146:氷の街
青い氷に包まれた封印都市ミフラミスル。
プレイヤーの姿は勿論のこと、NPCの姿すら見当たらないその街を上空から眺めながら、ライトは僅かに視線を細める。
街は完全に山の内部に作られており、太陽の光が入ってくるようなことはない。
だが、街の周囲を覆っている青い氷のドームが発光し、昼間と変わらぬ明るさで照らしているのだ。
そんな天井部分の氷から街中へと視線を戻し、ライトは呟く。
「やっぱり無人みたいだな……一体どんな街なんだか」
「まあ正直、この街の中で暮らすだけならまだしも、食料の確保は困難だろうから、住んでないのは納得だと思うぞ?」
「それはそうなんだが、ますますこんな場所に街がある理由が分からないな。まあ、理由も何もないのかもしれないが」
「そうかね? あたしは、その辺もきっちり設定は作ってると思うんだけど」
「タカアマハラだしな。どこまでやってても不思議じゃないのは確かだ」
僅かに苦笑しつつ、ライトたちは街の上空を飛び回る。
目に付くのは、やはり街の中心に聳え立つ巨大な柱だろう。
この広大な空間を柱一本で支えきれるのかという疑問はあるが、周囲はあの頑丈極まりない青い氷でできているのだ。
柱がなくてもこの状態を保てると言われても、それほど不思議には感じないだろう。
そんな巨大な柱であるが、天井とは境目もなく同化しているようにも見える。
天井の根元部分をぐるりと回りながら確認して、二人は眉根を寄せる。
その根元付近は氷の色が濃くなっており、内部を見通すことが出来なかったのだ。
「ここからじゃ、柱の内部に何があるかは分からないか……」
「まあダメモトだったし、結局中には入ってみるつもりだしな。流石に、あたしたちだけではいるわけにも行かないが」
「入り口はあったし、入れることは確かだ。それがどこまで続いているのかにもよるが……もしもこのまま上に続いているのであれば――そして、この山の頂上まで続いているのであれば」
「儲けもの、ってな。まあ、流石にそう上手くはいかないと思うけど」
そんな簡単な方法を、あのタカアマハラが用意しているとは思えない。
仮に繋がっていたとしても、そうそう簡単に通らせてくれはしないだろう。
この街に入ってきただけでも相当に苦労したが、それ以上の何かが待ち構えている可能性は十分にある。
「あまり進展はなかったが……とりあえず、柱を調べながら降りてみるか」
「了解。ぐるりと回りながら行くぞ」
ヒカリの指示に頷き、ライトは柱の周囲をゆっくりと旋回しながら降下を開始する。
継ぎ目のない巨大な柱は、とても人が作り上げたものとは思えない。
内部の様子を観察できるようなものもなく、結局何も発見がないまま、ライトたちは地上に降り立っていた。
「うーむ、特に新しい情報は無しか……ますます気になるな、変な街だ」
「変って言うのもどうかとは思うが……それで、どうするんだ? この中はまだ調べないんだろう?」
「うん、先にみんなの状況を聞いてからかな」
ライトの言葉に頷くと、ヒカリはチャットを起動する。
『碧落の光』と『コンチェルト』、どちらにも届くように設定されたチャット画面を開き、そこに表示された仲間たちへと向かって声を上げていた。
「それで、どんな感じだ?」
『お、ヒカリか。俺と旬菜の方は特に変化はないな。NPCの姿も皆無だ』
『僕は生産施設を見つけたよ。炉に火は入ってないけど、使おうと思えば使えるみたいだね』
『こちらケージだ。プリスと共に回っているが、人の姿はない。一応店とかも中を見てみたが、商品の類はないな』
『アマミツキです。白餡と一緒に探しましたが、残念ながら図書館はありませんでした。まあ、この状況じゃあっても本があるかわかりませんが』
『アンズよ。バカと一緒に回ってるけど、どうやらこの街には出入り口がいくつかあるみたいね。私たちが入ってきたのと同じような扉を見つけたわ』
アマミツキの情報に関しては必要だったかどうか悩みつつ、ライトは口元に拳を当てて黙考する。
やはり、このミフラミスルにはNPCは存在しないと考えるべきなのだろう。
アイテムの補充は不可能であると判断し、ヒカリは頷く。
