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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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可愛げがないと言われた女騎士団長は、無自覚わんこ副団長に溺愛される。

掲載日:2026/09/06

 俺が王国騎士団の門を初めてくぐったのは、十八歳の春だった。


 王都の中心部に建つ王城。


 その西側に広がる広大な敷地が、俺たち王国騎士団の拠点だ。


 白い石造りの建物に、王国の紋章を掲げた旗。


 朝になれば訓練場から剣戟の音が響き、夕方になれば任務を終えた騎士たちが疲れた顔で戻ってくる。


 俺にとっては、ずっと憧れていた場所だった。


「おい、レオン! ぼさっとしてると置いてくぞ!」


「待てって!」


 同期の声に、俺は慌てて走り出す。


 当時の俺は、まだ正式な騎士ですらなかった。


 身につけているのは、見習い騎士用の簡素な制服。


 正騎士が着るものよりも装飾は少なく、胸元にあるのも王国騎士団の正式な徽章ではなく、見習いであることを示す小さな紋章だけ。


 支給されたばかりの革靴はまだ硬く、走るたびに踵が痛かった。


 腰に下げている剣だって、正騎士が使うものより一回り軽い訓練用だ。


 それでも。


 剣を腰に下げているだけで、俺は少しだけ誇らしかった。


「今日の午前は雑用、その後は基礎鍛錬だってよ」


「雑用って何?」


「知らねえよ。倉庫整理じゃないか?」


「またかよ……」


 同期たちが口々に愚痴をこぼす。


 俺は笑った。


「いいじゃん。騎士になるためなら、皿洗いだってやるぞ」


「お前は前向きだなあ」


「だって、騎士団だぜ?」


 それだけで十分だった。


 俺は田舎の小さな町で育った。


 父親は鍛冶屋。


 母親は仕立屋。


 貴族のような家柄でもなければ、剣の名門でもない。


 子供の頃から剣術を習っていたわけでもない。


 ただ、幼い頃に見た騎士の姿が忘れられなかった。


 街道を荒らしていた盗賊から村人を守った、たった数人の騎士。


 血と泥にまみれながらも、最後まで村人の前に立っていた。


 あの日、俺は決めた。


 俺もあんな騎士になりたい。


 だから王都に来た。


 そして――。


「レオン! 手が止まっているぞ!」


「はいっ!」


 倉庫の奥から飛んできた怒声に、俺は慌てて木箱を持ち上げた。


 騎士への道は、思っていたよりずっと地味だった。


 剣を振るより先に、倉庫の掃除。


 魔物と戦うより先に、備品の整理。


 格好いい騎士になる前に、泥だらけの床を磨く。


 それでも俺は楽しかった。


 自分が憧れた場所にいる。


 それだけで十分だった。


     ◇


 俺がナターシャ団長の存在を初めて知ったのは、騎士団に入って三か月ほど経った頃だった。


「おい、今日の午後、団長が訓練場に来るらしいぞ」


「本当か?」


「第三騎士団のナターシャ団長だってよ」


「見たことないんだよな」


「俺は一度だけある。めちゃくちゃ綺麗だった」


「でも怖いんだろ?」


「そりゃそうだろ。あの人、訓練で手を抜いた奴を一度も見逃したことがないらしい」


 食堂で昼飯を食べながら、同期たちがそんな話をしていた。


 俺はスプーンを止めた。


「そんなに凄い人なのか?」


「おいおい、知らないのか?」


「俺、まだ見習いだぞ?」


「いや、見習いでも名前くらい聞くだろ」


 そう言われても仕方ない。


 俺は入団してから、毎日訓練と雑用で精一杯だった。


 それに、正騎士の名前なんてほとんど覚えていない。


「でも、団長って女の人なんだろ?」


「ああ」


「珍しいな」


「しかも若いらしい」


「へえ」


 その程度だった。


 このときの俺にとって、ナターシャという女性は、まだ『噂の騎士団長』でしかなかった。


 ――その日の午後までは。


     ◇


 訓練場には、いつもより多くの騎士が集まっていた。


 夏の始まりを感じさせる強い日差し。


 乾いた土の匂い。


 遠くでは木剣を打ち合わせる音が響いている。


 俺たち見習い騎士は訓練場の端に並び、正騎士たちの模擬戦を見学していた。


「来たぞ」


 誰かが呟いた。


 訓練場の入口へ視線が集まる。


 俺も何気なくそちらを見る。


 そして。


 一瞬、息をするのを忘れた。


 長身の女性が歩いてくる。


 白銀の髪を後ろで束ね、黒に近い濃紺の騎士服を身にまとっている。


 肩には王国騎士団の紋章が刻まれた外套。


 腰には細身のレイピア。


 歩き方に無駄がない。


