145:扉の向こう側
転がる空のポーションビン。作り上げられた六つのクレーター。そして、散乱するゴーレムやバリスタの残骸。
そして、それらの中心で――青く輝く氷の巨像フロストコロッサスは、ゆっくりと崩壊を始めていた。
ただ単純に、同じ戦法を繰り返しただけの単純な戦い。
けれど、それがどれほど危ない橋を渡り続けていたのかを理解できない人間は、この場にはいなかった。
引きちぎられた《グレイプニル》、片腕の装甲が砕け散って動作を止めているディオン、備蓄していた量の半分以上を消費したMPポーションと蘇生ポーション。
貴重なアイテムを限界まで注ぎ込み――ライトたちは、ついに強敵を打ち破っていたのだ。
「か……勝ったんだよ、な?」
「流石に……もう一回やるのは無理だぞ、オイ」
既にフロストコロッサスのHPは残っていない。崩壊した氷の破片は、地面にぶつかって砕け散っている。
貴重な《グレイプニル》の内の一つを破壊されたことを嘆きつつも、油断なく構えていたケージは、隣で苦い表情を浮かべているバリスの言葉に内心で同意する。
これ以上の戦闘継続は不可能だ。全員が切り札を使いきり、その上で極限までの消耗を強いられているのだ。
集中力も途切れかけ、もう一度復活されれば全滅が確実となってしまうだろう。
フロストコロッサスが完全に崩壊すると共に、上空のライトは周囲への警戒を強める。
『……っ』
『来ない、か……?』
周囲から巨大な氷の腕が出現する気配はなく――全員の目の前には、戦闘終了のウィンドウが表示されていた。
唐突な画面の出現に全員が思わずびくりと肩を跳ねさせ、そして同時に安堵の吐息を零す。
フロストコロッサスのドロップ品と共に、戦闘は終了していた。
途端に緊張が途切れ、空中の二人以外は、一斉にその場へと座り込む。
冷たい氷の感触も気にせずに深く息を吐き出し、ケージは呻くように声を絞り出していた。
「ようやく……終わったか」
「変化がないだけマシだったのか、無かったせいで余計神経を使ったのか……何にせよ、勝ててよかったぜ」
地面に大の字で寝転がったバリスの言葉に、ケージは胸中で同意する。
もしもHPの残りが分かっていなければ、途中で心が折れていたかもしれない。
それほどまでに、ギリギリの戦闘だったのだ。
精根尽き果ててうずくまる一同であったが、それでも一部例外は存在していた。
「おおおおおおっ、こりゃいいね、いい素材だよ! 流石に《霊王》には届かないけど、十分十分!」
「……あいつは元気だな」
「生産職の性でしょうねぇ。まあ、流石に金属系のアイテムは無かったと思いますが」
「……よぉ、そっちも無事だったか」
「ええ、まあ私は比較的安全でしたし」
《ハイディング》を解いて接近してきたアマミツキに、ケージたちは軽く手を振って応える。
彼女は攻撃には参加しなかったが、見方に対してポーションを投げつけながら支援していたのだ。
前衛組にポーションが届く範囲はフロストコロッサスの攻撃可能範囲であったため、到底安全と言えるものではなかったが。
回復職ではないものの、彼女の支援が無ければ、確実に前線は崩壊していただろう。
彼女の行っていた支援行動にも感謝しつつ、ケージは視線を上げる。
広がった視界の中では、丁度ライトとヒカリが地上へ降りてこようとしているところだった。
「ようやく終わったな……お疲れ」
「ああ。全く、本気で疲れた……指示出すのはやっぱりそっちに任せたいところだ」
「にははは。ところで、気づいたか? ドロップアイテムの中に、全員共通でゲットしてるものがあるみたいだけど」
「何……?」
ヒカリの言葉に目を見開き、ケージはドロップアイテムを確認する。
隣にいたバリスの分を含めて観察してみれば、気になるアイテムが一つだけ存在していた。
「【封印門の通行証】……?」
「装備アイテムじゃ、ない。使用アイテムでもないっぽいな……けど素材でもない、と。何だこりゃ?」
「まあ、その名の通りなんだろうとは思うけどな」
首を傾げたバリスに対して、ライトは肩を竦めながらそう告げる。