どちらにしろ、噴水を使って移動することが可能なのだ、アイテムの補充についてはあまり悩む必要はないだろう。
「わかった。とりあえず、全員柱の前まで戻ってきてくれ。色々と整理したら、方針を決めよう」
全員の了解を確認し、ヒカリはチャットを終了する。
そして一度ぐるりと周囲を見渡して――ヒカリは、ライトに対して問いを投げかけていた。
「ライ、この街の情報を配布することについて、どう思う?」
「そりゃまた難しい問いだな……必要なことだとは思う。だが、面倒な手合いは増えるぞ?」
「通行証が上と不可能だとしても、か……いや、だからこそかな?」
「フロストコロッサスに勝てた俺たちに、協力しろといってくる奴は出てくるだろう。それぐらいは予想してるんだろ?」
「……ま、そういう手合いに付き合うつもりはないさ。外交はあたしの領分、任せてくれて大丈夫だ」
「あまり、無理はするなよ」
案ずるライトの言葉に、ヒカリは僅かに苦笑しながらも頷く。
そちらの方面ではヒカリに勝てないとわかっている以上、下手な口出しをするつもりもなかったのだ。
とは言え、注意をするに越したことはないとも考えていたのだが。
軽く肩を竦め、ライトは周囲へと視線を走らせる。
「しかし、プレイヤーが入ってきたらこの街はどうなるんだろうな?」
「物好きな生産職がいれば拠点化を進めるかもしれないけどな。まあ、今ここに入ってきてるのは攻略組ばかりだ。どう転ぶかは分からんし、そっち方面については特に口出しするつもりもない」
肩を竦めながら、ヒカリはそう告げる。
街づくりにまで手を出しているのは、基本的には大規模に近い生産系ギルドばかりだ。
『碧落の光』にはゆきねという優秀な生産職がいるものの、一人ではそれほど大規模な生産活動に関われるわけでもなく、そもそも自分たちの戦力に絡まない生産をあまり好んでいない。
故に、仲間が絡まない以上、ヒカリもあまりこの街の行く末については考えていなかった。
「ともあれ、まずはここの調査と報告だな。この先がどうなるにしろ、あたしたちの目的は変わらない」
「……だな。他のプレイヤーを巻き込んだ意味は無くなって来てる気もするが」
ヒカリの言葉に苦笑して――ライトは、耳に届いた音に振り返っていた。
音のないこの街の中では、足音も思った以上に大きく響く。
仲間たちが近づいてくる音も、簡単に聞き分けることができた。
次々と戻ってくる仲間の姿を確認し、ライトはヒカリと頷き合う。
「よーし、皆集合!」
響き渡る声に、若干離れていたメンバーは小走りでヒカリたちの元へと駆け寄る。
街の中心部近くに聳える、巨大な柱の足元。不自然に扉が埋め込まれたその場所で、ヒカリは周囲を見渡しながら声を上げる。
「皆、お疲れ。とりあえず報告は聞いたが、色々と興味深い場所みたいだな」
「完全にゴーストタウンで、結構不気味だけどよ。山を登るにはこれ以上ない中継地点なんじゃねぇのか?」
「実際、その通りだろうな。この高さまでコストなくワープできるのは都合がいいし」
ダンクルトの言葉に、ヒカリは鷹揚に頷く。
現状では、ヒカリたちにとってのメリットはその程度だ。
この街自体を拠点化するつもりもなく、精々この周囲での狩りが若干やりやすくなる程度だろう。
あくまでも、本来の目的はこの山を登りきることなのだから。
「とりあえずの方針は二つだ。掲示板に報告するにも、まだ若干情報が足りていない。この街の入り口に繋がる場所がどこにあるのか、それをマップに示してからの報告が望ましい……つまり、周囲にある扉の調査が一つ」
「別にいいですけど……いくつかありましたよ?」
頷きつつもそう告げるのは、扉を発見した本人であるアンズだ。
この街の扉は、ライトたちが入ってきたところと同じように、高台となっている場所に存在している。
それに関しては、ライトたちも上空を飛んでいた時に把握していた。
アンズはそのうちの一つに入り、そして他の扉でも通行証が使えることと、フロストコロッサスに襲われないことを確認していたのだ。
「フロストコロッサスとの戦闘にならないなら、調べるのもそれほど手間って訳じゃない。闇雲に探せ、なんて言っても他のプレイヤーは納得しないだろうしな」
