いい爺さんだったなぁ
第一章 イジメ
俺、一輝は、飲食店の長男として生まれ育った。
店名は「割烹 一久」
親父・一久の名前をもじったものだった。
上には姉、下には弟の、3人兄弟だ。
両親は共働きで、朝は早く、夜は遅い。
そのため、俺は中学まで祖父母に育てられた。
子どもの頃の俺は偏食で、肉類と野菜は、芋、キャベツ、玉ねぎくらいしか食べられなかった。
においの強い野菜はほとんど食べられず、うどんに入ってしまったネギを、一本残らず取り除いてから食べるような子どもだった。
弁当も、レトルトのハンバーグやミートボール、卵焼きとご飯だけで満足するような子どもだった。
思えば、それが試練の始まりだったのだろう。
保育園、幼稚園、小学校、中学校と、ずっといじめが続いていたように思う。
保育園や幼稚園の頃は、さすがに行くのを嫌がったり、途中で抜け出して勝手に帰ったりしたこともあった。
けれど、いなくなって大騒ぎになったこともあり、途中で抜け出すことはなくなった。
なぜか子どもの頃から、
「親に心配をかけてはいけない」
そう思っていた。
いじめられていることなど、先生や親には一言も言わず、じっと耐えていた。
たとえ殴られても、蹴られても、体が丈夫だったこともあり、ちゃんと防御もしていたので、それほど大きなダメージはなかった。
だから、我慢できた。
クラスが変われば。
学校が変われば。
こんなことはなくなると思っていた。
小学校2年生の時、優しい担任の先生に出会えて、俺はホッとしていた。
進んで学校にも行くようになっていた、そんな矢先だった。
ひとりの悪ガキが、また俺にちょっかいをかけてきた。
それを振り払った拍子に、そいつが壁にぶつかり、彼は目の上を切って、かなりの出血をした。
それを見た担任の先生は、理由も聞かず、俺を激しく叱った。
悲しかった。
それから、どんなにいじめの攻撃を受けても、俺は防戦一方で、反撃することはなくなった。
そうすると、余計に面白がって、ちょっかいをかけてくるやつが増えた。
ストレスと過食で、それから毎年10キロずつ太っていき、小学校6年生の時には60キロになっていた。
それは中学に入っても続いていた。
中学に入り、卓球部に入った。
厳しい練習のおかげで、よく食べるようになったが、体重は変わらず、その代わり背が伸びた。
なぜか、先輩の女子部員から、練習中に、
「一輝君、がんばって!」
などと声がかかるようになった。
しかし、それがまずかった。
一部の先輩男子部員からの、しごきやいじめが始まった。
それが嫌で、ある時、声援を送ってくれた女子部員に、
「もうええねん、鬱陶しいねん!」
と言ってしまった。
その子は泣き出し、その子の友達からも、
「うわー、生意気! かわいそうやろ、謝りや!」
と言われ、女子部員にまで嫌われるようになってしまった。
高度経済成長のさなか。
家に帰っても、両親は忙しかった。
言えば、心配をかける。
店では、客が待っている。
父も母も疲れている。
だから、何も言わなかった。
泣かなかった。
そして、いつしかこう思うようになった。
自分のことは、自分で何とかしなければならない。
自分に降りかかる幸、不幸は、すべて自分の行いがもたらすものだ。
その考え方は、彼の人生に深く染みついていった。
中学3年生になった。
夜明け前の薄暗い朝。
「キャン」
と、短く鋭い鳴き声がした。
そして、俺の脳に直接語りかけるような声がした。
「今まで、よく辛抱したな!
おまえの望みを叶えてやろう!
そして、降りかかる災いも振り払ってやろう。
でも、一番望むことは叶えてはやれない!
そして、これからも幸せには、それ相応の対価を支払ってもらう。
まず、おまえの人生は70で終わりだ!」
そう言って、その声は消えた。
朝、学校に行く時、隣のおじさんが、
「犬がいないんや。鎖につないで、犬小屋に入っていたはずやのに」
と言っていた。
「身代わり」
その時、俺の脳に、はっきりとその言葉が浮かんだ。
学校から帰ると、隣の犬は始発の電車に轢かれて死んでいたことが分かった。
次の夜。
俺は夢を見た。
真っ暗な場所だった。
床も天井もない。
ただ、遠くに一人の男が立っている。
年齢も、顔もよく分からない。
声だけが、妙に懐かしかった。
「お前は、今までよく耐えてきたな」
俺は答えなかった。
「これからは違う」
男は言った。
「努力しろ」
「……」
「お前が本当に望むものがあるなら、それ相応の努力をしろ」
男が一歩近づいた。
「努力した分だけ、お前の望みを叶えてやる」
俺は初めて口を開いた。
「何でも?」
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
そして男は、少しだけ寂しそうに笑った。
「ただし、一番望むものだけは……叶えてやれないかもしれない」
「なんで?」
男は答えなかった。
ただ、
「それでも、生きろ」
そう言った。
目を覚ますと、朝だった。
祖母が味噌汁を作っていた。
夢だった。
そう思った。
それから数年も、俺はその夢を忘れていた。
いや。
忘れたつもりになっていただけだった。
ある日、依然として続くいじめに耐えきれなくなり、ついに番長格のやつに、みんなの見ている前で木刀を振りかざして反撃した。
「ええ加減にせえよ!
