鋼神闘界
オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ ……
切り立った空気が、衝撃で割れる。偉大なる鋼を波打つ振動が、虚空に満ち周囲を撃つ。
生命の疎らな、砂と土で彩られた荒野。白昼の残月の浮いた底の無い青空と、絡み付くような太陽の光が身を焦がす大地。
岩と枯れ木のみが突き立つその場所に、二対の柱が二組、爆ぜる。いや、爆ぜるように動いている、圧倒的に駆動している。
十メートルを超える金属の柱――否、関節を保有する巨大な人の脚が、縦横無尽に地面を踏みしめ、踏み込み、滑り、移動という言葉では表現に的確性を欠くほどの駆動衝撃波を撒き散らしていた。砂塵と爆風を振り撒く巨大な動作。これが、この鋼の巨神達の戦闘の歩法。
――デッッッ……ケェェッ!!
その柱からいくらか――おそらくは自分なりに安全と思える距離を取った場所で、少年は地面に伏せて砂塗れになっていた。それでも空を見上げ、感嘆の声を胸中で上げる。
年は十五才程、煤けたような色のボロ服に、継ぎ当てだらけの古コート。
少年の名はセクノ、鋼拾いを生業にする孤児だ。
――スッゲ! スッゲェェ!
心が上げる声は、既にもう上手く形にならない。スゴい、デカい、ツヨい、――憧れから生ずる激情が、それ以外の単語を許さない。単純に、少年の語量が少ないのも理由の内だが。
対塵ゴーグルの奥、両の瞳は強者への焦がれる感情で輝いていた。
「――うおっ!」
脚の移動で岩が激突、破片がセクノへ飛翔。とっさに転がって避けたが、頭のすぐ横に頭より大きい岩球が落ちる。
安全だと思った距離は、安全とはほど遠かったようだ。
相対する二十メートル級の巨人二体、その内の片側。黒鋼の巨人が跳ぶ、反動で地面が砕ける。
右手には長大な東方刀剣。刀身は目測で約十二メートル、独特なダマスカス紋様が刀の製造法を語る。緩やかに反る片刃の刀身が輝く。
両肩や胴部に厚い装甲が張り付きながらも、そのシルエットは細く、印象通りに動きが速い。
黒の疾風を思わせる跳躍は、敵である紅鋼の巨人の拳打を寄せ付けない。
ガ、ア、ア、オ、オ、ォ、ォ、……ッッ!!
苛立つように紅鋼の巨人が吠える。空気が震えた。
光学観測機関である顔面の四眼が点滅、亀裂のように顔面の装甲を割り、顎が開き牙が覗く。
黒鋼より一回りほど大きい体格、脚よりも太く発達した腕部の数は四本。太い指に、涙適状に強化された前腕。
超速度の質量、四撃。四本の破壊を存分に振るい、存分に打ち込む。暴風雨のような連打、だが黒鋼には当てることが出来ない。
――あの黒鋼、スゲェ……《紅鋼》グロックの四本腕をインファイトの距離で避けまくってる。乗ってるのは並みの鋼騎士じゃない!
吸い込んだ埃に喉の水分を取られながら、セクノは巨人達の攻防を観察する。
紅鋼の巨人は、鋼人と呼ばれるケイ素生命体だ。
重金属による外皮と骨格、ケイ素による神経構造を持つ、陸上を闊歩する常識外れの巨大生命体。
ここ、セクノの生きる世界での人類の脅威であり、天敵であり、隣人であり、資源でもある。
そしてあの黒鋼は鋼神、鋼人の肉体を資源として、人の御技により繋ぎ合わされた人類にとっての鋼の神だ。
パーツごとに分割された鋼人の体を、微細な調整技術の下に再生結合。人間が乗り込む操作室を取り付けられた人型の兵器。
故に、鋼神を駆る戦闘者は、鋼騎士と呼ばれた。
どれほどに荒廃した世界でも、人の本質は変わらない。鋼騎士はその人の本質の一部たる闘争を生業とする存在だ。
戦闘を重ね、闘争を勝ち抜き、騎士であることを貫く、それがこの世界に置いて鋼騎士の存在意義。
故に、強者と会いまみえることが生きるための糧。例えそれが、人ではない存在であろうとも。
ル、オオオッ!