「面倒だが、仕方ないだろうな。やっておかなければ後々のほうが面倒になる」
ただでさえ妙なやっかみを受けかねない状況なのだ。
これ以上の厄介ごとを抱えることは避けたいと、ケージは軽く肩を竦める。
その言葉に対し、ヒカリは頷きつつも先を続けた。
「もう一つは、この扉の中の探索だな。街中には何もなさそうだったが、これにも何も仕掛けがないとは流石に考えづらい」
「明らかに上まで繋がってるものに、扉がついてるわけですしねぇ」
「もしかして、これで頂上まで行けるとか……でしょうか?」
「あたしも、流石にそこまで楽観的に考えてるわけじゃないけどな。まあ、何かありそうなのは否定しない」
全員の視線が向かうのは、目の前にある巨大な柱だ。
その扉がなければ、単なる空間を支えるためだけのものだと考えていただろう。
だが、扉がついている以上、内部には何らかの空間があることは確かだ。
果たして、それがただの部屋なのか、それともずっと上まで続いているものなのかはわからないが。
「さて、とりあえずの方針はその二つぐらいだが……どうする?」
仲間たちを見渡しながら、ヒカリは告げる。
現状、できることはそれほど多くはない。フロストコロッサスとの戦いで大きく消耗した以上、このまま進むことは不可能だ。
アイテムの修復にしろレベリングにしろ、多少の時間をおく必要があるだろう。
しばしの間、このミフラミスルを拠点として活動する必要があるのだ。
そのことを踏まえつつ、仲間たちはしばしの間黙考する。どちらにしろ行うことであるし、どちらを先にするかという程度の差でしかないのだが――
「……まあ、差し迫って優先度が高いのは、ここに入るための入り口の調査だろうな。確実に情報提供の要求があるだろうし」
「私も、ケージさんの意見に賛成です。この柱の中は規模にもよりますが、調査には時間がかかる可能性もありますからね。ですが、少し覗いてみるぐらいならいいかもしれません。せっかくこの場に集まってるわけですし」
「ふむ……成程な」
こくりと頷き、ヒカリは巨大な柱を見上げる。
その口元に、小さく笑みを浮かべながら。
「……そうだな、その通りのはずなんだ。あたしも、そう思うよ」
「姉さん?」
「ヒカリ、お前……」
「ライもあたしと同じみたいだし……どうも、何かあるのは間違いなさそうだ。よし、なら少し覗くぐらいはしておこうか」
くつくつと、しかしどこか強い感情を交えた声で、ヒカリは呟きながら扉の前まで進む。
そして彼女は手を伸ばし――それと同時に、大きな扉は自ずから開いていた。
ドアノブに手をかけたわけでもなく勝手に開いた扉に、しかしヒカリは驚くこともなく、肩越しに振り返りながら声を上げる。
「ここの階層だけ、とりあえず見てみよう」
突然のヒカリの行動に釈然としない表情を浮かべつつも、一行はヒカリの後に続いて柱の中へと足を踏み入れる。
ただ一人、ライトだけは視線を細め、どこか警戒するような表情を浮かべていたが。
柱の内部に広がっていたのは、外と同じく僅かに発光する青い氷に包まれた空間だった。
壁沿いに設置された螺旋階段は、どこまでもどこまでも上へと向かって続いている。
皆一様に頭上を見上げながら、その果ての見えない階段の先を見つめていた。
「ふむ……やっぱり、登れるようになっていたか」
「流石にどこまで続いているのかは見えないが……これを調べるのは、かなり時間がかかるぞ?」
「俺とヒカリなら飛んでいけるが……まあ、流石にな」
この柱を調べるには相応の時間がかかるだろう。
流石に今の状態でそこまでの時間は避けないと、ライトはケージの言葉に頷いていた。
若干後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、踵を返して柱の内部を後にする。
――その、遥か頭上で――
「へぇ……ようやく来たのね、待ちくたびれちゃったわ」
深く、暗く――深淵を思わせる少女は、一人小さく笑みを零していた。
今日の駄妹
「街規模でかくれんぼとか主催できそうですね」