家出します。
「カズ兄カズ兄!」
ハムスターの世話をしていたら、バタンと勢いよくドアが空いて、妹のヤヨイが飛び込んできた。ヤヨイが部屋に入ってくるたび、タンスの上においてある荷物がぐらぐらとゆれて、今にも落ちてきそうになる。そろそろドアが壊れるんじゃないかと思うのでそんなに勢いよく開けてほしくないのだけど。
「ねえねえ、カズ兄ってば聞いて聞いて!」
「聞いてるよー」
ヤヨイはいつものように、息を弾ませて、満面の笑みで俺に話しかけてくる。こういう顔のヤヨイは、何かしら変なことを思いついた時だ。十分注意して扱わないと。
目線はハムスターに向けながら、ヤヨイのほうに集中を傾ける。
「ちゃんと私のほう見て聞いてほしいのにー! ねえねえ、聞いて聞いて!」
「聞いた聞いた。そだねー」
「まだ何も言ってないよカズ兄!」
「『聞いて聞いて』って言ってるのを聞いた」
「へーりーくーつっ!」
くそっ、小学生の頃はこれで納得してくれたのに、最近は変に知恵をつけてきたせいでなかなか言うこと聞いてくれなくなった。はぐらかすのが難しくなったな。
「昔はもっと素直だったのに……、誰がこんなにヤヨイをひねくれものにしてしまったのか」
「どう考えてもカズ兄でしょ!」
心外だ。俺はヤヨイを天真爛漫になるように接したつもりだ。
……あれ? だから今こんななのかとちょっとだけ自分の今までの接し方に後悔する。
「カズ兄、それでね、私、今ここで、宣言します!」
「おおっ」
「まだ宣言してないよカズ兄! あと、次はもっとびっくりしてよ」
めんどいなあ……そう思いながらも、これ以上ヤヨイを無視すると、より面倒くさくなるので、ハムスターから目を離し、ヤヨイの方に向き直る。
「で、結局何なんだヤヨイは?」
「それでは改めて! 私、ヤヨイは今日家出します!」
「行ってらっしゃい」
突拍子のないことを言うのはいつものことなので、今回も軽く受け流す。
ヤヨイはそんな俺の受け答えにもまったく気づかず、勢い込んで話し続けた。
「ほらほら、家出ってなんだかちょっと大人になった気分がするでしょ? 中学生になった事だしちょっと冒険しないと。そしていなくなった私を追って、カズ兄は妹を訪ねて3000里……ってええ!? 何で止めてくれないの!?」
「止めてほしいのか、追ってほしいのかどっちなんだよ」
「両方!」
贅沢な。そういう時はどっちか選びなさい。
「家出した妹を追って、カズ兄は母を訪ねて3000里の主人公、マルコポーロのように妹を訪ねて回るの。その過程で生まれるのが、東方神起なんだよ!」
えっへん、と胸を張りながらヤヨイは言うが、あってるようでところどころ違う。マルコポーロじゃなくて、マルコロッシだろ。それに東方神起は歌手だ。
はあ……突然なんで家を出たくなったんだろうなあ、とヤヨイをため息交じりに眺めていたら、右手に『家なき子』の小説があった。
……ヤヨイ、影響受けすぎだろ。
「でねでね、家出して一人で生きていくためには、何かと怖い世の中でしょー? だからね、私拳法を学び始めたんだ! すでに白帯だよ!」
「自慢すんな。始めたばっかじゃんか」
白帯は一番下だ。始めれば誰でもなれる。
「い、いいじゃん別に! 1位の必要があるんですか!? 2位じゃ駄目なんですか?」
「や、別に駄目じゃないけど。というかまだ2位にすらなってないだろ」
「違う違う違うー! カズ兄、そうじゃないでしょー」
「何がだよ」
「私が2位じゃ駄目なんですか? って言ったら、それ拳法じゃなくて『れんほー』だろ! って突っ込みいれなきゃ! まだまだだねー」
知らんがな。いや、というか前々から思ってたけど、ヤヨイのやつわざと間違えてんのか?
……なんだかとても面倒くさくなり、またハムスターの世話に戻ろうかと向きを変えた。
「あ、カズ兄! まだ私の話は終わってないんだから! 最後まで話を聞いてよ!」
「聞いてるから話し続けていいよ」
「だめ! ちゃんと私を見てよ!」
……妹に言われても、あんまり嬉しくないなあと思いながら、もう一度ヤヨイのほうに向き直る。
「そしてそして、カズ兄、家出するには絶対に必要なものがあるんだよ!」
「なんかいるか? 決心とかか?」
「それもいるけど!」
「衣服?」
「それこそいるけど!」
「頼る友達?」
「それはいらないけど」
「ヤヨイ……友達いないのか」
「それはいるけど! もう、ほらあ……カズ兄、分かってないね。にぶいなあ、これだよこれ」
そう言って、ヤヨイは右手の親指と人差し指で丸を作る。
またかよ……こいつ、そうやってすぐに俺にたかろうとするんだよなあと思いつつ、知らない振りをすることに決めた。
「何だそれ? オッケーのサインか?」
「違う違う! もう……カズ兄ってばこんなのも分からないんだね……だから高校2年生になってもまだ私以外の女の人と手をつないだことすらないんだね。大丈夫、私はいつだってそばにいるから」
「うっさいな! ってか今から家出するようなやつが言うセリフじゃないだろ……って何だその手」
さっきまで泣き真似で下を向いていたヤヨイが、いつの間にかにこやかに笑いながら、俺に向かって両手を差し出している。
「同情したから金よこせ!」
「うるさい! ほんとに家なき子になっちまえ!」
思いっきり叫んで、ヤヨイを部屋から追い出すと、『ほんとに家出してやるんだから!』と言って家を出て行った。
30分後に『家出飽きたー! 鬼ごっこしよー!』と俺の部屋に戻ってきたときは、ちょっとだけ俺が家出したい気分になった……。
落ちが思いつきませんでしたが、そのまま投稿です。




