151:門前にて立ちはだかる者
永遠に続くかと錯覚するような螺旋階段。
だが、それにも果てはある。『シルバーレギオン』の報告にあったとおり、頭上に天井のようなものがあることを確認したライトとヒカリは、仲間達と合流するように階段へと戻っていた。
ここまで辿り着くのにかなりの数の戦闘を繰り返したが、消耗はそれほど大きくは無い。
偏に、一部を除いて相手が人型であったという理由が大きいだろう。
対人戦に向いたプリスやバリスにとっては、非常に戦いやすい相手だったのだ。
「しかし、統一感の無いエネミーばっかりだったねぇ……結局何も落とさなかったけど」
「炎の剣を持った女とか、ナイフ持って襲い掛かってくる暗殺者っぽい奴とか……突然人狼に変身した奴もいたな」
「どういう基準なんでしょうね。私の知っている限りだと、共通項は特に思いつきませんが……色々な伝承から拾ってきてパロディにした感じでしょうか」
ぼやくゆきねの言葉に、ライトは虚空を見上げながら首肯する。
首を傾げるアマミツキは、記憶の中から様々な伝承や神話を引き出すも、全てのエネミーに共通するような話を見つけることはできなかった。
それほどまでに、多彩なエネミーが出現したのだ。
基本的にフードや兜で顔を隠している者が多かったが、背格好から考えると、同じ名称のエネミーであっても一度に同じ姿のエネミーが複数出てくることは無かった。
そんなエネミーたちの姿を思い返し、話を聞いていたケージは首を横に振る。
「ふむ……俺たちも、これに関しては特に聞いたことはないな」
「あんなに色々といたんだし、たぶんモデルがいるんだと思いますけど……ごめんなさい、私も聞いたこと無いです」
「まあ、別にいいさ。気になることは確かだけど、今回はそれを調べに来たわけじゃないしな。それよりも、この先だ」
プリスの言葉に笑いながら返したヒカリは、改めて視線を先へと向ける。
天井はもう目前。そこに開いた穴へと、螺旋階段は続いている。
恐らくは、その先こそが幻燈龍の棲家――『シルバーレギオン』が敗走した、試練の間であることが予想される。
未だその先にある光景は見えないが、いかなる戦いにも対処できるよう、ヒカリは軽く息を吐き出し、覚悟を決める。
「皆、アイテムの確認を……何が来るかわからないぞ」
「消耗品の補充はしてありますが、他に耐久度がきつそうなアイテムとかありませんよね?」
「『コンチェルト』は問題ない、いつでも全力戦闘が行える。そっちも大丈夫か?」
「ああ、確認は済んでるさ……よし、行こう、ヒカリ」
全員の戦闘準備を確認し、ライトは中央に立つヒカリへと告げる。
その言葉に首肯して――全員が、その先の領域へと足を踏み入れていた。
瞬間、目に入ったのは橙色の光。松明のように揺らめく輝きが、広大な空間を広く照らしている。
その色はこれまで登ってきた螺旋階段を照らす光と同じであったが、その光力もその量も、これまでよりも遥かに強いものとなっていた。
そして――それらに照らされながら鎮座するのは、見上げるほどに巨大な龍。
「幻燈龍……やっぱり、ここが『シルバーレギオン』の言っていた場所か」
ただそこに存在しているだけでも伝わる、強大な存在感。
圧倒されるほどのそれを見上げながら、ヒカリは小さくそう呟いていた。
そして、それに反応したかのように、目を閉じていた幻燈龍はゆっくりと体を持ち上げ、足を踏み入れた者たち全員を睥睨する。
『良くぞ、ここまで辿り着いた。勇気ある者たちよ……我が名は、幻燈龍クラグスレイン』
響き渡る声に、ライトは思わず視線を細める。
この場所の番人とも呼べる存在である幻燈龍。その力は、ここに登ってくるまでにもその身を持って体験してきている。
だが、『シルバーレギオン』を全滅させた英霊の影は、それとは比べ物にならぬほど強大だろう。
易々とは抜かせて貰えないだろう――故にこそ、あらゆる状況に対応できるように、ライトはヒカリの傍に控えながら静かに神経を研ぎ澄ませる。
『この先へ、神々の領域へと足を踏み入れようとするならば、我が試練を乗り越え、その資格を示すがいい――』
『シルバーレギオン』の報告にあった黒衣の男を初めとした、強大な『英霊の影』。
それが果たしてどのような力を持った存在なのか――それは分からないが、ライト達はこれまでも初見の敵を打ち破り続けてきたのだ。
決して油断はしない、だが今回もこの壁を突き破ってみせる。その決意と覚悟を胸に、ライト達は幻燈龍の言葉を待つ。