四腕の鋼人、《紅鋼》のグロックが叫びと共に拳を解き放つ。
即座に長刀の鋼神が後ろへ跳ぶ。空振る拳を刀で流し、空中で頭から一回転。背中から爆発的な熱量爆風が発生、急加速する上半身が落ち、下半身が伸びる。
鈍い激突音が響く。
振り子のように勢いがついた浴びせ蹴りがグロックの頭部に刺さる。たまらずバランスを崩す鋼人。地響きを上げたたらを踏む。
瞬間爆速と呼ばれる鋼神の基本機能の一つ、体内の熱量発生機関から爆風を発生、体の各機関から放出することにより一時的な空中機動を可能にする。鋼騎士ならば、この機能を使い空中格闘をするぐらいは基本技能だ。
ふらつきながら体制を直すグロック。すかさず踏み込む黒鋼へ、闇雲に右側の腕二本でフックを打ち込む。
だが黒鋼の無刀の左手が伸び、ひたりと腕に触った刹那、次の瞬間にはグロックが逆さまに宙を舞っていた。
ゴオォッ!?
混乱の意志が如実に伝わる、グロックの叫びが荒野を撃つ。
――なん、だ、今の!?
セクノは目を疑う。光景を信じられない。
あの鋼神が片手でグロックの拳に触ったと思った瞬間、鋼人はするりと投げ飛ばされてしまった。
――まるで魔法使いみたいだ……
実際には人体とほぼ同じ構造である鋼人の身体を利用し、腕を捻り関節を極めると同時に、神速の足払いでバランスを崩し投げ飛ばしたのだ。
これは黒鋼の操縦者が身に付けている『アイキ』という格闘術の基本技術なのだが、今この状況ではセクノに教える存在などもちろんいるわけがない。
ゴオォォッ!
だがグロックとてこの程度ではやられはしない。即座に四つ腕を突き立て落下の衝撃を吸収。粉塵を巻き上がる中、逆立ちのままでとっさの回し蹴りを放ち、黒鋼を牽制する。
ヒ ュ ゴ ッ !
空を音を立てて切る蹴りに、黒鋼はまたも後退、グロックと二度目の距離を取る。
安定感ある逆立ちから立ち上がったグロック、前のめりの姿勢で拳を構える。
相対する黒鋼の鋼神。だらりと下げた長刀を持ち上げ、ゆっくりと――鞘に納めた。
パチリと、鍔なりが響く。
――今度はなんだ……?
またも見た光景に首を捻るセクノ。戦闘の途中に剣を納める鋼騎士など聞いたことがない。
だが黒鋼に戦闘を止めようとする意志は見えない。一向に、その身を包むドロリとした圧迫感は消えない。これは殺気、いや剣気というものだろうか。
もし戦闘を避ける気ならば、このような剣気は必要ないはずだ。
両足は広がり、雄々しく大地を踏む。
左手は鞘の鯉口をしっかと掴み、巌の如く固定された。
そして右腕は、柄に触れるか触れないか、ギリギリの位置に置かれている。
ゆらりと、脱力したような佇まい。それは白昼の幽鬼の様にも見えた。
それは何か、巨大な破壊力の暴威ではなく、極限まで鍛え上げられ研ぎ澄まされたソリッドな刃だけが持つ威圧感があった。
気がつけば、時間が息を止めていた。
鋼神と鋼人は、動かないまま相対している。恐らくは次の交錯で全てが決する。その予感が、有る。
ゴクリと、セクノの喉が鳴った。
無音の荒野、余りに矮小な存在の出した小さな音は、荒野全てに響き渡る。
ボ ォ ッ ! !
先に動いたのは、黒鋼だった。
背中より吹き出した熱量により瞬間加速。大股で踏み込み、滑空するように前へ。
ゴオオオォォッ!