少年院に行ってもええ!
ぶち殺したるわ!」
俺の勢いに圧倒されたのか、相手は謝った。
そして、
「アイツ、キレたらやばい!」
と噂になり、嘘のようにいじめもなくなった。
ようやく俺は、普通の学校生活を送れるようになった。
第二章 モテ期
高校に入ると、人生が少しずつ変わった。
いやガラッと変わったというべきか?
その学校には以前の
同級生は誰もいなかった。
背が伸びた。
顔つきも変わった。
中学時代の体型も、テニス部に入ったことで
スポーツマンらしくなった。
成績もかなり上の方だった。
突然、女の子から声をかけられるようになった。
最初は戸惑った。
次第に慣れた。
高校を卒業すれば家業を継ぐものと思っていた俺だが
ある日親父が
「今時大学くらい出てんと、いろんなところで恥かくぞ」と言ってくれた。
その頃には商売も順調で親父もいろんな役員を頼まれるようになっていた。
しかし親父は田舎の中卒だった。
他の役員の顔ぶれを見るとほとんどが良い学校を出ているようだ。
その中でも親父はバイタリティにあふれて
他の人たちに負けずにリーダーシップを発揮していたのだが、やはり心の中には何か引け目を感じていたのだろう。
そのこともあり、そこから努力して
東京の希望する大学に合格することができた。
しかし大学に入る頃には、
完全に調子に乗っていた。
夏はテニス 冬はスキーという70人規模の
大サークルに入った。
ファミレス ディスコ ドライブ 海 夜の街
誘われればいった。
告白されれば付き合った
東京で一人暮らしを始めた頃、ませていたのと、大阪弁で目立っていたのか、現役生よりも年上の同級生と付き合うことの方が多かった。
1回生の頃は、語学クラスがそのまま単位取得のグループになっていた。
そのグループで「コンパをしよう」となった時、そんなことに慣れていた俺が幹事に選ばれた。
それをうまく仕切ってから、物怖じしない性格からなのか、勝手に年上だと勘違いされ、みんなから「一輝さん」とか「カズさん」と呼ばれ、敬語で話されるようになっていた。
サークルの方でも、テニスの新歓合宿の時、合宿所までのバス移動や昼休憩では、男女別れて座っていた。
それを疑問に思って、先輩幹事に、
「女の子、ほっといていいんですか?」
と聞いたら、
「じゃあ、おまえ相手してやれよ!」
と言われた。
そこで一人で女子の相手をしていたら、先輩や女子から一目置かれるようになった。
テニスも先輩たちはそこそこできたが、同期はほとんど素人だったので、いつの間にかレッスンまで受け持つようになり、女子からの評価も上がっていった。
麻雀や競馬、パチンコなど、いろいろ経験していたので、ちょくちょく先輩から呼び出され、卓を囲むようにもなっていた。
そんなこともあり、先輩からも可愛がられ、サークル内でも孤立することなく、上下関係なしに相談役みたいな立場になってしまった。
いつしか、平日はサークル活動、バイトや麻雀、日曜日は競馬。
そんな生活になっていった。
それでも不思議と、成績はギリギリだったけれど、単位は落とさなかった。
追い出しコンパが終わると、その当時主流だった4回生、3回生や他の女子短大から来ていた部員も多かったせいで、一気に人が抜けて、部員は30名くらいになった。
同期の男子も、気がつけば4人だけだった。
それでも勧誘を頑張って、総勢50名まで増やした。
その頃から、下級生からの人気が爆上がりし始めた。
誘われればデートしてみたり、いきなり数人でアパートに押しかけられたり。
挙げ句には「一輝先輩を見守る会」なんてものまで勝手につくられ、「抜け駆け禁止」とか、訳のわからないことまで言われるようになった。
これでは逆に、手枷、足枷をつけられたようなものだった。
そのくせ、その会員の中には、ちゃっかり彼氏をつくっている子もいた。
それを指摘すると、
「だって、先輩ライバル多すぎ!」
と言う。
「オモチャにされてるだけや!」
実はその頃、新宿の小さなスナックのママとも付き合っていた。
水商売にも慣れていたし、電化製品の故障修理や、ちょっとした使い走りをしているうちに、学生割引の3,000円が2,000円、1,000円、最後にはタダになっていた。
あっさりしたママで、俺を縛ることもしなかった。
「貴方はまだ若いんだから、いろんな人と付き合って、男を磨きなさい」
などと言ってくれた。
その言葉で、俺はすっかり調子に乗ってしまった。
嘘をついたり、騙したりするのが嫌だったので、普通に付き合っている女の子にまで、
「俺、まだまだ結婚とか考えられへんし、別に他の男と付き合ってもええで!」
なんて言って、ドン引きされたり、泣かれたりもした。
完全に調子に乗っていた。
「こんなん、経験豊富な人間にしか通用せえへんって!」
「俺って結構モテるんやな!
俺 酒も タバコも
ギャンブルも辞めれるけど
女は無理やな!
