139:二重索敵
ログインし、周囲を見回す。
普段は見慣れぬ山小屋。遥かな高峰を登った途中にある山小屋には、他に誰の姿もない。
学校もあり、あまり早い時間にログインできるわけではないため、周囲に誰もいないことは少々珍しい。
時間の有り余っている旬菜の姿すらないことに、ヒカリは若干の驚きを覚えていた。
「……これはこれで、ちょっと新鮮だな」
小さく笑い、ヒカリは窓の外へと視線を向ける。
山の天気は変わりやすいというが、今は雲ひとつない青空だ。
己の相棒を連想させるその蒼さに、ヒカリは僅かに視線を細める。
雲の高さを抜ければ、その蒼さはどこまでも続くことになるだろう。
陰ることのない晴天――だが、それは彼の目指したものではない。
あらゆる空を含め、あらゆる天気を含め、彼は空であろうとしているのだ。
(……あの時、お前はあたしにそう言ってくれた)
ヒカリは彼の誓いを思い返す。彼が二度目に、ヒカリの目の前で宣言してくれた誓いを。
ただひたすら、太陽のための空であろうとする彼の言葉を、ヒカリは一言一句違えることなく覚えている。
それは、何よりもヒカリが求めたものであるからだ。
多くの為に立ち、多くを導く彼女の、唯一隣に立つことができる存在。
その眩い輝きに、ヒカリは目を細めずにはいられない。彼は――ライトは、ヒカリこそが誰よりも眩い存在であると言うだろう。
だがヒカリにとって、最も眩く感じるものは彼なのだ。
(この感情は、何て表現すればいいんだろうか……恋しているかと問われれば、あたしはきっと頷ける。愛しているかと問われれば、それにも頷ける。でも、きっとそれだけじゃない)
言葉だけでは言い表すことのできない、深く密接な繋がり。
不可思議な過去は未だ解決せず、進むべき道は困難だ。
故にこそ、二人で歩む道を照らしたいと願う。そして、そうであるが故に――
「見える気がする。分かる気がするんだ。どうすればいいか、そしてどうなっていくのか……迷う必要はない。少なくとも、この戦いが終わるまでは」
少しずつ変化する感情と感覚。少しずつ、自らが広がっていくような違和感。
けれど、それに嫌悪感は感じない。ライト自身もまた、その奇妙な感覚を口にしていたが故に。
広がり、混ざり合うような不思議な感覚。徐々に強まるその気配が、ヒカリの視線から迷いを消し去っていく。
道は明白に、目の前に広がっている――
「……さあ、今日も頑張るとしようか」
そう呟き、楽しげに笑みを浮かべながらヒカリは振り返る。
未だ人の姿はない。外にも、人の気配など在るはずがない。
けれど、徐々に慣れ親しんだ気配が近づいてくるような不思議な感覚に、ヒカリは笑みと共に声を上げる。
「――おはよう、ライ。今日も、頑張っていくとしようか」
* * * * *
全員が集い、出発する。
昨日の戦闘を経て一行が決定した方針は、とにかく戦闘を避けるというものであった。
足場の悪いこのエリアにおいて、下手な戦闘は全滅に繋がる可能性もあり、なおかつ強力なエネミーを引き寄せてしまいかねない。
更に言えば、雪崩の危険性も存在しているのだ、できる限り戦闘は避けるのが無難であろう。
それゆえの方針は二つ。大まかに言えば、地上と空中での個別の索敵だ。
「空中の索敵は兄さん。まあ、これに関して不満のある人はいないでしょう。これ以上ないほどの適任ですから」
無駄に胸を張りながら宣言するアマミツキに若干の苦笑がこぼれるものの、否定の声は一切上がらない。
ここにいるメンバーは全員、ライトの索敵能力には信頼を置いているのだ。
地下や目視しづらいエネミーを捉え切れないという弱点は存在しているが、それでも十分すぎるほどに高い性能を持つ能力なのだ。
それらの制限のかからない空中ならば、心配する必要はないだろう。
「そしてもう一方、地上の索敵は私とソルベです」
「……隠密能力の高いアマミツキは分かるけど、ソルベも?」
