13:その頃の妹
大きな木製の扉を開け、一人の少女が建物の中へと入ってゆく。
三つ編みにされた金色の長い髪は、ローブの上から羽織っているマントに紛れて揺れる。
その手に持つロッドからも、彼女がメイジである事が伺えるだろう。
そんな彼女は、建物の中をきょろきょろと見回しながら声を上げる。
「東雲さん、いるんですよね?」
『はーい、こっちですよー』
反響する声の中では、方向が若干掴みづらい。
けれど、金髪の少女は迷う事無く、その声の発信源の方へと向かって進んでいった。
そうして本棚の間から現れたのは、巨大な本の山とも呼べるようなもの。
その異様な光景に、少女は思わず嘆息を零していた。
「……ゲームの中でも相変わらずですね、東雲さん」
「キャラクターネームは『アマミツキ』です。そっちは……『白餡』ですか。相変わらずのスイーツですね」
「喧嘩売ってますね? 売ってるんですよね?」
現実世界でも割と辛酸を舐めさせられている相手の無自覚な皮肉に、白餡は頬を引き攣らせる。
彼女の現実世界での名前は白峰愛莉。
東雲ひなたのクラスメイトであり、変人である彼女の世話役として認識されている不幸な少女であった。
尤も、面倒見のよい彼女は、否定しつつも何だかんだで世話を焼いてしまう人物なのであったが。
「はぁ……それで、折角ゲームをやり始めたのに、何で現実世界と同じ行動を取っているんですか?」
「いえ、生意気にも小さな図書館があったので、制圧してしまおうかと」
「まあ、貴方の思考回路を理解しようとかそんな時間の無駄な行為をしようとは思いませんけど……お兄さんと一緒にゲームを始めるんじゃなかったんですか?」
ひなたの――アマミツキの非常識は今に始まった話ではない。
理由の所にいちいちツッコミを入れても時間の無駄にしかならないだろう。
そう判断して、白餡は嘆息しながらそう尋ねていた。
対するアマミツキは、現実世界とさほど変わらぬ長い黒髪を揺らして声を上げる。
「兄さんなら、我が校のリアルチートたちと行動してます。西の森を攻略するとか言ってました」
「はあ、攻略……トッププレイヤーなんですね。良いんですか、置いて行かれてしまってますけど?」
「はい、問題ありません。どうせそろそろあのパーティから抜けるでしょうし。そしたら合流すれば良いでしょう」
そう告げるアマミツキは、ぱらぱらと殆ど流すような速度で本を捲りながらそう答えていた。
とてもではないが内容が覚えきれる訳も無い筈だ。
しかし、彼女には完全記憶能力と言う特殊な才能がある。
普段から兄の姿を脳内保存するなど割と無駄遣いされている才能は、ここでも無駄遣いされていた。
「……で、私にまで付いて来いと?」
「別に無理強いはしませんが、どうせぼっちでしょう?」
「ぼっちじゃないです、失礼な! ちょ、ちょっと声をかけるのが苦手なだけです!」
「はいはい、コミュ障コミュ障。で、どうしますか、一緒に行きます?」
ちなみに、白餡が人付き合いが苦手な理由の一旦として、アマミツキの影響があるのだが、それに関してはどちらも気付いていないので放置されている。
最早パラパラ漫画の勢いで本を捲っているアマミツキの口調は、常に淡々としたものだ。
言っても通じないという事は白餡も理解しており、無駄な追求に意味は無いと嘆息する。
「……ま、まあ、行ってあげてもいいですよ」
「無駄に上から目線ですね。ツンデレにでもなったつもりですか?」
「いやだから……ああもういいです、付いて行かせてください……」
口では勝てないと――以前から分かりきっていた事だが――悟り、白餡は深々と嘆息する。
アマミツキが最後の本をパタンと閉じたのは、ほぼ同時であった。
彼女は顔を上げ、きょとんと目を見開く。
「読み終わり……む、隠しクラス解放? ふむ、これは……特に狙ってないですし、スルーで」
「ちょっ、何やってるんですか!? 隠しクラスですよ、隠しクラス!? そんな貴重なものを――」
「上級職ですし、どの道レベル30まではお預けですよ。転職可能の選択肢が一つ増えただけです。それにぶっちゃけ、私にはこのクラスは必要ありません」
「……と言うと?」
「読んだ本の情報がいつでも引き出せるようになる、というクラスだそうです。そんなものは自前で何とかなるので」
その言葉に納得し、白餡は再び嘆息する。
確かに、アマミツキならばそんな物は必要ないだろう。スキルなど使わなくとも、その情報を即座に思い出す事が出来るのだから。
「どうせですし、狙ってみますか?」
「いや、私も要りません……って言うか、条件は何なんですか?」
「この建物内の本を全て読む事じゃないかと」
「無理です。数ヶ月かかります」