 背筋は真っ直ぐ。


 その姿だけで、周囲の空気が変わった。


「……あれが、ナターシャ団長」


 誰かが呟く。


 俺も無意識に頷いていた。


 綺麗だった。


 もちろん、それだけじゃない。


 何というか――。


 格好いい。


 男の俺がそう思うほどに。


 やがて模擬戦が始まった。


 相手は大柄な正騎士。


 対するナターシャ団長は、細身の身体に一本のレイピア。


 普通なら力負けする。


 誰もがそう思ったはずだ。


 ところが。


「始め!」


 合図と同時に、団長の姿が消えたように見えた。


 一歩。


 二歩。


 踏み込んだと思った瞬間には、もう相手の側面にいる。


 大剣が振り下ろされる。


 団長はそれを紙一重でかわした。


 白銀の髪が大きく舞う。


 レイピアが閃く。


 甲高い金属音が響いた。


 次の瞬間。


 大柄な騎士の手から、大剣が弾き飛ばされていた。


「…………」


 訓練場が静まり返る。


 あまりにも鮮やかだった。


 まるで剣術というより、舞を見ているようだった。


「すげえ……」


 思わず声が漏れた。


 隣にいた同期が笑う。


「どうだ? 噂通りだろ?」


「ああ」


 俺は頷いた。


 視線が団長から離れない。


 そのとき。


 ナターシャ団長がこちらを見た。


 一瞬、目が合った。


「……っ」


 なぜだろう。


 胸が妙に騒いだ。


 慌てて目を逸らす。


 ただ目が合っただけなのに。


 顔が熱い。


「レオン?」


「な、なんでもない!」


 同期に肩を叩かれ、俺は誤魔化すように笑った。


 このときの俺は、まだ何も分かっていなかった。


 ただ――。


 格好いい人だと思った。


 強くて、綺麗で。


 俺が目指す『騎士』そのものみたいな人。


 それだけだった。


 少なくとも、その頃の俺はそう思っていた。


     ◇


 半年が経った。


 俺は相変わらず失敗していた。


「レオン! そこは剣を振り切るな!」


「はい!」


「返事だけはいいな!」


「ありがとうございます!」


「褒めていない!」


「……はい!」


 同期たちは腹を抱えて笑った。


 俺は悔しくて唇を尖らせる。


 でも。


 翌朝には、また訓練場にいた。


 誰より早く。


 まだ朝霧が残っている時間から、木剣を握った。


 手には豆。


 足には擦り傷。


 何度やっても上手くいかない。


 それでも、やめなかった。


 ある日の朝。


 俺が一人で木剣を振っていると、背後から声がした。


「……お前は、本当に要領が悪いな」


「うわっ!」


 驚いて振り返る。


 そこにいたのは、ナターシャ団長だった。


「だ、団長!?」


「朝から何を騒いでいる」


「すみません!」


「声が大きい」


「はい!」


「返事も大きい」


「……はい」


 団長はため息をついた。


 そして俺の木剣を見る。


「もう一度」


「え?」


「今の振り方をもう一度やれ」


「はい!」


 俺が剣を振る。


「遅い」


 もう一度。


「肩に力が入りすぎだ」


 もう一度。


「足が止まっている」


 さらにもう一度。


 腕が痛い。


 汗が滴る。


 それでも団長は離れなかった。


 最後に。


「……お前は、諦めるのも遅いな」


 ぽつりと、そう言った。


「それって……褒めてます?」


「好きに解釈しろ」


 団長は背を向けた。


 俺はその背中を見つめる。


 胸の奥が、じんわり熱くなった。


 あの日からだった。


 俺が、ただ『強くなりたい』と思うようになったのは。


 団長に追いつきたい。


 いつか、あの人の隣に立ちたい。


 そう思うようになった。


     ◇


 一年後。


 俺は初めて、団長との模擬戦で一撃を受け止めた。


 もちろん。


「ぐあっ!」


 次の瞬間には地面に転がっていた。


「痛ってぇ……!」


「大げさだ」


 団長は涼しい顔でレイピアを収める。


「ですが、今のは……!」


「一度だけだ」


「ですよね!」


「浮かれるな」


 けれど。


 団長は少しだけ目を細めた。


「……今のは悪くなかった」


「…………」


「どうした?」


「今、褒めました?」


「聞こえなかったのか?」


「聞きました!」


 俺は勢いよく立ち上がった。


「もう一回お願いします!」


「断る」


「なんでですか!?」


「調子に乗っているからだ」


「そんな!」


 団長は小さく息を吐いた。


 けれど、その口元は――。


 ほんのわずかに緩んでいた。


 俺は、それを見逃さなかった。


 そのとき初めて思った。


 あれ?