首を傾げるゆきねの言葉に、アマミツキはこくりと頷く。
時間が経ち、再召喚可能となったソルベは、現在白餡によって抱えられている。
アマミツキの言葉に対して主の白餡が首を傾げ、それを真似するかのようにソルベもまた首を傾げていた。
そんな主従の姿を何故か満足そうに頷き見つめながら、アマミツキは一行へと向けて声を上げる。
「目視可能な状態の相手なら何とかなるとは思いますが、私一人の索敵では万全とはいえません。そこで、ソルベに臭いと音で警戒を行ってもらいます」
「完全に犬扱いじゃねーか」
「まあ、普通に犬系統を召喚して貰ってもいいんですけどね。知能とかの面を考えると、やっぱりソルベが優秀ですので」
「こんな見た目でもドラゴンなのよねぇ」
抱えられたソルベの姿を眺め、アンズがしみじみと呟く。
氷古龍――アイシクル・エンシェントドラゴンであるソルベだが、見た目は完全に犬だ。
特に、幼生体で小さな体躯しか持たぬ現状では、ドラゴンとしての特徴も殆ど見受けられないのだ。
精々、尻尾に鱗が存在する程度である。
「と言うわけで、ソルベを貸してください」
「うう、もうちょっと抱っこしていたかったんだけど……ソルベ、お願いね」
『クォウ!』
白餡の顎をぺろりと舐めて元気よく返事をしたソルベは、そのまま地面に飛び降りてアマミツキの横に並ぶ。
白餡から直接指示をされずとも、その話を理解していたのだ。
あの山で出会った成体のように喋ることこそできないが、十分に高い知能を有していることが伺えるだろう。
既に全員に《スノー・ウォーク》はかかっているが、氷古龍であるソルベにそんなものは必要ない。
まるで普通の地面の上を歩くように、雪の上に足跡をつけることもなく進む姿は、どこか獲物を狙う狼のようにも見えるだろう。
一人と一匹――索敵を担当するその二名に対し、既に上空へと飛び上がっていたヒカリたちが声をかける。
『風は基本的に吹き降ろしだから、真っ直ぐ進む分には問題ないと思う。けど、風向きには注意するんだぞ』
『俺が気づいたら知らせる。気をつけて進めよ』
「了解です。それじゃあ、索敵開始します」
頷き、アマミツキは《ハイディング》を使用しながらソルベを伴って先行する。
全員に注目された中でのスキル発動であったため、その姿を見失うことは無かったが、それでも彼女の存在感は非常に薄くなっている。
ソルベが隣にいなければ、見失ってしまうこともあっただろう。
若干ハラハラした様子で見守る白餡を含め、残るメンバーたちは若干距離を保ったまま、霊峰の頂上を目指して出発する。
――結果として、二重の索敵は比較的成功であると言えた。
スノウワイバーンの動きを察知しつつ、地上のアマミツキたちが隠れたエネミーの姿を探し、そして回避するか迎撃するかを決定する。
スノウワイバーンさえいなければ、戦闘すること自体は問題ないのだ。
少しでもレベルを上げると言う意味でも、この場での戦闘は悪い手と言うわけではない。
とは言え、完璧と言うわけでもない。ソルベは臭いと音で周囲の警戒を行っているが、生憎と周囲は音の響きづらい雪に包まれている。
音による警戒は、比較的相手が近づいてくるか、或いはそれなりに大きな体躯を持ったエネミーでなければ難しいのだ。
また、臭いに関しても、相手が風下にいた場合は発見することが難しい。
吹き降ろしの風が吹くこの場所では、進行方向から接近してくる相手は察知できるため、それほど問題が発生することは無かったが。
(余裕があれば倒したい相手も結構いるんですけどねぇ……)
フンフンと鼻を鳴らしながら歩くソルベの尻を眺めつつ、アマミツキは胸中で呟く。
このフィールドのエネミーは、現在の一行にとっては適正レベルであると言える。
普段は自分たちよりも格上のエネミーばかりと戦っているため、エネミーの強さ自体は普段よりも弱いが、地形の効果もあり難易度としては普段と変わらぬレベルまで上昇してきている。
