149:幻燈龍の力
ミフラミスルの生産施設。
手に入れてきたアイテムを、ひたすら加工し続けるゆきねの姿を遠巻きに眺めながら、『碧落の光』の面々は手元に表示した画面について議論を交わしていた。
議題は、柱の中へと挑んでいった『シルバーレギオン』の面々についてである。
「『シルバーレギオン』が全滅、か……」
「……あまり驚いていないみたいだな、ヒカリ」
「まあ、あたしもそうなる可能性は高いと思ってたからなぁ」
ヒカリたちがその情報を手に入れたのは、その日の狩りを終えてログアウト前にミフラミスルへと戻ってきたタイミングであった。
掲示板で話題になっていたのは、ミフラミスルの中央に聳え立つ柱の先に、強大な力を持ったドラゴンが存在していると言うこと。
そして、その龍である幻燈龍の詳細な能力に関してだった。
ヒカリにとって以外だった点は、その最後の一点である。
「『シルバーレギオン』なら詳しい情報までは伝えず、自分達のアドバンテージを保ったまま攻略に乗り出すかと思ってたんだが……まさか、惜しげもなく情報を公開しているとは」
「ん? ヒカリ、『シルバーレギオン』って結構情報を提供してくれるほうじゃなかったか? 割といつもどおりな気がするんだが」
「いや、そうでもないぞ。あいつらは最前線の情報に関しては多少自分たちで秘匿するようにしてる。既に攻略されている所に関しては、気前よく情報を渡してくれるけどな」
ライトの問いに対し、ヒカリは首を横に振る。
『シルバーレギオン』は、間違いなく最大限の規模を持つ大型ギルドだ。
その情報網は決して伊達ではなく、攻略されている範囲内の情報に関しては大半を握っていると言っても過言ではない。
そして、自分達にとって益がない、あるいはもう十分利用したといえるような部分に関してはいくつも情報を発信しているのだ。
別段、ヒカリはそれを咎めるようなつもりもない。
ギルドである以上、それは当然のことであるとも言えるためだ。
――しかし、だからこそ今回の情報は意外だったのだ。
「一切秘匿することも無く情報を投げ出した。その理由が分からなかったんだが……まあ、これなら納得かもしれないな」
幻燈龍クラグスレイン。少なく見積もっても老龍であると思われる相手だ。
直接戦うことになれば、『シルバーレギオン』でも分が悪いとヒカリは考えていたが、事実はヒカリの予想を遥かに超える形となっていた。
幻燈龍とは直接戦闘をするわけではなく、幻燈龍の繰り出した影――英霊の影と戦うことこそがこの先の試練だったのだ。
「現れたのは黒衣の男。長い黒髪に紅の瞳で、手には内側に沿った奇妙な形状の剣……攻撃を受けても一切怯まず襲い掛かってくる狂戦士。幻燈龍と戦わずに済んで良かったのか、それともこっちの方が厄介だったのか」
「明らかにこっちの方が厄介ですよ。他にも種類があることを匂わせてますし」
「英霊の影ってその男の人だけじゃないんですね……」
『シルバーレギオン』曰く、幻燈龍は呼び出した黒衣の男のことを、『英霊の影の内の一体』と呼んでいたらしい。
他にも種類がある可能性は非常に高く、それに加えて幻燈龍がミフラミスルに姿を現した際に起こったあのイベントである。
幻燈龍は、あの影達のことを《英雄》と呼んでいた。
もしも、今回『シルバーレギオン』が相対した英霊の影が、あの影達の内の一体であるとするならば――果たして、他にどれだけの種類があるというのか。
「『シルバーレギオン』が惜しげもなく情報を公開した理由はそれでしょうね。自分達で抱え込んでいても、同じ英霊に当たる確率は高いとは考えづらいですし」
「だからこそ、プレイヤーの挑戦率を上げて情報を集めようとしているわけだ……しかしまぁ、本当に厄介な相手だな。対策立てられないし」
「常に万全の体勢で臨むほかないのか、あるいは何かしらの法則性でもあるのか……どちらにしろ、現状の情報だけじゃ判断はつかないな」
どれか一体の英霊の対策を取っても、他の英霊を出されてしまえば意味がない。
結局のところ、根本的な実力で上回ることこそが最善手であると言えるだろう。