 団長って。


 もしかして――。


「……笑った?」


「何か言ったか?」


「いえ! 何でもありません!」


 その日から俺は、団長の表情をよく見るようになった。


 厳しい顔。


 呆れた顔。


 怒った顔。


 そして、ごくたまに見せる、小さな笑顔。


 その笑顔を見つけるたびに、なぜか嬉しくなった。


     ◇


 さらに一年。


 俺は正式な騎士になった。


 昇格試験の日。


 最後の模擬戦で、俺は完全に焦っていた。


 相手の剣が迫る。


 足が動かない。


 ――負ける。


 そう思った瞬間。


 頭の中に、あの日の団長の声が蘇った。


『剣だけを見るな』


『相手の足を見ろ』


 視線を落とす。


 相手の踏み込み。


 重心。


 次の一撃。


 見えた。


 俺は身体を捻り、紙一重でかわした。


 そして――。


 木剣を相手の喉元へ突きつける。


「勝者、レオン!」


 歓声が上がった。


 俺はその場に膝をつき、荒い息を吐く。


 嬉しかった。


 何より。


 観覧席にいたナターシャ団長が、こちらを見ていた。


 目が合う。


 団長は、ほんの少しだけ頷いた。


 それだけだった。


 でも。


 俺には、それで十分だった。


 正式な騎士になった日。


 俺はようやく、憧れの人の背中に一歩近づけた気がした。


     ◇


 そこから先は、毎日が嵐のようだった。


 商隊護衛。


 盗賊討伐。


 魔物の群れの討伐。


 王族の護衛。


 国境付近での調査。


 危険な任務も増えた。


 初めて実戦で人を斬った夜は、手が震えた。


 初めて仲間が怪我をしたときは、何もできなかった自分が悔しかった。


 魔物の群れに囲まれたときには、死ぬかと思った。


 それでも。


 ナターシャ団長は、いつも前にいた。


「レオン、右!」


「了解!」


 俺が右へ飛ぶ。


 団長のレイピアが魔物の喉元を貫く。


「下がれ!」


「団長こそ!」


 背後から迫る敵を、俺が斬り伏せる。


「……助かった」


「どういたしまして!」


「調子に乗るな」


「はい!」


 いつの間にか。


 俺たちは、言葉より先に動けるようになっていた。


 背中を預ける。


 互いに死角を補う。


 敵の動きを見れば、相手が次に何をするのか分かる。


 それは、長い年月をかけて積み重ねた信頼だった。


 ある討伐任務で、俺は魔物の攻撃から団長を庇った。


 爪が肩を掠める。


「レオン!」


「大丈夫です!」


「大丈夫なわけがない!」


「でも団長、無事ですよね?」


「……」


 団長が黙った。


 そして、珍しく怒った顔をした。


「お前は、自分の命を何だと思っている」


「え?」


「私を庇うために死ぬつもりだったのか」


「そんなつもりは――」


「なら、二度とするな」


 強い声だった。


 俺は少し驚いた。


「……はい」


 その夜。


 焚き火の前で、団長が俺の肩の傷を確認してくれた。


「痛むか」


「ちょっとだけ」


「嘘だな」


「……かなり痛いです」


「最初からそう言え」


 団長は包帯を巻く。


 その指先は驚くほど優しかった。


「団長」


「何だ」


「俺、強くなりましたよね」


「……ああ」


 少しの沈黙。


「以前のお前とは比べものにならない」


「へへ」


「ただし」


「はい?」


「強さとは、傷つかないことではない」


 団長は俺を見る。


「守りたいものがあるとき、恐怖を抱えたままでも前へ出られることだ」


 その言葉は、ずっと俺の胸に残った。


 強さとは、力じゃない。


 誰かを守りたいと思う心。


 怖くても逃げない覚悟。


 そして――。


 自分だけではなく、仲間を信じること。


 俺は少しずつ、それを知っていった。


     ◇


 さらに年月が流れた。


 俺はいつしか、騎士団内でも名前を知られるようになっていた。


 昔のように訓練で転ぶことも減った。


 倉庫整理で怒られることも、さすがに少なくなった。


 ただ。


「レオン。書類を逆さに持つな」


「え?」


「……お前は本当に変わらないな」


「いや、昔より成長してますよ!?」


「そこではない」


 同期たちは笑った。


 俺も笑った。


 ナターシャ団長も――ほんの少しだけ笑っていた。


 そんな日々の中で。


 ある日、団長に呼び出された。


「レオン」


「はい!」


「お前を副団長に推薦する」


「…………え?」


 俺は固まった。


「俺が?」


「ああ」


「副団長?」


「ああ」


「俺?」


「他に誰がいる」


「いやいやいや!」


 思わず椅子から立ち上がる。