だがそんな中で、スノウワイバーンだけは格の違う相手であると言えた。
普通に戦っても格上の相手であり、尚且つ高い飛行能力を有しているエネミー。
同等以上の能力を以って空中で相対することができるライトたちがいなければ、大苦戦は免れないだろう。
(一応ドラゴン系というだけあって、ドロップアイテムも優秀……しかもちょっと騒げば向こうから寄ってくる。全員分の素材を確保したいぐらいの相手ですが……流石に、それは難しいですね)
セーフティエリアの近くで狩りを行うという手もあるが、あの周囲にはそもそもエネミーが近寄ってこない。
少し離れるにしても、スノウワイバーンを引き寄せる手間を考えるとあまり合理的であるとは言えなかった。
そもそも時間がかかりすぎてしまうため、ヒカリがそれを望まないだろうと言う考えもあったのだが。
「まあ、それは機会があったらと言うことにしましょうか……と、おや?」
周囲に視線を走らせながら警戒していたアマミツキは、ふと目の前のソルベがぴんと耳を立てたことに視線を細めていた。
何かに気づいた時のその様子に、更に警戒を深めながら周囲の気配を探る。
だが、敵の姿は現れず、そしてソルベが警戒態勢に入る様子も無い。
「……敵襲では、無い? 何があるんですか?」
『クゥ……』
アマミツキの言葉に反応し、ちらりと視線を向けたソルベは、再び顔を前へと向ける。
まるで鼻先で示すかのように向いた先は、到底進めるとは思えない角度の崖。
迂回路があるためあえて登る必要もないと考えていたそこへ、ソルベは鼻先を向けていたのだ。
「……兄さん、ちょっといいですか?」
『ん、敵襲か?』
「いえ、そうではないんですが……ソルベが何かを発見したようです。崖の方を示しているのですが」
『崖? あっちか……特に何かあるようには見えないが』
ライトたちの現在高度はそれなりに高く、崖もしっかりと全てを見渡せる位置を浮遊している。
にもかかわらず、ライトの目には何も発見できていない。
ならば一体何があるというのか。未だじっとその方向を見つめ続けるソルベの姿に、アマミツキは視線を細める。
――まるで、何かに導かれるようだと、胸中で呟きながら。
「……判断はお任せします、姉さん」
『ふむ……今日はまだ時間的な余裕もあるし、見てくる程度なら問題ないだろう。それに、ソルベが見つけたとなれば中々気になる話だしな』
ヒカリが意思を告げるその言葉に、アマミツキはただ目を閉じながら首肯する。
その言葉に対して否は無い。急いでいることは事実だが、それでも一切の余裕がないわけではないのだ。
ソルベが発見したものが何なのか、それを把握してからでも進むのは遅くは無い。
警戒だけは絶やさぬようにと意思を固めながら視線を上げ、アマミツキは告げる。
「分かりました……ソルベ、案内してください」
『クォウ』
明確な意思を感じさせる仕草で、ソルベはアマミツキの言葉に頷く。
そして再び視線を前へと向けると、再び地面の近くで鼻を鳴らしながら歩き始めていた。
向かう方向は真っ直ぐ、先ほど自らが指し示した方角だ。
迷うような様子も無く、ソルベはただ真っ直ぐと崖へと向かって歩を進めていく。
アマミツキは周囲のエネミーの気配には気を配りながらも、その背中を視線で追い――次いで、視線を上げて崖を見上げる。
登るとなれば、ライトの力無しでは難しい角度と高さだ。
彼に抱えられることは、アマミツキとしては願ったりかなったりではあるのだが、生憎とこのフィールドでは危険が多い。
空中でスノウワイバーンに狙われれば、ひとたまりも無いだろう。
(……せめて、登らずに済めばいいんですけどね)
嘆息は胸中に留め、アマミツキは歩を進める。
見上げるほどに高い崖は、ゆっくりとその姿を間近にしようとしていたのだった。
今日の駄妹
「いえ、登るなら登るで、兄さんと密着できるのでそれはそれでありなのですが。寒いですし、もっと密着してもいいですよね」