尤も、それにどれだけのレベルが必要になるのかは分かっていないのだが。
とは言え、挑まないと言う選択肢は無い。ヒカリたちの目標は、あくまでもこの山の頂上なのだから。
幻燈龍に挑み、勝てないようであれば街の外から素直に山を登って進むと言う選択肢もある。
それで辿り着ける仕様になっているのかどうかは不明であるが。
「まあ、一応考えはある。装備が直ったら、一度挑戦してみるとしよう」
「……とりあえず、やってみるしかないか」
案ずるより生むが易しと、ライトは頷きながら視線を上げる。
スノウワイバーンの素材を使った新たな装備の完成は、もう少しなのだ。
《霊王》から手に入れたアイテムも使用した、現状では最高と言っても過言ではない装備品の数々。
果たして、それがどこまで通用するのか――全ての装備の完成は、刻一刻と迫ってきていた。
* * * * *
「あーあ、全く。ようやく終わりが見えてきたって言うのに、あんな余計な連中までぞろぞろ連れてきちゃって。間引きする側にもなって欲しいわ」
広大な空間に、酷薄な声が響き渡る。
空間の大半を占めているのは、長大な体を畳むようにして鎮座している巨大なドラゴン。
その巨体と威容はドラゴンの名に恥じぬほどの威圧感を放っている。
だが――その幻燈龍クラグスレインは、己の尾に座りながら目の前で淡々とつぶやく一人の少女の言葉に一切口を出せずにいた。
ウェーブの掛かった長い黒髪。身に纏う黒い軍服の上を水面のように揺れる髪の中、口元を笑みに歪めた少女はただ淡々と告げる。
「ねえ、そう思わないかしら?」
『……それが、我が役目でありますゆえ』
「役目ねぇ。まぁ、《魔王》と《女神》の守護とか思い上がったことを抜かしてないだけまだマシかしら」
くすくすと、歪んだ笑みと共に少女は告げる。
彼女のアバター名は『ハイドラ』――タカアマハラ、《守護の四権》が一角たる《水魔》当人であった。
本来はディンバーツにおいてレイドクエストを担当しているはずの彼女は、今こうして霊峰ヒュウガへと足を運んでいたのだ
。
その目的はただ一つ――
「アタシはさぁ、この世界とか正直どうでもいいのよね。だからさっさと、あの子達には登ってきてもらわないと困るのよ。ま、邪魔はくっついてるでしょうけど……早く彼の願いを果たして欲しいものね」
『彼……それは、まさか』
「そ。《魔王》よ《魔王》。この茶番劇も、全て彼が、彼のために仕組んだもの……ま、正確には《女神》も含んでいるのはちょっと不満なところだけど、あの子が特別扱いなのはもう仕方ないし」
唇を尖らせ、足をぶらぶらと揺らしながら、ハイドラはそう告げる。
その言葉を、幻燈龍は理解することが出来ない――タカアマハラの者達の考えなど、そもそも理解から程遠いのだ。
しかし、それを全て理解していると言わんばかりに、ハイドラは言葉を重ねていた。
「まぁ、最初に言い出したのは《賢者》だし、彼もそれに乗っかっただけなんでしょうけど……でも、今動いているのは紛れも無く彼の思惑。あの子達が現れた時点で、それは確定よ」
『……何故、そのようなことが分かるのですか? 《魔王》様は、何も告げずに行動しているのでは――』
「分かるわよ。だって、アタシと彼は同じだもの」
ハイドラは、そう告げる。楽しそうに、誇らしげに――少女らしい、見た目相応に無邪気な表情を浮かべながら。
それまでの不満げな表情を消し去って、けれど、どこか深い狂気を漂わせながら。
ハイドラは、遥か高みを見上げながら声を上げていた。
「彼の考えはアタシと同じ。だって彼は、アタシと同じ願いを抱いて超越者になったんだから。だから、彼がこんなことで満足するはずが無い」
『《魔王》様は、この世の全てを手中に収めるお方……それですら、満足していないと言うのですか』
「当たり前じゃない。欲しいものが、求めていたものが手元に無いのよ? そんなことを認められるはずがない。彼も、アタシもね。だったら動くしかないでしょう? アタシだったらそうするんだし、彼も同じく行動するはずよ」