「俺、昔は倉庫で怒られてましたよ!?」


「今も時々怒られている」


「そこは否定してください!」


 団長は呆れたように目を細めた。


 けれど。


 その瞳は、とても穏やかだった。


「お前はこの数年間、何度も私の背中を守った」


「……」


「部下からの信頼も厚い」


「……はい」


「任務での判断力もある」


「……」


「そして何より」


 団長は一度だけ言葉を止めた。


「お前は、仲間を見捨てない」


 胸の奥が熱くなる。


「それが、お前の一番の強さだ」


 俺は拳を握った。


 昔。


 俺は団長の背中を追いかけていた。


 いつか追いつきたい。


 いつか認めてもらいたい。


 そう思っていた。


 そして今。


 俺はようやく。


 彼女の隣に立つことを許された。


「……ありがとうございます」


「礼を言うのはまだ早い」


「え?」


「副団長になれば、今まで以上に忙しくなる」


 団長は淡々と言った。


「覚悟しておけ」


「はい!」


 俺は笑った。


「団長の隣なら、どこまででも走ります!」


「……お前は本当に騒がしいな」


 そう言いながら。


 団長の頬は、ほんの少しだけ赤かった。


     ◇


 そして。


 俺が副団長になってから、さらに時間が経った。


 俺たちの関係は変わらない。


 団長は厳しい。


 俺は騒がしい。


 団員たちは、そんな俺たちを見て笑う。


 いつしか俺は。


 ナターシャ団長の一番近くで働く男になっていた。


 けれど。


 俺自身は、それが当たり前だと思っていた。


 だから。


 あの日。


 団長が泣いている姿を見るまで。


 自分の気持ちに気づくことはなかった。


     ◇


 その日、俺は団長を探していた。


 夕方の王都。


 任務から戻った俺は、報告書を渡すために団長室へ向かった。


 だが。


 部屋に団長はいなかった。


「珍しいな」


 いつもなら仕事をしている時間だ。


 探しているうちに、城の裏手にある庭園へ出た。


 そして。


 見つけた。


 ベンチに座る団長。


 白銀の髪が風に揺れている。


 いつもなら真っ直ぐ伸びている背中が、今日は小さく丸まっていた。


「団長?」


 呼びかける。


 返事がない。


 近づく。


「……ナターシャ?」


 肩が震えた。


 俺は息を呑んだ。


 泣いていた。


 あのナターシャ団長が。


 誰よりも強く。


 誰よりも冷静で。


 誰にも弱みを見せなかった人が。


 静かに涙を流していた。


「……レオン」


「どうしたんですか」


「何でもない」


「何でもない人は、そんな顔しません」


「……」


 団長はしばらく黙っていた。


 そして。


「婚約者に……別れを告げられた」


「……」


「他に好きな女性がいるそうだ」


 胸が締め付けられた。


 けれど。


 俺が何も言えずにいると。


 団長は、震える声で呟いた。


「私は……可愛げがないそうだ」


「……は?」


「強すぎるから」


 ナターシャは俯いた。


「一緒にいても疲れる。もっと愛想がよくて、男を立てられる女性がいいと」


 俺は拳を握った。


 腹の底から、怒りが湧いた。


「……誰ですか」


「何?」


「誰がそんなこと言ったんですか」


「レオン」


「今すぐ連れてきてください」


「何をするつもりだ」


「説教します」


「やめろ」


「でも!」


「……もういい」


 団長が小さく笑った。


 悲しい笑いだった。


「私には、可愛げがないんだ」


 その瞬間。


 俺の中で何かが切れた。


「……そんなわけないでしょう」


「レオン?」


「団長は可愛いです」


「…………」


 沈黙。


 俺も固まった。


 何を言っているんだ、俺は。


 でも。


 一度口にしてしまったら、止まらなかった。


「可愛いですよ」


「……やめろ」


「嫌です」


「レオン」


「だって本当だから」


 団長が顔を上げる。


 涙で濡れた青い瞳。


 その顔を見た瞬間。


 胸が大きく鳴った。


 ――あ。


 俺。


 この人のこと。


「……好きなんだ」


 口から、無意識にこぼれていた。


「何?」


「…………」


 俺は自分で言った言葉に驚いた。


 今まで。


 ずっと。


 憧れだと思っていた。


 尊敬だと思っていた。


 信頼だと思っていた。


 でも。


 違った。


 もっとずっと前から。


 俺は。


 ナターシャ・ヴァレンティアという一人の女性に恋をしていた。


     ◇


 それから俺は、少しだけ変になった。


 いや。


 正確には。


 自分でも隠せなくなった。


「団長」


