第32話 愛着障害
アイリと私が一緒にいる時間はとても長くて、最近は一緒にいることが多いけれど……もちろんそうじゃない日もある。
特に定期的にアイリは1人で出かけていく。
同調者特有の検査とかそういうものらしい。
今日もそのせいで1人残されている。
……うーん。あれだけ一緒にいたいという割には、結構私を1人にするというか。
まぁいいけれど。
それに今日は私も予定はある。
ニルヴァに会う。会いたいと言われたから。
少し気が重い。
こんな風に思いたくはないけれど……でも、どうやら気が重いらしい。あまり乗り気ではないというか。
今からでも辞めたいけれど、自分からこの日を指定した手前、それも言いづらい。
それに何かあってからじゃ遅いし。
これで明日ニルヴァが死んでしまったりしたら、すごい後悔することぐらいはわかる。だから、一応……というと言い方は悪いかもしれないけれど、でも気は重い。
「姉さん」
久しぶりに出会ったニルヴァはこの前にも入った喫茶店の前で待っていた。
またここで会うと言うのもちょっとかなり気が重い。喫茶店に行こうという口実らしいけれど、私はあまりこういう場所が得意じゃないということは前回のことで理解しているし。
それにそれなりの値段もする。結構、尋常じゃないぐらい。まぁニルヴァ曰く、これぐらいは普通らしいけれど。
「姉さんは何を頼みますか?」
「あ、えっと……これで」
とりあえず前と同じものを選ぶ。
相変わらず他のやつはよくわからないし。
「わかりました」
それから相変わらず慣れているらしいニルヴァは、ぱぱっと注文とかそういう手続きをしてしまう。私は未だに人を呼ばないといけないというのが難易度が高すぎる気がする……というのはあまりにも順応が遅いかもしれないけれど。
「それで、えっと。どうかしたの?」
でも、ニルヴァは何か話がしたいらしい。
それぐらいのことはわかる。
けれど、彼女は少し言葉を溜める。
早く言ってくれればいいのに。
それを待つように、手の中に在る液体を少しばかり喉に流す。
「あの、姉さん。今度の連絡日にお母さんたちが来るみたいなんです」
ぇ。
小さく声が漏れる。
急に視界が遠くなって、息が浅くなるのを感じる。
「……そ、う」
そんな返答ができたことも奇跡かもしれない。
それぐらいには私の視界は揺れる。
「会いませんか? 久しぶりに家族4人で」
それが本題らしい……
混乱する思考の中で、そこだけは気づく。
でも、それに対する答えというのは決まっていて。
「……会わない」
「どうしてですか?」
……そんな顔をしなくてもいいのに。
私が断ることは、ニルヴァだってわかっていたはずなのに。
「一日だけです。それだけでもだめですか?」
そんなことを言われても困る。
一日だけ……まぁそうかもしれないけれど。
多分、アイリはそうは思わないだろうし。
それに。
「会いたくないから」
……私は親と会いたくない。
言い訳のようにアイリが私といることを望んでいるからとかそういうものがないわけじゃないけれど……ただ親と会いたくないだけなのだと思う。実際のところ、1日ぐらいならアイリも何も言わないだろうし。
「会いたくないって……なんでですか?」
何故。
何故か。
そう問われても困る。
いや、その理由は私はわかっているはずなのに。
忘れたふりをしている。
「アイリさんのせいですか?」
「それもあるかもね」
それだけじゃないけれど。
それが中心じゃないけれど。
……というかそんなに聞いてこないで欲しい。
「姉さんは私の姉さんですよね」
「そうだね」
問いの意味をよく考えないまま頷く。
考えても、それ以上でも以下でもないような気はするけれど。
「なら、彼女はなんですか?」
その彼女がアイリを指すことぐらいはわかった。
けれど、上手く答えられない。
何だろう。
私とアイリの関係は何と言えばいいのかわからないけれど。
「まぁ……友人?」
「なら、どうして友達を優先するんですか?」
……余計に質問の意味がわからない。
なんでそんな、面倒な質問をするんだろう。
そんなの聞かれても困る。
私の心の詳細なんか、私にもわからないのに。
「私達は家族ですよね」
「そうだけれど」
だからなんだというのだろう。
家族だから優先しないといけないのかな。
