第33話 棘を包んでください
その日はやけに晴れていて、そのせいか心の奥がざわざわと唸っていた。
家の中にいるというのに、あまりにもその音がうるさいせいか、妙に早く目が覚めた。元よりアイリよりは早く起きることも多いけれど、こんなに早く起きるのは久しぶりかもしれない。
こんな状態で眠れるわけもなく、身体を起こす。
いつもならアイリが起きるまで、もう少し布団の中にいるんだけれど……そうしないと寂しそうにするし。
こんなにぐわぐわする理由はわかっている。
今日が連絡日だから。
この隔離された空中要塞都市が地上と行き交いできる唯一の日。
いや、ただの連絡日だったらこうはなっていない。
2人の母がここに来るというのだから、こんな気持ちになっている。それぐらいはわかる。
別に会うことになるわけじゃないのに。
でも、魔法学校に行って以来こんなに近くに来るのは初めてな気もする。
そう言えばアイリの親はどうなっているんだろう。
父がいると聞いたことはあるけれど、一度も見たことはない。
少なくとも良好な関係というわけじゃない気はする。
言葉の節々からそういう感じはする。
だから多分珍しいことじゃない。
親との関係が崩壊することなんか。
それなのにどうして。
「はぁ……」
この感覚をなんと言えばいいんだろう。
心が締め付けられる? というには、弱いけれど。何もないと言えるほどに平常でもない。
時計の表示が変化していく。
せわしなく。けれど一定に。
でも時間ってこんなにゆっくりなものだっけ。
寒い身体を丸めてみても、特に何も変わることはない。
何もない時間が流れている。普段と同じような。
それなのに焦燥というか。すごく嫌な感じがする。
「……れ、ね?」
ふと静かで綺麗な声が吹き抜ける。
振り向けば、アイリが身体を起こしていた。
「おはよう」
「うん……おはよ……」
眠そうな目を擦りながら、彼女は私の隣に座る。
ぽとりと座ってから、ちょっとばかり身を寄せる。
「レーネ」
「うん?」
「……大丈夫?」
変な事を聞かれる。
答えに詰まる。
少し考えて、取り繕った答えを返す。
「大丈夫、だけど?」
アイリは一度瞬きをする。
私にもわかるように。
……わかってるんだけれどね。
「……どうしたの?」
「えっと、どうって?」
質問に質問で返してみる。
まるで何もわからないようなふりをして。
……わかってる。アイリが何を聞きたいのか。
「なんていうか……その、いつもと違うから」
「まぁちょっと早起きだったからね」
「それもだけど……そうじゃなくて」
指を絡められる。
指の間というのは、なんだか不思議な感じがする。
彼女が私の心の隙間に入ってくるような。
空白を埋めていくような。
心を見つけてくれるような。
「悩んでるの?」
「……どうかな」
こういう時に、探るように言葉を探してくれるのは楽なのかもしれない。決めつけられることもなく、私の心を一緒に探してくれるのは。
きっと独りだと、心の在処を探すことなんかできなかっただろうから。
多分、ずっと同じところで蹲ったままだっただろうから。
だから、多分少し素直に話す気になったのかもしれない。
「今日は親が来るんだって」
「お、親? あ、連絡日だから……」
アイリもそのことを思いだしたらしい。
この都市で育った彼女にはあまり馴染みのない日なのかもしれない。
私としては、危険な魔物の領域から離れられるから、少し安心できる日だけれど。でも、今日は違う。安心なんか少しもできない。
「ニルヴァに会いに来るんだって」
親が会いに来るから。
別に私に会いに来るわけじゃないのに。
「私も会わないかって言われたんだけれど」
「……会わないことにしたの?」
「そう、だね」
少し返答に悩んだ。
会えないともいうのかもしれない気がして。それに会っても意味のないというか、酷いことになるというのが本当の所な気がして。
でも、私がこの決断をした理由は会いたくないからだから。
頷いた。
「レーネは後悔してるの?」
「……ううん。そういうわけじゃないけれど」
これで良かったのかはわからない。
結局、私は逃げただけのような気もするし。
でも、後悔というほど強い感情はない。
親との関係にそこまでの未練もなければ、執着もない。