実際に見たわけでも、聞いたわけでもないのだろう。
だが、ハイドラのその言葉は、確かな確信をもって発せられていた。
その感覚を理解出来ずに幻燈龍は困惑するも、陶酔したようなハイドラの表情に、それ以上の問いかけを押し留める。
狂信とは違う。思慕とも異なる。執着と言う言葉も完全に正解ではないだろう。
言葉で言い表せないような、複雑に入り組んだ感情。それを理解できず、幻燈龍は恐怖にも似た思いを抱いていたのだ。
「そんな時に現れたのがあの子達。分かりやすくヒントまで残してるのに、何で皆気づかないのかしら? まあ、《賢者》の奴はある程度気づいてる節あるけど……まあとにかく、あの子達そのものが彼の目的であるはずなのよ」
『では、あの少年達がここに来たのも《魔王》様の思惑であると?』
「さて、どこまで誘導してるのかは知らないけど……少なくとも、感情を操りはしないでしょうね。あの二人、そういうのは嫌いだし。これだけ近づいてくれば影響は出てるでしょうけど」
ハイドラから見て、あの少年達は普通の人間だ。
人の理を超えるに足るような歪んだ人格を有しているわけではない。
だがたった一つ、彼らの抱いている妄念とでも呼ぶべき感覚だけが異常だった。
「あの子達がどうやって生まれたのか……そこに仕掛けがあるんでしょうね。狙ったのか狙ってないのかは知らないけど、でも、あの子達は確かにここに来た。後は、その結果を見送ればいいのよ」
ここにはいない、けれどいずれ姿を見せるであろう者達へと向けて、ハイドラは言葉を零す。
果たして、どうなるのか。このゲームの形を成した世界に現れた二人は、可能性の塊とも言うべき存在だ。
どのような答えを出し、どのような結果を残すのか。それは、ハイドラには分からない。
そしてそうであるが故に、それには未だ答えなど無いのだと、彼女は確信していた。
――己の意思は《魔王》の意思。己に分からぬことであれば、彼もその道を定めているはずがない。
故にこそ、ハイドラは興味を引かれていたのだ。
「このつまらないお遊びの中でも、とりあえずの退屈しのぎにはなりそうだしね」
他者の将来も、ハイドラにしてみればその程度のものだ。
手助けをするつもりも無い。どのような形に収まるのか、その先にしか興味は無いからだ。
だが――
「でも、まぁ……」
『……《水魔》様?』
小さく呟いて言葉を途切れさせたハイドラに、幻燈龍は疑問符を浮かべながら問いかける。
視線を向けた《水魔》の表情は、先ほどまでと同じ酷薄な笑みだ。
だが――その奥に秘められた感情に、幻燈龍は思わず息を飲む。
僅かながらに滲み出ている狂気を、感じ取ってしまったが故に。
「……少しぐらい遊んだって、いいわよねぇ」
『っ……何を、なさるおつもりですか?』
「あんたは黙ってればいいのよ。これはアタシの遊びなんだから」
傲慢に、ハイドラは告げる。
我慢がならないのだ。これまでに十分我慢し続けたのだと、ハイドラは自負している。
己が何よりも求めてならない《魔王》が、手の届かない場所にいること。
そして、そんな彼に会おうとする人間がいること――
「ええ、そんなのは認められないわ。百歩譲ってあの子達はいいにしても……アタシから彼を遠ざけた《斬神》の眷属なんて、そんなのが彼に会えるなんて……そんな腹立たしいこと、認められるわけが無いじゃない」
暗い水底を想起させる表情で、ハイドラは嗤う。
どこまでも己の欲望に正直に、そしてそれが当然だと言わんばかりに。
彼女は強欲だ。己の求めたものが、己の手の届かぬ場所にあることが認められない。
彼女をよく知るものであれば、良くぞここまで耐えたものだと思うだろう。
故にこそ《斬神》は彼女に忠告していたのだ。手出しをしてはならないと、そう告げられて。
――だから、先へ進むべき者達への手出しはしない。
「さあ、おいで……遊びましょうよ」
その口元は弧を描き――水面がさざめくように、小さな笑い声を響かせ続けていた。
今日の駄妹
「幻影ならこう、兄さんの幻影とかもらえませんかね。一家に一人じゃなくてもいいんで」