「何だ」


「今日も綺麗ですね」


「……急に何を言っている」


「本当のことです」


「仕事をしろ」


「はい!」


 翌日。


「団長」


「何だ」


「その髪型、似合ってます」


「……そうか」


 さらに翌日。


「団長」


「何だ」


「今日も可愛いです」


「…………」


 団長の耳が赤くなる。


 俺は思わず笑った。


「やっぱり照れてる!」


「黙れ!」


「すみません!」


 けれど。


 怒っているように見えて。


 団長は、どこか嬉しそうだった。


 それが分かるようになった。


 長い時間、一緒にいたから。


 眉の動き。


 目線。


 声の僅かな変化。


 ほんの少しの表情。


 俺には分かる。


 団長は。


 ずっと一人で頑張っていた。


 強くなければならない。


 団長なのだから。


 弱音を吐いてはいけない。


 泣いてはいけない。


 誰かに甘えてはいけない。


 そうやって。


 自分の心を氷で覆っていた。


 だから俺は。


 その氷を無理やり壊すのではなく。


 毎日少しずつ温めることにした。


「団長、お昼食べました?」


「まだだ」


「じゃあ一緒に食べましょう!」


「仕事がある」


「俺も手伝います!」


「……お前は本当に」


「はい!」


「……仕方ないな」


 ある日は。


「団長、疲れてません?」


「問題ない」


「顔に出てます」


「出ていない」


「出てます」


「出ていない」


「出てます!」


「……うるさい」


 そう言いながら。


 団長は俺の隣に座った。


 また別の日には。


「団長」


「何だ」


「今日は俺が書類を全部やります」


「無理だろう」


「できます!」


 三時間後。


「……レオン」


「はい」


「字が汚い」


「すみません!」


 団長は呆れながらも笑っていた。


 少しずつ。


 本当に少しずつ。


 団長の氷は溶けていった。


     ◇


 そして。


 決定的な事件が起きた。


 国境近くで、大規模な魔物の群れが確認された。


 俺たちは討伐隊として出撃した。


 戦場は激しかった。


 地面が揺れる。


 魔物の咆哮。


 剣戟。


 怒号。


 土煙。


 俺は仲間を守りながら前へ進んだ。


「レオン!」


 団長の声。


 振り向く。


 巨大な魔物が、団長へ襲いかかっていた。


「団長!」


 俺は走った。


 考えるより先に身体が動いた。


 剣を構える。


 衝撃。


 腕が痺れる。


 それでも踏ん張る。


「レオン、下がれ!」


「嫌です!」


「命令だ!」


「嫌です!」


 俺は笑った。


「俺、団長の副団長ですよ!」


「……!」


「団長の背中を守るのが、俺の仕事です!」


 魔物が咆哮する。


 俺は一歩踏み込む。


 剣を振る。


 団長も同時に動いた。


 左右から挟み込む。


 呼吸は完全に一致していた。


「今だ!」


「はい!」


 二人の剣が同時に閃いた。


 魔物が崩れ落ちる。


 静寂。


 俺は荒い息を吐きながら笑った。


「……勝ちましたね」


「ああ」


 団長が俺を見る。


 その目には。


 いつもの冷静さがなかった。


 代わりに。


 明らかな恐怖と安堵が浮かんでいた。


「……無事でよかった」


「え?」


 次の瞬間。


 団長が俺の胸元を掴んだ。


「もう二度と、私の前で無茶をするな」


「団長……?」


「お前まで失ったら……私は……」


 声が震えている。


 俺は何も言えなかった。


 団長が俺の胸に額を押しつける。


 白銀の髪が肩に触れる。


「……怖かった」


 その言葉を聞いた瞬間。


 俺はそっと彼女の背中に腕を回した。


「大丈夫です」


「……」


「俺はここにいます」


「……馬鹿」


「はい」


「本当に……馬鹿だ」


「知ってます」


 団長の身体が、ほんの少し震えた。


 そして。


 俺の胸元に顔を埋めたまま。


「……もう少しだけ」


「え?」


「このままでいさせてくれ」


「もちろんです」


 俺は笑った。


 ああ。


 この人を守りたい。


 剣だけじゃない。


 この人の心も。


 笑顔も。


 幸せも。


 全部。


     ◇


 王都に戻った夜。


 俺は団長を呼び出した。


「ナターシャ団長」


「何だ」


「俺、話したいことがあります」


「……分かった」


 静かな夜だった。


 月明かりが白銀の髪を照らしている。


 俺は深呼吸した。


「俺は、団長が好きです」


 団長の瞳が揺れる。


「ずっと尊敬していました」


「……」


