第31話 心の定義
アイリとの共同生活を始めてから3カ月ほどになる。
共同生活というほど、協力はしていない気がするけれど。
でも同じ部屋で時を過ごした。
それなりに彼女のことを鬱陶しく感じてしまいそうで怖かったけれど、幸いなことに私はもうアイリに近づかれても、そういうことはないらしい。
……と言うより慣れてしまったのかな。
最近のアイリはこれまでより私の近くにいようとしている気がする。
そんなわけで休日も一緒にいる。
休日といっても大抵は家の中でぼんやりとしているだけの日が多いのだけれど、今日は映画館に来た。
この大規模商業施設に来たのも久しぶりな気がする。前にニルヴァと来て以来かもしれない。
「何か見たいものがあるの?」
自分で言ってからちょっと間抜けな質問すぎる気もした。何か見たいものがないなら映画館に来たいなんて言わないだろうし。
というよりも、ここまで何も疑問に思わずについてきた私の行動の方に笑ってしまいそうになる。
「えっと……これ。どうかな」
そう言って、アイリは端末の画面を見せてくれる。
そこにはひとつの映画の紹介映像が流れていた。
これは確か、有名な連作映画の最新作だったか。
どうやらこれを見たいらしい。
私にはそれを特に断る理由はない。特に苦手な映画もないし。
それにアイリが見たいというのだから、それなりの映画だろうことは予想できるから、少しばかり楽しみな気もする。あまり期待しすぎるのもあれだけれど。
「映画館に来るのって久しぶりかも」
「そうなの? アイリはよく来てるのかと思ってた」
「な、なんで?」
うーん。どうしてだろう。
なんとなく映画が好きな印象があるからかな。映画というか映像作品というか。
私も物語は好きだけれど、大概は小説から摂取してきたし。
「初めてってわけじゃないけれど……でも、頻繁に来るわけじゃないよ。レーネは?」
「私は……初めてかも。映画館に来るの」
「え。う、うーん。じゃあこの映画じゃない方がいいかな……」
アイリはなんだか不思議なことを口にする。
「どうして?」
「だって、初めての体験なら、もっと名作の方がいいかなって」
「これは違うの?」
一応、私でも知ってるぐらい有名な作品だけれど。
たしかこれの1作目が公開されたのは私の生まれる前だった気がする。
「これは人気作で……名作っていうとちょっとずれるっていうか」
……だいたい同じじゃないのかな。
あれかな。海鳥の悲鳴みたいな小説を名作というのかどうかみたいな話なのかな。それなら、言わんとすることはわからないでもないけれど。
「でも、まだアイリも見てないんだよね?」
「……そうだけれど」
「なら、名作かもしれないよ」
「…………そうだけれど」
言葉とは裏腹に、それはないと言いたげな表情をしていた。
やっぱりアイリの表情は読み取りやすい。他の人もこれぐらいわかりやすかったら、楽だったのに。
「そんなにだめなの?」
「これはだって楽しい系の映画だし……」
確かにこれの前作をアイリと見た時もそんな感じだった気がする。
色々話の流れ自体あったけれど、まとめれば強い主人公が色々な物事を解決する話というか。高品質ではあったけれど、悪く言うのならよく見る作品というか。
私としては楽しいならそれで良いような気もするんだけれど。アイリと一緒に見られるのだし。
「別に良くない? それにまた来たら良いと思うんだけれど」
「また?」
「うん」
アイリはきょとりと首を傾げる。
そんなにおかしなことを言ったかな。
「……そう、だね。うん。また。また来たい」
けれど、すぐにこくこくとアイリは頷く。
すごくうれしそうに。
……どうやら彼女にはもう一度来るという考えはなかったらしい。
まぁでも、本当にその時に名作とやらは見ればいい気がする。
そんなに1度目も2度目もそんなに変わらないと思うし。
そんな会話をしながら入場券を買い、映画館に入る。
どんな仕組みかはよくわからなかったけれど、アイリはすらすらと手続きをして、気づけば見上げるほど大きな画面が備え付けられた薄暗い大きな部屋に入っていた。
私達が入った時はほとんど人がいなかったけれど、時間が経つにつれて人がどんどん増えていく。その流れに沿うように、画面には広告らしい映像が流れていく。
その中にはアイリの家で見た映画の続編などもあって少し気になる。今度はこれを見に来たりするのかな。わりとアイリ次第だけれど。
というか。
そろそろ上映開始時間になっているはずだけれど。
いつ始まるんだろう。
ちらりとアイリの方を見る。
彼女は広告をそれなりにぼんやりと眺めている。
それを見れば別にこれは異常事態ではないらしい。
上映開始時間は別に上映開始時間ではないというか。
まぁ別にそんなに急いでもないし。私もアイリに倣ってぼんやりと広告を眺める。
ふいにあたりがいっそうと暗くなる。