故に――その口から放たれた言葉に、思わず目を見開いていた。
『――だが、汝らは既にその資格を有しているようだ』
「……なるほど、そう来たか」
幻燈龍の言葉に、ヒカリは口元を笑みに歪ませる。
予想の一つではあったのだ――自分達の有する、他のプレイヤーとは異なる経験が、どのような意味を持つのかということは。
しかし全員がその考えを持っていたわけではなく、戸惑いを隠せぬ声が上がる中、幻燈龍は言葉を続ける。
『偉大なる高みの存在、その一角たる《霊王》――彼のお方を打ち破りし者達よ。お前達は、既にこの先へと足を踏み入れる資格を有している』
幻燈龍の告げた台詞に、ヒカリ以外のメンバーもまた納得する。
《霊王》は確かに、それに通ずるような内容の言葉を伝えていたのだ。
張り詰めていた緊張感が僅かに解れ、強大極まりない壁を期せずして乗り越えていた事実に、ライト達は安堵の吐息を零す。
このまま先に進めると言うのであれば、それを拒否するような理由はない。
若干肩透かしを感じる部分が無いと言えば嘘になるが、勝てる可能性の低い相手と戦うよりは、その方がよいと判断したのだ。
『進むがいい、力を持つ者よ。汝らの拝謁を――』
「でも残念。それはアタシが許さないのよねぇ」
――瞬間、広い空間に一つの声が響き渡った。
決して大きい声ではない。重厚な存在感を放つ幻燈龍の言葉と比べれば、あっさりとかき消されてしまう程度の大きさでしかなかっただろう。
だが、その声の中に含まれる力は、幻燈龍のそれを遥かに超えていた。
体が押し潰されるのではないかと錯覚するほどの重圧。滲み出るような狂気と殺意。
指向性を持たずして放たれるその気配の中心は――誰も気づけぬ内に、幻燈龍の前に出現していた。
黒い髪、黒い軍服。闇夜に沈む水面のような、揺らめく気配を纏う少女。
その口元には笑みを湛えながら、彼女はゆったりと声を上げる。
「こんにちは、《霊王》を倒した子供達。アタシの名はハイドラ――タカアマハラ、《守護の四権》が一角たる《水魔》よ」
言葉はどこまでも穏やかだ。だが、その内側より感じられる感情は、どこまでも混沌として読み取ることができない。
いくつもの感情が交じり合い、それでいて一つの方向性を持ちながら荒れ狂っている。
人心を読み取ることに長けたヒカリでも、それを感じ取ることが精一杯だった。
故に、ヒカリは最大限まで警戒を高める。ただ相手の感情を読み取れなかったからではない。
それだけの複雑な感情を抱きながら、それを完全に制御してこの場に立っていたからだ。
「貴方達を通すわけには行かないわ。ここまで来てもらって悪いんだけどねぇ」
「どういう、ことだ。あたしたちは、確かに資格を有していると言われたはずだぞ」
『その通りだ……なぜ、この者達の行く手を遮るのだ、偉大なる《守護の四権》が一角よ。それは意に反する行為のはず』
「五月蝿いわねぇ。誰に向かって口を利いてるつもりなのかしら、このトカゲ」
『我はこの地の守護と門番を命じられた者。その役割を否定され、黙っているわけには――』
「――五月蝿いっての」
刹那――銃声が、響き渡った。
発生源は、いつの間にかハイドラの手に握られていた黒いリボルバー。
硝煙を立ち上らせる銃口は幻燈龍へと向けられ――その先にいた強大なドラゴンは、頭部を消し飛ばされ、地響きを上げながらその場に崩れ落ちていた。
突然の自体に誰もが声を上げられずにいる中、やれやれと肩を竦めたハイドラはぶつぶつと一人ごちる。
「全く、何でこんな脆いものを門番に据えてるのかしら……やたらでかいせいで当たっちゃったじゃない。まあ、また創ればいい話だけど……あいつに怒られるかなぁ。面倒ねぇ……終わったらバックレますか」
独り言を打ち切ったハイドラは、その視線をライト達のほうへと向ける。
何を考えているのか全く分からない、その不気味な視線。
それを受けて誰もがたじろぐ中、意に介した様子も無いハイドラは、笑みと共に声を上げていた。
「さて、貴方達。悪いけど、ここで貴方達は通行止めよ」
「……それは、何故? 幻燈龍が言っていたように、あたしたちは《霊王》を倒した。この先に進む資格はあるはずだ」
「まぁゲーム的に言えばそうなんだけどねぇ。いくら手加減していた上に裏技まで使ったとは言え、勝っちゃった以上フラグは立ってるわけだし」
けれど、とハイドラは告げる。
崩壊していく幻燈龍の肉体を背に――その先にある、白き扉を肩越しに示しながら。