他は向こうからけえへんけど
女は向こうから来るからなぁ」
とか言って完全に調子に乗っていた。
でもそのおかげで、
学校関係では健全な付き合いで終えることになったのだが。
2回生までは、家賃の都合で学校から離れた、日野市の高幡不動駅近くのマンションに住んでいた。
高幡不動は東京競馬場にも比較的行きやすかったこともあり、学部やサークルの友達と毎週のように競馬場へ通っていた。
勝てば新宿の量販店でファミコンのソフトを買い、居酒屋で宴会をしていた。
もちろん負けることもあるので、その時は競馬場で解散していた。
バイトやギャンブルで稼げるようになり、貯金も200万円を超えた。
なので、3回生からは学校の近く、下井草のアパートに引っ越した。
その頃には、ゲームソフトも50本を超えていた。
学校から近いことと、大量のゲームソフトのおかげで、俺のアパートはゲームセンターと化し、みんなの溜まり場になってしまった。
来る時は、酒とつまみを必須とした。
そのおかげで、食費はほとんどかからなくなったが、彼女を呼ぶこともできなくなった。
さらには、俺が留守の時には、ポストに鍵を入れておくようにまでなってしまった。
その頃までは、飲食と芸能関係の仕事を掛け持ちしていた。
そんなある時、エキストラや舞台役者に欠員が出て、「やってみないか」と声をかけられた。
面白そうなのでやってみると、意外にもだんだんとハマっていった。
いつしか大学の演劇サークルの手伝いや、オーディションも受けるようになっていた。
第三章 家業
東京の大学に行くのが決まった時親父から
「なあ一輝、お前ほんまにやりたいことがあれ
ば別に後つがんでええで!」と言われていた
そして4回生になり同期がほとんど就職先を決めているなか
俺は悩んでいた。
この時、俺には3つの選択肢ができていた。
大阪に帰って家業を継ぐ。
今のバイト先である芸能関係の仕事に就く。
そこの社長は俺を見込んでくれていて、初任給は当時としても破格の30万円を提示してくれていた。
そしてもう一つ。
どうなるかわからない、「役者」への道。
普通なら、芸能関係の仕事に就いて、プロデューサーになる道を選ぶべきなのかもしれない。
口がうまく、気が利いて、よく働く。
そんなところを社長にも買われていて、強く推してもらっていた。
しかし前髪が白くなるほど悩んだ。
卒業前
悩みを振り切る為
オーストラリアへ
バックパッカーの一人旅に出た。
砂漠の中のエアーズロックという
世界最大の一枚岩に登って
360度地平線という景色を見た時
いろいろ悩んでいる自分がちっぽけに思えた。
朝から晩まで仕事して俺たちを大学まで行かせてくれた両親に恩返しをしよう。
俺は長男だ!
家には店がある。
その頃には店も大きくなり
従業員も20人は超えていた。
父親は、
「お前が帰ってきてくれたら助かる」
と言った。
その一言で、俺は大阪へ戻った。
家業を継いだ。
忙しかった。
だが、店は繁盛した。
金も入った。
車も買った。
服も買った。
酒も飲んだ。
女の子とも遊んだ。
店も大きくなり
2号店 3号店 温泉旅館も出した。
宴会 仕出し弁当 も受けるようになり
従業員も更に増えた。
順風満帆だった。
第四章 優花
そんなとき、一人の女性に出会った。
初めは彼氏であろう人とちょくちょく来てくれていたお客さんだった。
しかしばらくすると女性2人でくるようになった。
そんなある日もう一人の女性が
「若大将、実はこの子、あんたのファンやねん」
「もう何言うのん」
と彼女が遮った
「ええやん、ずっと言うてたやん、
優しいし仕事はようするし、料理も美味しいし
理想のタイプって言うてたやん」
「ははっ、からかわんとってください、
こんな美人さんで彼氏もいてはるのに。」
「もうそんなんいてないし」
と彼女が言った。
実は俺自身も前から気になっていたのだ。
名前は 優花 ゆうか
ピアノの先生で空き時間には楽器店でデモ演奏をしているらしい。
これはチャンスとばかりに早速デートの約束を交わした。
それまで付き合った女性とは違った。
美人ではあるが派手ではない。
話をする時は相手の目をちゃんと見る。
笑う時は、少し目を細める
その笑顔がとてもチャーミングだった。
一緒にいると落ち着いた。
笑顔を見ると、なぜか胸の奥が温かくなった。
ある日彼女がつぶやいた
「一輝さん結婚したら奥さん店に出て欲しい?」
「まあ自分のしたいことがあるならしかたない
けど、そりゃやっぱり手伝って欲しいよなぁ、
店も増やしたいし」
「俺も迷ったけど、長男やし結局大阪に帰って
来たからなぁ。」
「ふーん長男って大変やね!」
「あと、占いで、わたし来年結婚したら幸せに
なれるねんて」
これは逆プロポーズ?