大きくないとはいえ、仮にも図書館なのだ。
アマミツキのような特殊な才能を持つ者でなければ、二日で制覇するなどありえない。
そう考えるとかなり強力な隠しクラスなのではないかと考えられるが、アマミツキは一度決めた事を曲げるようなことはしない。
言っても無駄であろうと判断し、白餡は視線を上げる。
「それで、どうするんですか? レベル上げと言ってましたけど」
「はい。では、まずこれを読んでください」
そう言ってアマミツキが差し出したのは、一冊の本だった。
タイトルは『赫焉なる瞳』。それだけでは意味が分からず、白餡は首を傾げて視線で問いかけた。
対し、アマミツキは既にその本に対する興味を失ったかのように視線を戻すと、文字通り山のように積みあがった本を片付け始めながら声を上げる。
「それは、単一スキルとしての攻撃魔法スキルを覚えられる本です。名前は知りませんが、属性は火。確か、白餡は火と氷の属性で育ててましたね?」
「え、ええ……けど、良いんですか?」
「はい。私のレベル上げにそれが必要なので、是非覚えてください。そもそも、それ読まれたとしても私にデメリットはありませんし」
単一スキルによる魔法は、メモリーアーツと違い、熟練度によって使用できる魔法が増加しない。
アクティブスキルであるため熟練度は存在しているが、上昇しても単純に威力が上がるだけなのだ。
無駄ではないが、どちらかと言えばメモリーアーツの方が得という、そんなスキルであった。
とりあえず本を開きながら、白餡は声を上げる。
「SPを余らせて来いって、そういう事だったんですね」
「はい。一応他の属性も考えてはいたんですが、火が一番効率がいいという結論に達しました。ちょうど良かったです」
本の重さで机が潰れそうになっている中、ゆっくりと本を片付けてゆくアマミツキ。
そんな彼女に半眼を向けつつも、白餡は手渡された本を読み始めていた。
何だかんだで、彼女もアマミツキの奇行に期待している部分があったのだ。
そうして、二人はしばしこの図書館で時間を潰す事となった。
* * * * *
「……あの、本当に大丈夫なんですよね?」
「はい。この辺りはノンアクティブのエネミーしかいませんから。ただし攻撃すると滅茶苦茶リンクしますけど」
「ぶつからないようにしときます。しかし、暑い……」
図書館での作業を終えた二人は、敵を倒すのもそこそこに、ニアクロウの南西の方角にしばらく進んだ場所にある砂丘を訪れていた。
歩いて行くとかなりの距離なのだが、実は決まった時間帯に馬車が出ており、これに乗ると近くの村まで比較的早く辿り着く事ができる。
ちなみに、これもアマミツキが図書館で知った情報の一つであった。
白餡も『赫焉なる瞳』を読んだおかげで、ある魔法を習得している。
名称は『アモンズアイ』。対象へと向けて灼熱の光線を発射する魔法である。
非常に威力は高いが詠唱が長いという弱点があり、実戦で使用するのは少々難しい魔法であった。
「……で、こんなレベルの高いエリアに連れて来て、何をさせるつもりですか?」
「はい。少々お待ちください。ええと……ああ、あったあった」
きょろきょろと周囲を見回していたアマミツキが、ある一点に視線を留める。
そこにあったのは、水の湧き出る泉と、いくつか生えている椰子のような植物――
「……私、よく知らないんですけど、砂丘にオアシスってあるんですか?」
「鳥取砂丘にはオアシス広場という所ならありますけどね。さて、それはいいとして……ふむ、この辺りですね」
そう呟くと、アマミツキはおもむろにオアシスの近くまで歩いてゆき、インベントリから取り出した小さな旗をその場に突き立てた。
そして改めてオアシスとの距離を測ると小さく頷き、そのまま離れて距離を置く。
「オーケーです。では、この旗に狙いを定めてさっきの魔法をどうぞ」
「はあ……まあ、分かりました」
状況は分からないが、態々こんな場所まで来てふざけたりはしないだろう、と――ある程度の信頼を下に、白餡は頷く。
杖を持ち上げ、アマミツキの突き刺した旗をフォーカスし、魔法の詠唱を開始する。
「『来たれ第七の魔、厳格にして偉大なる炎熱の侯爵。過去と未来、騒乱と調和、40の軍を支配せし魔なる者。我は汝が炎の魔眼を喚起する者なり――燃えよ、《アモンズアイ》』」
詠唱の完成と共に、白餡は杖を突き出す。
それと共に放たれた紅の光線は、瞬く間に旗へと直進し――着弾と同時に、凄まじい熱量と炎を吹き上げていた。
その熱は距離を置いて発射していた白餡にすら熱く感じるものであり、ある程度の距離しか開けていなかったアマミツキは慌ててその場から逃げ出していた。