「姉さん、言ってくれましたよね。またいつか一緒に暮らすって……」
「……言ったっけ?」
「言いましたよ! 何で覚えてないの……?」
ニルヴァの表情は私でもわかるぐらいには怒りが滲んでいる。
正直、委縮するし、辞めて欲しい。
でも、その様子を見る限り、昔の私はそんなことを言ったのだろう。そんなことを言った記憶はないけれど。少なくともそう解釈できるようなことは。
そしてきっとそれは、妹にとっては大切なものだったのかもしれない。家族のことがそれなりに大切らしい彼女にとっては。
「ごめん……でも、もう12年も前だよ?」
「私は覚えています。姉さんがまた4人で暮らそうって言ったことも……母さんたちがいつかまた仲直りすると言ったことも……」
でも、そんなことを言われても困る。
私は覚えてない。
それに母の言葉は嘘というか、方便に近いものな気がする。
母だってわかっているはずだから。私達の関係がもう修復不能であるということを。
「もしそう言ったのなら、ごめん。それは、できないよ」
「どうしてですか……?」
「私は多分、母達と会っても笑えないと思う」
……私は忘れていたふりをしていただけで。
ずっと覚えている。
過去のことを。
……母の私を見る目と、その中に潜む拒絶と無関心を。
「どうして。どうしてですか? だって、私達は家族で」
「……それは、あんまり話したくはないっていうか」
過去というのをあまり語りたくない。
私の過去は大概は後悔や辛い記憶だし。
まぁ、もう大分思い出してしまったけれど。
母と私の離別というものを。
「それに、ニルヴァは母達のことが好きなんだよね?」
「そうです、けど」
「なら、聞かないほうが良いと思うよ」
「……聞かせてください。お願いします」
少し強引にニルヴァは私の過去に触れる。
それがとてもきりきりとする。
けれど多分。
話さないと私の想いが伝わることはない。
いや、ニルヴァのような人に話したところで、伝わるかどうか。
でも、話すということが大切な事であることを私はもう知っている。アイリが私にしてくれたように……私にはアイリのようにはできないけれど。それでも。
「どこから話そうかな」
今、思い返してみれば少ししょうもない話のような気もする。
こんなにも意固地になるほどのことではないかもしれない。
けれど、私にとってはとても嫌な記憶で。
「……私は多分、母さんに褒めて欲しかった」
きっとこの感情が問題であることはわかっている。
その承認欲求のせいであることは。
「あの日。初めての魔力測定の日。私の結果はそれなりに良かったみたいで。測定官の人に褒められて……母さんも褒めてくれると思ったのに」
あの日の母の眼は、とても怖かった。
その瞳の中には私はいなくて。
なんだかそこに私はいなかった。
多分、だからだと思う。
「それなのに。魔法学校に行けとしか言わなかった」
まるで距離を取る口実ができたように。
……きっとそれが一番良い形だと考えたのだろうけれど。
そしてそう考えたのが私にもわかったけれど。
でも、私は。
「でも、よく頑張ったねって。言われたかった」
褒めて欲しかった。
そう思えば、子供っぽいかもしれない。
でも、あの時の私は子供で。
愛してほしいとまでは言わないけれど。
でも、褒めて、肯定してほしかった。私のことを。
ここにいることを認めて欲しかったのかもしれない。今と同じように。
……そしてそれが母から手に入らないことが分かったから、私は私の中の母の存在を限りなく薄いものにしたのだし。
「笑えるでしょ? 別に生まれつきの魔力量なんか、何も頑張って手に入れた力ってわけじゃないのに」
「……笑いません」
「……でも、私は今でも馬鹿だなと思うよ」
せめて、魔法学校に行ってからはもう少し上手い付き合い方はあったような気はする。
いくら相性が悪いといっても、少しは手紙を返すとか。
もしくは休暇の時ぐらいは帰るとか。
でも、私にはそれすら無理だった。
「そこからはニルヴァの方が覚えてるよね」
「姉さんは魔法学校に行って、二度と帰ってきませんでした」
「そう、だね。母は私が魔法学校に行くことを望んだし、私もそれに逆らわなかった。それに新しい場所への期待もあったし」
実際には魔法学校にも私の居場所はなかったわけだけれど。