この人と結婚するのも悪くない。
彼女を幸せにしたい
そう思い早速いろいろと準備をしはじめた。
彼女の希望通り来年の2月に式を
挙げれるように、、、
親にも紹介して、
向こうの親にも挨拶にもいった。
どんどんあらゆることを決めていった。
彼女の望みをかなえていると
思いながら、、、
ところが、人生というものは不思議だ。
大切なものほど、手に入れたと思った瞬間に
雑に扱ってしまう。
俺は調子に乗った。
優花が自分から離れるはずがない。
そう思っていた。
電話を返さなかった。
約束を破った。
他の女性とも遊んだ。
そしてある日。
優花からの電話
「生理ないねん」
俺は笑った。
「またまた」
「ひょっとして子供ができたかも?」
「マジ?俺の子?」
沈黙が流れた
その言葉は別に彼女を疑うでもなんでも無く
驚きから咄嗟に出た言葉だった
「どういう事? 私を疑ってるん?
喜んでくれると思ったのに!」
その言葉を最後に、
彼女は電話にも出なくなった。
俺は追わなかった。
追わなくても、戻ってくると思っていた。
しかしなんの連絡も無かった。
いたたまれなくなり俺は手紙を書いた。
どうすれば自分の真意を伝えられるか何度も考え、書き直した。でも美辞麗句を並べたところでどう伝わるのか不安に思ってしまった。
そして結局もう一度自分のことを見つめて欲しいという思いから1枚の便箋に手書きで
「ごめん、いろいろ迷惑かけて
もう一度最初からやりなおそう!」
と書き自ら彼女の家に届けた
そしてしばらくして優花から電話があり二人で会うことになった。
待ち合わせの喫茶店に着くと彼女はもう来ていた。約束の時間より30分も早かった。
俺は出会った時のようにもう一度やり直せると思っていた。
俺が席に着くと優花はカバンから見覚えのある小箱を取り出した。
「これお返しします」
それは婚約指輪だった。
「えっどういう事?」
「なんか、見てるものが違うねん。
毎日、あなたから電話かかってくるのをどんな想いで待っていたかわかる?
毎週いろんなところに連れていってくれたりしてたけど。別に高級なとこじゃなくても二人でゆっくり話ができるところでいいねん。
結婚しても今の仕事続けても良いとか、
複数店舗あるから別々に商売するとか、
そんなんやないねん。
小さくてもわたしは女将さんとか言われて
一緒にお店やりたいねん。」
といろいろと自分の想いを打ち明けてくれた。
その頃は携帯も無い時代だった。
週に一度の逢瀬は離れて暮らして、
忙しい二人には時間が足りなかった。
そうか12時前まで、俺が仕事終わるまで毎日ずっと待っててくれたんか?
こんないい女に惚れられてるって有頂天になってたんか?
自分の想いばかりで相手の想いを受け止めてやれなかったんか?
などと考えが巡り
「今日会いに行くっておばあちゃんにいうたら
絶対後悔するからやめときって言われた。」
と彼女が言った
その頃には
涙をこらえる事しかできなかった。
「じゃこれで帰ります」
「送るよ」
「いいえ、大丈夫。お母さんにも話しが済んだらタクシーで帰るように言われているの」
はっきりとした口調だった。
次の日めったに二日酔いにならない俺が、二日酔いだった。
優花を失った後、俺はしばらく誰とも付き合う気がしなかった。
なぜあの時もっと強く詫びなかったのか?
まだ間に合うのか? いろいろ考えが巡るが
日々の生活の忙しさに追われ半年が過ぎた。
そんなある日、優花と来ていた奈津美さんが
一人で店に訪れた。
「ねえ知ってる?優花結婚したよ!」
「えっ?」
俺と別れてまだ半年?そういえば占いで今年中に結婚すれば幸せになれるって言うてたけど!
俺は未練タラタラなのに割り切りが早いな。
と思った。
「なぁなんで別れたん?お似合いやったのに!
あの子もあんたの事めっちゃ好きやったのに
結婚するいうからあんたとすると思ったら、全然知らん人やからビックリしたわ!
何があったん?」
「全部俺が悪いねん、あの子を責めんとって!」
「浮気でもしたん?」
「それは無い!あの子にいろいろ背負わせてしまったんやろな、
「マリッジブルーになったのを
俺が受け止めてやれなかったからや」
「まあええわ、済んだ事やし、
あんまり落ち込まんと、あんたもサッサと新しい彼女見つけや、ウチもアンタのファンやし」
そんな事を言いながら1時間くらいで帰っていった。
その時あの言葉が頭によぎった
「一番望むものは手に入らない。
欲しい物を求めるならそれ相応の努力、
対価を払ってもらう。」
俺は優花に対して
本当に努力していたのだろうか?
第五章 家族
あれから一年
俺は一人の女性と出会った。
はっきりいって
別にタイプでもなんでもなかった
しかし彼女は優しかった。
傷ついていた俺を支えてくれた。
やがて彼女のマンションに転がり込むように
同棲が始まった。
そこには俺の求める全てがあった。
彼女はまるでしもべのように
俺の世話をしてくれた。
温かい食事、風呂に入れば全身を洗ってくれ、
綺麗に拭き上げてくれた。
ある日彼女は俺の頭を抱えながらこう言った
「わたしの名前
縫子 ぬいこ
変わってるやろ?
初めて会った時
あんた、なんかぼろぼろやった。
つなぎ合わせてあげたいと
思ってん!
