせていた。
悪意など無い、ただ視線を向けただけのその行為。
しかし、動揺していたアマミツキは、それを完全に受け止めることができなかったのだ。
そんな彼女の様子も気にした様子は無く、ただ口元に笑みを浮かべながら、ハイドラは告げる。
「《賢者》の気配も感じるけど、当の《賢者》も最初から知っていたような気配はなし……貴方よく《霊王》に殺されなかったわねぇ」
「な、何を……?」
「あの子も多少は理性的になってきたってことかしら? 後々が楽しみよね。《斬神》の奴、勝手にこんなことしたんだったら、常世から説教コース確定じゃない」
くつくつと、ただただ愉快そうに笑みを浮かべる超越者。
何者にも理解させるつもりの無い独白を零しきった彼女は、ひとしきり笑った後、改めてその視線をヒカリへと向ける。
予想外の展開と情報に、しかし必至に情報を噛み砕こうとしている彼女に対して、発する言葉はどこか親しみすらも篭ったものだ。
「ま、アタシも多少は似たような気分ではあるけど、《魔王》の目的のためなのだし、その程度は許容してあげるわ。というわけで、アタシはその子が通ることを認めたくない。どの道、ここまで来れば役目は果たしているでしょうし、問題はないんじゃない?」
「…………」
ハイドラの言葉に、ヒカリは沈黙する。
達成しなければならない目標は、ここを潜り抜けて《魔王》と《女神》の元へと到達することだ。
知るべきことは、自分達の正体と出生の謎について。
ここでハイドラの要求を飲み、ライトと二人だけで通り抜ければ、その情報を知ることができるだろう。
手に入れた情報を後で伝えれば、それで問題はない。そのはずなのだ。
「……姉さん、行ってください。私は後からでも大丈夫です。そうすれば――」
「駄目だ。あたしは、そんなことは認めない」
「っ、姉さん!」
――それでも、ヒカリには、決してその条件を認めることはできなかった。
そう答えるであろうことは理解していたのだろう。アマミツキは、焦りを押さえきれず咎めるように声を上げる。
けれど、ヒカリは止まらない。止まるはずがない。
既に決めている。言葉にも出して誓っている。ならば、ヒカリがそれを違えることなどありえないのだ。
だからこそ、ヒカリは視線を上げる。進むべき道を遮り、そこに立ちはだかっている強大な相手に対して。
「アマミツキも一緒に行く。絶対に置いて行ったりはしない……あたしはそう誓ったんだ。この大切な妹に。だから……皆、悪いけど迷惑かける」
「……ヒカリなら、そう言うと思ってた」
「ま、ここで日和るような性格はしてないよねぇ」
「逆に、要求飲んだらびっくりしてたっての」
視線を外さないヒカリに並ぶように、『碧落の光』のメンバーが前に出る。
確かに、相手は強大だ。だが、格上相手に挑むことなど日常茶飯事。
特に、家族であるアマミツキを見捨ててまで戦いを回避することなどありえないと、全員が理解していたのである。
そんな彼らの背中を目にして、アマミツキは唇を噛む。
今回は、ゲームイベントとしての挑戦ではない。ハイドラは、完全なる私事で現れ、立ちはだかろうとしているのだ。
そうである以上、ゲームとしての制約も無視して戦う可能性は否定できず、ただでさえ低い勝利の可能性を、更に低く見積もらなければならなくなる。
例えプリスがいたとしても、勝てる見込みは非常に薄いと言わざるを得ないだろう。
ヒカリを止めなければならない――その思いと共に視線を上げたアマミツキは、その瞬間になってようやく両隣に立つ仲間の存在に気がついていた。
「兄さん、白餡も……」
「あまり心配するな、アマミツキ。必ず、お前を連れてあの先に行く……ただ、それだけだ」
「大丈夫、私たちも手伝うから……頑張りましょう? 必ず、あの先に送り届けて見せるから」
二人に促されるように、アマミツキは視線を前へと向ける。
先頭に立つヒカリの背中へ、その先に立つハイドラへ――そして、更にその後ろにある扉へと。
それを目にし、アマミツキは僅かに目を見開いていた。
(もし、あの扉の鍵が、幻燈龍の言っていた資格なら……私たちは、既にあの扉を開けることができる?)
