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春の日差しの下で

作者: なみな

 心地の良い日差しが小さな庭に差し込む。地面に広がる深い緑は、陽光に照らされ鮮やかな若草色に染まっていた。

 少年はベランダから朝の庭の情景を眺めると、サンダルを履いて外に出た。草の上に舗装された石畳の上を歩き、庭の奥へと足を運ぶ。

 そうして彼が曲がり角に行き着くと、目の前に白いプランターが置かれていた。プランターには草花が植えられ、朝陽を元気良く浴びる姿は何とも輝かしいものだった。

 先ほど自室の窓から見えていた花々と向き合い、少年は小さく「おはよう」と心の中で唱える。

 プランターの隣には木製の棚があり、そこに乗せられていたジョウロを手に取って蛇口へ向かう。

 傍にあった蛇口を捻るとジョウロの中に水が入り、その水音を聞いている間、少年は心なしかワクワクしていた。いつもの事だった。

 花と触れ合う時に一番楽しいのは、やはり水遣りをする時なのだ。少年はジョウロに重みを感じると、水を止めてにんまりと笑う。

 そしてプランターに戻ろうと踵を返した瞬間、彼は、家の陰に身を隠す人影を横目で捉えた。相手に気付かれない程度にそちらに目を向けたので、彼はあっちが出て来る気がないのなら、放って置こうと思った。

 だがこちらを見ている者の正体が分かっていると、微笑を浮かべずにはいられない。少年は色んな意味で嬉しくなり、花に水を遣り始めた。

「…………」

「今日も綺麗だなあ」

 後ろに聞こえるようにわざと声を出しながらジョウロを傾ける。振り向かずとも、影が僅かに身じろぎしたのが分かった。

 少年はふと、何かを思い付いた。突然持っていたジョウロを棚に仕舞い、入れ替わりで取り出したのが一輪の花を咲かせる鉢植えだった。

 鉢植えを顔の位置まで持ち上げると、柔らかな口調で呟く。

「これの花言葉は『恋占い』って言うんだっけ」

「!」

「女の子が好きそうな花言葉だな」

 もはや影に話しかける気満々である。こちらを羨ましそうに見ている少女がパッと目だけを光らせたのが手に取るように分かった。彼はくつくつと笑いながら、ようやく振り返る。

千帆ちほ

 少年の声に、少女は肩をピクリと動かした。

「そんな所に立ってないで、こっちにおいで」

 肩越しに振り向く少年の表情は見る者を安心させる。

 少女は躊躇いながらも陰から姿を見せ、小走りで少年の方へ向かった。しかし視線の先にあるのは少年ではなく、もっぱら彼の手の中にある鉢植えだった。

「……おれより花の方が気になってたのか」

「え? うん」

「そう。まあ、良いけどね」

 少年は苦笑いを隠すように妹から視線を逸らす。

「お兄ちゃん、いつもこんなに朝早かったの?」

「そうだよ。知らなかった?」

 千帆はコクンと頷いた。

「確かにいつもならこの時間、千帆は起きてないよね。今日は一体どうしたの」

「すっごく太陽が眩しくて、目が覚めちゃったの。カーテンが全開だったから」

「成程ね」

 少年にとっては眩しくてもかえって気持ちの良いものだが、妹には刺激が強過ぎたようだ。確かに今日は信じられないくらいの青空である。

「あの。お兄ちゃん」

「ん? なんだい」

「この花、なんて言う花なの?」

 千帆は鉢植えに添える兄の手に自分の手を重ね、触らせてほしいと目で訴えた。少年は快く妹に鉢植えを譲る。

「これはマーガレットって言う花なんだ。……おっと、気を付けて」

 思っていたより重かったのか、千帆は一瞬鉢植えを落としそうになった。二人で慌てて鉢植えを支える。

「ご、ごめんなさい」

「大丈夫だよ」

「お兄ちゃんの鉢植え割ったりしたら、わたし暫くお兄ちゃんに口利いてもらえなくなっちゃう……」

「ああ、そんな事もあったね」

 彼は特に否定しなかった。

 実は、以前妹に一度鉢植えを割られた事があった。その時千帆は何がいけなかったのか分からず、彼に謝りもしなかったのだ。まだ物心もつかない年齢だったので、仕方なかったといえば仕方なかったのだが、彼の方はどうも納得出来ず、次の日妹をとことん無視したのだった。