若干面食らいはしたものの、このアイテムが示しているものなど一つしか思い浮かばない。
自然、その場にいた面々の視線は、その巨大さを見せ付ける門へと向けられていた。
激しい戦闘のさなかであろうと、傷一つついた様子のない巨大な金属の門。
それを見上げていたライトは、背中からヒカリが飛び降りた感覚に驚き、視線を彼女の方へと向ける。
そんなライトの表情を得意げな笑みで見上げたヒカリは、その手にゲットしたばかりのアイテムを取り出して声を上げていた。
「せっかく手に入れたんだ、行ってみよう」
「……まあ、ここまで来て下がるのもな。一応、来た道は戻れるようになってるが」
「ここまで苦労したんだ、戻れるかよ」
苦笑交じりのライトの言葉に、ケージは嘆息を零しながら立ち上がる。
フロストコロッサスの討伐には、それだけの労力を必要としたのだ。
確かに貴重なアイテムをいくつも手に入れられたが、収支を見れば確実にマイナスである。
手には譲渡不可能設定の通行証を手に、離れていた面々も加え、一同は巨大な扉の前へと足を運ぶ。
門の前に並び、手に通行証を持った面々は、一度頷き合ってから同時に通行証を掲げる。
無論、それを確認する存在がいるわけではないのだが――まるで何者かが見ていたかのように、門は重低音を響かせながらゆっくりと奥へと向けて開いてゆく。
その向こう側には――
『――――――は?』
――巨大な、街が広がっていた。
奇しくも、全員の零した声が一致する。扉をくぐった先は、まるで高台のようになった場所。
その先、眼下に広がる光景は、まさしく盆地に作り上げられた一つの街であった。
青と白、先ほどの広間よりも幾分か色の薄い氷に包まれた街は、ドーム状の空間の内部にありながらもそれ自体が発光しながら明るさを保っている。
その美しき光景に、誰もが目を奪われていたのだ。
「ま……街、だと? こんな所に、こんな規模の?」
「ニアクロウほどじゃないけど……それでも、かなり大きいな」
驚きを隠せないケージの言葉に、ヒカリは街を見渡しながら呟く。
これほどの規模の街は、通常のフィールドでもそうそう見かけるようなものではない。
だが――
「……静かだな」
「ライ?」
「これだけの大きさの街だってのに、雑踏の音が全く聞こえない。俺たちの声が響くほどに、静かだ」
「ゴーストタウンみたいですね……とりあえず、降りてみますか? 普通に降りられそうですけど」
言いつつアマミツキが示した横手には、下りの階段が続いている。
覗き込んでみれば、それは確かに街まで続いていた。
ライトたちは一度顔を見合わせ――そして、頷く。
「よし、行ってみよう」
「あ、私は色々と撮影しておきます。流石にこれは報告すべきでしょうから」
「……伝えるのか、これを?」
階段へと足を運びつつ、ライトはアマミツキに対してそう問いかける。
その疑問に対し、返答を返したのはヒカリであった。
彼女は階段から街の方へ――その中心部へと視線を向けて声を上げる。
「伝えるべきだろう。確かに荒れそうな情報ではあるんだけど……流石に、街となると報告しないわけには行かないだろうな。特に……この街でも噴水が使えた場合は」
「……! そうか、噴水が使えれば、ここまで一気に移動することができる。補給も簡単だ」
「まあ、通行証を手に入れなきゃいけない以上、簡単にはいかないだろうけど。フロストコロッサスに勝たなきゃ入れないんだし」
「せめてもの救いは、複数パーティでも挑める簡易レイドボスだったことでしょうね。数で当たればまだ何とかなるかもしれません」
「……まあ、その辺を考えるのは実際に挑む連中でいいだろ」
先ほどの、永遠に続くかと錯覚するような戦闘を思い返し、ライトは深く嘆息を零す。
できることならば、もう二度と戦いたくはない相手だ。
そう言葉を交わしている内に、一行は階段を下りきる。
視界に広がった静かな街は、高台から見下ろした時のような迫力こそないものの、その美しさは一切損なわれていなかった。
しかしやはりと言うべきか、人の姿、人の気配は一切存在しない。
不気味なほどの静寂は、この街の外観と相まって、一種の神殿のような静謐さで満ちていた。