確実ではない、分の悪い賭けでしかない想像だ。
けれど、もしもそれが当たっていたとすれば――
「……分かりました。行きましょう」
「その意気だ」
覚悟を決めたアマミツキの様子に、ライトは笑みを浮かべながら前に出る。
ヒカリと共に、三人で先へと進むために。
恐れも無く、あるのは不退転の覚悟のみ。その姿に、ハイドラは気分を害した様子も無く――むしろ、笑みと共に告げていた。
「そう……貴方達は、アタシを倒して先に進む。それでいいのね? でも、そっちの『コンチェルト』の面々はどうなのかしら? その子たちのために、アタシに挑むの?」
「『碧落の光』の皆さんには恩があります。それに、ライトさんたちの過去を不用意に暴いてしまったのは私です。だから――」
「……こいつが協力するって言う以上、俺達はそれを違えるつもりは無い。恩があるってのも紛れもない事実だしな」
肩を竦めて、けれどどこか不敵にケージは告げる。
《霊王》を倒すために協力してくれた恩は、今だ返しきれているとは思っていない。
それほど、《霊王》との戦いは『コンチェルト』にとって大切なものだったのだ。
そして、それに比肩し得るほどの相手が、今目の前に立ち塞がっている。
故に、ここで彼らを見捨てるような選択肢など、取れるはずが無い。
「……プリス、頼みの綱はお前だ。やるべきことは分かるな?」
「うん、分かってるよ。私の力も……あの人との力の差も。だから、何とかやってみる」
前に出て、プリスはその刀を抜き放つ。
それと共に収束していく力は、確かに《霊王》と戦った時と同じもの。
空間を揺らがせるほどのその圧力に、しかし《水魔》は一切動揺する様子も無く、僅かに視線を細めながら笑みを浮かべる。
「そう……ならいいわ、遊んであげる。タカアマハラ、《守護の四権》が一角――《水魔》ハイドラ」
告げる言葉はゆったりと、けれどこれまでとは異なる鋭い気配を交えながら。
そしてそれに従うかのように、ハイドラの周囲に水の塊が出現する。
まるで無重力空間であるかのように空中に浮かぶ水の球は、まるで獲物を狙うかのように静止している。
その水の持つ力が何であるかは、レイドイベントを知るライト達全員が理解している。
あれこそが、最も警戒しなくてはならない《水魔》の能力であるということも。
全員の警戒を釘付けにし――ハイドラは、笑みと共に告げる。
「アタシの前に立つ、愚かな子供達……静止した水底で、朽ち果てていきなさい」
瞬間、ハイドラの操る水が蠢く。
球体の表面が揺らめき始め、次第に激しくその形を変えてゆく。
そして次の瞬間――水は、巨大な波となって襲い掛かっていた。
「――《ドラゴンブレス》!」
「――《フレアライト・ブレイク》ッ!」
咄嗟に放たれるのは、ソルベのレーザーブレスとヒカリの範囲魔法だ。
薙ぎ払うように放たれたブレスによってハイドラの放った水は凍りつき、そしてヒカリの発動させた衝撃を伴う光の爆裂が、凍てついた水をまとめて打ち砕く。
それを確認し、ヒカリはライトの背中に飛び乗りながら叫ぶように声を上げていた。
「散開! 二人一組、水への対処を忘れるな!」
徐々にフィールドを支配してしまうハイドラの水は、対処しなければどんどんプレイヤーを不利な状況に押し込んでいく。
水溜りは確実に排除した上で、極力ハイドラに水を放たせないようにしなければならないのだ。
故に、威力が高く範囲が広すぎるヒカリのするべき仕事は、相手への直接攻撃ではなく水への対処。
ハイドラへの攻撃は、有効な直接攻撃手段を持つプリスをメインとし、彼女の援護をする形が望ましいと判断していた。
(麓の街で会わなかったら、ここまで対策は考えなかったけどな……!)