でも……あの家にいるよりは良かった気がする。家とは紫髪の母は拒絶を、緑髪の母は無関心をもらうような場所だったし。
「私はあの日褒められなかったから……母さんは私に何も感じてないってわかったから、私もそんなに家族に価値を感じてないだけ」
多分、反抗期的な精神というか。
精神的な防御応答だったのだと思う。
親が私を弾こうとしたから、私も親のことを捨てることにした。
最低限の関わりだけでいいようにと。
「だから、もう直せる気はしないっていうか。仲直りなんかできないよ」
きっと壊れてすらいない。
親と私の間には関係と呼べるものがない。
もうそんなものは全て消し去ってしまった。
「もう……ほんとに無理なんですか?」
「まぁそうかな」
金銭的な恩とか、そういうものはあるけれど。
でも、それは親に感じる感覚とかけ離れていることぐらいはわかる。
それに嫌いというよりは苦手な人というか。
会っても、互いに良いことはないだろうし。
……きっと向こうもそう思っている。そう思っていて欲しい。
それなのに時折連絡というか、要求だけは来るから嫌になる。まだ気づいていないのかな……それだと少し困るというか。そんな風な感情を私に向けないで欲しい。
「……聞かなかったことにしてもいいよ」
「でも……」
「ニルヴァにとっては良いお母さんなんだよね。2人とも」
「……はい」
「なら、いいんじゃない? そう思えた方が良いだろうし」
多分、ニルヴァとの関係は上手くやったんだろう。
私の何が悪かったのかは知らない。向こうも親になるのは初めてだったんだろうし、私も子供をやるのは初めてだった。きっとそれがたまたますれ違って、上手く行かなかっただけで。
だから多分、母達も私と距離を取ることを望んだのだろうし。
それが私達にとっては最善だった。
……それが分かるからと言って、母のことを許したり好きになったりはしないけれど。
「でも、姉さんにとっては……」
「私のことは、気にしなくていいから。今までも3人だったんだから、これからも3人でいればいいよ」
「でも、4人家族なんです……」
そんな顔をされても困る。
私にはなんて声をかけたらいいのかわからない。
「やっぱり私のせいですか?」
「……えっと?」
少量の沈黙の後に出た言葉に疑問符を返す。
どういう意味かはわからなくて。
「私が生まれたから、仲が悪くなっちゃったんですか?」
「いや、そんなことは無いと思うよ」
私も子供の頃をよく覚えているわけじゃないけれど。
でも、ニルヴァが産まれる前と後でそこまで変わった気はしない。
「そう、ですか……」
私は少し自分の髪先を弄る。
なんだかこうすることが癖になってる気がする。
アイリのせいかな。彼女の癖がうつるというか。
……影響されやすいのかもしれない。
「でも、姉さんはあの時手を握ってくれましたよね」
「どの時?」
「だから、その、あの時ですよ。私が公園で泣いてて、それで……」
「まぁ……あったかもね」
そこまで言われたら多少そんなことがあった気もする。
手を握って、家まで帰ったような。
その頃の私は妹のことをどう思っていたんだろう。
「でも、もう家族にはなれないんですよね……」
既に家族ではあるんだけれど。
でも、ニルヴァの言葉がそういう意味ではないということは知っている。
彼女の認識する家族というのが、私にはわからないものであることも。
「家族って、そんなに大切?」
「……はい」
多分そっちの方が良いんだろうけれど……
そっちのほうが正しさはあるのだろうけれど……
それは私には。
「私にはよくわからないよ」
親とは、そういう記号的存在にしか感じない。
ほぼ他人な気がする。とても遠い存在というか。
上手く感覚がない。
「……それでも私は、姉さんのこと……姉さんだと思ってますから」
「そっか」
「嫌、ですか?」
「そんなこと、ないけど」
沈黙が流れる。
この沈黙がどうして気まずいのか疑問だったけれど……
もしかしたら、認識が違うせいかもしれない。
ニルヴァは私のことを家族だと思っていて、私は彼女のことを他人だと思っている。友人ではある……かもしれないけれど。
それでも同じ景色は見ていない。そのせいかもしれない。
「じゃあ、もう行くね」
無言の妹にお金だけ置いて、私は店を出た。
なんだか少し軽くなった気がした。