……意外だけれど。もう少しぐらいは執着しているのかと思っていた。仮にも親なのだから。でも意外と、こうなってみればそんなものらしい。
「なら、私は嬉しい、かも」
「嬉しい?」
「……うん。一緒にいてくれた方が嬉しい」
まぁ、それは私もそうかも。
彼女の髪を撫でる。
こうしているほうが時間としては無為でも、気分は落ち着く。少なくともあの母達と会うよりは。
本当に無為的なのかな。これは。
きっと意味はない気がする。
こうしていることにも。
何をしても。
……私はどうしてここにいるのかな。
それはアイリがそれを望んだから。
さらに誤魔化さずに言うのなら、私がそれを望んだからだけれど。
でも、何も意味はない。
一緒にいるというのは、ただ一時的なその場しのぎの空白の埋め方に過ぎない。
いつかは別れが来るのだから。
少し虚無主義すぎるかな。
思い出というのは残るかもしれないけれど。
……そう思えば悪いものでもないのかもしれない。
「……映画でも見る?」
頷く。
アイリは嬉しそうに画面を操作すれば、配給会社の名前が画面に表示される。
相変わらず映画を見るのは好きらしい。
……私は別にそうでもない。
嫌いというわけでもないけれど。
暇つぶしには丁度良いというか。
それに映画を見る時はアイリが隣にいてくれるし。
アイリは距離感が近い。
触れることを好んでいる。
今だって、指を絡めてくるし、体温が感じられるほど近くにいる。
それを重要視しているというわけでもないけれど。
でも、この感覚に慣れてきている。
落ち着くようになってきた。
アイリとくっついていると。
彼女の体温を感じるのが。
落ち着くらしい。
意外どころの騒ぎではない。
アイリと出会ったばかりのことは、これだけ誰かが近くにいたら、私はもう少しびっくりして落ち着かなくなっていたのに。
だから映画を見るのは好きじゃなくても。
アイリと映画を見るのは好きかもしれない。
多分、今日でまたひとつ私は人間関係を失う。
家族という関係を失くしてしまう。
けれど、それは元より希薄だったもので。
そして今の私にはそれよりも好きな人がいる。
こうしている時間のほうが大切なのだから。
だから多分、それでいい。
その方がいいのだろうけれど。
でも、本来の私の孤立感というものが浮き彫りになっている気がして……少し寂しい。
映像が流れる。
緩く絡んだ指を動かす。
彼女の指をはっきりと掴む
アイリが不思議そうに私を見る。
……自分で映画を見始めたのに。
その瞳のせい。私を見てくれるその瞳のせいで。
「ここにいるよね……?」
呟く。
自分でもなぜこれを言ったのかわからない。
言うべきじゃなかったかもしれない。
こんな意味のない。中身のないことを。
「え」
アイリが目を丸くする。
そしてすぐにまたいつもの瞳の中に私を収めて、するりと近寄る。顔をほころばせながら。小さな声を呟きながら。でも言葉は出ないようで。
気恥ずかしいことを言いすぎたかもしれない
自分でもわかるぐらい身体が熱くなっているのを感じる。顔を上げられない。でも、後悔はしていないらしい。
変な感じがする。
変な事を言ったし、変な感覚がする。
けれど、アイリは私の手を確かに握る。
「ずっとここにいるよ」
そして透き通る声が私の思考の中を突き抜ける。
その言葉に嘘がないことは簡単にわかった。
それぐらい温かさで満ちている言葉で。
私のふわふわとした心を繋ぎとめるような言葉で。
なんだかまた少しアイリのことがわかったような。そんな気がする。
そして私のことも、もう少しぐらいわかったような。
それが。
正直に言うのなら、とても嬉しくて。
安心して。
私は笑ってしまった。
なんだか泣きそうになってしまうというか。それぐらいには彼女の言葉が、隣にいてくれるということが、笑ってくれることが嬉しかったらしい。
……でも。
きっと、その言葉は真実にはならない。
それぐらいのことはわかっている。
だってアイリと私ではその言葉の意味が違う。
認識が違う。きっとそれが同じになるよりも先に別れが来る気がするし……だから、それぐらいのことはわかっている……つもり。
つもり、だけれど。
小さく息を吐く。
それなのに嬉しいと思っているのだから。
なんだか不思議な感じがする。