あんたのことが大好き、
たとえお店が潰れてもわたしがあんたの
面倒見てあげる」
嬉しい反面 なぜか怖かった。
彼女は看護師だった。
やがて結婚した。
長女が生まれた。
店に入っても子供の面倒を見てくれる者がいない。病院なら保育園がついているという理由で嫁さんは看護師をしながら子育てをすることになった。
その次に長男。
そして次女。
三人の子供。
立て続けに子供ができたから結局ずっと看護師を続けることになった。
店も順調だった。
俺は忙しく働いた。
子供たちには、自分と同じ思いをさせたくなかった。
食べ物に困らせたくない。
欲しいものはできるだけ買ってやりたい。
旅行にも連れて行きたい。
子供たちが笑っていることが、俺にとって幸せだった。
だが、その幸せは永遠ではなかった。
ある日。
この頃あいつ誰に似てるんやろな?
弟まで「あの声お前と似とらんな」とか言うし
長男の背格好について妻と話していた。
何気ない会話だった。
ところが、どう考えても辻褄が合わない。
最初は気にしなかった。
しかし疑い始めると止まらなかった。
調べた。
そして知った。
長男は、自分の子ではなかった。
その事実を知った瞬間、声が出なかった。
怒り。
悲しみ。
裏切られた感覚。
それらが全部入り混じった。
だが、もっと強かったのは、
「それでも俺の息子や」
という感情だった。
血がつながっていない。
だから何だ。
自分が抱き上げた。
自分が育てた。
自分の背中を見て育った。
ならば息子だ。
俺はそう思った。
しかし、その出来事を境に夫婦関係は壊れていった。
家族は形だけになった。
バブルが弾け売り上げも
下降線をたどっていた矢先
親父が病気で入院末期癌だった。
2ヶ月後親父は亡くなった。あっけなかった。
じいちゃんの葬式の時、弔問客が1000人を超えた。
樒や花も収まりきらないほどだった。
その時、親父は俺に言った
「弔問客っていうのは亡くなった人の力もあるけど、
結局は喪主や残ったもんの力や!俺の時もこれくらい頼むぞ!」
時代のせいもあるかわからないが
親父の葬式はじいちゃんの3分の1くらいだった。
親父の力を感じさせられた!
借金があった、姉弟とも経営方針の違いで袂を分つことになった。
旅館 3号店の売却整理
そして1、2号店の統合で俺が継ぐという形で収まった。
それでも俺は店を守った。
守って、守って、守り続けた。
ところが、その店を最後に壊したのは、
自分の力ではどうにもならないものだった。
第六章 最大の敵
新型コロナウイルス。
最初は
「まあ、すぐに収まるやろ」
誰もがそう思っていた。
しかし
宴会が消えた
客が来ない。
売上が落ちる。
借金が増える。
従業員を守る。
家賃を払う。
税金を払う。
仕入れ代を払う。
光熱費
毎月金が出ていく
最後まで粘った。
誰もいない店内に一人座っていた。
使われなくなった鍋
冷蔵庫 冷凍庫には余った食材
厨房には親父から受け継がれ
そして一輝が考えた
数々のレシピが記録された
一冊のノート
それは一輝がまとめ上げたものだった。
店内には誰もいない。
以前は全席お客さんで埋まっていた。
笑い声 注文の声 食器の音
いまは何も聞こえない。
「親父ごめんな。もう俺よう頑張らん!
店や家売ってまでよう続けん。
子供にひもじい想いをさせんために
ここで幕引きするわ。」
涙があふれた。
一月後
五十五年続いた名店が幕を閉じた。
店のシャッターを下ろした。
長男として生まれ。
長男として家業を継ぎ。
長男として家を守ろうとした。
そして、その家業を自分の代で終わらせた。
俺は一人、閉店した店の前に立った。
「親父……すまんな、
結局あなたをよう超えんかったわ!」
一番望むものは手に入らない
「お前は俺から家族も店も奪うんか?」
夢に出てきた男に向かって
心の中で叫んだ!
第七章 東京
俺は店を貸し
家族の食いぶちを残しつつ東京へ出た。
大学時代の友人が、
「こっちで働けばいい」
と言ってくれた。
単身赴任。
家族を残しての生活。
ホテルのような小さな部屋。
コンビニ弁当。
一人の食事。
仕事が終われば、誰もいない部屋へ帰る。
大阪にいた頃は、家に帰れば誰かがいた。
東京では、鍵を開ける音だけがする。
俺は何を守り、何を失い
そして何がしたかったんだろう?