「でも残念ながら、《斬神》の眷属たる貴方達を行かせるつもりは無いわ。『コンチェルト』とか名乗ってるんだったかしら、貴方達」
「……随分と、仰々しい呼称ですね。けれど、ゲーム的に言って、俺達を止めるのはフェアではないはずだ」
「ゲーム、ゲーム。滑稽よね。貴方達、この世界が何のために作られたのか、《霊王》から聞いたんでしょう?」
哀れむように、或いは嘲笑うように、ハイドラは続ける。
確かに、《霊王》本人の口から、このBBOの成り立ちを聞いてはいるのだ。
到底理解できず、納得できるような話ではなかったが、少なくともライトやヒカリはそれを事実であると認識していた。
しかしそれでも、タカアマハラはゲームとしてこのBBOを運営しているのだ。
その前提がある以上、ゲームとしての体裁は保つとケージは考えていた。
――だが、その考えを、ハイドラは嘲笑しながら切って捨てる。
「これは、あくまでもアタシたちの敵を消すための道具。労力で言えば、アタシたち以外の全人類を皆殺しにするほうが簡単だったくらいよ。まあ、それは可愛い《女神》ちゃんが嫌がるし、やらないけど。知ってるでしょう? アタシたちは、アタシたちの都合で、アタシたちのためにしか動かない」
タカアマハラとはそんな存在であると、アンズから告げられていた。
だが、その言葉の意味を、今の今まで理解していなかったのだと実感する。
彼女達は、想像していたよりも遥かに歪みきっているのだ。
「と言うわけで……残念ながら、こっから先に通してあげるのは、《斬神》の眷属じゃない子だけ。でも、そうじゃなくても用事が無い子はムカつくから通してあげない」
「はぁっ!? 何だそりゃ!? 《斬神》の眷属とか言うのはよくわかんねぇけど、俺らは違うんだろ!?」
「そうねー。でも、アタシが《魔王》と会えないのに、貴方達だけ会えるなんてずるいじゃない――彼のすべて、余すことなくアタシのものにしたいのに」
じわりと、声音の中に感情が混じる。
それは波紋のように、静謐な水面をかき乱し、そして彼女の全てをさらけ出していく。
「こうしている間にも、アタシの知らない、アタシのモノじゃない彼が増えていく。《女神》だから許しているのよ。アタシたちを導き、守り抜いたあの子だから。それなのに、関係も無ければ目的もない有象無象が彼の姿を目にするですって? ――ほざくなよ塵芥が」
――強欲。ただ、それだけが彼女の在り方だ。
自らが求めたものを、ただひたすらに求め続ける。
そしてその障害を病的なまでの執念を以って排除する。
タカアマハラにおいても特段に危険な人物――そんな彼女が牙を剥こうとしている現状に、プリスは腰を落として刀に手をかける。
だが、それを遮るように手を広げ、声を上げたのはヒカリだった。
「ハイドラ! ならば、その《斬神》の眷属とやらではなく、そして《魔王》と《女神》に会おうとする目的がある者なら通すということでいいんだな!?」
「そうね。それぐらいは認めないと、彼だって困ってしまうし」
その言葉を聞き、ヒカリは仲間たちの方へと視線を走らせる。
出来ることならば、全員で辿り着きたかった。だが、目の前の相手はあまりにも危険すぎる。
GMに近い立場であるにもかかわらず、完全に私情を以って、そして私怨を持って立ちはだかっているのだ。
更には《霊王》と同じレイドボスであり、強大な力を持っていることは分かりきっている。
可能ならば戦闘を避けるべきなのだ。
ヒカリの視線に対し、仲間達は迷う様子も無く首肯する。
もとより、他のメンバーは《魔王》と《女神》に対する執着は薄い。
ここまで来たのは、偏に恩のあるヒカリへの恩返しという理由が強かったのだ。
下手をして辿り着けずにいるぐらいであれば、ヒカリたちだけでも到達したほうがいい。
そう判断して、ダンクルトを初めとした面々はヒカリの背中を押すように頷いていた。
「ありがとう……ハイドラ! 向かうのは、あたし、ライト、アマミツキの三人だ! それなら文句は無いだろう!」
「何言ってるのよ、あるに決まってるじゃない」
「……何?」
一体何が不満だと言うのか。疑問を込めて視線を細めたヒカリに対し、ハイドラはゆっくりと手を持ち上げる。
立てられた指先。その先端が向かったのは――
「――その子、《斬神》の眷属じゃない」
――ヒカリの後ろに立つ、アマミツキであった。
誰もが呆然とする中、僅かに憮然とした表情を浮かべたハイドラは。
「アタシ、あいつ嫌いなのよ」
ただ一言、そう付け加えていた。
今日の駄妹
「…………え?」