第2話 疫病
それから、半年が過ぎた。
季節は秋へと移り変わり、聖都の街路樹が赤く染まり始めた頃、疫病が聖都を襲った。
「また、一人亡くなったそうです」
講堂で、神父たちがヒソヒソと囁き合っている。
「原因は分からないのか?」
「医師たちも手を尽くしているようですが」
私はその会話を聞きながら、不安を覚えた。
疫病、それは死の宣告に等しい。病への対処法は限られている。かかってしまえば最後。もはや祈るしかない。
「心配そうだな」
ローレンツォが、私の隣に座った。
「疫病のことか?」
「ああ」
「大丈夫さ。この聖都には優秀な医師がいる。それに我々には、祈りがある」
「祈り、か」
私は複雑な表情を浮かべた。
「君は信じているのか? 祈りの力を」
「さあな」
ローレンツォは曖昧に答えた。
「少なくとも、何もしないよりはマシだろう」
それは彼らしい答えだった。ローレンツォは神を信じているわけではない。ただ、効果があるなら利用するという実利主義者なのだ。
「そうだな」
私は頷いた。
だが、その時私はまだ知らなかった。疫病が、私の最も大切な者を奪おうとしていることを。
◇
それから一週間後。
ノエルマが倒れた。
「熱が下がりません」
孤児院の院長が、青ざめた顔で私に告げた。
「医師を呼んだのですが、もう手の施しようがないと」
「そんな」
私は愕然とした。
急いでノエルマの部屋へと駆け込んだ。小さなベッドの上で、彼女は苦しそうに息をしていた。
「ノエルマ」
私は彼女の手を握った。
冷たい。あまりにも冷たい。生きている人間の手ではない。
「あ」
ノエルマが薄く目を開けた。
「……きてくれたのね」
「ああ、いいかい?大丈夫だ、すぐに治る」
私は必死に笑顔を作った。
「私が祈る。だから」
「ありがとう」
ノエルマはか細い声で言った。
「でも、もういいの」
「何を言っている」
私は彼女の手を強く握った。
「諦めるな。君は、まだ」
「ねえ」
ノエルマが私の手を握り返した。
「私、幸せだったわ」
「ノエルマ!」
「あなたと、一緒にいられて」
彼女の目から一筋の涙が零れた。
「本当に、幸せだった」
「やめろ。そんな、別れの言葉みたいなことを言うな!」
私は叫んだ。
「君は死なない。私が、私が必ず救う!」
私は彼女の手を握ったまま、祈り始めた。
「あぁ主よ、どうか、どうかこの者をお救いください」
膝をつき、額を床に押し付けた。
「私の命に代えても構いません。ですから」
だが、神は答えなかった。
私は何時間も祈り続けた。喉が枯れるまで。膝が砕けるまで。だが、ノエルマの容態は悪化する一方だった。
「もう、いいの」
ノエルマが弱々しく言った。
「あなたまで、倒れてしまうわ」
「黙っていろ」
私は涙を流しながら叫んだ。
「私は君を失うわけにはいかないんだ!」
ノエルマは微笑んだ。
彼女の手から力が抜けていく。
「ノエルマ!?ノエルマ」
私は彼女の名を叫び続けた。
だが、彼女の瞼がゆっくりと閉じていく。
「待ってくれ。頼む」
私は彼女の身体を抱きしめた。
「……アーメン」
最後の祈りを捧げた。
だが、神は沈黙したままだった。
ノエルマが息を引き取った。
私の腕の中で。静かに。穏やかに。
「嘘だ」
私は呆然と呟いた。
「嘘だ。嘘だ」
彼女の身体はまだ温かい。まるで眠っているかのようだ。
「起きろ。ノエルマ。頼むから」
私は彼女の名を呼び続けた。
だが、彼女は二度と目を開けることはなかった。
私は石畳を殴りつけた。拳が砕けた。血が滲んだ。痛みすら感じなかった。
「なぜだ」
私は天を仰いだ。
「なぜ、なぜ私から彼女を奪った」
あぁ神よ。あなたは本当に存在するのか。存在するなら、なぜ私の祈りを聞かなかった。なぜ彼女を救わなかった。
「神など」
私は震える声で呟いた。
「最初から、いなかったのか?」
その時、扉が開いた。
「酷い有様だな」
ローレンツォが立っていた。
彼は部屋の中を見回し、ノエルマの亡骸を見た。
「そうか」
彼は静かに言った。
「彼女も、逝ったのか」
「ローレンツォ」
私は彼を見上げた。
「助けてくれ。何とか、何とかならないのか」
「無理だ」
ローレンツォは冷たく言い放った。
「死者は蘇らない」
「そんな」
「現実を見ろ。彼女は、もう」
「黙れぇ!」
私は叫んだ。
そして再びノエルマの身体を抱きしめた。
「待っていてくれ」
誰にも聞こえない声で囁いた。
「必ず、君を連れ戻す」