ある夜、大学時代の友人から誘われた。
「たまには飲みに行こう」
二人はクラブへ行った。
酒、笑い声、光、音楽、若い女性
懐かしく少し場違いなような気もした。
「もう俺、こういうとこ卒業したで」
「ウソつけお前が卒業するわけ無いじゃん!」
永淵が学生時代のノリで笑った。
その時俺たちのテーブルに
若い女性が座った。
年齢差は、親子どころではない。
最初は単純に驚いた。
なぜなら、彼女の顔が優花に似ていたからだ。
目元。
笑い方。
首を少しかしげる癖。
そして名前。
「こんばんは、優花です、初めてですよね?」
その瞬間、俺の心臓が一度、大きく鳴った。
同じ名前。
偶然だ。
そう思った。
ただの偶然。
彼女は若かった。
俺はもう若くない。
それなのに、話していると不思議なほど気が合った。
何度か店へ通うようになった。
やがて二人で会うようになった。
彼女は俺の話を聞いた。
昔の恋愛のこと
家業のこと。
子供のこと。
失敗した結婚のこと。
彼女は笑わなかった。
否定もしなかった。
ただ、
「ずっと頑張ってきたんだね」
と言った。
その言葉が、俺の胸に刺さった。
ずっと誰かに言ってほしかった言葉だった。
俺は次第に考えるようになった。
人生をやり直せるのではないか。
普通なら恋愛対象になるはずのない相手だった。
だが俺の心の中で
もう一度、誰かを好きになってもいいのではないか。
という強い炎が燃え上がり始めた。
家族を捨てることになる。
子供たちを傷つける。
分かっている。
それでも。
俺は、優花と一緒にいる未来を夢見るよう
になった。
第八章 告白
ある夜。
優花が、自分の過去を話した。
「私ね、昔から結構年上の人が好みなの、
話してても落ち着くの」
「そうなん?」
「初めて会った時覚えてる?
なんか初めてじゃ無いような気がしたの!」
心の中で嬉しいような安堵したような気がした
俺は黙って聞いていた。
「でもお父さんとは
最近うまくいかなくて、、、」
「お母さん、昔すごく好きな人がいたんだって」
「へえ」
「でも、その人とは結婚できなかった」
俺は笑った。
「そんなこと、よくある話やろ」
「うん。でもね……」
優花がグラスを置いた。
「その人のこと、
忘れられなかったみたい」
俺の胸がざわついた。
「その人の名前、知ってるん?」
優花は答えた。
「うん」
少し間を置いてから、
「あなたと同じ名前」
俺の手が止まった。
「……俺と?」
「そう、一輝」
優花は笑った。
「変な偶然だよね」
俺は笑えなかった。
「お母さんの名前は?」
優花が答えた。
その名前を聞いた瞬間。
俺の世界から音が消えた。
優花 ゆうか
昔の恋人。
あの日、自分が手放した女性。
その優花だった。
「なんでお母さんの名前を?」
「可愛いでしょ?わたしこの名前好きなの、
本名は 真理
「……まさか その名は俺が娘ができたら
つけようと言ってた名前だった。」
俺は立ち上がった。
「お母さんの昔の写真、持ってる?見せてもらえるか」
「いいよ、ハイこれ」
優花(真理)はスマートフォンを取り出した。
一枚の写真。
若い女性。
笑っている。
間違いない。
優花だった。
俺は椅子に座り直した。
「どうしたの?」
優花(真理)が心配そうに聞く。
俺は答えられなかった。
ただ、昔の恋人の顔と、目の前にいる女性の顔を見比べていた。
似ている。
似ているどころではない。
娘だ。
そのとき、優花(真理)が言った。
「その人との間に……私が生まれたんだって。」
時間が止まった。
「子どもができたかも?」あの言葉がよみがえった。
「……え?」
優花(真理)は続けた。
「でも、その人は私が生まれる前に、お母さんの前からいなくなったらしいの」
「お母さんはシングルマザーで私を育てるつもりだったんだけど、お父さんが熱烈にアタックしてきて結局、結婚したんだって。」
俺は何も言えなかった。
やがて、震える声で聞いた。
「真理さんの本当のお父さんはどこに?」
「知らない」
「知らない?」
「お母さんは教えてくれなかったの」
俺の胸に、嫌な予感が走った。
そして彼女は笑った。
「でもね、お母さんが一度だけ言ったことがある」
「……何を?」
「私のお父さんは、きっと元気にしてるって」
その時会話に違和感を感じた何故 過去形?
「ところでお母さんはどうしてるの?」
「三年前に死んじゃった、病気で、だから東京に来たの。
そしてお母さんと一緒にいたくて
だからお店では 優花」
俺は立ち上がった。
そして店を出た。
涙があふれた。
「あの時、結婚すれば幸せになれるんじゃなかったのかよ!
何故ちゃんと俺に言ってくれなかったんだ!」
心の中で叫んだ!