「本当に人がいないんだな……」
「何だか……ちょっと、寂しいね」
しみじみと呟くバリスと、僅かに表情を曇らせて零すプリス。
硬い地面が鳴らす足音すら周囲に響き渡るような静寂だ。
住む家も、商いをする店もあるというのに、そこにあるはずの人々の姿がない。
それは、奇妙な物悲しさを感じさせる光景だった。
そんな静かな街の中、その中心へと向けて歩を進めながら、辺りを見渡したアマミツキが声を上げる。
「……何なんですかね、これは」
「どうかしたのか、アマミツキ?」
「この街の存在意義についてですよ、兄さん。街の様子を見てみた感じ、マリー・セレスト号というわけではないみたいですし……地面も人が歩いていたような形跡は全くない。この街は、人が住んでいたことがないように思えます」
「……確かに。じゃあ何だ、この街は形だけ用意されて、後は一切使われていないってことか?」
「状況から見ればその通りなんでしょうね」
だとしてもおかしいのですが、とアマミツキは胸中で呟く。
街を一つ丸ごと、形だけ作って放置する意味とは果たして何なのか。
これが木造やレンガの家屋であったならば、建築の際に出入りしたはずの人間の痕跡すらないことに疑問を持っていただろう。
幸い、建物自体が特殊であるため、そのような益体もないことは考えていなかったが――
(まるで、巨人が作り上げたミニチュアのよう。ゲームとして考えれば、別に不思議に思うことではないのかもしれないけれど――)
アマミツキは思考する。
普通に考えれば、くだらないと断じられるだけの、そんな考えを。
(――本当に、ゲームとして考えていいのでしょうかね)
確かに、この世界はゲームのはずだ。
多くの人間が共有し、遊んでいるMMORPG。
だが――それに関わっているライトたちの事情は、あまりにも奇妙であると言わざるをえない。
果たして、このゲームは本当にただのゲームであると言えるのか。
尤も、世界初のVRMMORPGという時点でただのゲームと呼ぶべきなのかどうかは分からなかったが。
「……まあ、街を調べるのが趣旨って訳じゃないですし、とりあえず噴水が使えるかどうかだけ確認できればいいでしょう」
「あ、生産施設も使えるかどうか確認したいんだけど」
「そうですね、それも探しておきましょうか」
手を上げて挟まってくるゆきねの言葉を適当に受け流しつつ、アマミツキはヒカリの方へと視線を向ける。
それを受けて頷いた彼女は、大通りの先にある噴水へと視線を戻していた。
人の気配もなく、手入れもされていないはずなのに、枯れることなく水を噴出している噴水。
この静かな街の中では、唯一音を発しているかもしれない存在であった。
「さて、機能は……」
「使える、みたいだな」
手をかざせば、他の街と同様、噴水のポータルメニューが表示されていた。
便利なことは確かなのだが、これはこれで厄介ごとを運びそうであり、ライトは若干微妙な表情を浮かべる。
表示されている都市の名前は『封印都市ミフラミスル』。その名前が、転送可能都市の一番下に追加されていた。
そのウィンドウを確認し、ヒカリは小さく溜息を零す。
「こうなると、流石に報告しないわけにも行かないな。この情報を抱えるのは流石に重過ぎる」
「ですね。そちらの報告は私がやっておきます」
「任せた。後はまあ、とりあえずこの都市を探索しておくか。気配はないが、どっかに人がいるかもしれないし……それに、気になるものもあるしな」
そう声を上げつつ、ヒカリは視線を上げる。
彼女が見つめていたのは、この広大な空間を支えていると思われる巨大な柱だ。
ドーム状の空間の中心に立つ、とても人工物とは思えないような柱。
その根元部分に、大きな扉のようなものを発見していたのだ。
もしも、あの柱の中へと入ることが出来るならば――それは、果たしてどこに続いているのか。
遥か頭上、柱が天井へと同化しているその場所を見上げて、ヒカリは小さく笑みを浮かべていた。
今日の駄妹
「人目が無い……つまり人目も憚らぬ行為ができるということですね」