「強くて、綺麗で、格好よくて。俺の憧れでした」


 一歩近づく。


「でも、それだけじゃなくなりました」


 もう一歩。


「笑ってほしいと思うようになった」


 さらに一歩。


「泣いてほしくないと思うようになった」


 目を逸らさずに言う。


「誰よりも近くにいたいと思うようになった」


 団長の唇が震える。


「……私は」


「はい」


「可愛くないぞ」


「知ってます」


「融通も利かない」


「知ってます」


「仕事ばかりしている」


「知ってます」


「料理も苦手だ」


「それは知らなかったです」


「……レオン」


「はい」


「そこで笑うな」


「すみません」


 団長が俯く。


 しばらく沈黙したあと。


「……それでも?」


「それでもです」


「こんな私でも?」


「こんな団長だから好きなんです」


「……」


 長い沈黙。


 やがて。


 ナターシャが小さく息を吐いた。


「……ずるいな」


「え?」


「そんなことを言われたら……」


 彼女は顔を上げた。


 青い瞳から、一粒だけ涙が落ちた。


「私だって……お前を好きだと言いたくなる」


 俺の心臓が跳ねる。


「……本当ですか?」


「嘘をついてどうする」


「じゃあ!」


「ただし」


「はい!」


「今までのように、誰にでもあんなふうに笑いかけるのは……少し嫌だ」


「え?」


「……何でもない」


 耳が赤い。


 俺は思わず笑った。


「団長」


「何だ」


「可愛いです」


「……本当に、お前は」


 団長は呆れたように笑った。


 けれど。


 その顔には、もう昔のような冷たさはなかった。


 俺はそっと手を差し出した。


「これからも、隣にいていいですか?」


 団長はその手を見つめる。


 そして。


 白い手袋を外した。


 素肌の指が、俺の手に重なる。


「……私のほうから、頼みたい」


 ぎゅっと。


 その手が握られる。


「これからも、私の隣にいてくれ」


「はい!」


 俺は笑った。


「喜んで!」


     ◇


 それからしばらくして。


 王国騎士団では、妙な噂が流れるようになった。


「最近、団長が柔らかくなったよな」


「副団長が原因だろ」


「確かに」


「この前なんて、団長が副団長の肩に寄りかかってたぞ」


「嘘だろ!?」


「本当だ」


「誰か見たのか?」


「俺が見た」


 そんな噂が飛び交う中。


 団長室では。


「ナターシャさん」


「……何だ」


「今日も可愛いですね」


「……もう慣れた」


「じゃあ、もう一回言います」


「必要ない」


「大好きです」


「……」


 ナターシャは顔を赤くして、書類で俺の顔を隠した。


「仕事をしろ」


「はい!」


 けれど。


 机の下では。


 彼女の指が、俺の手をそっと握っていた。


 俺は笑う。


 握り返す。


 昔。


 俺は彼女の背中を追いかけていた。


 強くなりたかった。


 認められたかった。


 いつか、あの人の隣に立ちたかった。


 そして。


 今。


 俺はその隣にいる。


 けれど、きっと。


 これが終着点じゃない。


 これからも俺は強くなる。


 彼女を守るために。


 彼女が安心して笑える場所を作るために。


 そして。


 彼女がもう二度と、自分のことを「可愛げがない」なんて言わないように。


「ナターシャさん」


「何だ?」


「俺、これからも毎日言いますからね」


「……何をだ」


「可愛いって」


「……ほどほどにしろ」


「嫌です」


「レオン」


「はい!」


「……好きだ」


「…………」


 今度は俺が固まった。


 ナターシャは少しだけ悪戯っぽく笑う。


「どうした?」


「いや……」


 顔が熱い。


 心臓がうるさい。


 俺は思わず頭を掻いた。


「団長のほうが、ずるいじゃないですか……」


「ふふ」


 小さな笑い声。


 それは。


 かつて氷のようだった彼女からは想像もできないほど、柔らかかった。


 俺は思う。


 きっと強さというのは。


 剣の腕だけじゃない。


 誰かを信じること。


 誰かに支えられること。


 そして――。


 誰かを心の底から愛すること。


 俺はナターシャと出会って。


 そのことを知った。


 そして彼女もまた。


 一人で強くあろうとすることだけが、強さではないと知ったのだと思う。


「レオン」


「はい?」


「……これからも、よろしく頼む」


「もちろんです!」


 俺は満面の笑みで答える。


「ずっと、俺が隣にいます!」


「……ああ」


 ナターシャは微笑んだ。


 その手はもう、離れない。


 かつて氷に閉ざされていた彼女の心は。