ヒカリが胸中で毒づくのとほぼ同時、ライトがいつも通り空中へと飛び出し、その眼下をプリスが駆け抜ける。
水が砕け散って消滅した空間を抜け、目指すは操り手であるハイドラの元。
その先で――笑みを浮かべる《水魔》は、両手に構えた銃を向けていた。
「――――ッ!」
頭と胸、確かな殺気を向けられて、けれどプリスは更に踏み込む。
その姿を見据え、ハイドラは歓迎するように引き金を絞っていた。
雷鳴のごとく銃声は鳴り響き、弾丸はプリスへと向かう――
「――無拍・縮地」
対し、プリスが選んだ選択肢は更なる前進だった。
まるで前に倒れるような前傾姿勢となり、その身は自らの重さと重力に押されて加速する。
弾丸は僅かに頭上を通り抜け――プリスは、ハイドラに肉薄することに成功していた。
「――是の時、天より降りし素戔嗚尊、期に至りて果たして大蛇有り」
彼女の口から零れ落ちるのは彼女自身の祝詞。
それと共に滲み出した理は、ハイドラの力を減衰させ、同時にプリス自身の力を高めていく。
けれど、その圧を前にして、ハイドラはただ笑みを浮かべていた。
「松・柏、背の上に生いて八丘八谷の間に蔓え延びき」
「そうねぇ。アタシに対抗するには、それしかない。けど――」
足元に滑り込むようにしながら放たれた刃を、ハイドラは振るう銃身で弾き、受け流す。
自らの力を削り取られながら、しかし一切の脅威など感じていないと言わんばかりの声音で。
そしてそれと同時、周囲に浮かぶ水がプリスへと向けて流れ出す。
捉えてしまえば、それまでだ。例え、どれほどの力を持っていたとしても――
「――《ヒートスティンガー》!」
――けれど、そこへと向けて放たれたのは、上空から撃ち降ろされるヒカリの砲撃だ。
その輝きが発せられた瞬間、プリスとハイドラは同時に反対方向へと向けて跳躍する。
地面に突き刺さり、ヒカリの爆裂が巻き起こる中、二人はそこから回り込むように移動を開始していた。
「――酒を得るに及び至り、頭、各ひとつの槽を飮み、醉いて睡る。遂に素戔嗚尊、乃ち所帶せる十握劒を拔き放ち、寸に其の蛇を斬りき」
「ふふふっ、急いでるじゃない――」
「こっちだ軍服女ッ!」
ハイドラは並ぶように走るプリスへと銃口を向け、次々と水と弾丸を放ち続ける。
それを阻もうと駆け抜けたのは、黒い装甲を纏うダンクルトだった。
ハイドラの後ろ側へと回りこんでいた彼は、大きく旋回した蹴りをハイドラの頭部へと向けて叩きつける――そんな彼の足先に出現したのは、拳大の水の塊であった。
その水にダンクルトの蹴り足が触れた瞬間、彼の体は足だけではなく、全身が空中に固定される。
「い……っ!?」
「手数、足りないわよ」
ダンクルトの姿には一瞥もくれることなく、ハイドラは背後の彼へと銃口を向ける。
その刹那、横合いから彼女の手へと拳を放ったのは、ダンクルトに続くように移動していた旬菜であった。
彼女の一撃はハイドラの銃口の向きを僅かに逸らし、次いで炎を纏うその拳が、ダンクルトを拘束していた小さな水の塊を蒸発させる。
自由になったダンクルトと、体勢を整えた旬菜は、同時に行動を再開し――
「――邪魔よ」
――薙ぎ払うように放たれた銃身の殴打により、横へと向けて弾き飛ばされていた。
ただ振り払っただけのような攻撃ですらHPを大きく減らし、けれど二人は笑みと共に着地する。
「故其の尾を割り裂きて視るに、中にひとふりの劒有り」
「一手、稼がれたか――」
『グルォオオオオオオオッ!』
舌打ちと共に水を発生させたハイドラへと襲い掛かったのは、《オーバード・ドラグノール》によって巨大化したソルベであった。
冷気を纏うその巨大な爪による一撃は、ハイドラの水を凍てつかせながら打ち砕く。
そして岩をも容易く引き裂くその爪は瞬時にハイドラへと迫り――
「――《静止》」
『ガァ!?』
「んなっ!?」
ハイドラの指先によって、止められていた。
ソルベと、指示を出した白餡が驚愕の呻き声を上げる中、しかしハイドラは僅かに表情を歪ませる。
「……そう、面倒な力ね」
「――――八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
徐々にソルベの爪は動き始め、それに押し潰される前にハイドラは離脱する。
そんな彼女へと追いすがるのは、再び体勢を立て直したプリスだ。
ハイドラは再び水を発生させ――けれど、それよりも僅かに、プリスの祝詞の完成の方が速い。
「蛇之麁正より我が名へと、熱田に集え神代の叢雲ぉっ!」
放たれる一閃。そしてそれと共に、世界は変貌する。
「超越――《情報:安藝國・都牟刈之大刀》ッ!」
今日の駄妹
「色々と、聞きたいことはありますが……そうも、言っていられませんか!」