その姿に若干溜飲を下げながら、白餡は魔法の終了と共に杖を下ろす。
それが過ぎ去った場所には――砂が焼けガラス化して赤熱する、クレーターが存在していた。
ごく一部が隣にあるオアシスと隣接しており、そこからクレーターへと水が流れ込んできている。
「ふう、成功ですね。熱いです」
「ここまで現実的に処理されているのが凄まじくびっくりなんですが……それで、何をする気なんですか?」
「はい、まずはこのクレーターに水が溜まるのを待ちます」
ちょろちょろと水が流れ込んでいるそれを指差し、アマミツキはそう口にする。
現状、クレーターはまだ赤熱しているため、溜まるのにはしばらく時間がかかるであろうが。
その間に説明してしまおうと考え、アマミツキは更に続ける。
「で、水が溜まったらこれを放り込みます」
「……何ですか、これ? ポーション?」
「毒です。まだ生成できるレベルではないので、店売りの一番凄いやつ」
「毒って……どこに売ってたんですかそんなもの」
「本に書いてありましたよ。『ニアクロウ裏道の歩き方』」
果てしなく間違っていると思われる本に、白餡は半眼を浮かべる。
が、実際にあるのであればそれを口にしても仕方ないと、彼女は嘆息交じりに先を促す。
アマミツキはそれを大して気にもせず声を上げた。
「ここのエネミーは、大きな水溜りがあると自動で集まってきて、そこの水を呑み始めるという習性があります。まあ、これは景色作りのためのノンアクティブなんでしょうが……まあとにかく、勝手に集まってくるわけですね」
「……それも本で?」
「はい。まあ、このままだと一つの水溜りとして判定されかねないので、あとで繋がってる部分は埋めときますが」
一体どれだけの情報があの図書館にあったのか、白餡は若干気になり始めていたが、話をさせると止まらなくなる事は分かりきっていたので特に口は挟まなかった。
それに、彼女は既に気付き始めていたのだ。アマミツキの狙っている事を。
「……一つの水溜りになったら、規定の数だけエネミーが湧いてくる、と」
「はい、その通りですね」
「そこに毒を入れておけば、勝手に飲んで勝手に倒れていく?」
「そうなります」
その言葉を頭の中で吟味し――白餡は、浮かび上がってきた疑問を即座に口にしていた。
「疑問がいくつか。まず一つ、その毒を飲んだとして、あの辺の敵はアクティブになって襲い掛かってこないのですか?」
「はい、問題ありません。扱いとしては、落ちている物を拾って食べただけですからね。毒の実か何かを食べた場合でも、エネミーは勝手に死にますよ」
それも本に書いてあったことなのか、という質問に関しては、もうする必要も無いと白餡は嘆息する。
トラップ系統の判定は少々特殊であり、プレイヤーからの攻撃ではなく、エネミーが勝手にダメージを受けたと言う判定になるのだ。
無論、アクティブのモンスターならばどちらにしろ近くにプレイヤーがいれば襲ってくるが、ノンアクティブならばそのまま規定の動作を行うだけである。
何となく灰色のバクのような姿をしたモンスターを哀れに思い、白餡は複雑な表情を浮かべていた。
「……では、次の疑問。毒で死んだとして、その経験値は私たちに入ってくるのでしょうか?」
「入ってこなきゃこんな事しませんよ。毒の判定は、それを使用したプレイヤーになります。ただし、攻撃判定ではなく継続ダメージと言う特殊な判定になるんだと思います。まあどちらにしろ、使用したプレイヤーのマークが付いた毒だと考えてください」
「それで倒せば、しっかりと経験値は入ってくる、と」
「はい」
凄まじい屁理屈のように感じたが、それでもやってみる価値があるだろう、と思わせる程度には説得力のある話であった。
そう思わされてしまったのかもしれないが――と、白餡は思わず頬を引き攣らせる。
「まあそもそも、毒をエネミーが普通に飲み込むという状況がありえないんですけどね。こういう水場に集まってくるような習性を持つ場所でもなければ再現できません。ちなみに、元のオアシスだと水の量が多すぎて毒が効きません」
「ああ、そうですか……とりあえずもう何でもいいから、出来るならやってみましょうか」
「そうですね。では、水も溜まったので溝を埋めて、毒を放り込んで木陰でまったりしましょうか。熟練度が伸びないのは残念ですが」
「……これでいいのかしら」
果てしなく疑問に思いながらも、なんとなく彼女の言葉に従ってしまう。
そんな自分に対する空しさに、白餡は今日何度目かの溜息を零していたのだった。
今日の駄妹
「ふぅーははー、エネミーがごみのようだー」
「……私に水を汲む仕事をさせておいて自分はサボらないでください」