 今では、俺の隣で。


 春の日差しのように、穏やかに溶けていた。


 ――そして俺は。


 これからもきっと。


 世界で一番格好いい女騎士団長を。


 世界で一番可愛い女性として、愛し続けるのだろう。


 もちろん。


 毎日、何度でも。


「ナターシャさん」


「何だ?」


「今日も可愛いです!」


「……もう、好きにしろ」


 そう言った彼女の耳が。


 今日も少しだけ、赤く染まっていた。


     ◇


 それからしばらくして。


 王国騎士団では、妙な噂が流れるようになった。


「最近、団長が柔らかくなったよな」


「副団長が原因だろ」


「やっぱりそう思う?」


「絶対そうだ」


 食堂の片隅。


 俺の同期たちが、ひそひそと話している。


 ……いや。


 全然ひそひそになっていない。


「この前なんて、団長が副団長の肩に寄りかかってたぞ」


「嘘だろ!?」


「本当だ。俺はこの目で見た」


「お前、それ生きて帰ってこられたのか?」


「危なかった」


「おい!」


 思わず俺は声を上げた。


「全部聞こえてるからな!」


 同期たちが一斉にこちらを見る。


 そして。


「おお、噂の本人が来たぞ」


「レオン!」


「お前、あの団長を射止めるなんてすごいな!」


「よくやった!」


「うるさい!」


 俺は顔が熱くなるのを感じた。


「射止めるって何だよ!」


「だってそうだろ?」


 同期の一人がニヤニヤ笑う。


「王国騎士団の中で、ナターシャ団長に近づこうなんて奴、昔は誰もいなかったんだからな」


「……」


「いや、正確には近づけなかった」


「そうそう」


「団長が怖すぎて」


「訓練中に目が合っただけで背筋が伸びるって有名だったし」


「お前だけだよ。あの人の隣で平然と飯食ってるの」


「いや、俺だって最初は怖かったぞ?」


「嘘つけ」


「本当だって!」


 すると。


「……何の話をしている」


「…………」


 背後から、聞き慣れた声がした。


 食堂の空気が一瞬で凍る。


 振り返る。


 そこには、銀色の長い髪を優雅に揺らしたナターシャ団長が立っていた。


 相変わらず美しい。


 黒に近い濃紺の騎士服。


 凛とした立ち姿。


 冷静な碧眼。


 かつてと何も変わらない。


 ――ように見える。


「い、いえ! 何でもありません!」


 同期たちが一斉に姿勢を正す。


 俺も慌てて立ち上がった。


「団長!」


「……レオン」


「はい!」


「お前もか」


「え?」


「さっきから聞こえていた」


「…………」


 まずい。


 ものすごくまずい。


 団長は俺たちを見回した。


「食事中に騒ぐな」


「「「はい!」」」


 さすが団長。


 やっぱり怖い。


 ……と思った。


 けれど。


 団長は俺の隣に立つと。


 ほんの少しだけ。


 俺の袖を摘まんだ。


「……行くぞ、レオン」


「え?」


「一緒に昼食を取るのだろう?」


「……!」


 俺は思わず笑った。


「はい!」


 その瞬間。


 背後から。


「おおおおお!」


「見たか!?」


「団長から誘ったぞ!」


「副団長、お前やっぱりすげえな!」


「うるさい!」


 俺は振り返って叫んだ。


 団長の耳が真っ赤になっている。


「……レオン」


「はい」


「あとで覚えておけ」


「俺ですか!?」


 食堂中に笑い声が広がった。


     ◇


 その日の午後。


 訓練場では、いつものように騎士たちが鍛錬をしていた。


「そこ! 足が止まっている!」


 ナターシャ団長の鋭い声が飛ぶ。


「はい!」


 新人騎士たちが一斉に背筋を伸ばす。


 昔と変わらない。


 厳しくて。


 妥協がなくて。


 誰よりも強い。


 けれど。


 少し離れたところで、俺は団長を見ていた。


 団長が新人騎士の剣を受け止める。


「力任せでは駄目だ。相手の動きを見ろ」


「はい!」


「焦るな。お前ならできる」


 新人騎士が目を見開く。


「……ありがとうございます!」


 団長は小さく頷いた。


 そしてこちらを見る。


 目が合う。


 俺は笑った。


 団長も。


 ほんの少しだけ。


 笑った。


 その光景を見ていた同期が、俺の肩を叩く。


「なあ、レオン」


「何?」


「団長、本当に変わったよな」


「……そうかな?」


「ああ」


 同期は訓練場を見つめる。


「昔はもっと、一人で全部背負ってる感じだった」


「……」


「近寄りがたいっていうか」


「うん」


「でも今は違う」


 同期は笑った。


「ちゃんと俺たちを見てくれてる」


 俺は団長を見る。


 新人騎士に剣を教える彼女。