夜の東京。
人の波。
ネオン。
車の音。
すべてが遠く感じた。
俺はその夜、一睡もできなかった。
第九章 血
翌日。
俺は永淵に電話をかけた。
妻には言えなかった。
子供たちにも言えない。
「おまえ、、、それ、本当?」
「分からん」
「DNA検査は?」
俺は答えなかった。
怖かった。
もし本当なら。
自分が今まで恋愛感情を抱いていた女性は。
かつて愛した女の娘だった。
それだけではない。
自分が父親なのかもしれない。
だとすれば。
自分が血がつながっていると思っていた長男。
そして、自分の本当の娘かもしれない女性。
人生がすべて逆さまになる。
数週間後。
結果が出た。
真理は俺の実の娘だった。
俺は結果を見つめた。
笑いもできない。
泣くこともできない。
ただ、
「そうか……」
と呟いた。
真理には真実を話した。
彼女は長い間、何も言わなかった。
そして最後に、
「じゃあ……あなたがお父さんなの?」
と聞いた。
俺は頷いた。
真理は泣いた。
俺も泣いた。
二人は抱き合った。
恋人としてではない。
父と娘として。
第十章 夢
その夜。
俺は久しぶりに、あの夢を見た。
暗闇。
あの男が立っている。
「久しぶりだな」
俺は怒った。
「お前は誰なんだ」
男は答えない。
「俺に約束したよな」
「ああ」
「努力すれば、望みを叶えるって」
「ああ」
「俺は、何度も努力した」
「知っている」
「家業も頑張った」
「知っている」
「家族も守ろうとした」
「知っている」
「それなのに、全部失った」
男は静かに言った。
「失ったのではない」
「じゃあ何だ」
「手放したものもある」
俺は黙った。
男は続けた。
「お前が一番欲しかったものは何だ?」
俺は答えた。
「愛されることだ」
「違う」
「家族だ」
「違う」
「金か?」
男は首を振った。
「違う」
そして男は笑った。
「お前が本当に欲しかったのは」
一歩近づいた。
「自分の人生を、最後に肯定してもらうことだ」
俺は何も言えなかった。
「良い人生だったな」
「そう言ってもらいたかったんだろう」
男の声が遠くなっていく。
「だから言った」
「一番望むものは、叶えてやれないかもしれないと」
「なぜだ……」
「それは、お前自身が決めることだからだ」
目を覚ますと、朝だった。
俺は布団の中でしばらく天井を見つめた。
そして笑った。
「そういうことか……」
第十一章 やり直し
俺は大阪へ帰った。
妻にすべてを話した。
妻の話も聞いた、長男の父親の事
長女が生まれて看護師として病院に勤めていた時、
たまたま元カレがけがで入院して来た。
その頃俺は店も忙しく満足に妻をかまってやれなかった。
寂しさと懐かしさからつい関係を持ってしまった。
たった一度のことだった。
まさか妊娠しているとは思わず。
俺の子供だと思い出産したらしい。
妻はただ泣いていた。
俺は何も言わなかった。
妻は俺への申し訳なさにいたたまれず。
次女が20になった折に離婚した。
だが、家族との縁まで切ったわけではなかった。
「血はつながってない」
長男は黙っていた。
「でも、お前は俺の息子や」
長男はしばらく黙っていた。
そして、
「俺も、そう思ってる」
と言った。
俺は泣いた。
長女も次女も、最初は怒った。
だが、時間をかけて少しずつ関係を取り戻した。
そして真理
実の娘であることを知った真理は、俺を父親として受け入れた。
最初はぎこちなかった。
「お父さん」
その一言を聞くたび、俺は胸が痛くなった。
自分が父親として生きるはずだった時間を、
失ってしまったことを思い知らされる。
優花の話も
彼女は俺に指輪を返したその日も次の日もまたその次の日
ひと月ふた月み月とずーっと俺からの電話を
または突然現れてくれることを待っていたそうだ。
でもいくら待っても何もおこらない。
だからやっぱり、最初からやり直そうが
なかったことにしようだったんだって思ったみたい。
俺は愕然とした。なんて馬鹿なんだ!
指輪を返された事で完全にフラれたと思った俺は
その日も酔い潰れ、次の日もまた次の日も毎日飲み歩いていた。
フラれたやつがひつこく電話するのも男らしくないと思い。
何のアプローチもしなかった!
だから消えた事になってたのか?
俺にもう少し勇気があったら!
彼女の夫は優香が既に妊娠している事も知っていて、
優花もシングルマザーを覚悟していたらしいが、
それにも関わらず、全力で優花を
愛してくれていた様だった、それゆえ結婚を早めたのだろう。
真理の事も最初は溺愛してくれていたらしい。
それでも真理に妹が出来た時にはどうしても、、、
実の娘の方が可愛くなったらしい。
それもしかたのないことかも!
俺の場合は全員俺の子供だと思うから愛情が注げた部分もあるが
今となっては複雑な部分もある、、、
俺は、娘との時間を取り戻そうとした。
最初は母親を捨てた悪いやつと思ったらしいが
俺の話も聞いて
「やっぱりね、お母さんああ見えて早とちりで
頑固なところがあるもん」
「お母さんが好きになって、
私も好きになった人がそんなに悪い人のはず無いもん」
涙が込み上げてきた。
「ごめんな、おまえたちには本当に迷惑をかけた」
「もういいの、これからはお母さんの分も私を大事にして」
一緒に食事をした。
買い物をした。
彼女の話を聞いた。
仕事の相談にも乗った。
恋愛の話も聞いた。
「お父さん、昔からそんなに女の人にモテたの?」
真理が笑う。
「まあな」
「調子乗ってそう」
「……乗ってた」
二人で笑った。
俺は初めて気づいた。