先の先を取られたグロックも動く。全ての腕を広げ、必殺の拳打を仕掛ける。
黒鋼が柄を掴む。鞘が歌うように光を放つ。切断の瞬間を、歓喜に震え待ちわびるように。
間近に迫る二体、互いを求め合うように、死線が交わり、絡まりあう。
そして、刃は解き放たれる。
「――――――ッッ」
抜刀の直前、鋼神は咆哮を上げた。だがそこに荒々しさは無い。その咆哮はまるで歌うようなガラスの如く透き通った声だった。
振り抜いた刀、黒鋼の背後で、グロックの上半身が宙を飛ぶ。舞い散る銀色の血液に太陽の光が反射する。
同時に衝撃波が発生、周囲の岩や石を巻き上げ蹂躙し吹き飛ばす。一拍遅れて音が追いかけた。
通常は亜音速で疾駆する鋼神。更にそこから放たれる超音速に達した「居合抜刀」
発生する衝撃波は、並大抵の物ではない。
「う、お、おおおぉぉぉ――――!?」
当然、セクノも巻き込まれることになる。
暴風に巻き込まれながら、それでも少年はどこか――笑っていた。
――ゴボ
――ゴボゴボゴボ
操縦室内の循環液の排出が完了、液体を体から滴らせながら、ハッチを開く。電圧により粘性が変わる循環液をコックピットに充填することにより、鋼神の駆動の際に発生する鋼騎士への衝撃をやわらげる働きをしている。
バチリと小気味よい音を立て、拘束帯を解き黒塗りのヘルメットを頭から引き剥がす。荒野の熱風が頬に心地よく感じる。戦闘の後のこの風の感触が、彼は好きだった。
パイロットスーツに包まれた長身は引き締まり、隙の無い印象を与える。
ボサボサの白髪、顎には無精ヒゲ。顔付きはやや険しい三十男。
黒鋼の鋼神、「ナンヴ」の操縦者。刀使いのキイロウ、それが男の名だ。
「……ちょいとブった斬り過ぎちまったかなぁ」
コックピットからグロックの死体を確認。余りに損壊が激しいと、鋼人の死体を腑分けする再生屋への売却価格が下がってしまう。
強者を求める事が鋼神を駆る者全てのサガであり誇りだ。しかし誇りだけでは腹が膨れないのがなんとも悲しい。
「……剣に全てを、ってわけにはなかなかいかんよなぁ」
荒野の果てに目を凝らす。
遥かな彼方。それでもなおはっきりと視認できる超構造体があった。
幅は二キロを超え、成層圏ギリギリまで達する馬鹿げたほどの全長。塔というよりは柱という印象。
そしてその全体は、計るのも諦めたくなるほどの至年劣化を迎え、なおその上からナノマシンによって修復されていく。重ねられるその構造壁は、すでに原型を想像することすら難しいほどに曲がりうねった紋様と色を描いていた。
この潮流の果ての時代、人々はこの歪な巨大建造物を「朽ちた巨剣」と呼んだ。
剣を極めた鋼騎士は、更なる宿敵を求めトツカノツルギへ集うのだという。
かつて、この巨大と形容することさえ的外れな建造体が、遥かな過去に人類の未来を支えた「軌道エレベーター」の慣れの果てだと知る者は、今の時代にはまずいない。
「あ、やっべ、巻き込んじまったか!?」
砂に埋まったやや小さい人影に気づくキイロウ。流石に子供を巻き込むのは目覚めが悪い。
やがてもぞもぞと動きだしたのを見て、胸を撫で下ろす。
「なんだ無事か……ん?」
行動がおかしい。コートを脱いで降り始めた。明らかにこちらへアピールしている。さらに何か叫んだ。
「……え?」
一瞬言ってる意味がわからず耳を凝らす。必死に叫ぶ少年の声をもう一度聞いた。
「俺をォォっ! 弟子にっ! してくださいぃっ!!」
「……はぁぁぁぁああっ!?」
全ての過去が神話となった、遥かな果ての時代、一人の男と一人の少年が出会う。
それは騎士の時代の終わりの始まり。。
最後の侍と呼ばれた男と、最後の騎士となる少年が出会う時、物語はここから始まる。