「まだ気にしてるの? もう十年くらい前の話じゃないか」

「わたし、ちっちゃかったけど覚えてるもん。あの時すごく怖かったんだから」

「一応怖いと思ってたんだ。小さい頃から厳しくするのも、それはそれで効果はあるようだね」

 何故か千帆は背筋が凍った気がした。

「おれが自分の子供を育てる時もそうしようかな」

「え! お兄ちゃん結婚するの!? わあ!」

(……凄い笑顔で返されたな)

 いっそ妹の笑顔が眩しい。これ以上ないほど明るい表情だ。少しは寂しがってくれても、と少年はこっそり考えた。

「まだ中学生だから結婚は出来ないよ。それに、婚約者どころか彼女も居ないし」

「でも告白とかされたりしてそう、お兄ちゃん」

「フフ。どうかな」

 曖昧に誤魔化す。千帆は教えてくれない兄に眉を顰めた。そんな彼女がヤキモキしている時の顔も、少年は面白がって見つめていた。

 やがて千帆が口を開く。

「そうだ。夏に向けて新しい種買いたいって言ってたよね。今度は何の花を育てるの?」

「うーん。そうだなあ……」

 彼は顎に手を当てながら考える。プランターを見つめて暫くしてから、小さな声で言った。

「……ピンクのチューリップかな」

「? ずいぶん具体的だね」

「そう?」

「どうしてピンクのチューリップなの?」

「千帆のイメージだから」

 いきなり自分を引き合いに出されて、千帆はポカンとなった。

「え……チューリップとわたし、似てるかな」

「花で言うなら向日葵なカンジもするけどね。でも色で例えるなら、千帆はピンクかなって」

 確かに。ピンクの向日葵というものは存在しない。

 少年はついでに付け加える。

「それに千帆を育てるみたいで、何だか面白そうだしね」

「わ、わたし、お兄ちゃんに育てられちゃうんだ……」

「嫌?」

「嫌っていうより、複雑な気持ちになりそう」

「大丈夫だよ。甘やかしたりしないから」

 その台詞がますます大丈夫じゃなかった。千帆は乾いた笑いを返す。

「あはは……じゃあ、全力で咲かなくちゃ」

「うん。その調子その調子」

 少年は嬉しそうに鉢植えを持つ千帆の頭を優しく撫でる。

 千帆はマーガレットの花びらを指先で触れると、何気なく呟いた。

「わたしも何か育ててみようかな」

 妹の思い掛けない台詞に少年は不意をつかれる。しかしすぐさま喜びを露にした。

「お。良い事を聞いたな。上手く育てられないからって、ずっとガーデニング避けてたのに」

「お兄ちゃんがわたしを育てる気なら、わたしもお兄ちゃん育てようかなって」

「へえ。それは面白い」

 偶に好戦的になる妹を、口には出さないが可愛いと思っている。少年はにやりと笑った。

「それじゃあ朝食を終えたら、さっそく種を買いに行こうかな」

「あれ。部活は行かなくて良いの?」

「今日はお休みだから。千帆も一緒に行こうか。何の種を選ぶのか、この目で確認しときたいからね」

「し、真剣に選びます!」

「そうだね。よろしく」

 予想外の誘いに千帆は緊張し、鉢植えを持つ手に力が入った。その様子を見て取り少年は思わず吹き出す。

 彼女は自分をどんな花に例えてくれるのだろう。想像するだけで既に楽しい。

 少女が必死に悩む隣で、少年は空に向かって両腕を伸ばす。その時、柔らかな風が辺りを包み込み、涼しげな空気を肌で感じる事が出来た。

 ――今日も平和で幸せだな。

 目を閉じて、彼は小さく微笑んだ。







以前このページに別な話を載せていましたが、上書きしました。

実は登場人物のモチーフは別作品にあるのですが、一度書いてみたら二次創作というより一次創作風になったのでこちらに置いていきます。

妹に振り回されない兄をイメージした結果、何だかただのシスコンに…(笑)


                             2014.5.18現在

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