アイリの顔もよく見えない。
その中でよくわからない広告を見ていると、なんだか不安になってくる。
私はどうしてここにいるのかな。
わからなくなってくる。
ほわほわするというか。
ぷかぷかと浮いていく。
感覚だけが。
ふわりと浮いてどこかに行ってしまったような。
なんだかすごく嫌な感じがする。
遠くなっていく気がする。
アイリが。
現実が。
視界がきゅうっとしまるような。
ぼわっと広がって、どこまでも消えていくような。
視界の端から崩れていくような。
暗闇のせいか。
それとも無駄に明滅する画面のせいか。
もしくはあまりにも大きな音のせいか。
わからないけれど。
急激に感覚が置いて行かれている。
自分がどこにもいなくなるような。
どこにも私がいないような。
なにかを忘れている。
後悔の味を思い出している。
私は後悔を忘れている。
たくさんの後悔を。
……色々な事があったはずなのに。
これまで、私は17年生きてきたはずで。
その中で私にも色々な事があった。
そのほとんどは何も為さなかったことは今の私が証明しているけれど。
同時にあまりにも大きな泡の幻が後悔としてそこにある。
私には後悔があって、きっとそのほとんどを忘れている。
いや、忘れているわけじゃない。ただ思い出せないだけで。
後悔を後悔のまま、目を背けてきた。
だから、私はずっとここにいてはいけないような感覚があったのかもしれない。
でも、思えば……その感覚があることも最近は希薄だった。
なんとなく最近は後悔が多少遠かったような気がする。少なくとも、この感情になるのは久しぶりだし。
なんでだっけ。
理由があった気がする。
最近、ここにいてもいいような。
そんな気がしていたのに。
どうしてだっけ。
……誰かが私の手を握ってくれるから。
誰かが私の手を求めてくれるから。
誰か。
アイリ。
不意に温かい感覚が現れる。
私の手に。
それで私の視界はようやく輪郭を取り戻す。
ぱちくりと瞬きをして、深く呼吸をする。
ちらりと手を見れば、アイリが私の手を握っていた。
このおかげらしい。
私があの後悔の渦から帰ってこれたのは。
……不思議なのは。
どうしてアイリに触れられるだけで、あの妄想から逃れられたんだろう。
ああいう妄想はいつももっと長く、もっと酷く視界を埋め尽くすものなのに。
誰か触れられると、ここにいるって……ここにいてもいいって感覚がするからかな。いや……誰かじゃなくて。アイリに触れられると……かもだけれど。
ちらりと映画を集中してみているらしいアイリの方を見る。
まだ手は繋いだままだけれど……いいのかな。まぁいいか。邪魔というわけではなさそうだし。
そしてしばらくして、映画が終わる。
いわゆる空想世界の話だったけれど、それなりに面白かった。
人気の連作なだけはある。
「うーっと」
少し腕を伸ばす。
やっぱりずっと黙って座ってないといけないのはそれなりに窮屈で。
「大丈夫?」
アイリが私を覗き込む。
「大丈夫だよ。どうして?」
「途中でぼうっとしてたみたいだったから……」
ばれてたらしい。
まぁ隣にいるんだし、それぐらいはわかるのかな。
だから手を取ってくれたのかもしれない。
私を繋ぎとめるように。
「うん。大丈夫だよ。えっと、でよっか」
それだけ言って立ち上がり、映画館という場所を後にする。
また来ようと言った手前、言いづらいけれど……あまり私は映画というものと相性が良くないかもしれない。映画というものを見ている時のあの感覚……どこまでも独りになるような。少し苦手というか。
アイリが手を握ってくれなければ、なんだか遠いところに行っていた気がする。
私は家で一緒に見るほうが好きかもしれない。
人も多いし。
「面白かったね。あの、壁が崩壊するところ。すごかった」
「そうだね。音もすごかったし」
「そう! がらがらって。映画館らしかったね」
まぁ、こうして話すのは楽しいからいいのかな。
アイリもすごく楽しそうだし。
この笑顔が見れるのなら、また来てもいいかもしれない。
……なんというか。
自分でも意外というか。
アイリの感情というのが、私の行動理由の中に入り込んでいる気がする。
それは相変わらず流されている私らしいといえばそうなんだけれど……
前まではこうして誰かの作った流れの中にいることがどうにも窮屈な感じがしていたし、実際あまり息をしている感じがしなかった。
今も、別にそこまで現実感があるというほど心の在処が分かっているわけじゃない。
……でも、今はなんだか嫌な気がしない。
アイリの強い意志によって生み出される流れの中にいるのは。
まだ少ししかここにいないけれど……
その理由が分かれば、もう少しぐらいは私の心が見つかるかもしれない。
そんな楽観をしている自分に……なんていうか。
少し笑ってしまいそうになっている。
そんな気がした。