 失敗すれば厳しく叱る。


 けれど。


 できたときには、ちゃんと褒める。


 怪我をすれば心配する。


 無茶をすれば叱る。


 昔から変わらない。


 ただ。


 その厳しさの奥にある優しさを。


 今では、皆が知っている。


「……俺が変えたのかな」


 俺が呟くと。


「調子に乗るな」


 すぐ隣から声が飛んできた。


「うわっ!」


 振り返る。


 ナターシャが呆れた顔で立っていた。


「聞こえていたぞ」


「すみません!」


「お前一人のおかげではない」


「ですよね」


「……ただ」


 団長は少しだけ目を伏せた。


「お前がいてくれてよかったとは思っている」


「…………」


 今度は俺が固まった。


「団長……」


「何だ」


「今の、もう一回言ってください」


「断る」


「えー!」


「仕事をしろ」


「はい!」


 俺が笑う。


 団長も笑う。


 その姿を見た同期たちが、また騒ぎ始めた。


「お前ら、本当に仲いいな!」


「もう完全に夫婦じゃん!」


「団長! 副団長が仕事中にデレデレしてます!」


「レオン!」


「俺!?」


 訓練場に笑い声が響く。


 かつては、誰もが恐れていた女騎士団長。


 氷のような心を持つと噂されていた女性。


 けれど今。


 彼女の周りには、笑顔がある。


 騎士たちの冗談がある。


 仲間たちの信頼がある。


 そして。


 いつも隣には、俺がいる。


     ◇


 夕暮れ。


 仕事を終えた俺たちは、並んで王城の廊下を歩いていた。


「今日は疲れましたね」


「ああ」


「晩飯、何にします?」


「……そうだな」


「俺、肉が食べたいです」


「お前はいつも肉だろう」


「成長期なので!」


「もう成長期という年齢でもないだろう」


「心はいつでも成長期です!」


「意味が分からない」


 団長が笑った。


 俺も笑う。


 ふと。


 団長が立ち止まった。


「レオン」


「はい?」


「……手を」


「え?」


「その……」


 団長が少しだけ視線を逸らす。


「繋いでもいいか」


「…………」


 俺の心臓が跳ねた。


「もちろんです!」


 差し出した手を。


 団長がそっと握る。


 白い手袋越しの小さな温もり。


 昔なら。


 こんな光景は想像もできなかった。


 誰よりも強く。


 誰よりも凛としていて。


 誰にも弱さを見せなかった彼女が。


 今では俺に甘えてくれる。


 時々、隣に座りたがる。


 時々、俺の袖を掴む。


 そして。


 たまに自分から「好きだ」と言ってくれる。


 そのたびに。


 俺は思う。


 この人を好きになってよかった。


 この人の隣に立てる男になれてよかった。


「レオン」


「はい?」


「……これからも、頼む」


「もちろんです!」


 俺は満面の笑みで答えた。


「ずっと俺が隣にいます!」


「……ああ」


 団長は微笑んだ。


 その表情は。


 昔の彼女を知る者が見れば、きっと驚くだろう。


 けれど。


 俺は知っている。


 これが、本当のナターシャなのだ。


 強くて。


 不器用で。


 優しくて。


 少しだけ甘えん坊で。


 そして――。


 誰よりも可愛い女性。


 俺がずっと守りたいと思った人。


 俺が、心から愛する人。


     ◇


 翌朝。


 俺が訓練場へ向かうと、同期たちが待ち構えていた。


「おい、レオン!」


「何?」


「昨日、団長と手を繋いで帰っただろ!」


「見てたのかよ!」


「そりゃ見るだろ!」


「お前、あの団長を射止めるなんて本当にすごいな!」


「だから射止めるって言い方やめろって!」


 笑い声が響く。


 俺も笑う。


 そして。


 訓練場の入口を見る。


 そこにはナターシャが立っていた。


 白銀の長い髪。


 澄んだ碧眼。


 凛とした姿。


 誰もが憧れる、最高に格好いい女騎士団長。


 けれど。


 俺と目が合うと。


 彼女はほんの少しだけ頬を緩めた。


「レオン」


「はい!」


「今日も頑張ろう」


「はい!」


 俺は走り出す。


 彼女のもとへ。


 昔は。


 追いかけていた。


 いつか追いつきたいと思っていた。


 そして今は。


 彼女と並んで走っている。


 同じ景色を見て。


 同じ未来を目指して。


 笑い合って。


 時には喧嘩して。


 それでも手を取り合って。


 これからも、ずっと。


 俺は彼女の隣にいる。


 ――それが。


 俺が見つけた、本当の強さだった。


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