幸せというものは、若い頃に思っていたようなものではない。
女を追いかけることでも。
金を稼ぐことでも。
店を大きくすることでもない。
失ったものを数えるより。
残っているものを大切にすること。
それだけなのかもしれない。
最終章 いいじいさんだったなぁ
歳月が流れた。
俺は70歳になろうとしていた。
約束の年齢だ。
いろいろあったが店も家も残すことができた。
子供たちにはそれぞれ家庭ができた。
人並みな事もしてあげることもできた。
孫も増えた。
俺は孫たちを可愛がった。
しかし、甘やかすだけではなかった。
悪いことをすれば叱った。
泣けば抱きしめた。
腹が減ったと言えば飯を食わせた。
祖父母 両親から受け継いだものを、
今度は自分が孫たちへ渡していった。
ある冬の日。
孫たちが集まった。
食卓には料理が並んでいた。
「じいちゃん、これ食べていい?」
「食え食え。いっぱい食え」
「また太るって!」
「じいちゃんも昔はデブやったんや」
孫たちが笑う。
俺も笑った。
ふと、窓の外を見た。
雪が降っていた。
その瞬間、幼い頃の自分を思い出した。
祖母の家。
味噌汁の匂い。
忙しく働く父と母。
学校で浴びせられた言葉。
一人で泣いた夜。
自分に降りかかる幸 不幸は全部自分のせい
幸せは努力の証 不幸は防げない努力不足
あの夢 あの男
「努力すれば、望みを叶えてやる」
俺は心の中でつぶやいた
「俺は、ちゃんと努力したのかな?」
すると、孫の一人が彼の袖を引っ張った。
「じいちゃん」
「ん?」
「また明日も来ていい?」
俺は笑った。
「もちろんや」
「じゃあ、また
孫たちは帰っていった。
静かになった部屋。
椅子に座わり考えた。
長い人生だった。
間違いだらけだった。
人を傷つけた。
人に傷つけられた。
愛する人を失った。
家業も失った。
家族も一度は壊した。
それでも。
最後まで残ったものがあった。
血のつながらない息子。
三人の子供。
そして孫たち。
目を閉じた。
すると、またあの声が聞こえた。
「どうだった?」
俺は笑った。
「最高とは言えんな」
「そうか」
「でも……」
少し考えた。
「悪くはなかった」
男が笑った。
「そうか」
「なあ」
「結局、俺の一番の望みは叶ったのか?」
しばらく沈黙があった。
そして男は答えた。
「それは、お前が死んだ後に分かる」
俺は笑った。
「ずるいな」
目を開ける。
そこには誰もいない。
数日後。
俺は眠るように亡くなった。
葬儀の日。
家族も。
昔の友人も。
かつての仕事仲間も。
多くの人が集まった。
長男が泣いていた。
長女も泣いていた。
次女も泣いていた。
実の娘、真理は棺の前で静かに涙を流していた。
孫たちは、まだ死というものがよく分かっていない。
一人の孫が、母親に聞いた。
「じいちゃん、もう帰ってこないの?」
母親は答えられなかった。
すると別の孫が言った。
「でも、じいちゃん、いっぱいご飯食べさせてくれたよね」
「うん」
「いつも怒ってたけど」
「うん」
「でも、優しかった」
誰かが泣きながら笑った。
そして、棺の横にいた長男が呟いた。
「……いいじいさんだったな」
その言葉が、静かな部屋に響いた。
誰も否定しなかった。
長女が頷いた。
次女も頷いた。
真理も涙を拭きながら頷いた。
「うん」
「いいじいさんだった」
その瞬間。
少年だった頃に見た、あの暗闇の中の男が現れた。
男は笑っていた。
「約束は果たされたな」
俺は答えた。
「そうだな」
「一番望んだものは、叶えられなかったか?」
俺は首を振った。
「違う」
「ん?」
「俺が欲しかったのは、若い頃に思ってたものじゃなかった」
男は黙って聞いている。
「金でもない」
「女でもない」
「成功でもない」
「最後に、誰か一人でもいいから」
「俺の人生を、悪くなかったと思ってくれることだったんだ」
男は頷いた。
「では、帰ろう」
「どこへ?」
「お前がずっと帰りたかった場所へ」
俺は歩き出した。
暗闇の先に、明るい光が見えていた。
そこには。
若い頃の父と母。
祖父母。
そして。
あの日、自分から手放してしまった女性が立っ
ていた。
優花が笑っている。
若い頃のままの笑顔で。
俺は立ち止まった。
「……遅かったね」
優花が言った。
俺は笑った。
「遅すぎたかもしれません! 悪かった」
「もういいって、真理も許してくれたんやろ」
「待たせたな」
「待たせすぎ!」
二人は歩き出した。
長い長い人生を終えて。
ようやく。
俺は帰っていった。
そして地上では。
誰かがまた、俺のことを話していた。
「あの人なあ……」
「いろいろあったけどな」
「でも……」
少し笑って。
「いいじいさんだったなぁ」
その言葉だけが。
俺が一生かけて探していた答えだった
次章 未来へ
「おーい 一希 かずき 時間やで早よ学校行きや!」
縫子の呼ぶ声が聞こえる。
「お父さんに似ておっとりしてるわ。
長男やねんからもっとしっかりしいや
じいちゃん生きとったらもっとうるさいで!」
「わかってるって、いまでるとこやし」
一希が学校に駆け出した。
「あんたらもオープンの準備できてるん?」
縫子が続ける
「ちゃんと準備できてます。自分が一番どんくさい
くせによういうなぁ。」大輝が言う
「すみませんお義母さん、暖簾出してくれます?」
「ホンマにこの子は年寄りこき使うなぁ」
そこには
割烹
大輝
かっぽうたいき
の名前がしっかりとした筆文字で書かれている。
この店には一冊ノートの中に
一久 一輝 大輝の想い
と共に数々のレシピが託されている。




